展示イベント「荒木聡追悼展・ゲームとアニメの間に -JOSCA THE CREATOR-」スタッフインタビュー(前編)

  • 記事タイトル
    展示イベント「荒木聡追悼展・ゲームとアニメの間に -JOSCA THE CREATOR-」スタッフインタビュー(前編)
  • 公開日
    2023年09月29日
  • 記事番号
    10311
  • ライター
    鴫原盛之

北海道小樽市にある市立小樽文学館では現在、かつて北海道で活動していたゲーム同人サークルの代表を務め、昨年12月に亡くなった「JOSCA」こと荒木聡氏の生前の功績をたどる企画展「荒木聡追悼展・ゲームとアニメの間に -JOSCA THE CREATOR-」が開催されています。

荒木氏は地元、小樽市の生まれで、生前は1984~87年にかけて札幌そごうゲームスポットを拠点に活動していたゲームサークル「札幌南無児(なむこ)村青年団」(※後に「Hokkaido Amusement Members」、略称「HAM」に改称)の代表として、「おーるらうんど」などのゲーム同人誌を多数制作していました。

会場の小樽文学館

   

   

80年代のアーケードゲームのサークル活動は、主に「マイコンBASICマガジン」「ゲーメスト」などの専門誌を介した全国ハイスコア争い、つまりゲームの攻略が中心でした。そんな時代にあって、荒木氏はキャラクターやBGMにフォーカスした同人誌を次々と発行し、読者に衝撃を与えました。

かつて、荒木氏が青春時代を過した札幌そごうゲームスポットがあった、札幌駅前の商業ビル、エスタで営業を続けていたナムコ札幌エスタ店は、奇しくも今年8月31日をもって駅前再開発のため閉店となりました(※同店は、近くにある東急百貨店に移転し、東急百貨店さっぽろアミューズパーク店として9月15日に再オープン)。

8月31日で閉館したエスタ

そんな時代の通過点にあって、なぜ、地方在住のゲーム好き同人作家の功績を振り返る展示イベントが開催されたのでしょうか? そして、そこには当事者たちのどんな思いが込められ、来場者にどんなメッセージを伝えようと考えたのでしょうか? 本イベントの企画を担当した藤井昌樹氏と、荒木氏とは三十年来の友人である本野善次郎氏にお話を聞きました。

藤井昌樹氏(左)と本野善次郎氏

前代未聞の同人誌展が開催された経緯

―― 本日はどうぞよろしくお願いします。ゲームに限らず、同人誌をテーマにした展示イベントは極めて珍しいと思いますが、なぜ本展を開催しようと思ったのでしょうか?

藤井 荒木さんが亡くなられたことがわかった後に、元館長の玉川さんから「荒木さんの作品展をやってみたらどうですか?」と、ご提案を受けたことがきっかけです。
以前に開催した「小樽・札幌ゲーセン物語展」や「雑誌・攻略本・同人誌 ゲームの本展」「小樽・札幌ゲーセン物語展ミニ」でも荒木さんの同人誌を展示していましたし、私からもぜひ、開催させてくださいとお願いしました。
※筆者追記:上記3種類の展示イベントは、いずれも藤井氏が企画を担当していました。

――そもそも、おふたりが荒木さんと出会うきっかけは何だったのでしょうか?

藤井 私は「ゲーセン物語展」がきっかけで、本野さんを通じて知り合いました。

本野 私は荒木さんと同じ小樽生まれで、プレイシティキャロット小樽店があった頃に知り合いました。1987年頃だったと思います。
以前に「ゲーセン物語展」が、ここ(小樽文学館)で開催されることを偶然知ったときに、メールで荒木さんに展示があることをお知らせしたら、荒木さんが開催初日に会場まで来られたんですよ。そこで、自分がやっていた同人活動の内容を、玉川さんにお話をする機会があり、玉川さんが荒木さんの過去の活動にとても関心を持たれたそうです。
そこから荒木さん自身も、封印しようとしていた昔のゲーム同人活動をもう一度掘り起こしてみようという気持ちになり、私や当時の仲間たちに声を掛けるようになりました。実は、荒木さんが捨てたつもりでいた「おーるらうんど」の原稿を、私がたまたま持っていたこともあり、まずはここから展示内容を考えていきました。

