「イチハラ指揮者の“カレー”なる日々」第14回 *ゲヱセン上野さんに「オホーツクに消ゆ」のインタビューをするんダーッ!!! 中編*

  • 記事タイトル
    「イチハラ指揮者の“カレー”なる日々」第14回 *ゲヱセン上野さんに「オホーツクに消ゆ」のインタビューをするんダーッ!!! 中編*
  • 公開日
    2021年09月17日
  • 記事番号
    5923
  • ライター
    イチハラ指揮者

元気ですか! 元気があれば何でもできる。元気があればくわしいお話も訊ける!

イチハラ指揮者、怒りのロングインタビュー(*01)、中編です。
※前編は、こちらからどうぞ!
今回はファミコン版(以下「FC版」)『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』(以下『オホーツク』)に関わるようになった経緯を伺います。
それではどうぞ!

塩崎氏がキーマンだった

イチハラ指揮者(以下「――」):FC版『オホーツク』の音楽を担当することになったきっかけは何だったのでしょうか。

上野さん(以下「上野」):もともとFC版以前に、『オホーツク』のパソコン版(以下「PC版」)の開発に携わっていたんです。PC-6001版とMSX版のプログラム開発を担当しました。PC-8801版はPC-6001版をベースにして他のかたが移植されたのですが。そのPC-8801版からPC-9801版へ移植したのは私です。

――:携わったのはFC版からではないんですね。パソコン版の開発当初は、お一人で?

上野:PC-6001版は堀井さんからいただいたラフスケッチ入りのシナリオを見ながら、一人でコツコツ作っていましたね。MSX版はグラフィックだけ知人に手伝ってもらいました。

――:すごい……。PC-6001版といえば、いわゆる初代ですよね。ということは、上野さんがいなければ『オホーツク』は存在しなかったと。

上野:いやー、そこまではいかないですね。私はたまたま指名されただけで、私がいなければ別のかたが作っていたでしょうし。

――:では、偶然関わることになったと。

上野:偶然か必然かはわかりませんが、当時「ログイン」の担当編集者でもあり『オホーツク』の担当ディレクターでもあった塩崎さん(*02)からのご指名です。

――:PC版にはごく一部を除いて音楽がありませんね。

上野:音を入れる容量も余力もなかったので、元々はまったくない予定だったんです。でも、PC-6001やMSXにはPSGも載っていますし、無音で終わるのも寂しいので、エンディング曲を作って入れることにしました。

――:FC版もさることながら、PC版のエンディングも名曲だと思います。『オホーツク』のエンディングといえばこれ、というかたもいるようですね。

上野:それは何というか、マニアックですね、ありがとうございます。

――:エンディングの他に、冒頭の東京パートが終わり、北海道に舞台を移す際に表示されるタイトルバックでも1曲流れますね。PC版に関しては、2曲とも要請があったわけではなく、ご自身の判断で入れたのでしょうか。

上野:すっかり忘れていましたが、言われてみればそんな曲もありましたね。他のかたに曲を依頼した覚えもないので、おそらく私が作ったはずです。自分の判断で入れたのかどうかは、よく覚えていないんですよね。

――:FC版でも同じ箇所でのみ使われている曲がありますが、曲自体は別ですね。PC版の2曲をFC版に流用せず、新たに書き下ろしたのは何故でしょうか。

上野:FC版では曲を多数追加したので、全体のバランスを考慮して、新たに書き起こしたほうがいいと判断したのが一つ。それから、PC版とFC版ではグラフィックが異なるので、画に合わせた曲に変えたかったというのが一つ。あとは、PC版のプレイヤーがFC版をプレイしたときに、「PC版と違う!」というサプライズがあったほうが楽しいじゃないですか。PC版で遊んで、さらにFC版も買ってプレイしてくださるわけですから。

――:なるほど、そういうわけでしたか。サービス精神旺盛ですね(笑)。となると、PC版の2曲がゲーム音楽のデビュー曲になるのでしょうか。

上野:それがそうとも言いきれないのです。『オホーツク』に携わる前から、雑誌掲載用のプログラムなどを書いていたので、そのための曲を作っていた可能性があるんですよね。ただ、そのあたりの記憶が今ひとつはっきりしないので、デビュー曲は本人にもわかりません(笑)。

