アーケードゲームが輝いていた時代を駆け抜けた男! 坂本慎一氏インタビュー 後編
2019年2月23日に開催される「東京ゲーム音楽ショ―2019」への出展も決定しているゲーム音楽コンポーザー・坂本慎一氏のインタビュー。最終回となる後編は、ウエストン・ビット・エンタテインメント(以下、ウエストン)時代のお話を伺っていく。
前回はNMK時代、そして、後のウエストンとなるエスケープに誘われるエピソードまでを伺った。ウエストンは、坂本氏のこれまでのゲーム制作人生の中で、もっとも長く勤めることとなった会社だという。
ウエストンはヒット作を多数リリースした会社だ。坂本氏はそこで再び多くの出来事を体験していくことになる。今回は、ゲーム業界にもっとも勢いがあり、誰もが成功者に成り得た時期にスポットを当てていく。
輝いていた頃のゲーム業界を知りたい人には必見の内容だ。
こんなのがゲームになるの? と思った『モンスターランド』
――実際にエスケープ(ウエストン)に入社したのはどれくらいの時期になりますか?
坂本 『ワンダーボーイ』(1986年/セガ)がリリースされた後ですね。世間的に良い評価もされていた頃です。
大堀 そういえば、『ワンダーボーイ』はハドソン(*01)さんがファミコン版を作りましたよね?
坂本 そうですね。『ワンダーボーイ』のキャラクターを当時人気絶頂だった高橋名人に置き換えて、タイトル名も『高橋名人の冒険島』(1986年)に変えて販売したようです。『ワンダーボーイ』を最初に見たときの(ハドソンの)食いつき方が「これからはウエストンの時代だ!」というような熱い感じになっていましたもんね(笑)。
――『ワンダーボーイ』の次は、爆発的人気となった『ワンダーボーイ モンスターランド(以下、モンスターランド)』(1987年/セガ)をリリースされますよね?
坂本 はい。前作が好評だったこともあって、すぐに『モンスターランド』の制作が始まり、僕はサウンドを担当しました。当時はまだ僕が使える機材がなくて、小さな子供が使うヤマハのポータトーン(小型電子キーボード)みたいなやつで曲を作っていました。作った曲は手書きで譜面に書くしかないから、記録媒体は譜面です(笑)。なんか時代が戻っちゃった感じ。
NMKにいた時は、MSX(*02)で曲作りできていたのに、またここから始まるの? って感じで手書きしていた。それを元にデータ文でノート(音符)を入力して。当時、僕はドライバとか作っていなくて、最初は石塚路志人さん(*03)が作っていたドライバを使っていたのかな。なにせ心が病んでいたんで、曲を作り上げるだけで精一杯なんですよ。泣きながら病みながら苦しんで作ったのに『モンスターランド』の曲は世の中に評価されて、心情的には微妙でした。
大堀 『モンスターランド』はおもしろかったですよねえ。
坂本 『モンスターランド』はアクションゲームだけど、買い物をするからRPGであって、でもラウンド制だから初めのステージには戻れない。これは斬新だなって思いましたね。
ただ、これをアーケードでどうやるんだ? 時間制にしてお金を入れてもらうのかな? とも思い始めて。RPGの考え方が強くなりすぎちゃっていて、頭の中でアクションとRPGの融合ができていなかったんですね。そのうち日本ファルコムの(PCゲーム)『ザナドゥ』(1985年)みたいなアクションRPGがいろいろ出てくるんで理解は深まるわけですが、その時の頭の中は「?」でした。でも、実際にプレイするとおもしろいんです。うまくなるとゲーム内のお金がかからなくなるという、ゲーマーのロマンがあったんですよ。
大堀 強い武器を買わなくてすむようになるというふうにね。
坂本 ゲーセンのゲーマーの一番のステイタスというかカタルシスって、100円でどれだけ遊べるかじゃないですか。
当時、大堀さんが『ゼビウス』(1983年/ナムコ)でずっと周回しているところを見て「すげーなこの人」って思っていたし。うまいプレイヤーは単純にリスペクト対象なわけですよ。こっちはいくらお金を入れてもそこまで行くことができないから(そういうプレイヤーは)神だなと思っていました。
大堀 それは言いすぎじゃないですか?(笑)
坂本 いや、ゲーセンではうまい人は圧倒的に偉い存在なんですよ。だからこのゲームもそういうところを狙えるからいいなと思いましたが、それと同時に、インカム対策はどうするんだろうとも思いました。
NMK時代は、ジャレコからさんざんインカムを考えろって言われて、難易度の高いものを作っていたから。『モンスターランド』ではボスをめちゃくちゃ強くするのかな、そうすればそこでコンティニューしてもらえるかなとか、いろいろ考えていました。
でも、このゲームはボスもたいして強くならなかった。どんどん先に進めちゃう難易度(笑)。インカムは良くなかったでしょうね。
大堀 そんなことはないでしょ。
坂本 そうですか?
大堀 『モンスターランド』が良かったのは、1周で爽やかに終わるところなんですよ。ループさせてもう1周というのがなかったから。しかも、ゲーム内のお金が最後に点数として加算されるじゃないですか。
坂本 レバガチャ問題さえなければね。
大堀 いや、あれはあれで技ですからね。隠しゴールドを手に入れるとき、魔法を使いながらレバガチャしたり、敵の体当たりを喰らいながらレバガチャしたりすると60G獲得できちゃう件ですよね。あれってワザと仕込んだんじゃないんですか?
坂本 バグですよ。ヒットチェックのサイクルがおかしかったから、ああなっているんです。
大堀 だけど、レバガチャをやるとプレイ時間が伸びるわけじゃないじゃないですか。高得点につながるということで、プレイヤーにとってはすごく良かったと思いますよ。
――それからはどんな仕事をされたんですか?
坂本 その後は、NES(*04)の『JAWS(ジョーズ)』(1987年/LJN)とかを作りました。
大堀 へぇ~。コンシューマーもやっていたんだ。
脚注
↑01 | ハドソン : 業界黎明期から活動してきたゲーム会社。現在はコナミデジタルエンタテインメントに吸収合併され、ブランド名だけが残っている。代表作は『ボンバーマン』シリーズ(1985年~/FC他)、『桃太郎電鉄』シリーズ(1988年~/FC他)、『スターソルジャー』(1986年/FC)などヒット作多数。 |
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↑02 | MSX : 1980年代に共通規格として各社からさまざまな機種が発売されていた8ビットパソコン。当時のコナミを中心として、神がかった完成度のゲームソフトが多数作られていたため、ほかのPCより見劣りする性能だったにもかかわらず大人気となっていた。 |
↑03 | 石塚路志人(いしづか みちしと) : 名プログラマー。坂本氏とはテーカン時代からの仕事仲間であり、1986年にソフト開発会社であるエスケープ(後のウエストン・ビット・エンタテインメント)を設立。代表作は『ボンジャック』(1984年/テーカン)など。 |
↑04 | NES : 任天堂が海外向けに発売していた家庭用ゲーム機の名称。正式名称は「Nintendo Entertainment System」で、頭文字をとってNESと呼ばれていた。日本で発売されたファミリーコンピュータをベースに、筐体デザイン、コントローラーの変更や各国向けの対応が施されている。 |