特集:ゲームバー 第一回目「A-Button」

  • 記事タイトル
    特集:ゲームバー 第一回目「A-Button」
  • 公開日
    2020年07月10日
  • 記事番号
    3219
  • ライター
    外山雄一

2004年、北米ブルックリンに「BARCADE」というゲームバーが開店した。
「BAR」と「ARCADE」を組み合わせて、一度耳にしただけで店のコンセプトが連想できるキャッチ―なネーミングも良かったのか、店は大人気となりチェーン展開。似たコンセプトのゲームバーが全米あちこちにできた。

アーケードゲームは酒場との縁が深い。古参ゲームメーカーは、元々酒場にジュークボックスを販売/リースしており、それがピンボール、ビデオゲームに変化していった歴史がある。今も多いダーツバー、シューティングバーなども、文化としては延長線上にあるだろう。

果たして日本で、同じコンセプトの店はできないのか? と言えば、不可能ではないのだが、風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)による制限があり、これをクリアする必要がある。
また家庭用ゲームソフトを扱う場合には、著作権法上の貸与権と上映権を侵害してはならない。

さらに、一言に「ゲームバー」と言っても、その範囲は幅広い。
昨今のボードゲームブームの影響もあり、アナログゲームをテーマにしたバーも多いが、本稿ではビデオゲーム/アーケードゲームをテーマにした店、ゲームファン/プレイヤーが集まる店を指す。
なお店の紹介にあたって、公式ページやグルメレビューサイトの守備範囲であるフードやドリンクについては掘り下げないので、それぞれそちらを参照いただきたい。

新型コロナウイルスの感染拡大防止に伴う営業自粛/規制により、ゲームバーを含む飲食店は苦境に立たされている。この特集では、ゲームバーとその魅力を紹介することで、少しでもその文化を応援したい。

秋葉原随一のゲームバー「A-Button」は、店主の趣味が詰まった夢の空間!

A-Button入口

A-Buttonができるまで~店主、長嶺氏の幼年期

1990年代、まだ電気街の色が濃かったころの秋葉原には、飲食店は少なかった。
ハード/ソフトを買いに来る、その筋の人たちがランチを食べるのはカレー屋か牛丼屋。夜、飲みに行くには昭和通り側や総武線ガード沿いに数軒ある居酒屋。そんな時代があった。

2000年代以降、趣味の街に変貌した秋葉原は観光地化し、テーマ・コラボカフェを含む無数の店が立ち並ぶ飲食激戦区となった。

時を同じくして、ビデオゲームをテーマとした飲食店が首都圏を中心に現れ始める。中には家庭用ゲーム機、ソフトを常備して来店客に自由に遊ばせる店もあったが、著作権侵害による違法営業を指摘され、業態変更や閉店を余儀なくされた。

時は遡って1974年、本稿で紹介するA-Button店主の長嶺氏が生まれる。
長嶺氏とビデオゲームの出会いは、幼少期に触れた『スペースインベーダー』や『平安京エイリアン』などのアーケードゲーム機だが、最初に最もやり込んだゲームはBambino社のゲーム機「UFO Master Blaster」(1978年)だったそうだ。

画面上部から迫るUFOをミサイルで迎撃する、FL管表示のシンプルなゲームで、日本版もトミー『ミサイル遊撃作戦』として発売されていたが、長嶺氏が遊んでいたのは輸入版で箱や本体は全て英語表記だった。

その後は、ファミコンがある友だちの家に集まって皆で『ドラクエ』を遊んだり、ゲーム機を貸し借りして遊んだりする、極めて普通の小学生時代を過ごしていた。

後年、長嶺氏がお客さんから譲ってもらった「UFO Master Blaster」実機

A-Buttonが出来るまで~店主、長嶺氏の少年時代

1986年、ファミコンブーム真っ只中に製作された映画「GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦」の公開収録があり、事前の抽選で当選した長嶺氏は、これに参加している。

映画後半の対決シーン、観客は二ヶ所の応援席に別れて座るのだが、開場から少し遅れて到着した長嶺氏は、応援したかった高橋名人側ではなく、毛利名人側の席に座らされて残念だった思い出があるそうだ。
当時の映画の画質上、判別は難しいかもしれないが、毛利名人側の観客席から高橋名人を応援する長嶺氏が映っているかもしれない。

このころ、長嶺氏にはパソコンゲームへの憧れがあり、ファミコンでも最初に買ってもらったソフトはパソコンからの移植版『ハイドライド スペシャル』だったし、『イース』が遊びたいがためにセガ・マスターシステムを買った。

長嶺氏の行動範囲にはインベーダーハウスの名残りが残る場所も多く、元々スナックや履物屋だった店がビデオゲームを稼働させ、そのまま業態を変えてゲームセンターとなった店で遊ぶことが多かった。
ゲーメスト誌を読んで、自転車で巣鴨キャロットまで遠征し、ハイスコアラーのプレイをギャラリーとして観戦することもあったという。