――:では、『オホーツク』以前からちょこちょこと作曲はされていたんですね。

上野:おそらく……。ですから、PC版『オホーツク』の2曲は「パッケージソフトとしてのゲーム音楽デビュー」といったほうが正しいでしょうね。一つのゲームのために多数の楽曲をまとめて作ったのは、FC版『オホーツク』が初めてでした。ちなみに、FC版では作曲とシーケンスデータの作成だけを担当し、プログラミングには携わっていません。ファミコンで使われているCPUのプログラムは、当時未経験でしたから。

――:雑誌掲載用プログラムの音楽→PC版『オホーツク』→FC版『オホーツク』という流れですね。FC版の音楽制作は、「これを作りなさい」という業務命令のような感じだったのでしょうか。

上野:業務命令というよりも、お仕事をいただいたという感じです。実はログインのアルバイト期間はわりと短くて、その後フリー契約になったのです。家で作業することが多かったので、時給計算しにくかったからかもしれませんけどね。ただ、「ログイン」に入ったときに最初についてくださった塩崎さんの下で働いていたというか、面倒を見ていただいていたので、まずPC版の話があり、そのままFC版にも参加したという流れです。

――:塩崎さんが上司的な。

上野:上司と部下という関係ではないんですが、強いて言えば師匠のような感じでしょうか。わりと放任主義な師匠でしたけど(笑)。

――:絶妙な関係ですね(笑)。その塩崎さんから、プログラミングではなく、作曲を依頼された経緯というのは覚えていらっしゃいますか?

上野:「原稿書けるでしょ!」と同じノリで、「曲作れるでしょ!」という感じで頼まれた気がします。当時、ヤマハのMSXパソコンYIS503やYIS604/128にFM音源ユニットを取り付けて遊んでいたり、PC版の曲を作ったりしていたこともあって、「できんじゃね?」と思われたのかもしれませんね。塩崎さんからはいろいろと頼まれたので、一つ一つ正確には覚えていないんですよ。

――:これはいずれ、塩崎さんにもインタビューしなければいけませんね(笑)。

上野:塩崎さんも覚えているかどうかわかりませんけどね(笑)。

――:当時、『オホーツク』に関われた! みたいな特別な思いはあったのでしょうか。

上野:堀井さんとご一緒できて楽しい仕事でしたし、とにかく「目の前にある仕事に全力を尽くす」という感覚でした。制作中は、まさか30年以上もファンに愛されるゲームになるとは思っていなかったので、そういう意味での特別な思いはなかったですね。まあ、「今やっていること」が数十年後に再評価されるのを想像するなんて、ゲームに限らず、どんな仕事でもないと思いますけど(笑)。

――:仰るとおりですね。それでは、ここからは音楽についてくわしく伺っていきたいのですが、まず上野さんの作曲法というのはどのようなものでしょうか。ピアノに向かってですとか、ギターを弾きながらですとか。

物語の舞台の一つである網走刑務所。受刑者の高齢化が進んでいるらしい。(写真提供:忍者増田氏)

『オホーツク』音楽はこうして作られていった――職人、ゲヱセン上野氏のこだわり

上野:鍵盤を弾きこなすことはできないので、昔はシーケンサーソフトのステップ入力で数値を叩いて作っていました。鍵盤で音程やコードを確かめつつ、打ち込んでいく感じです。

――:頭の中に思い描いた音を実際に鳴らしてみて、それをひとつずつ入力していくわけですね。

上野:FC版のときはMIDIインターフェースを繋いだPC-8801mkIISRと、ヤマハ DX7、FB-01、それからカモンミュージック RCP-PC88というシーケンサーソフトで曲作りをしていました。まず、DX7を弾いてシーケンサーソフトに音階を入力した後、譜割りを数値で入れていたと思うんですよ。MIDIで実機(ファミコン)の音源を直接鳴らすことはできないので、FB-01というFM音源ユニットで矩形波やノイズの音色を作って鳴らしていました。

――:昔からDTMを作曲に取り入れていると。

上野:取り入れないと作れないんです、鍵盤を自由自在に弾けないから(笑)。後々Macintoshで曲を作るようになってからは、リアルタイムで短いリフごとにキーボードを弾いたり、ピアノロールでデータをいじりながら作っていましたが、PC-8801や9801を使っていた頃はステップ入力がメインでした。

