近代ビデオゲームの原点『スペースインベーダー』を生んだゲーム業界の父!西角友宏氏インタビュー 後編
3回にわたってお届けしている『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)の父、西角友宏氏へのインタビューも今回が最終回。
今回は『スペースインベーダー』後に制作したゲームについてお聞きした。
当時の業界の様子やあまり知られることのなかった『スペースインベーダー』発売後の活動、『スペースインベーダー・パートⅡ』(1979年/タイトー)にまつわる裏話など、興味深い話がいろいろ飛び出した。西角氏のゲーム保存に関する考え方や開発の哲学は必読!
【聞き手】
ゲーム文化保存研究所
所長:大堀 康祐
ライター:こうべみせ
新基板の研究ができず在庫基板を処分するための新ゲームを開発する日々
――『スペースインベーダー』の後は『ルナレスキュー』(1979年)などを開発されていますよね。
西角 あれは『スペースインベーダー』の基板を改造して作ったタイトルですね。ほかにもスペースインベーダー基板を改造して、プログラムを書き換えて作ったゲームが何作か出ています。私以外の(開発部の)人も作りましたので、トータルで10作くらいはスペースインベーダー基板を流用したものがあったはずです。
――当時は流用することが多かったのですか?
西角 流用したというよりも、(会社に)させられたような感じで(笑)
一同 (笑)
西角 基板が余っていたので、会社としては何とか処分したかったのでしょう。私自身はスプライト(*01)とかそういう技術が気になったので、新基板の研究はしていたんです。でも、営業の方が「西角君、余っちゃった基板の在庫をなんとかしてくれよ」と言ってくるんです。
こういう基板って、ROMを変えれば別のプログラムが走りますよね。ROMを交換するだけならコストはそれほどかからずに違うゲーム基板が作れるなと思って提案すると、営業は「こりゃいいや」ってことになるわけです(笑)。自分としては、初めに1作か2作だけ作って、新基板の開発に集中したかったんですけど、結果として「しばらく基板流用ゲームの開発に集中してくれ」って言われてしまいました。1年半くらいインベーダー基板を使ったゲーム制作をしたでしょうか。
その間に他社さんはオリジナル基板をどんどん作るわけです。スプライトも一般的になってきて(回路を搭載するのが)主流になってきていましたので、他社さんはスプライトを使って動きの激しい高度なゲームを作るようになっていきました。我々の基板ではできないようなゲームを作られ、ちょっと遅れをとってしまいましたね。
ただ、営業からは感謝されました。お客さん(ゲームセンターの経営者)が離れずに済んだからだそうです。ROM交換で新作を出した結果として、「タイトーは最後まで面倒を見てくれる」と喜んでくださったようですね。
当時の感覚としては基板なんて使い捨てですから。新作が出るたびに「古い基板なんて捨てちゃって、新作ゲームの基板を買ってくださいよ」となるんでしょうけど、結果としてインベーダー基板でしばらく新作をサポートすることになったので、営業はお客さんから信頼されたと聞いています。
――後年になって主流になるROM交換式のマザーボードみたいなものですね。
西角 そうですね。初めのうちはROMを交換するだけだったのですが、そのうちそれだけでは厳しくなって、基板を改造したりサブボードを付け足したりはしました。『バルーンボンバー』(1980年)とかはそんな感じだったかな。 『ルナレスキュー』はROM交換だけだったと思います。
大堀 完全に会社から業務として指示されていた感じでしょうか。タイトーさんは当時から多数のロケーション(直営ゲームセンター)をお持ちだったので、お店に置いてある基板もたくさんあったわけですよね。そういった背景もあって、業務としてインベーダー基板で動くゲームを作ってくれと言われたのですか?
西角 トップダウンで命令されました(笑)
一同 (笑)
西角 トップダウンといっても社長からというレベルではなく、営業の偉い人から頼まれました。頭まで下げられたかは覚えていませんが、そのような雰囲気で「とにかく頼むよ」と言われましたね。
大堀 すごいですねえ。基板を流用するとなると、普通なら単純に(『スペースインベーダー』と)似たような内容のゲームを作っていくのが楽だったと思うんです。しかし、後期になると『スチールワーカー(*02)』(1980年)のような、まったく違うテイストのゲームを作っているじゃないですか。そこまでしたのは、何か西角さん的に意地のようなものがありましたか?
西角 私としては、あの基板でできる一番いい動きを見せてやろうという思いで、いつもゲームを作っていましたね。ちなみに 『T.Tスチールワーカー』を作ったのは別の人間でした。タイトーの技術部署で何人かがあの基板を使ってゲームを作っていたんですよ。外注に出したタイトルもあったかな。全部社内製というわけではありませんでしたね。
『スペースインベーダー』基版で作ったゲームは10作くらいあると思います。ほかに『ルパン三世』(1980年)、『ポラリス』(1980年)あたりはみんなそうですね。
新基板で作ったゲームがかえって旧基板の寿命を伸ばしてしまう結果になる
大堀 ハードウェアのエンジニアとしては、スプライト機能とか新しいものにチャレンジしたかったのでしょうが、会社にすごく貢献されたことになりましたね。
西角 おかげで1年半はハードのことは何もできませんでした。その間で唯一私が会社に抵抗したこと…抵抗というか、お願いしてやらせてもらった感じかな。『スペースサイクロン』(1980年/タイトー)というタイトルを作らせてもらいました。あまりヒットはしませんでしたが(笑)。
これはスペースインベーダー基板をベースにはしていますが、処理能力を上げ、スプライト機能も実装した基板で作っています。これがヒットしていたらもうちょっと社内の反応も変わったと思うんですけど、上手くいかなかったので、営業からは「新しい基板より、古い基板のほうがいいじゃないか」と思われてしまったようです。そのせいでスペースインベーダー基板が長く使われることにつながってしまったかもしれませんね。
脚注