数々のハイスコアラーを輩出した熊本の名店「大江ゲームセンター」 2018年11月16日
目次
1980年代~90年代はゲームセンター(以下、ゲーセン)の黄金期。家庭ではプレイできない最新のアーケードゲームを遊ぶために多くのプレイヤーが集い、互いの腕を競い合っていました。
ゲーセンでは各店舗でハイスコアを記録するようになり、当時のゲーム雑誌にもこぞってハイスコアをマークした人々「ハイスコアラー」が取り上げられるようになります。どこかのゲーセンでハイスコアの記録が塗り替えられると、全国のハイスコアラーがその店舗に赴き、記録に挑戦するという「道場破り」や「○○詣で」などが流行った時期もありました。
そんなハイスコア文化全盛期の中、全国でもトップクラスのプレイヤーを輩出した地域が熊本です。
セガやナムコなど大手メーカーの直営店が太刀打ちできない安さを武器に、1980年代から1990年代にかけて多くのゲームセンターが乱立し、熊本のゲーセン文化は最高潮に達します。
今回紹介する「大江ゲームセンター」は、熊本市内にある、多くのスコアラーを輩出した老舗です。一世を風靡したハイスコアブームが去った今でもなお、地元のプレイヤーから愛され続け、熊本のゲーセン文化を見続けてきた同店舗に、ゲーセン全盛期の様子と熊本ならではのゲーム土壌、そして、長く営業できる秘訣についてお聞きしました。
熊本の歴史を知る最古参級ゲーセン
学都・熊本市のほぼ中心部に位置する中央区大江の閑静な住宅街の一角に、大江ゲームセンターはあります。朝や夕方には近所の学生の通学路として、店の前をたくさんの自転車が通ります。
かつて熊本は、ゲームセンターの最先端をゆく地域でした。
ほとんどのゲームセンターで、プレイ料金は最新のゲームでも2プレイ50円と格安。同店の近くには大学や高校が集中し、プレイヤー層も厚い。そのため、ゲーセン全盛期の1980代~1990年代には、熊本市で多くのゲームセンターがしのぎを削っていました。
また、プレイヤーのレベルも高く、「ゲームプラザ白山」(2003年9月閉店)をはじめとする熊本市内のゲーセンには、ハイスコアを更新するハイスコアラーが数多く存在していました。この「ゲームプラザ白山」は、『ストリートファイターⅡ』(1991年/カプコン)の対戦専用台が初めて稼働した場所(*01)で、ここから福岡、そして東京へと対戦ブームが広がっていったといいます。
「大江ゲームセンター」はそんな熊本市内で40年も営業している、最古参クラスのゲームセンターです。
ゲーセン全盛期、同店の駐輪場には、周辺の高校や大学に通う学生を中心としたプレイヤーの自転車が何十台も止まり、店内は、ジャンルを問わず多くのゲームにギャラリーが集い賑わっていたとか。あまりの人の多さに、スタッフは「すいません、すいません」と謝りながら通路を抜けるのが日常だったそうです。
それから20年。共にしのぎを削ってきた多くのゲーセンが閉店してく中、全盛期と変わらぬ姿を保ったまま、大江ゲームセンターは営業しています。
長い間営業を存続できた理由は何であったのか。それを探るべく、筆者は店内へと足を踏み入れました。
地域住民とプレイヤーが共存する営業スタイル
大江ゲームセンターにはある特徴があります。店舗内にある駄菓子屋さんの存在です。
ここは軽食スペースとしても利用でき、プレイヤーだけでなく、近所の小学生や地域住人も訪れる憩いの場所となっています。駄菓子を買うついでにゲームも遊んでもらいたいという、店の狙いを感じました。
入口近くのレトロゲームコーナーには、初心者が手軽に遊べるようにと、取っつきやすい『おてなみ拝見』(1999年/サクセス、タイトー)や『上海 万里の長城』(1994年/サンソフト)などがあり、店の配慮が窺えます。実際、朝の時間帯には地域の人が多く来店しており、店の狙いは成功しているようでした。
店の奥に入ると、昔はアーケードゲームで腕を鳴らしたというようなプレイヤー好みの空間に変わります。
薄暗い店内の照明とゲーム台に設置された銀の灰皿。1990年代のゲーセンさながらのコーナーには、九州では見かけることのなくなった『エスプレイド』(1998年/アトラス)や『パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜』(1990年/コナミ)などのシューティングゲーム類、現在でも人気のある『ストリートファイターⅢ3rd STRIKE~Fight for the Future~』(1999年/カプコン)から最新タイトルを中心とした格闘ゲーム類がズラリと並んでいます。