――:曲はMIDIデータで提出していたのでしょうか。

上野:曲はMIDIシーケンサーで作るのですが、そのデータをファミコンのサウンドドライバで鳴らせるように変換してから納品していました。というよりも、そこまでできるから音楽を任された、という面もあるでしょうね。今なら、作曲者からスコア(*03)をもらって、サウンドプログラマーがデータに起こすという分業ができますし、そういうエキスパートのかたもたくさんいらっしゃいますが、当時はそうではなかったですから。

――:ご自分でそこまでされていたんですね。その少ないうちの一人が上野さんだったと。

上野:音楽もコンピューターもわかって、実機で鳴らせるようにデータ化できる人がそもそも少なかったと思うんです。そんなわけで、作った曲をデータ化し、ROMに焼いて実機で鳴らし、ミスがあればデータを直してまたROMに焼き……という作業を何度もくり返したあと、完成データを納品するという感じで作っていました。意外と手間暇かかっています(笑)。

――:近い時期に業界にいたかたから、作曲はするけど、実機用の打ち込みはプログラマーさんにお任せという話を聞いたことがあるので、今のお話は驚きました。

上野:そういう作業形態ももちろんあります。私の場合だと、スーパーファミコン版『モノポリー』で、すぎやまこういち先生(*04)とお仕事をさせていただいたことがあるのですが、そのときはすぎやま先生から楽譜を受け取り、こちらでデータ化して、できたものを聴いていただいて、OKをもらって完成……という流れでした。

――:すぎやまさんは最初から最後まで監修されていたんですね。さすがです。

上野:すぎやま先生はコンピューターにもおくわしいので、ハードの特性を理解した上で、表現力を高めるための指示をいただきました。とくに、クレッシェンドやデクレッシェンド、アクセントなどの強弱や、テンポの変化を細かく調整した記憶があります。ただ、このような分業制は、成功例もあれば失敗例もありますよね。すぎやま先生作曲の『ドラゴンクエスト』シリーズや、鈴木慶一さん作曲の『MOTHER』シリーズなど、分業制で作られた良質な作品もありましたけど、ものによっては曲はいいのに出音が今ひとつ、というソフトもありましたから。

――:作曲する人と、データ化をする人が違えば、そういうことは十分に起こり得ますね。

上野:有名なアーティストのかたがファミコンの音楽を作曲したとしても、音源の性能を十分理解していないと、細部の表現まで指示を出すことは難しいと思うんですよね。例えば、ビブラートをかけたいと思っても、そもそも可能なのか、どうやって実現するのか、ということはアーティストのかたにはわからないじゃないですか。『ドラクエ』や『MOTHER』などは、作曲者とサウンドプログラマーの連携が噛み合って、相乗効果を発揮した好例だと思います。

――:そう考えながら聴くと、いろいろと思い当たるフシがあるような……。

上野:逆に、作曲もデータ化も自分自身で行うと、頭の中でイメージしたサウンドに近づくように細部まで調整できるんですよね。それに、BGMの他に効果音を作る必要もあるので、そういう意味では自分で全部やったほうが全体をコントロールしやすい面もあります。昨今の大ボリュームのゲームだと、一人で全部やるのは厳しいでしょうけど。

――:ということは、『オホーツク』では上野さんの意図通りの音が実機から流れてきていると。

上野:あの時点で使ったサウンドドライバでできることはやり尽くしたい、ベストな音を出したい、という気持ちはありました。当時から、素晴らしいサウンドのゲームはアーケードにもコンシューマ機にもたくさんありましたから、それらからヒントを得たりしたことも多かったです。

――:私が想像していたより一歩も二歩も先を進んでいらしたので、感銘を受けました。

上野:進んでいるというか発展途上というか、当時は今みたいに便利な開発環境もなかったので、必要なツールは自分で作るか、地道に手作業でコツコツやるしかなかったんです。ほかの開発者の方々も、多かれ少なかれ似たような感じでやってらしたと思います。

『オホーツク』裏話――ボツ曲が採用曲の2~3倍も!?