現在の長嶺氏

A-Buttonが出来るまで~店主、長嶺氏の学生時代~フリーター時代

高校を卒業するころ、アルバイトして買ったバイクに乗るようになり、ゲームに費やす時間が減った。当時のゲームセンターは対戦格闘ブームとなっており、あまり格闘ゲームを遊ばない長嶺氏の足はゲームセンターからますます遠のいてしまった。

特に就職せず、いわゆるフリーターとなった長嶺氏は、90年代中盤~後半にかけてバイク便、営業、接客、飲食店など様々なアルバイトを経験した。
そして1999年からセガのゲームセンターでアルバイトするようになってから数年後、店舗担当の社員を募集していたタイミングで同社に応募し、オペレーション部門の社員として採用された。


セガ社員時代の長嶺氏は、秋葉原を中心に数件のロケーションを担当し、最終的には現在のセガ秋葉原1号店の責任者的な立場となっていた。

A-Buttonができるまで~開店準備からプレオープン

2008年2月、セガが希望退職者を募る。
これを良いタイミングと感じた長嶺氏は退職、退職金を元手に、何か新しいことを始めようと考えていたところ、都内にゲームバーができはじめていることに気づく。
飲食店でのアルバイト経験もあり、接客業やビデオゲームが好きだった長嶺氏は、こうしてゲームバーの開店を決意した。

競合となるゲームバーは新宿界隈に多く、数年働いており土地勘がある秋葉原には競合店がないことから、出店場所は秋葉原と決めた。

2008年の秋葉原は、既に観光地化がかなり進んでおり、2020年現在の風景とあまり変わりはない。
出店場所を探すにしても、各電気店が立ち並ぶメインストリートの中央通りや、住所でいうところの千代田区外神田には、そもそも物件がないし、あっても家賃が高額だ。

早々に外神田を諦めた長嶺氏は、その周辺に範囲を広げて物件探しを続け、秋葉原駅東側の昭和通りの更に東側、台東区台東の元ラーメン店の物件を見つける。

秋葉原界隈というには少し駅から離れているが、居抜きでキッチンとカウンターが残るこの物件は、家賃も比較的安く、ゲームバーを開くには都合が良かった。

2008年4月、長嶺氏は物件の契約を済ませ、開店準備に取り掛かった。5月には運営資金の融資手続き、店内の内装作業が進み、プレオープンが近づいてきた。

■神聖マルチ王国「秋葉原に対する、私なりのアプローチ」(2008/6/6)
http://multi.nadenade.com/shinichi/0217

プレオープンに至った6月、長嶺氏は自身のBlogに「リアルに自分の趣味を出せる場所がほしかった」と綴っているとおり、当初から店内には所せましと家庭用ゲーム機、コントローラー、ゲームグッズ、フィギュアなどが飾られている。
これらは長嶺氏個人の持ち物の他、開店祝いとして友人らから寄付された物も多い。

余談だが、プレオープン期間中の6月8日には、秋葉原通り魔事件が発生している。現場はA-Buttonから秋葉原駅を挟んだ反対側で、かなり距離もあるため、影響はなかった。

2008年6月 A-Button開店!

秋葉原エリアとはいえ、中央通りとは反対側で人通りも少ない立地のバーに、果たしてお客さんが来てくれるのか?
正式オープンまで、長嶺氏はあまり自信がなかった。
しかし、プレオープン期間中にアキバBlogに取り上げられたことをきっかけに、一気に秋葉原界隈での認知度が高まったようで、幸いなことに正式オープン直後から客足は順調だった。

何しろ、秋葉原エリアでは初の、そして唯一といえるゲームバーであり、ゲーム機器やグッズに溢れた店内は訪れるゲームファンの目と心を楽しませた。
アキバBlog掲載後にも複数のWebメディアにも取り上げられ、個人経営の飲食店としては、滑り出しは上々だったと言える。

■GAME BAR A-Button(ゲームバーAボタン) プレオープン
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/50671324.html

2008年6月、開店当時の入口(長嶺氏Blogより)

2009年 高橋名人来店~周年イベント

小学校高学年でファミコンブームを経験し、主演映画の収録にまで参加した長嶺氏にとって、高橋名人は特別な存在だ。
その高橋名人が突然、A-Buttonへ来店、目の前に現れたとき、長嶺氏はさぞかし驚いたことだろう。
当時出演していたネット番組の収録が秋葉原近くで行われていたらしく、その後も名人は度々来店し、収録後に食事をしていくことがあったという。