しかもプレイ料金は、1プレイ100円の時代に1プレイ50円と半額。子供から大人まで、幅広い世代が思う存分にゲームを遊んでいるようです。
ゲームコーナーを撮影していると、店内にいたプレイヤーが「取材の方ですか?ここは本当にいいゲームセンターなんです。メンテナンスも最高で」と話しかけてきました。
確かに『テトリス』(1988年/セガ)を筆頭に、発売から30年近くたったゲームも最新のゲームのように滑らかに動きます。
このメンテナンスの秘訣はなんなのか? 店主の鶴田祐治さんに直撃しました。
【現在稼働中のタイトル】(2018年11月15日現在)
※新規の情報についてはコチラまで
発売年 | ゲームタイトル | メーカー名 | プレイ料金 |
1988年 | テトリス | セガ | 1プレイ50円 |
1989年 | グラディウスⅢ ~伝説から神話へ~ | コナミ | 1プレイ50円 |
1990年 | パロディウスだ!! 〜神話からお笑いへ〜 | コナミ | 1プレイ50円 |
1994年 | 上海 万里の長城 | サンソフト | 1プレイ50円 |
1993年 | 餓狼伝説 スペシャル | SNK | 1プレイ50円 |
1994年 | スーパーストリートファイターⅡX -Grand Master Challenge | カプコン | 1プレイ50円 |
1997年 | ヴァンパイア セイヴァー The Lord of Vampire | カプコン | 1プレイ50円 |
1997年 | 中国龍Ⅱ | エイブルコーポレーション | 1プレイ50円 |
1999年 | パカパカパッションスペシャル | ナムコ | 1プレイ50円 |
1998年 | エスプレイド | アトラス | 1プレイ50円 |
1999年 | ストリートファイターⅢ 3rd STRIKE~Fight for the Future~ | カプコン | 1プレイ50円 |
2000年 | デッド オア アライブ2 ミレニアム | テクモ | 1プレイ50円 |
2000年 | おてなみ拝見 | サクセス | 1プレイ50円 |
2000年 | テトリス ジ・アブソリュート ザ・グランドマスター2 | アリカ | 1プレイ50円 |
2001年 | カプコン VS. SNK 2 MILLIONAIRE FIGHTING 2001 | カプコン | 1プレイ50円 |
2001年 | 機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオンDX | カプコン | 1プレイ50円 |
2002年 | 怒首領蜂大往生(どどんぱちだいおうじょう) | エイエムアイ | 1プレイ50円 |
2003年 | GUILTY GEAR XX(ギルティギア イグゼクス) #RELOAD(青) | サミー | 1プレイ50円 |
2004年 | ハイパーストリートファイターⅡ | カプコン | 1プレイ50円 |
2005年 | おてなみ拝見 FINAL | サクセス、タイトー | 1プレイ50円 |
2006年 | 虫姫さまふたり | ケイブ | 1プレイ50円 |
2006年 | 機動戦士ガンダムSEED DESTINY 連合vs.Z.A.F.T.Ⅱ | カプコン | 1プレイ50円 |
2008年 | ウルトラストリートファイターIV | カプコン | 2プレイ150円 |
信念は、お客の指摘を信じること
店主の鶴田さんは、ゲーム基板販売を経て、2011年に先代から受け継ぐ形で、大江ゲームセンターをリニュアルオープンしました。以来、鶴田さんには、堅持し続けている信念があります。それはお客さんの指摘を信じることです。
「お客さんがおかしいと言うなら、それは真実だよ。だって、お客さんが一番ゲームを知ってるんだからさ」
通常、ゲームセンターでお客さんから「ボタンやレバーがおかしい」といった指摘があった場合、店員がその場で動作をチェックし、異常がなければ交換やメンテナンスをすることはまずありません。テストモードで異常がなければ「正常」として扱われるからです。
しかし、大江ゲームセンターでは違います。プレイヤーがボタンやレバーがおかしいと訴えれば、その場で交換します。
「確かに手間はかかるしコストもかかるけど、仕方ないよ。それでお客さんが来なくなるほうが悲しいよね」
