餅月あんこのゲーセンに行きたい!

  • 記事タイトル
    餅月あんこのゲーセンに行きたい!
  • 公開日
    2023年04月07日
  • 記事番号
    9383
  • ライター
    餅月あんこ

第63回 ゲヱセン上野さんにゲームの話を聞きたい!(後編)

プログラマーだったり編集者だったりゲームライターだったり作曲家だったり、でおなじみのゲヱセン上野さんに、ゲーム雑誌編集者時代のお話を中心に、主にゲームのお話を聞かせていただきました!
前編は、こちら

パソコンとマシン語

―― パソコンのプログラムを始めたのは高校生ぐらいからですか?

ゲヱセン上野さん(以下『ゲ』) そう、その頃に個人で買えるくらいのパソコンが増えてきたんですよ。電卓のちょっとでっかい感じの「PB-100」(カシオ計算機)というポケットコンピューターと、「PC-6001」(NECのパソコン)を買ったんですけどね。もうちょっとお金を持ってる人はNECの「PC-8001」や、シャープのMZ-80シリーズを買ってましたな。PC-8001は定価16万8,000円、PC-6001は定価8万9,800円だったので、ほぼ半額くらいで買えたんですよ。それにPC-6001は家庭用のテレビにつなげて使えたんですが、PC-8001だとRGBディスプレイも揃えないといけないので、さらに10万円くらいかかったんじゃないかなー。

―― なるほど、価格がかなり違うんですね。

 でも、安いPC-6001のほうが、PC-8001よりグラフィックの解像度は細かかったんですよ。PC-8001は160×100ドットだったかな。PC-6001はグラフィックモードがいくつかあって、モノクロモードにすると256×192ドット。PC-8001もHAL研究所のPCG-8100という機能拡張マシーンをつなげると、細かいドットのキャラクターを表示できたんですけど、さらに5万円くらいかかっちゃう(笑)。

―― へええ、昔のパソコン、良いですね……! それで、プログラミングとかをしてたんですか?

 「I/O」(*01)や「マイコンBASICマガジン」(*02)など、昔のパソコン雑誌にはゲームのプログラムリストが掲載されていたんですよ。最初のうちは、それを自分で打ち込んで遊んでましたな。

―― へぇ~! ベーマガのことは時々耳にしますが(耳にするだけでわかってないけど)、I/Oのことは恥ずかしながらよく知らなかったです。

 当時のパソコンゲームって、今みたいに大手メーカーがドドーンと売る時代ではなくて、中小のソフトハウスが地味めに作って売っていたんです。プログラムデータが入ったカセットテープを1本1本ダビングする、みたいな量産体制の会社もあったと思うんですよね。でも、それを買うより、雑誌を買って打ち込んだほうがコスパがいい! という感じで、ひたすら打ち込んでましたなー。

―― それをやりながらプログラムが身についていった感じなんですか?

 そうですね、他人が作ったプログラムリストを読みながら打ち込んで、動かしてみて、ちゃんと動かないと打ち間違いというか、ミスがあるわけじゃないですか。そのミスを探すためにリストを読み返したり、マニュアルで命令の意味を調べたりしていくと、けっこう覚えちゃうんですよ。この命令は線を描く命令だな、みたいなことを。

―― なるほど、言語はBASICですか?

 最初のうちはBASIC、そのあとアセンブラですね。マシン語ともいいますけど。

―― マシン語……?

 マシン語っていうのは、えーと……その前に、例えばBASIC言語だとPRINTとかLINEとかのわかりやすい命令が多くて、人間にとってはプログラムしやすいんですよ。読み返したときも、何が書いてあるかわかりやすいし。

―― はいはい、ほぼ英語ですもんね。

 そうそう。PRINT “ABC” って書くだけで、画面にABCって文字が出ますからな。でも、マシン語だとそういう便利な命令はなくて、「V-RAMという画面表示用のメモリに65、66、67という値を書きなさい」ということを事細かに指示するんです。そうすると、画面のどこかにABCという文字が出るの。

―― うう、難しそうですね!

 文字が出る位置は、メモリのどの場所に書くかで決まるんですよ。メモリの場所……アドレスっていうんですけど、そのアドレスと画面の位置が対応してるんですね。だからPRINT “ABC”と同じことをマシン語でやるには、「位置の計算をして、V-RAMのどのアドレスに書くかを決めて、“ABC”を表示するためのデータ65、66、67を書き込む」という、結構面倒くさいことをしなくちゃいけないんですよ。そのかわり、マシン語はCPUというパソコンの頭脳がすぐに理解できる命令なので、BASICよりも処理が速いんです。

―― ああ、なるほど!