あるとき、長嶺氏と高橋名人は卵かけご飯の話題で盛り上がり、その結果「名人の卵かけご飯」というメニューが生まれ、今でもA-Buttonの定番フードメニューになっている。
これは高橋名人が選んだ2種の醤油を使ったものだ。

その後、2010年には開店2周年のライブイベントを開催した際には、ゲストとして高橋名人が出演してくれた。
周年イベントは節目となるタイミングで何度か行われており、A-Buttonに縁があるゲーム業界関係者が出演するライブ、トークライブとして開催された。
2013年の5周年イベントには、東方シリーズ生みの親であるZUN氏や、(有)エムツーの堀井社長も登壇している。

5周年イベントのフライヤー

2011年 震災と方針転換

いわゆるゲームバーの中には、家庭用ゲーム機とソフトを常備して、来店客に自由に遊ばせるタイプの店もあった。
社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)では、こういった店に対しては警告書面を送り、違法な形で営業している店は、その営業形態を変えざるをえなかった。

元々A-Buttonはハードこそ置いているものの、ソフトは貸し出しておらず、貸与権の侵害はなかった。
また、ゲームを遊ぶのが主目的な店でもなかったため、特に営業形態を変えなかった。

ところが、あるときACCSから書面が届いたことをきっかけに、何度かやりとりを行い、念のため一部のメーカーのゲーム機に関してはプレイアブル状態で店に置くことを取りやめた。

こうした若干の方向転換はあったものの、A-Buttonのコンセプトは変わっておらず、大きな影響はなかった。

2011年3月11日には、震災も経験した。
幸いなことにA-Buttonの店舗には大きな被害はなかったが、千葉から秋葉原に通っている長嶺氏は一時期、移動手段に苦労した。
計画停電の影響もあり、営業時間の変更などはあったものの、震災復興のための募金活動、チャリティDJイベントなどを行いながら、2011年は暮れていった。

この年には、店内にアーケード用ゲーム筐体が設置され、時節柄「筐体型募金箱」として稼働を開始した。
この筐体では、当時、主に『ぷよぷよ通』などが稼働し、収益はすべて復興募金へ寄付されたという。

入口付近から全13席(カウンター×9席、テーブル×4席)の店内を望む

イベントへの出店参加/イベント主催

A-Buttonは前述した店の周年イベントとは別に、秋葉原の他の飲食店を巻き込んだイベント「秋葉原ビールフェア」の中心でもある。
これまで8回開催されたこのイベントは、開催期間中に参加店でビールを飲んでスタンプを集めることで、ZUN氏デザインのキャラクターが描かれたコースターが貰えるという、秋葉原ならではともいえる催しだ。

秋葉原ビールフェアのフライヤー。これは第7回の物。

また、A-Buttonはゲーム音楽イベントとも縁が深い。
かつて千葉県成田市で開催された「GAME SUMMER FESTIVAL 2012」や、川崎市教育文化会館で開催された「エリアピコピコ88五周年感謝祭」、そして今も続く「東京ゲーム音楽ショー」への出店経験もある。
それぞれ、音楽ではなく飲食での参加だが、こういったイベントでは、来場客がどれだけフードやドリンクを注文するか予想が難しく、早々にビールを欠品させてしまったこともあったそうだ。

東京で訪れるべきゲームスポット!? A-Button

観光地化した秋葉原は、訪日外国人が訪れる場所としても人気が高い。
2011年の震災で一時期落ち込んだその数も、2019年まで右肩上がりに増え続け、A-Buttonを訪れる外国人も同様に増え続けた。

個人、メディア問わず、取材に訪れる外国人も多く、それらの掲載実績も長嶺氏には知らされないまま、紹介記事を読んだ各国の訪日客が更に来店する……という好循環で、さらに外国人客は増えた。
一時期は平均して来店客の半数程度が外国人となり、店内に日本人客がゼロで日本語がまったく交わされないという瞬間もあったそうだ。

カウンター席正面の様子。右側に見えるのはZUN氏デザイン、秋葉原ビールフェアのコースター

中でも英国の新聞、ガーディアン紙が取り上げた記事の影響が大きかったようだ。
紙面に掲載されたかどうかは不明だが、Web上では今でも”10 of the best places to play games in Tokyo”(東京でゲームを遊べる場所ベスト10)として、秋葉原ではスーパーポテト、Heyと並んでA-Buttonが紹介されている。

この記事では、A-Buttonを称して「バーというより、日本ゲーマーの夢の寝室”Japanese gamer’s dream bedroom”だ」という賛辞を贈っている。

■The Guardian”10 of the best places to play games in Tokyo”(2012/2/1)
https://www.theguardian.com/travel/2012/feb/01/top-10-game-playing-tokyo