――:(謙虚なかただ……) FC版には全部で21曲が使用されているのですが、作曲にかかった期間はどれくらいだったのでしょうか。

上野:それがですね、はっきり覚えていないんですよね。今のように、1本のゲームを作るのに何年もかける時代ではなかったので、1年はかかっていないんじゃないかな……。それに、記事を書いたりいろいろやりながら作業していたので。曲作りにかかりきりだったわけでもないんです。

――:他の仕事と並行しつつ1年くらいかなといった感じですね。

上野:制作が決まってから終盤まで、坦々と作っていた記憶があります。ただ、最後のほうは作曲に集中するために、記事などをお休みさせてもらったかもしれません。

――:1年以下で21曲となると、結構なペースで作っていらっしゃった感じですね。

上野:ただまあ、3声+ノイズの4トラックしかないですから、トラックメイキング自体は今のゲームと比べたら簡素ですよね(笑)。メロディーを作って、ベースや対旋律をつけたり、ハモらせたりという感じだったので。少ない音数で凝ったコードっぽく聞かせる工夫や、サウンド用に割り当てられた容量内にデータを収める苦労はありましたけど。

――:必要な曲数や場面の指定というのは始めからあったのでしょうか。

上野:ある程度の曲数を作った後で、場面ごとに曲を割り振り、不足した分を追加で作ったように記憶しています。先に作ったPC版のシナリオがほぼ頭に入っていましたから、どんな曲が合いそうかはイメージできたんですよね。

――:では、こうしてくださいという指定は特になかったと。

上野:最初から曲の総数が決まっていたり、細かい指示を受けたことはなかったと思います。ROM容量の関係もあって、最初から曲数を決めることはできなかったでしょうし。曲調については、「明るめの曲で」といった漠然とした指示はあったかもしれませんけど、わりと自由にやらせてもらいました。

――:堀井雄二さんからの要望などは。

上野:堀井さんとの打ち合わせのときに、音楽に関する細かい要望を受けた記憶はないですね。PC版では原作者とプログラマーという関係だったので、一緒にホテルにカンヅメにされたりもしましたが(笑)、FC版では関係性が変わったのと、堀井さんも多忙だったでしょうからサウンドまで見る余裕はなかったのかもしれません。

――:FC版を作るにあたって、堀井さんはあまり関わっていなかったのでしょうか。

上野:いえいえ。関わっていなければ、例のセクシーショットもなかったと思いますよ(笑)。

――:最終的に曲にOKを出したのはどなたでしょうか。

上野:塩崎さんです。できた曲を聴いてもらって、採用かボツかを判断してもらいました。ちなみにボツ曲は大量にあって、収録曲の2~3倍はあったと思います。

――:ええっ、何ともったいない! 残っているなら聴いてみたいです。

上野:残ってないです(即答)。ROMに焼いて聴いてもらって、ボツなら即消去、元データも「ええい、捨てちゃえ!」という感じでしたから。それに、まとめての作曲は初めてだったので玉石混淆ですし、いきなり全曲一発OKということはないですよね。

――:『オホーツク』ではボツでも、別の機会に使えたかもしれないと思うと、文化的な喪失な気がしますね。

上野:そんな大したものじゃないです、なにしろボツですから(笑)。ボツといえば、塩崎さんからは「イントロ不要。または極力短く」という指示もあって、イントロが長い曲は速攻ボツでした。

――:言われてみると、確かにタイトル画面のみ短いイントロがあって、それ以外はないですね。なぜ、イントロがあるといけないのでしょうか。

上野:『オホーツク』って、いろいろな場所を行き来しながら物語を進めていくゲームですよね。だから、シーンチェンジなどでポンポンと曲が切り替わったとき、イントロが長いとメロディーに行き着く前に曲がころころ変わってしまうんです。それに、イントロが短いと冗長さがなくて、ノリがいいじゃないですか。最近のJ-POPなんかもそうですが、いきなりスパッと本題に入っちゃう潔さがあるというか。

――:「ばしょいどう」→「ばしょいどう」なんてやっていると、本当に数小節の時間ですからね。なるほど、そのおかげで『オホーツク』音楽がより印象に残るものになったわけですね。合理的というか、ユーザビリティというか、感銘を受けました。ほかにも、FC版の曲作りをする上で苦労などはありましたか?

ばしょいどう ※写真はイメージです(写真提供:忍者増田氏)

上野:『オホーツク』では、他のかたが作ったサウンドドライバを使わせていただいたのですが、テンポチェンジの機能がなかったんです。でも、全曲同じテンポ、というわけにもいかないので、シーケンスデータの音長を調整してテンポを変えていました。その手間が面倒といえば面倒でしたね。

――:ようするに、すべての音の長さを半分にすれば、倍の速さの曲になる、ということですね。

上野:そうですね。BGMや効果音は60分の1秒刻みで制御しているので、目的のテンポになるように各音符を60分の何秒鳴らすかを決めるわけです。たとえば4分音符の長さを60分の24秒にするとテンポ150の曲になりますし、60分の32秒にするとテンポ112.5になります。ただ、各音符の長さを60で割り切れる値にしないと、演奏がずれてしまうんです。そんな事情もあって、『オホーツク』の曲では3~4種類くらいのテンポを使い分けていたと思います。

