なかったはずの海外アーケードゲームを楽しむ男 前編

  • 記事タイトル
    なかったはずの海外アーケードゲームを楽しむ男 前編
  • 公開日
    2019年10月18日
  • 記事番号
    1954
  • ライター
    IGCCメディア編集部

1980年代初頭から「ゲームブティック高田馬場」(すでに閉店した、高田馬場にあったナムコ直営のゲームセンター)を中心に、海外のアーケードゲームのおもしろさを多くのプレイヤーに広めた男がいた。自分の好きなゲームで遊んでいただけだと「彼」は振り返るが、その影響力は強く、今でいう「インフルエンサー」的な役割を果たしていたのは間違いのないところだ。
しかし、ここで疑問がわく。なぜ「彼」はネット環境の整備されていない当時、あれほど海外のゲームに精通していたのだろうか。そこで「彼」――金築浩史氏に古くから面識のある当研究所の大堀康祐所長と石黒憲一氏が、その理由を尋ねることとなった。

【聞き手】
大堀康祐(ゲーム文化保存研究所 所長)
【聞き手・資料提供】
石黒憲一(ゲームセンター研究家)

展覧会エンジニアという顔

大堀 どうもご無沙汰してます! この暑い中、ホントありがとうございます(インタビューが行われたのは2019年8月9日)。

金築 ああ、お久しぶりです(笑)。

大堀 今年の三月ぐらいから、ずっとインタビューをお願いしていたんですけど、お互いのスケジュールが全然合わなくて……。

金築 ねえ。やっと再会できた感じだね。

大堀 こうやって再会できると、古田くんがいないのが寂しいね。

金築 これってさ、古田くんじゃないのかな。

大堀 これって?

金築 (iPhoneの画面で、とあるWebサイトを見せながら)ほら、この会社の……もしかして本人じゃない?

大堀 いやぁ、別人でしょ(笑)。

金築 ええ、そうかなぁ。何か、それっぽいんだけどなぁ。

――読者のかたにもわかるように、古田さんについてご説明をお願いします。

大堀 とにかくゲームのうまい人。それに、すごく頭がいい。確かアメリカに留学したんだよね。違った?

金築 いや、したと思うよ。で、そのあとこの会社に就職したとか……。

大堀 それはないでしょ(笑)。

金築 うーん、そうかなぁ。でも、また会いたいよね。

――盛り上がっているところ申し訳ありませんが(笑)、インタビューを開始させていただきます。まずは、金築さんの現在のお仕事からお訊きしたいのですが。

金築 最近だとNTTのICC、インターコミュニケーション・センターの主宰している「キッズ・プログラム2019」という夏限定のイベントを手がけています(8月末に終了)。あと同じくICCの「オープン・スペース2019」の設営なんかもやってますね。こちらは無料なので、もしもご興味があれば、見に来てください。

石黒 展覧会などの設営が、現在のメインのお仕事なんですか?

金築 そうね、そのテクニカルな部分もやってる。

大堀 そういうのって専門用語で何て呼ぶの?

金築 展覧会エンジニア(笑)。

大堀 え、「展覧会」のほうは英語にしないの(笑)?

金築 いや、そっちのほうがわかりやすいでしょ。とにかく展覧会に関わるエンジニアリングの仕事をいろいろとやってます。

「Bit Generation 96」も金築さんの手がけたゲーム関連のイベントのひとつ。

大堀 ゲーム関係だと……?

石黒 確か、GAME ON(*01)も手がけていらっしゃったんですよね?

金築 少しお手伝いしました。

石黒 そこら辺を、もう少しくわしく聞かせていただけますか。金築さんは、展示物のディスプレイとか、あるいはコンテンツも作ってるんですか?

金築 いや、全然やんないです(笑)。

石黒 え、違うんですか?

金築 展覧会のコンテンツは誰かが作るし、作品は作家が作るし、会場も会場を施工する業者が作るし、どういう作品を集めるかもキュレーターがやるし……。

大堀 じゃあ、いったい何を(笑)。

――展覧会のコンセプトなどを設計するのではなく……。

金築 うん、こういうのがやりたいって話を持ちかけられたら、どうすれば実現可能なのかを考えたり、実現のためどう動くべきかを提案するのが役目かな。もちろん、プロジェクターとかの機器の調整とかもやりますけど……。

石黒 最終的な取りまとめとか、最終的に展覧会がどう表現されるのかを設計する感じとか?