来店する外国人客の年代も、若いゲームマニア、小さな子どに連れの家族から年配客までと幅広い。
前述の記事の影響か、スーパーポテトなどのレトロゲーム店で購入したゲームソフトを開封して、自身の携帯ゲーム機で遊ぶ姿もよく店内で目にされた。

ここで長嶺氏は、あらためて日本のゲームキャラクターの海外での人気を認識させられた。
あるときスペインから来店した家族の子どもは、『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズで『カービィ』を知り、最初に登場した『星のカービィ』と初代ゲームボーイ本体を購入、店内で初めてプレイし、そのモノクロの姿に驚きつつも、喜んでいたようだ。

また、ポケモンについて語る外国人客も非常に多く、ワールドワイドでの人気が感じられた。キャラクターから日本のゲーム機に興味を持った彼らは、ソフトもハードも初めて手にすることも多く、電源の入れ方を長嶺氏が教えたこともあった。

外国人客は観光客ばかりではない。店の常連客の中には、在日外国人のゲームファンやインディーゲームクリエーターもおり、日本のゲーム文化を愛する彼らにとっても、この店は居心地が良いようだ。

テーブル席の様子。モニタ下に見えるPSPを使って、店内にBGMを流している

浸水被害~間借り営業からの営業再開

2019年6月、A-Buttonは突然の浸水被害に遭う。
上階の水道管破裂により店内が水浸しとなってしまい、営業ができなくなってしまったのだ。


建物側要因の事故だったため、保険による補償も受けられたが、6月から7月にかけては、あらゆる荷物を搬出し、天井や壁をすべて張り替える復旧工事期間となってしまい、収入が断たれてしまった。

復旧工事中の店内の様子(撮影:長嶺氏)

この間、知人からの呼びかけもあり、A-Buttonは他の飲食店を借りた「間借り営業」を何度か行っている。
まったく別の場所にある店に長嶺氏が出向き、一時的にお店を「A-Button」化して開店するのだが、秋葉原での常連客らが足を運んでくれ、カンパもいただき、これが復帰営業への大きな後押しとなった。

8月上旬には復帰工事が完了し、コミケ期間にはなんとか仮開店まで漕ぎ付け、9月からは通常営業に戻ることができた。

浅草のアニソンバー「CAT EAR」での間借り営業中の長嶺氏(自撮り)。店名に合わせて猫耳

先に触れたゲーム筐体は、2019年の浸水被害の際に使えなくなってしまったが、元々維持管理が難しかったこともあり、再利用を諦め、とある外国人常連客に引き取っていただいた。

筐体はその後、持ち主と共に出国し、現在はレストアされカリフォルニアで稼働中とのこと。このレストアの際には、筐体の隙間から古いセガの磁気カード(1988年ごろに使われていたプリペイドカード)が発見された。
カードには埼玉のゲームセンター名が記されており、この筐体が埼玉→秋葉原→カリフォルニアという長い旅をしたことが感じられた。

現在~そしてこれからのA-Button

2008年の開店以来、いくつもの危機を乗り越え、12年間に渡って秋葉原での営業を続けてきたA-Buttonは、大勢のファンに支えられてきた。
また、店を中心としたコミュニティ、ここでの出会いから生まれたイベントやコンテンツもあるだろう。

一時期は外国人客で賑わったが、各国の渡航制限により、現在はその姿を見ることは極端に減った。そういった事情もあり、現在店は苦境に立たされている。

2020年4月7日、政府による緊急事態宣言が発令された。
これに伴う飲食店の営業時間短縮要請を受け、A-Buttonも4月11日より、他の多くの飲食店と同様に夜8時閉店の時短、かつテイクアウトにも力を入れた営業にシフトしている。

過去にテイクアウト営業を行っていなかった飲食店にとっては、急にその対応は難しいが、A-Buttonの場合は、幸いなことにイベント出店の経験が何度もあり、そのノウハウがここで活きた。
本記事の掲載時、そして今後も事態は刻々と変わっていくであろう。

                    *

少しでもお店に興味をお持ちになった方には、最新情報をTwitterでご確認後、ぜひともご支援をお願いする次第です。
よろしくお願い申し上げます。

【店舗情報】
住所:〒110-0016 東京都台東区台東1-13-9 第五光正ビル1階
電話番号:03-5856-5475
営業時間:16:00~24:00 ※基本営業時間
休み:不定 ※定休日詳細は公式Twitterにて告知
公式サイト:http://a-button.jp/
公式Twitter:https://twitter.com/a_button

こんな記事がよく読まれています

2018年04月10日

ゲームセンター聖地巡礼「1980~1990年代 新宿」前編

今回から、新企画「ゲームセンター聖地巡礼」の連載がスタートします。当研究所・所長の大堀康祐氏と、ゲームディレクターであり当研究所のライターとしても協力いただいている見城こうじ氏のお2人が、1980~1[…]