 大雑把にいえば、BASICだと「人間にわかりやすいプログラムを、中の人がCPUがわかるように翻訳しながら実行する」ので時間がかかるわけですな。特にPC-6001はBASICの中の人がアレで、速度が遅かったんですよ。だから、ゲームを自作する人なんかは、CPUにわかるマシン語で直接書いちゃう、っていう人が多かったんですね。

―― へ~、すごいですね! そういうのも会得されてったんですね。ゲームをプレイすること自体と、それとゲームのプログラムを打ち込むことを同じくらいやられてた感じですか?

 割合は忘れちゃったけど、ゲーセンで100円バンバン入れて遊ぶより、家で似たようなものが遊べたらリーズナブルだなー、と思って打ち込んでた感じですかね。それと、そもそもブラウン管にキャラクターが表示されて、ピロピロ動いて、ボタンを押すと弾が出るのって、不思議じゃないですか?

―― はい(笑)。

 しかも当時は家庭用のテレビにパソコンを繋いでいたので、ふだんテレビ番組が映ってる画面に、敵とかが表示されるわけじゃないですか!

―― 敵とか!

 敵とか敵とか、弾とか! 何でパソコンをつないでプログラムを打ち込んで走らせると……文字が出るくらいだったらわかるけど、何か敵っぽいやつがいっぱい出てきてピロピロ動いて、弾を撃ったり撃たれたりするのって、よくよく考えると不思議じゃないですか。

―― 敵がピロピロ!

 ピロピロ! それで、本を読んで仕組みを勉強したり、他人のプログラムに書いてあることを読み解いたりしているうちに、プログラムを覚えた感じですかね。

―― ふ~ん、そうだったんですね!

 話が前後しちゃいますが、最初にパソコンの存在を知った頃……当時はマイコンと呼ばれていましたけど、その頃ってまだ高いし珍しいし、買っても何ができるんだかよくわからないし、今みたいに電器屋さんにパソコン売り場があったわけでもないんです。マニアがたくさん集うようなマイコンショップがあって、マイコンを自腹で買えない青少年たちが、そこでプログラムを作ったり打ち込んだりしていたんですよ。

―― おぉ~、何かパソコン黎明期というか……素敵ですね。

 そのときはまだパソコンのことをよくわかっていなかったので、後ろから「何やってるのかな~?」って感じで見てましたな。で、画面を見ると細かい文字がたくさん表示されていたり、意味不明な数字が並んでいたり……それがプログラムだということはあとから知ったわけですけど。

―― ふむふむ。

 でも、そのプログラムを走らせると、画面に敵が出るわけじゃないですか! 文字とか数字をバーッと打ち込んだだけで、敵のキャラクターが出てきて、ピロピロ動いて攻撃してくるんですよ。不思議じゃないですか!

―― 敵! 確かにそうですよね~。

 原点はそこですかね、やっぱり、敵がピロピロ(笑)

―― 敵(笑)。自機よりも気になるのが敵なんですね(笑)

 自機は1機じゃないですか、敵は山ほど出てくるじゃないですか、しかも攻撃してくるし!(笑) だから、やっぱり文字や数字を書くだけで、自機とか敵が出てきて動くの不思議だなー、ってところがプログラムを始めた原点でしょうな。

―― なるほど~。それでプログラミング言語を理解してからは、そういう意味がわかってピンと来た感じなんですね。

 そう。そうすると、自分でプログラムを書くのも楽しくなってくるし。

―― それでログインのプログラマーさんとして、スタッフさんになったっていうことなんですね。

ゲヱセンさんのお気に入りのゲーム

―― ファミ通の編集さんになってからは編集業がメインになった感じでしょうか。

 わりとそうですね。でもファミ通が隔週から週刊になる頃(1991年に週刊化)に、「毎週締切を守るのムリだわー」と思ったのと、その頃お手伝いしていたスーパーファミコン用RPGの制作が忙しくなってきたのと、ゲームを作りながら他人のゲームを評価するのも野暮だな……ということで、ゲーム制作のほうに軸足を置いた感じです。ライターの仕事は、量を減らして続けてました。

―― それは何か、すごく有名なRPGのことですね。その後は……攻略本とかけっこう作られてたイメージですが。

 そのゲームが完成したあと、ゲーム攻略本を作っていた知り合いの編集プロダクションのかたに声をかけられて、最初は巻末のちょっとした記事を頼まれたんですよ。それから徐々に、攻略本本編も手伝うようになったんですよね。ログインの頃から、知り合いに頼まれ、その知り合いの知り合いに頼まれて……と、わらしべ長者というかドミノ倒しというか、そんな感じで連鎖的に頼まれてきました。ドミノライフ!

