「イチハラ指揮者の“カレー”なる日々」第四回 *ハネケンさんフォーエバーダーッ!*

  • 記事タイトル
    「イチハラ指揮者の“カレー”なる日々」第四回 *ハネケンさんフォーエバーダーッ!*
  • 公開日
    2020年04月03日
  • 記事番号
    2841
  • ライター
    イチハラ指揮者

元気ですか! 元気があれば何でもできる! 元気があれば3回目で完結させられる!
前回、FC版『ウィザードリィ 狂王の試練場』(以下、『WIZ1』)の音楽についてお話をしましたが、今回はゲーム音楽そのものの話を少ししてみようと思います。

優れたゲーム音楽とは

前回述べたように、作曲の背景を深く考えたくなる名曲が目白押しの『WIZ1』は、ゲーム音楽史に残る1作であると言ってしまって差し支えないと思います。

では優れたゲーム音楽とは一体何なのでしょうか。

私は作曲家ではありませんし、ゲーム音楽を作ったことがあるわけでもありませんので、あくまで一ゲーム音楽好きの視点からの考察となりますのでご了承ください。
プロの方々は怒らないでネ☆
 

ここがなければ『WIZ1』の音楽も存在していなかった!?(2019年11月1日筆者撮影)

あまりこういう比較は良くないのかもしれませんが、批判の意味では決してないのでご容赦いただくとしまして、敢えて例を出しますと、『WIZ1』と同じくファミコンでリリースされたとある3DダンジョンRPGがあります。明らかに『WIZ』に影響を受けたであろうと思われる一作です。

このゲーム、音楽自体はとても完成度が高く、粒ぞろいです。
しかしながら、どうにも音楽の存在感が強く、ダンジョン探索中にずっと聴いているにはいささか辛いなと感じてしまう強さがあります。
そのことが「いい音楽だ」と思う気持ちを阻害してしまうのです。
ですから、「聞き飽きない曲」「聞き減りしない曲」というのも、優れたゲーム音楽の条件に入ってくると言えるでしょう。

例えば、『WIZ1』の「地下迷宮」はどれだけ聞いていても(私は)平気ですが、この曲だけをゲームと切り離して単体でずっと聞いていたいかと訊かれると、それはまた別かなと思います。
聞き飽きるか否かについては、単に曲の良し悪しだけで決まるのではなく、ゲーム内容や使用される場面に左右されるものだということが言えるでしょう。

曲自体はとてもいいのに、ゲーム内の音楽として聴いたときにしっくり来ない。
本当はいい曲なのに、続けて聴きたいと思えなくなってしまう。
このようなことが起こり得るのがゲーム音楽というものなのでしょう。

ゲーム音楽とは、音楽だけでは存在し得ないものであり、プレイ体験と楽曲の内容がマッチする幸せな出会いがあったときに化学反応が起こり、優れたゲーム音楽として昇華するのだと考えます。

とはいえ、これもすべてに当てはまるわけでもなく、ゲームの良し悪しを抜きにして、とにかく音楽単体として取り出したときに、どう聴いても素晴らしいとしか言えない曲も存在するので、一概に定義できないというのが実情ではあります。

個人的な嗜好の反映でしかないので恐縮ですが、具体的には『アンリミテッド:サガ』(スクウェア)などがこのケースに当てはまると感じます(考えてみると、私の場合、浜渦さんの曲はその率が高いかも……)。

いずれにしましても、ゲーム音楽である以上、基本的にゲームと無関係になるのは好ましくはないだろうと考えられます。
そうなりますと、音楽として素晴らしいのか、ゲーム音楽として素晴らしいのかは、また別の概念ということになってしまうでしょうか。
ゲーム音楽の評価というのは、どう考えればよいのか非常に難しいですね。
最終的には個人の好き嫌いでいいという身も蓋もない話になるのですが。

ゲーム音楽作曲家とは

ゲーム音楽の作曲は特殊な世界であり、職人技、選ばれた人にしかできないという主張を見かけたことがあるのですが、私はそれに懐疑的です。

まず、ゲーム音楽にはループがあるから特殊だということを聞いたのですが、ループ(リピート)についてはクラシックの時代以前から行われていることですから、極めて特殊な専門性を要するものではないと考えます。

