見城こうじのアケアカ千夜一夜

  • 記事タイトル
    見城こうじのアケアカ千夜一夜
  • 公開日
    2023年04月14日
  • 記事番号
    9443
  • ライター
    見城 こうじ

第2夜『熱血硬派くにおくん』(1986年・テクノスジャパン)

1980年代ヤンキーワールドを扱ったゲーム

『熱血硬派くにおくん』はヤンキー(不良、ツッパリ)の世界を舞台としたアクションゲームです。敵に襲われた親友ヒロシの仇を討つために立ち上がったくにおくんが、不良たちを相手に全4ステージ(駅のホーム、湾岸、夜の街、暴力団の事務所)を闘い抜くという、当時としては大変斬新な設定でした。

ゲームシステムの上でも、後にアーケードの一大ジャンルとなる、一対多で戦うベルトアクションの基礎が詰まっており、同ジャンルの原点的作品の一つともいえます。

また、海外版は『Renegade』(「裏切り者」)というタイトルで、登場人物の設定が変更されており、背景を含めてビジュアルも一新されています。

多数の敵に囲まれて闘うおもしろさ

操作は、8方向レバーと3ボタン。3つのボタンはそれぞれ左アタック、ジャンプ、右アタックに割り当てられています。

レバーを横に2回入れるとダッシュし、その状態で攻撃を出すとダッシュパンチ。同じくジャンプを押すとジャンプキック。自分の向きと逆方向に攻撃を出すとリーチの長い蹴りになり、さらには敵をつかんで投げることや、ダウンした敵に追撃することもできます。

実際にプレイしてみると、左右から敵に挟まれた状態で闘うことが前提に作られた操作システムであることがよくわかります。

ヤンキー漫画の系譜をたどってみよう

当時、創作物の世界でヤンキー文化がどう捉えられていたか振り返ってみると、たとえば少年漫画にはこうした系統の作品が連綿と描かれてきた歴史があります。

ヤンキーという言葉が主流になる以前から、少年漫画の世界には「不良」「番長」などのキーワードがあり、1960年代から’70年代にかけて「男一匹ガキ大将」「愛と誠」「男組」のような作品が人気を博しました。それぞれ少年ジャンプ、少年マガジン、少年サンデーで連載された作品です。個人的には、番長ものに属するかと思いますが、本宮ひろ志の「硬派銀次郎」などが好きでした。

もう少し時代が下ると、こうした昔ながらの不良文化が古臭く見えてくるようになり、極道の世界とミックスしながらギャグ色も含んだ「私立極道(きわめみち)高校」や「魁!!男塾」といった作品も生まれます。一世代前の文化をギャグにしつつもリスペクトした、江口寿史のような漫画家が生まれたのもこの時期です。

’80年代に入るとバイクや暴走族と組み合わせた「あいつとララバイ」や「湘南爆走族」、さらに高校野球の要素まで盛り込んだ「バツ&テリー」などのスタイリッシュな作品が次々と生まれ、改めてティーンエイジの人気ジャンルに躍り出た印象があります(現実の世界で校内暴力が大きくクローズアップされたのもこの時期です)。「ヤンキー」はおそらくこのころ一般化し始めた言葉だったように思います。

そして、『熱血硬派くにおくん』が発売された’86年に人気の高かった作品といえば、’83年に連載が始まり、’85年に実写映画化もされたヤンキー漫画の金字塔「ビー・バップ・ハイスクール」をその筆頭として挙げることができます。

その後も「ろくでなしBLUES」や「今日から俺は!!」等々、無数のヤンキー漫画が成功し、近年でも「東京卍リベンジャーズ」の世界的ヒットは記憶に新しいところです。若者が“ヤンチャ”するドラマには、洋の東西を問わず不変的な魅力があるようです。

くにおくん以前にはどのようなゲームがあったのだろう?

では、ゲームの世界にこうした不良・ヤンキー系テーマが登場したのはいつのことなのでしょうか?

そのすべてを網羅することは難しいのですが、たとえば’82年にはバンダイからツッパリバンドをモチーフとした電子ゲーム『ツッパリコンサート』が発売されています。ただ、これは不良風のバンドであって、不良そのものをテーマにしたゲームではありません。

また、これも不良とは少し違うのですが、’83年にはCSK/フィルコムから『仁義なき戦い』のパソコン用シミュレーションゲームがリリースされています。

アーケードゲームに目を向けてみると、‘84年『新入社員とおるくん』の海外版『マイキー』があります。彼女とデートするために教師にヘッドバットをかまして教室からエスケープするような遊びです。でも、どちらかといえば、とてもポップでコミカルなイメージで描かれています。

より不良世界に近いかなと思うのが、‘85年の『青春スキャンダル』です。連れ去られた彼女を取り戻すため、学生とおぼしき主人公がパンチとキックで敵を倒して進んでいくゲームです。ただ、これも主人公が明確に不良として描かれているわけではありませんし、何より舞台や出てくる敵が必ずしもヤンキーワールドとはいえません。もっとずっと荒唐無稽な世界観で、なにしろステージ2以降は別の時代へタイムトラベルするのですから(!)。

また、強いて挙げると、もう少し古いゲームで、’82年『なめんなよ』もありますね。本物の猫に暴走族の特攻服を着せて写真を撮るなどした当時の「なめ猫」ブームに乗っかったゲームです。一応、暴走族を彷彿とさせるトップビューのバイクゲームになっていますが、不良の世界観はデモシーンに出てくる特攻服などを着た猫の姿に見ることができる程度でした(同名の電子ゲームもありますが、内容は別物です)。

かくして唯一無二の『熱血硬派くにおくん』はゲームセンターを席巻した

そう考えていくと、当時多くの人が抱いていた不良・ヤンキーのイメージそのままの世界を体験させてくれたゲームとしては、『熱血硬派くにおくん』がほぼその嚆矢だったのかもしれません。興味深いのは、このゲームを開発したのがテクノスジャパンという中堅のメーカーだったことです。大手の会社ではありません。

しかしながら、いざ『熱血硬派くにおくん』がリリースされると、唯一無二のゲームとして見事にスマッシュヒットを記録します。ゲームセンターに来る多くの十代にとって、とても共感性の高い魅力的なゲームに感じられたのだと思います。

実際にプレイヤーである彼らが不良だったかどうかは別の話です。前述のさまざまな漫画作品等もヒットしていましたし、ちょっと“ワル”な世界に憧れるというのは、それぐらいの年齢であれば誰もが一度は通る道です。あくまで“ファンタジー”として捉えて遊んでいた人が多かったのではないでしょうか。

では、また次回。

協力:山下章(スタジオベントスタッフ)

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