―― 何か良い感じですが! ログインでは「セガマークIII通信」とか担当されてたんですか?

 セガマークIII通信は水野店長が担当してまして、それを引き継いだ「セガマスターズクラブ」や「セガメガパラダイス」は私が担当ですな。あとは、レビューや攻略記事、「ゲヱセン上野の以下同文」とかいう、読者の質問に真剣に答えているような、そうでもないような記事なんかもやってました。アーケードゲームのページも何回か担当しましたな。

―― ああ、なつかしい! ファミ通は私の文化の栄養素だったので、表1から表4まで全部の文字を読んでました。

 おお、ヘビー読者! 私はログインを奥付から読んでました。創刊当時のログインって、他のコンピューター雑誌と違ってオシャレ感があったんですよ。キュートな女の子が表紙を飾っていて、誌面デザインもキレイで。その後、オモシロ路線にシフトしていくんですけど、どんな人たちが作ってるんだろう? という興味があったんですよね。それからどんどん編集者のおふざけがエスカレートして、おもしろパソコン雑誌を極めていったわけですが(笑)。

―― たしかに! お仕事でたくさんのゲームをプレイされたと思いますが、個人的にすごく好きなタイトルってありますか?

 担当したゲームはどれも好きでしたけど、特に記憶に残っているのは『チェルノブ』とか、『ニュージーランドストーリー』とかですかね。設定が奇抜だったり、かわいいゲームが好きだったのかも。

―― あ、『ニュージーランドストーリー』は、最近プレイしてますよ!

 知ってる! (餅月が)記事を書いてる書いてる、って思って読みましたよ(『ゲーセンに行きたい!』第61回 ニュージーランドストーリーで遊びたい!)。私も昔、紹介記事を作ったんですよ。

―― 『ニュージーランドストーリー』記事かぶり!

 そのときね、「名菓ひよ子」を買ってきて、水を張ったビーカーに浮かべて、カメラマンさんに写真を撮ってもらったんです。その写真を最終的に記事で使ったかどうかはよく覚えてないけど。

―― それ、どういう事ですか……!

 『ニュージーランドストーリー』の主人公ティキって、名菓ひよ子ちゃんにちょっと似てるじゃないですか。だから、実写版を撮って載せよう! みたいな感じ(笑)。

―― なるほど……! ファミ通ってそういうことしますよね!

 当時は記事のメーカーチェックがなかったり、大目に見てもらえたりしたのでできたんですよね。今だったらいろんな人に怒られて大炎上しそうだけど(笑)。でね、ひよ子ちゃん、水に入れて時間がたつと皮がふやけてきちゃうの。一応その写真も撮っておこうと思ったけど、あまりにかわいそうな姿になっちゃったのでやめました。

―― ぎゃー! 必ずスタッフが美味しくいただいてください!

アーケードアーカイブス『ニュージーランドストーリー』画面写真。
キーウィバードのティキは、水中もお手のもの。水を吐いて攻撃できるのだ!

© TAITO CORPORATION 1988 ALL RIGHTS RESERVED.
Arcade Archives Series Produced by HAMSTER Co.

 あと、シブめなところではメガドラ版の『クラックス』もハマりましたな。パソコンゲームだと、アスキーから発売された『AX-5 オリオン/クエスト』っていうPC-6001用のゲームはよかったなあ。ワイヤーフレームっぽい3Dシューティング、3D迷路ゲームなんですけどね。

―― 1982年発売って書いてありますね。この頃3Dってすごいのでは……!

 グラフィックはシンプルなんだけど、PC-6001とは思えないなめらかな動きがすごかったんですよ、バカみたいにやりまくりましたな。あとは『ロードランナー』もよくやったなあ、PC-6001版のを。

―― えっ、PC-6001で出てたんですね。

 そう、アメリカで作られたゲームだから、最初はApple II版だったんですけどね。

―― そうなんですか。へぇ~、かっこいいですね。

 日本のいろいろなパソコン用に移植されたんですけど、PC-6001版はApple II版にかなり近かったんです。他の機種用だと、縦横のブロックの数がオリジナルと違ったりしたので。

―― オリジナルに忠実な移植、大事!