――:分解能というやつですね。60分の1というのは、音楽の分解能としてはちょっと粗いですよね。

上野:指定したテンポに応じて、小数点以下まで考慮した音長で鳴らせるドライバがあれば解決するんですけどね。アスキーさんや任天堂さんのゲームボーイソフトのサウンドを何本か担当したときは、サウンドドライバを自作したのでテンポ問題はクリアしました。

――:完全にご自分の理想の音が鳴らせるようになったのですね。

上野:テンポの他にも、アタックとサステインでそれぞれデューティ比を変えたり、パンを変えたりといった、思いついた効果をいろいろ試ししながら実装できたのでおもしろかったです。そういう実験をするには、シンプルなハードのほうがおもしろいですよね。

実は『オホーツク』では上野さん以外の曲も使われているのだ

――:『オホーツク』では上野さんの他にも、藪さん、塩崎さんが曲を提供されていると思いますが、お二人が担当されたのはどの曲でしょうか。

上野:晴海埠頭などの殺人現場の曲(*05)は、同じログイン編集部だった藪暁彦さんの作曲です。「とくこ」の病室で流れる曲(*06)が塩崎さん作曲だったと思います。

――:なぜお二人が作曲をすることになったのでしょうか。

上野:正式に依頼したわけではなくて、ある日いきなり「曲作ったから使って!」と譜面を渡されて、データ化した感じです。そんな軽いノリが通用する時代でしたし、私もノルマが減って助かりました。ウィンウィンの関係です。(笑)

――:えーっ! すごすぎる逸話です(笑)。でも今までのお話を伺っていると、何となく想像できます(笑)。

上野:塩崎さんも藪さんも音楽をやられていて、確か、塩崎さんは鍵盤、藪さんはギターが弾けるかただったと思うんですよね。お二人から、3声でアレンジした状態の譜面をいただいたので、あとは、音色を決めたり、ノイズでドラムを追加したりする作業を私が行いました。

――:塩崎さんは、ファミ通第二代編集長「東府屋ファミ坊」さんとして存じているのですが、藪暁彦さんは、どのようなかたでしょうか。

上野:藪さんは、当時「ログイン」で編集やライティングをされていたかたです。音楽にくわしく、英語にも長けていたので、音楽関係や海外ソフトなどの記事を担当することが多かったように思います。

――:上野さんと同業のかただったわけですね。藪さんはFC版『オホーツク』の制作に関わっていらっしゃったのでしょうか。

上野:当時の感覚としては同業というよりも大先輩で、『オホーツク』には曲のみの参加です。藪さんからは、Macintoshの音楽ソフトを使って出力した楽譜をいただいたんですよね。塩崎さんの譜面は、手書きだったと思います。

――:当時Macで打ち込んでプリントアウトまでしてとなると、最先端だったのではないでしょうか。

上野:おそらくMacintosh Plus+Performerの初期バージョンとか、そんな時代だったので、今のMacの音楽環境と比べると相当非力ですけどね。でも、いただいた譜面は超美麗で感動しました。『オホーツク』のアレンジ版音源のライナーノーツに掲載されている楽譜も、そのMacを使って出力したものなんですよ。パソコン雑誌の編集部なので当たり前ですけど、当時珍しかった海外のPCやソフトを見たり触れたりできたのは楽しかったですよね。

――:それは貴重な体験ですね。

(後編に続く)

  

今回はここまで。
最終回となる次回は、曲ごとの思い出話や裏話、そして未来への展望等を伺っていきます。どうぞお楽しみに。
それではまた次回! 読めばわかるさ、ありがとーっ!

脚注

脚注
01 前回参照。怒ってないです(笑)。
02 塩崎剛三(しおざき・ごうぞう)氏。雑誌編集者。ファミコン通信第二代編集長「東府屋ファミ坊」としても知られる。
03 総譜。すべての音が記載してある楽譜のこと。
04 すぎやまこういち氏。説明するまでもないでしょう。
05 ゲームの冒頭、晴海埠頭にあがった死体が表示される場面で流れる。
06 捜査第2部終了時に流れる。クラシック的な言いかたをすると、「第3部への間奏曲」と言えるかもしれない。

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