また、ゲーム音楽作りを「どこまで」と定義するかにもよると思います。
特に現代のゲーム音楽制作は、昔とはまったく違う世界になっています。

作曲、編曲、録音、ミックス、マスタリング、ディレクション、プロデュース、すべて自分で出来る前提なのか、作曲のみでよいのか。そこはもう、時代によって異なりますし、見方によっては昔の方が職人の時代だったと言えるかもしれません。

考え出せばキリがないので、今回はひとまず作曲という行為に絞ることにします(いずれ「ゲーム音楽とは一体なんなのか」というテーマも書けそうですね)。

そうなりますと、『WIZ1』がそうであるように、ゲーム音楽の作曲が専門ではない方も優れた楽曲を残しているというのが、懐疑論の根拠になります。
これについては、羽田氏よりも遡り、すぎやまこういち氏にも当てはまるというのは誰もが認めるところでしょう。
それに、植松伸夫氏だって、元々はプログレ大好きな音楽青年であって、ゲーム音楽が専門ですという方ではなかったわけですし、今もなお、ジャンルを問わずただただ音楽が大好きな方であり続けていると私は思っています。

人には向き不向きがありますから当然個人差はあるでしょうけども、以上のことから、ゲーム音楽はそれを専門とする限られた人にしか作れないものではない(もしくはなかった)というのが私の基本的な考え方です。
というより、そう考えた方が、様々な音楽がゲームに流入してきてどんどん世界が拡がるし、楽しいじゃないですか。

ゲーム音楽は専門家にしか作れないということを認めるのならば、逆説的にゲーム音楽作曲家はゲーム音楽しか作れないということになりかねません。
ポップスは世界が違う。
歌モノは専門性が必要。
そんなことはないはずです。

現代のゲーム音楽はポップス、テクノ、歌モノ、民族音楽、クラシック調、ほとんどのジャンルを含んでいるはずですし、ゲーム音楽出身で、ゲームの世界を飛び出し、多種多様な音楽を作り出して活躍されている作曲家の方々はたくさんいらっしゃいます(もちろん、ゲーム音楽を専門にしている方はゲーム音楽に対して大きなアドバンテージがあるでしょうし、ゲームのための音楽を作り出すプロフェッショナルであることについて、論を俟たないことは言うまでもありません)。

従って、今もなお羽田健太郎氏がご存命であったとしても、優れた音楽家、作曲家、そして素晴らしいゲーム音楽作曲家であり続けていたであろうと想像します。

NJBP公式YouTubeチャンネルにて、オープニング・テーマを公開中です。是非ご視聴ください。

あの世で逢いまshow

結局、何が言いたいのかといいますと、ここまでで述べた通り「優れた作曲家が」「いいゲームと出会い」「ゲームに適合した曲を作る」という条件を満たしたとき、ゲーム音楽の力と価値は最大化するのではないかということを、今回『WIZ1』に出会って、改めて強く感じたのでした。
長々と書いておきながら、結論は大変凡庸で恐縮です。

っていうか、長々と8,000文字以上使って小難しそうなことを書いたけど、ぶっちゃけ羽田氏の功績を讃えたかった!
……それだけだ。

「タモリの音楽は世界だ!」というテレビ番組で羽田健太郎氏の存在を知った私ですが、それから30年も経った令和の時代に羽田氏の遺産と出会い、これほど感銘を受けるとは思ってもいなかったのです。
その感動と驚きが少しでも伝わればと思い、テーマとして取り上げた次第です。

ゲーム音楽デビュー作でこれだけのものを作り上げた氏に深い敬意を抱かずにはいられません。
ゲーム音楽の歴史に作品を残してくださり本当にありがとうございました。
いずれあちらでお話できればとても嬉しいですね。
でも羽田さんと話したい人は数え切れないほどいるでしょうから、私なんかがお話をする順番は巡ってこないかもしれませんね。あはは。

えー、いきなりの3回跨ぎとなりましたが、また次回お会いいたしましょう!
読めばわかるさ、ありがとーっ!

こんな記事がよく読まれています

2018年04月10日

ゲームセンター聖地巡礼「1980~1990年代 新宿」前編

今回から、新企画「ゲームセンター聖地巡礼」の連載がスタートします。当研究所・所長の大堀康祐氏と、ゲームディレクターであり当研究所のライターとしても協力いただいている見城こうじ氏のお2人が、1980~1[…]