近代ビデオゲームの原点『スペースインベーダー』を生んだゲーム業界の父!西角友宏氏インタビュー 後編
目次
レインボーは本来ならバグなので『パートⅡ』ではなくしてしまいたかった
大堀 1作目の話をしますが、当時、自分は八王子に住んでいて、そこでは都市伝説のように「インベーダー伝説」というものが広まっていたんですよ。500点のUFOがあるらしいとか、そういう噂話です。23発目、15発目に(UFOを)撃つと300点が出現するのは事実として知っているのですが、「○発撃ってから特定の操作をすると特別なことが起こる」なんてガセ情報がありました。レインボー(*01)をやるとボーナスが入るというのも1作目では単なる噂話でしたが、『パートⅡ』ではそういった噂の一部を逆に仕様として取り入れましたよね。
西角 そうですね。そのようなことをしました。
大堀 それはやはり市場の声を反映しようという考えからですか?
西角 市場というよりも営業の声ですね。営業が「ぜひ入れてくれ」って頼んできたので。(レインボーなどは)バグだから、私はなくしてしまいたかったんですが…。
大堀 しかも、噂話のようにボーナス点まで入るようになっていました。
西角 1作目のレインボーはバグで、意図せず起きてしまった現象でしたが、 『パートⅡ』では仕様として現象が起こるようにプログラムしなければならなかったのが苦労した点です。その辺は羽鳥とかが作った部分になりますけどね。そんな経緯があったわけで、私としては初めから 『パートⅡ』に入れようとは思っていませんでした。
開発者が想定していなかった仕様の多様性
大堀 『パートⅡ』では分裂インベーダーが登場する4面からは、インベーダーの隊列に1体分の穴がところどころにできていましたよね。あれは名古屋撃ち(*02)対策のような意味もあったのでしょうか? 隙間があったから名古屋撃ちで隊列の下をくぐろうとしても敵弾に当たってしまうみたいな。名古屋撃ちそのものができない仕様にすることもできたはずなので、あえてそのようなデザインにすることで名古屋撃ちの難度を上げたのかなと考えているのですが。
西角 そういう意味で穴を開けていたわけではありません。でもそう言われてみると、結果的には名古屋撃ち対策にもなっていたかもしれませんね。あの穴は単純にインベーダーが分裂したときに入る部分として用意しただけなので、作っていた時点ではそれ以外の意図はありませんでした。
大堀 ほかにも、UFOがインベーダーを隊列に補充したじゃないですか。それもまた、名古屋撃ち用に隊列の形を作っているプレイヤーの邪魔をしているのかなと考えていました。一番端の部分に補充されたときには、一気に侵略される危険な状況になりますからね。常にプレイヤーに緊張感を持たせる良い演出だなと勝手に受け取っていました(笑)。
西角 まったくそこまで深く考えていませんでした(笑)。名古屋撃ちそのものはできないようにしたかったんです。これも営業から「( 『パートⅡ』でも)できるように残してくれ」と頼まれました。個人的に名古屋撃ちはできないようにしたほうがいいと思ったんですけどね。
大堀 名古屋撃ちは、なくしてしまえば(ゲームの)難易度が一気に上るじゃないですか。営業的な考え方をすると、プレイ時間を短くしてインカムを稼げる効果が期待できると思うんですね。あえて残したということは、ユーザーの動向を見ていて、少しくらい1人あたりのプレイ時間が伸びてでも、常に稼働している状態に見せたかったのかなと考えていました。
西角 もう本当に何も考えずに作っていたんですよ。考えていたのは分裂をさせたいということだけ(笑)。大堀さんから言われて「それもそうだな」と初めて思いました。
大堀 最初に分裂する演出を見たときにはびっくりしました。分裂後のインベーダーのサイズが小さいんですよね。だから、弾を当てたつもりが横をかすめて、上の段のインベーダーを倒してしまうことがよくあった。そのせいでまた名古屋撃ちがしにくくなることもありました。
西角 2パターンなんで、大きいのと小さいのと。ただ、あれは丸型でしょ。丸だけで動かそうと思ったんだけど、それじゃボールが動いているように見えるので、足が動くのに合わせて体も大きくしたほうがいいと思って。だから、体が小さくなった瞬間に弾がかすって上の段に当たることはありましたね。
大堀 そうなることを考えて作った仕様なのかなと思っていました。
西角 それも、見栄えを良くしようとアニメーションを作った結果に過ぎませんね(笑)。大堀さんに言われて、そのような効果が生まれることにつながったと分かりました。
大堀 『スペースインベーダー』において、UFOの得点は(砲台が発射した弾の)特定の数によって点数が決まっていましたけど、そのような要素も、作り手の方がプレイヤーに攻略させようと考えていたのかなと思っていたんですよ。
西角 そこまでの意図はありませんでしたね。UFOの得点にしても最初は乱数を使ってランダムにしていたのですが、乱数って偏りが出てしまうんですよね。続けて300点が出てしまうことがあるとか。それじゃわざとらしいから(発射した弾数で参照する)テーブル式にしただけなんです。