徹底したプレイヤー目線である鶴田さんの回答に、筆者は感動さえ覚えました。
そんな鶴田さんを影で支えるパートナーが、基板のメンテナンスや修理を担当するメカニックの店長・岸川和彦さんです。
業界歴35年の大ベテランで、周辺のゲームセンターも岸川さんにメンテナンスの教えを請うほどの腕前だとか。岸川さんの力もあり、ここ、大江ゲームセンターのゲーム筐体は常に新品同様の動作を保持できています。
とはいえ、製造停止となった古い基板を維持するには、部品の高騰などもあり、高いコストを必要とします。創業当時より2プレイ50円をがんばって維持し続けてきたものの、2018年にとうとう1プレイ50円へと値上げせねばならない時が来ました。
それでも、常連客には「部品代もかかるし、メンテナンスがいいから仕方ないよね」と、快く受け入れてもらえたといいます。これは、店主の鶴田さんはじめ、スタッフ皆でお客さんの要望を丁寧にすくい上げ、対応してきた結果だろうと思いました。
「なぜ、そこまでプレイヤー目線なのか」を鶴田さんに尋ねると、意外な答えが返ってきました。
「なんというかね、ここに来る人が好きなんだ。いろんな人がいるでしょ。それを見るのが楽しい。家族みたいに思っている。もし、1日で5000円使うお客さんがいたら、私はまず止めるよ。それより、毎日通ってもらって、月に5000円使ってほしい。そしたら、ここのゲームもたくさん遊んでもらえるでしょ。毎日たくさんの人に通ってほしいから、なおのこと、メンテナンスには気を配っているんだよ」
プレイヤーと店が手を取り合って
実は1年前、「大江ゲームセンタ-」に新たなスタッフが加わりました。広報担当の有村敬洋さんです。有村さんも大江ゲームセンターで遊んできたプレイヤーの一人で、今は、インターネットを通じて1人でも多くの人に「大江ゲームセンター」の存在を広めようと奮闘しています。
大会の運営やSNSでの告知も、有村さんの仕事の一つ。定期的に行っている『CAPCOM VS. SNK 2 MILLIONAIRE FIGHTING 2001』(2001年/カプコン)及び『ウルトラストリートファイターIV』(2014年/カプコン)の大会は毎回好評を博しているようで、有村さんの努力は着々と実を結んでいます。
現在、広報の有村さんと店主・鶴田さんの間で、「ゲーム塾」というプロジェクトが動いています。
これは、スマートフォン向けゲームが普及した現在、アーケードゲーム筐体のレバー操作が分からない若者層が増えていることから、そのような層を対象に、常連の凄腕プレイヤーがアーケードゲームのイロハをレクチャーするというもの。このような取り組みでファンやプレイヤーの裾野を広げていき、熊本のゲーム文化を残していきたいそうです。
「ここは本当に良いゲーセンです。確かに今はオンラインで対戦できますが、人とのかかわりがあるゲーセン文化を残したい。ここで対戦した人がいるから、僕は(ここに)来ます。知った人がいれば安心するから。それに、なんだかここを家のように思っている人も多いんですよ」
そんな有村さんの言葉に、かつて格闘ゲームに明け暮れていた自分とかかわった仲間たちのことを思い出しました。
筆者が学生だった1990年代。ゲームセンターは学校や社会に馴染めない人たちの交流の場という側面もありました。
薄暗い電気の下、鮮やかに発色するゲームの光。その光に誘われるように、職業や年齢も違う人たちが集まり、ゲーム談義に花を咲かせる。ゲームという共通項だけでコミュニティが生まれ、広がり、そこには確かに仲間といえる人々がいました。
それは、ゲームの選択肢が広がった現代において、失われつつある文化ではありますが、こうやって実際にその文化を守ろうとする人々もいる。筆者は何か熱いものを感じました。
「ここって、また来たいと思えるゲーセンじゃないですか?」という有村さんの言葉に、筆者は思わずうなずいていました。
プレイヤーを家族のように思う店主・鶴田さん。
プレイヤーの想いに応えるメカニックの店長・岸川さん
そして、大江ゲームセンターと熊本ゲーセン文化を残そうと活動する有村さん。
大江ゲームセンターのスタッフは、今日もゲーセン文化を守るべく奮闘しています。
脚注
↑01 | 参照記事:4Gamer.net『ビデオゲームの語り部たち 第3部』 |
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