ゲームセンター聖地巡礼「1980~1990年代 新宿」前編

  • 記事タイトル
    ゲームセンター聖地巡礼「1980~1990年代 新宿」前編
  • 公開日
    2018年04月10日
  • 記事番号
    318
  • ライター
    忍者増田

今回から、新企画「ゲームセンター聖地巡礼」の連載がスタートします。当研究所・所長の大堀康祐氏と、ゲームディレクターであり当研究所のライターとしても協力いただいている見城こうじ氏のお2人が、1980~1990年代に通っていたゲームセンター跡地を巡り、当時の思い出を語るというシリーズ企画です。

写真からも分るとおり、20~30年経過した現地には、当時のままのゲームセンターなどそうそう残ってはいません。アーケードゲーム聖地の様変わりはまさに、松尾芭蕉が詠んだ句「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」の世界です。

当時アーケードゲームに興じたことがある方ならば、大いに共感を得ていただけるインタビューになったのではないでしょうか。大堀氏と見城氏は学生時代から親交があるため、1980年代当時の知られざるエピソードも満載。ぜひ皆さんの思い出と照らし合わせて楽しんでいただければと幸いです。
それでは、まずは「新宿 前編」を…!

「ゲームスポット21」と「スポラン」は格闘ゲームの聖地

―― まずは新宿西口のゲームセンター(以下、ゲーセン)の思い出からお聞かせください。

大堀 昔は西口もゲーセンだらけだったんですよね。現在も残る「ゲームスポット21」のほか、「スポーツランド(以下、スポラン)」や、『エグゼドエグゼス』(1985年/カプコン)のロケテストをやっていたところとか、いろんなゲーセンがあったなあ。

見城 懐かしいですね。(僕が)よく通ったのは高校から大学のころかな。

▲「クラブ セガ 新宿西口」。かつての「新宿スポーツランド西口店」

―― 「新宿スポーツランド西口店」は現在「クラブ セガ 新宿西口」に変わって営業が続いていますね。

大堀 「スポラン」にも店舗がたくさんあって、「西口スポラン」とか、かに道楽の近くにあるから「かにスポ」とか、区別して呼んでいましたね。西口といえば、新宿NSビルにはアーケードゲームメーカーのセサミジャパン(*01)がありました。

見城 大堀くん、めちゃめちゃ詳しいね(笑)。そのころからメーカー訪問していたの?

大堀 そのころはもう『マイコンBASICマガジン(以下、ベーマガ )』(*02)別冊の『スーパーソフトマガジン(*03)の制作にかかわっていて、『バスター』(1983年/セサミジャパン)というゲームの取材でNSビルに来たから覚えているんだよ。でも、「ゲームスポット21」は今もあるんだね、いいねぇ。

▲「ゲームスポット21 新宿西口」。何人もの格闘ゲーマーを輩出

見城 「ゲームスポット21」は対戦格闘ゲームの聖地だよね。

―― 格闘ゲームの聖地というと、『バーチャファイター(*04)(以下『バーチャ )』(1993年/セガ)からと考えればいいでしょうか?

大堀 『バーチャ2』(1994年)からかな。当時は「ゲームスポット21」や「スポラン」で『バーチャ』を遊んで、風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)で午前0時にはゲーセンが閉店しちゃうんですが、歌舞伎町に風営法対象外の店があったんです。そこにも『バーチャ』が置いてあったので、その後はそちらに移って遊ぶという流れがありましたね(笑)。

―― 当時格闘ゲーマーとして名を馳せたブンブン丸(*05)も、確かにそんな思い出があると言っていました。当時のゲーマーは、それだけ貪欲にゲームをプレイしていたんですね。

大堀  新宿西口では、「ゲームスポット21」と「スポラン」が対戦格闘ゲームのブームを作りましたね。僕はもう当時ゲームライターをして働いていたということもあって、ぶっちゃけ『ストリートファイターⅡ』(1991年/カプコン )とか『バーチャ』はそんなに上手くないんです。気になって見には行っていたんですけど、やると気持ちいいぐらいに負ける(笑)。ただ、その熱気とか雰囲気が好きで、ゲームが盛り上がっているのは見ていてうれしかったですね。あと「ゲームスポット21」はやたらアイスの販売機の記憶が強い(笑)。

▲「ゲームスポット21 新宿西口」の特長的な看板。当時からあったものだろうか?

―― グリコのセブンティーンアイスですね。

大堀 当時そんなに置いてあるところなかったと思うんです。

見城 僕は当時ナムコの社員だったんだけど、開発部の同僚が『バーチャ』にハマっていて、わざわざ横浜から車に乗って一緒に新宿へ遊びに行った覚えがある。僕はあまり上手くないんで後ろから見ていたけど、やはり当時『バーチャ』は他のゲームメーカーの中でもかなり話題になっていましたね

―― 私は当時ファミ通にいたんですが、同僚たちが「ブンブン丸」や「新宿ジャッキー」という『バーチャ』の通り名でどんどん有名になっていくのを、羨望の眼差しで見ていました(笑)。ゲーマーがかっこいいという存在になってきた時期でもありましたよね

大堀 インベーダーハウスの時代は、ゲーセンは入っちゃいけない場所で、行っている人も悪い人で、カツアゲも横行して…みたいなイメージでしたけど、ゲーマー同士があんなに白熱していて、ゲームも世間に理解されてきたというのは、僕もはたから見ていてうれしかったですね

見城 1人でハイスコア目指すのもいいけど、プレイヤー同士で対戦することが、明るい雰囲気を作っていたよね。

脚注

脚注
01 セサミジャパン : かつて新宿に存在したアーケードゲーム開発会社。『ベーマガ』時代に大堀所長が取材を行った。
02 マイコンBASICマガジン : 電波新聞社が刊行していたパソコン雑誌。読者が制作したさまざまなPCゲームのプログラムが掲載されていた。愛称は「ベーマガ」。大堀氏と見城氏はかつて本誌でライターの仕事をしていた。
03 スーパーソフトマガジン : アーケードゲームやPCゲームの情報や攻略法が掲載されていた『マイコンBASICマガジン』の別冊付録。
04 バーチャファイター : セガが稼動した世界初の3D格闘ゲーム。地名やキャラクター名を冠した著名ゲーマーを何人も輩出し、爆発的な対戦格闘ゲームのブームを作った。
05 ブンブン丸 : 『バーチャファイター』のウルフ使いとして名を馳せたゲーマー。現在はフリーでライターやイベントのMCなどを行う。格闘ゲーマーとしての印象が強いが、嗜むゲームのジャンルは多岐にわたる。

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