結果としてはユーザーの皆さんが後から深読みしてくれたので良かったですね。作る側としては、そこまで細かく考えて作っていませんでしたから。名古屋撃ちにしてもそうですし。ユーザーさんが細かいことに気がついて、攻略テクニックになったようなものです。
UFOの300点にしてもプログラムを見直して「確かにそのとおりだな」とこちらが気づかされましたしね。得点テーブルの内容が、最初に23発撃って(得点テーブルを)1周させると300点が参照されて、その後は1周15個分のデータだったので15発撃つごとに300点になったという感じです。
大堀 そういう仕様だったから結果的にプレイヤーを引きつけることになったと思います。「ひょっとしたら開発者はこういう考えで作ったのではないだろうか」と、深読みして夢中になりますから。
西角 そうですね。プレイヤーにいろいろな遊び方を考えてもらったようなものです。あれほどヒットしていなかったら、深い遊び方はしてもらえなかったかもしれませんね。発売された後は普通に遊ばれただけで、ひっそり消えていったかもしれない。ヒットして多数の人に遊んでもらえたおかげで、いろいろな技や話題が生まれたわけです。
ゲーム文化保存に必要なのは可動する実機を1台でも多く残すこと
――当研究所はゲーム文化を保存するという志を持って活動しているのですが、そのためにしておくべきアイデアがあれば頂戴できますか? この機種は後年まで伝えるべきだとか、こうやって活動したほうがいいというようなご助言を頂きたいです。
西角 一番いいのは、可動する実物を1台ずつ保存することかな。経年劣化で壊れていくハードウェアもあるはずです。それを修理できる人のノウハウも必要ですね。回路図を見なくても直せる人っているんですよ。そんな人たちのメンテナンス技術も残していかないと、将来的に壊れたものを修理できなくなってしまうでしょう。その2点が重要だと思いますよ。
我々のような開発者がどんなことをしたかというような情報は伝わらなくてもいいと思いますよ。誰がどのゲームを作ったとか(笑)
一同 (笑)
過去から未来へとつなぐ、若い開発者へのメッセージ
――お時間もせまってきましたので最後の質問になります。2018年より『スペースインベーダー』40周年ということでいろいろなイベントが開催されていましたが、どのような思いを抱いてそれらに参加されていましたか?
西角 若い人だからできる発想があると思うんですよね。イベントでは大型にしてみるとか、プロジェクションで映すといった試みがなされていましたが、それは若い人の感性で良いなと感じました。今後も若い人にどんどん新しいアイデアを想像していってほしいなと思います。
ただ、これまで『スペースインベーダー』はいろいろな家庭用ゲーム機に移植されてきましたが、結局オリジナル版に忠実なほうがおもしろいという意見が多く寄せられましたね。3D描画にしたものもあったけれど、単純にオリジナル版の見せ方を変えただけでは良い評価は得られないので、そこは切り口を変えて頑張ってほしいですね。
――若い人がやっていることを見ていて、口を出したくなるような瞬間はあるんじゃないですか。
西角 実はあります。でも、なるべく黙っているようにしていますよ(笑)。言っちゃう時もありますけどね。とあるイベントの大型スクリーン版のときも、2面だったかな、大型のUFOが出てくるシーンがあるんです。何発も攻撃を当てるんだけど、UFOは撃たれても何の反応もしないから、弾が当たるたびに揺れるような演出をしたほうがいいんじゃないかと助言はしました。ただ意見として言うだけで、それを強制するつもりはありませんけどね。そのせいか、巨大UFOの揺れ演出は結局入れてもらえなかった(笑)
一同 (笑)
西角 今の若い人たちは発想がとても豊かなんだけど、細かい演出までは気が回らない印象がありますね。昔は映像がシンプルだったから、細かい動きや見せ方をみんな工夫してやっていましたよね。今は画質が良くなった分、見た目の美しさにはこだわるけど、ゲーム演出の細かいテクニックまでは十分でないなという印象があります。昔のゲーム演出を研究すればもっと良い見せ方ができるようになると思うのですが、私のほうからも助言できるチャンスがあれば伝えていきたいと思います。
――ありがとうございました。
気さくな西角氏の人柄に触れられた楽しいひととき
お会いする前までは昔気質の職人のような人物を想像していたのだが、実際の西角氏は気さくで魅力的な方であり、終始和やかにインタビューを終えることができた。ハードとソフト両面でゲームを見ることができるエンジニアである氏から次々と語られる話題は興味深いものばかりで、大変勉強になった。
まだまだ聞きたいお話は尽きないので、今後もインタビューの機会があることに期待して筆を置こうと思う。
西角 友宏 氏
ビデオゲーム史に燦然と輝く名作『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)を生み出し、ゲームデザイナーという職業ジャンルを確立させた。1968年にパシフィック工業(当時のタイトーの子会社)へ入社し、エレメカのエンジニアを経験した後にタイトーへ移籍する。『ルナレスキュー』(1979年)『バルーンボンバー』(1980年)など多くのゲームを手がけている。現在は、タイトーにてアドバイザーを務める。
脚注