藤井 私は「ゲーセン物語展」の初日は会場にいなかったので、後で玉川さんから荒木さんが来られたことを聞きました。「ゲーセン物語展」の会場には、有名な同人誌「ゼビウス10,000,000への解法』を展示していましたが、この本とほぼ同じ時期に、地元の札幌でゲームの同人活動をしていた方がいらっしゃったことには、私もすごく興味を持ちました。
そこで「ゲーセン物語展」の終了間際に、荒木さんに再度会場までお越しいただき、本野さんと荒木さんのご友人との3人から「おーるらうんど」についてのお話を伺いました。このときの出会いが、後の「ゲームの本展」の開催にもつながりました。
それから、荒木さんが所属していた「札幌南無児村青年団」は、札幌そごうゲームスポットを経営していたナムコが協力していたことも、私が特に興味を引かれたところですね。

「おーるらうんど」の展示コーナー

――若い頃の荒木さんは、どんなゲームがお得意だったのでしょうか?

本野 実は、プレイヤーとして名を挙げていた時代の荒木さんとは面識がなかったので、くわしいことはわかりません。荒木さんと最初に知り合ったのは、荒木さんが「HAM」を解散して拠点を小樽に移した後になりますので。
私は高校時代にプレイシティキャロット小樽店に通いはじめたのですが、当時のお店に置いてあった「おーるらうんど」を読んでJOSCA(荒木)さんの存在を初めて知りました。最初の頃は、お店にあった雑記帳を通じて、まだお互いに顔を知らない状態で情報交換をしていました。荒木さんはカリスマ的な存在で、まさか後にお会いできるとは思っていなかったですね。

――当時のプレイシティキャロット小樽店では「おーるらうんど」を毎号販売していたのでしょうか?

本野 いいえ。ほかの漫画などと一緒に、レストスペースに置いてあっただけですね。それから荒木さんとは、ゲーム以外の趣味も含めてパソ通で交流することが多かったですね。

――ちなみにパソ通では、荒木さんとはどんなおしゃべりをしていたのでしょうか?

本野 ゲームやアニメ、それから荒木さんが大好きだった特撮や映画のパロディなどです。お互いの好きな分野を、思うままに何でも話していました。

会場には、荒木氏が立ち上げたBBS「Fairy-NET」を再現したPCも展示されていました

――今回の追悼展のような、同人誌にフォーカスした展示イベントは小樽文学館に限らず、おそらく全国の博物館を含めても前代未聞のイベントではないかと思います。開催にあたり、何か参考にした過去の展示イベントなどはありますか?

藤井 小樽文学館では、昭和初期など古い時代の同人誌を展示したことがありましたが、今回のようなサブカルの範ちゅうに含まれ、かつそれに特化した展示は、おそらく過去にはなかったと思います。
当初は正直戸惑いもあったのですが、いざ実施してみたら地元の小樽出身の一同人作家の軌跡をたどる、とても説得力のある内容になりました。世間的には知られていない人物だからこそ、展示を通じてその活動を発信する意味があるのではないかと思います。

――現在までに、来場者は何人いたのでしょうか。(※本インタビューは9月9日に実施しました)

藤井 9月7日の時点で541人ですね。

本野 荒木さんの友人のほか、チラシなどを見て興味を持った方も多く来られたように思います。

藤井 荒木さんとは面識がないけれども、過去の「ゲーセン物語展」などから続けて来場された方や、ゲーム以外のジャンルに引かれて来られた方もいらっしゃいますね。

――なるほど。アナログゲームやアニメ、小説、ボカロなど、荒木さんの多芸ぶりが多くの人の興味を引いたようですね。ちなみに、展示物は全部で何点あるのでしょうか?

藤井 およそ80点ですね。ゲームの同人誌が大半ですが、ボードゲームやアニメの同人誌、小説なども展示しています。実は、荒木さんがゲームの同人活動をしていたのは4年ほどで、それ以外のジャンルのほうが、むしろ活動期間は長いんです。

本野 今回展示された同人誌は、荒木さんの創作活動の中でもほんの一部なんですよ。ゲームに関しては、期間が短い分だけ活動内容がすごく濃密だったように思いますね。

会場には「patalla(ミユキストP)」名義で、荒木氏が制作した「初音ミク」のボカロ曲3曲の歌詞を掲示し、実際の曲を流すコーナーも設置されていました

なお、本展は10月1日(日)までの開催となっています。当時のゲームプレイヤー文化、あるいは地方で結成されたサークルを通じた同人活動に興味のある方は、ぜひご覧になってみてはいかがでしょうか?

<後編に続く>

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