 PC-8801mkIISRやPC-9801シリーズ、J-3100SS、MSX、MSX2、Macintosh、X68000など、いろんなパソコンを買ってゲームやりましたけど、やっぱり最初に買ったPC-6001で遊んだゲームは思い出深いですよねえ。X68000を買うとおまけでついてきた『グラディウス』も、当時としてはアーケード版に相当近くて、感動しながらプレイしましたけどね。

―― シューティングゲームもやられるんですね!

 ストレス発散に最適ですからな、シューティングゲームは。そうだ、『グラディウス』といえば、コナミのMSXソフトにはある時期……『グラディウス2』からだったと思うんですけど、SCCっていう音源が載って音数が増えて、サウンドが一気にゴージャスになったんですよね。当時のコナミのMSXソフトはPSG(MSX本体内蔵音源)の鳴らし方も神がかっていたので、じっくり聴きこんで、研究したりしましたな。

「流氷物語号」、そして、また新曲が……?

―― 何だかすごい貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございます! そういえば「流氷物語号」(2017年から運行が開始された、冬期にオホーツク海沿岸を走る観光列車)で流れる『オホーツクに消ゆ』の今回新しくアレンジされたというバージョン、どういう感じなのかなと思ったら、乗車されたかたの動画をTwitterで紹介されてて、聴けて良かったです。音色とかもどんな感じなのかなと思ってたので。
  

 おお、聴いてくれたんですね。網走駅と浜小清水駅で流れるメドレーバージョンと、車内で流れる車内チャイムバージョンの2曲を作らせていただきました。メドレーバージョンは尺が5分半くらいあって、ちゃんとホームで流れても恥ずかしくないように気合いれてアレンジしております。

―― 恥ずかしいってどういうことですか(笑)。

 『オホーツク』の曲って、プロがアレンジしたCDも出ているし、ファンのみなさんのカバーバージョンも動画投稿サイトにたくさん上がっているじゃないですか。だから、「生半可なアレンジだと、納得してもらえないだろうなあ」的なプレッシャーもありつつ作ったんですよ。「ゲームを知らない人の耳にも馴染むアレンジにしよう」とか「屋外で流れるので、メロは騒音の中でも聴き取りやすい音色にしよう」とか、あれこれ考えながら。YouTubeで現地の動画を見たら、意図した通りに鳴っていたので安心しました。

―― なるほど、いろいろ考えられてる……! どんなふうに聴こえるかは、現地に行かないと聴けないですもんね。

 一昨年と昨年は「オホーツク」の聖地めぐりのツアーもあって、昨年そのツアーにゲストとして呼んでいただいたときに流氷物語号に乗ったんですよ。今年も行ければよかったんですけど、東京から北海道までなかなか距離がありますからなー。代々木上原とか西日暮里くらいだったら、電車でチャチャッと行って確認できるんだけどね。でも、よかったですよ、流氷物語号。車内で観光ボランティアの方が流氷の説明もしてくれるし、荒井画伯描き下ろしのオホーツクグッズも買えるし。めぐみのバスタオルとか(笑)。

―― 「とる」やつですね! また来年以降、行けるチャンスがあったら行ってみたいです……! それでは最後に、何か今年の抱負みたいなものをお聞かせいただければ!

 ちょっとまた、音楽作るの楽しくなってきたかも! 作っちゃうかも! っていう感じですかね。流氷物語号用の曲はDAW(音楽制作用ソフトのこと。デジタル・オーディオ・ワークステーションの略)で作ったんですが、すごく便利なプラグインなんかも揃えたので使い込んでみようかなと。昔は、シンセやエフェクターの実機を揃えるのに結構なお金と場所が必要だったけど、今はパソコン1台とDAWと入力用のMIDIキーボードだけでなんでもできちゃうの。かがくのちからってすげえな!

―― かがくのちからってすげー!(笑) それはすごく楽しみ……ではまた新しい楽曲が聴けるのを、新しいお知らせが届くのをお待ちしてます!

脚注

脚注
01 1976年に工学社から創刊された、日本初のマイクロコンピュータ専門誌。創刊当時は、のちにアスキーを創業したスタッフも在籍していた。
02 1982年に電波新聞社から創刊されたパソコン雑誌。おもにBASICで作成された読者投稿ゲームが多数掲載されていた。

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