金築 そうね、そうなるかな。展覧会の全体を見て、あの要素が足りないんじゃないかとか、これをやっておいたほうがいいとか。そういうのは考えますね。

石黒 予算とかの計算も?

金築 うーん、それを頼まれることもあるけど、あんまり得意じゃないので。そこまではやらないことが多いですね。

――ゲーム業界でいうならば、プロジェクトマネージャー的な立場でしょうか。

金築 そうですね。そんな感じ(笑)。何をやってるのかわからないけど、全体が円滑に回るようにしてる人……かなぁ。関わる期間もまちまちで、一ヶ月程度のものもあれば、パリのマンガ展のときは一年ぐらいかかったり。

石黒 では、特にゲームに関連するものばかりではなく……。

金築 そうね。何でもやる感じかな。依頼のほうも、主催者から直接くることもあれば、コーディネイターや作家さん経由だったり、ホントいろいろです。

ゲーム関連の洋書から得た知識の数々

――さて、そういった様々な展覧会でご活躍なさっている金築さんですが、大堀所長との出会いは?

大堀 うちらがはじめて会ったのって十代ですよね。ぼくが十七のころかな。大体、同じ年代だと思ってたんですけど。

金築 うん、大体ね。

大堀 金築さん、弟さんがいらっしゃいますよね。ぼく勝手に「金築兄弟」って呼んでたんですけど(笑)。弟さんはおいくつなんですか?

金築 昭和40年生まれかな。

大堀 じゃあ、ぼくと同じだ。

金築 うん。

大堀 出会ったときに思ったのは、何でこの人、こんなに洋ゲー(海外のゲーム)にくわしいんだ?ってことだったんですよ。

金築 そう?(笑)

石黒 当時はインターネットなんかないじゃないですか。なのに、なぜ当時、あんなに詳細な海外ゲームの情報を持ってたんですか?

金築 そんなにくわしかったっけ?

大堀 たとえば、アタリの『クリスタルキャッスル』(1983年/アタリ)のワープのやり方とか、やたら知ってるんですよね。当時のぼく、結構いろいろゲームセンターを回っていたつもりなんですけど、他にそういうことを知っている人はいなかった。金築さんだけなんですよ、そういうことを知っていたのは。

金築 ゲームで遊んでると、やり方が出てくるんだよ。

大堀 いやぁ、当時の自分はあんな英語とか読めないですし(笑)。

金築 え、読めたよ(笑)。

石黒 でも、それだけじゃないですよね。他に情報源はあったんですか?

金築 そんなこともあろうかと……。ちょっと資料的なものを持ってきました(笑)。

大堀 マジですか、さすがだ!

金築 当時……ぼくが東京に出てきたのは……『ロボトロン』(正式名称は『ロボトロン2084』で、ウィリアムスの作品)で遊んでた年だから、1982年ぐらいだったかな。

――そのとき遊んでいたゲームから記憶をたぐり寄せるんですね(笑)。

大堀 何で笑うんだよ、うちらはゲーム準拠で生きてるんだよ(笑)。何か思い出すのは、そのときやってたゲームからなんだから!

金築 (持ってきてくださった海外のゲーム雑誌を広げながら)これ「ジョイスティック」って雑誌ね。

今でも大切に保管されている当時の「JoyStik」誌。

大堀 全部、英語で書かれてるじゃないですか(笑)!

金築 うん、ここから仕入れたネタもあるし。

大堀 うちら、当時はこういう雑誌の存在さえも知らなかったんですけど。

金築 ぼくもね、雑誌のコーナーをぶらぶらしていたら『ロボトロン』が表紙になっている本があって、おお、これすげえってなって。そのときは買わずに立ち読みしただけだったんですけどね。

石黒 どこの本屋だったんですか?

金築 「紀伊國屋」だったかな、それとも「イエナ書店」だったかな。

大堀 「紀伊國屋」はわかるんだけど、「イエナ」っていうのは……?

金築 「イエナ」は銀座にあった有名な本屋ですよ。洋書屋さんね。あと、平凡社だったかな。一時期、外国の本を輸入して、無料で好きに読ませてくれる場所を用意してくれていて、そこでも情報を仕入れたこともありましたね。

大堀 そうか……。ぼくらはゲームのことが知りたいならゲームセンターに通うしかないと思っていたのに、本屋によっては、こういうものを置いていたのか。

金築 ぼくは洋書にも興味があって、よくその手の本屋に通ってたから、それで運よく出会えた感じかな。

石黒 こういった洋書の国内版みたいのがあって、ぼくはそっちは見ていたんですけど。本物のほうには、当時は手が出なかったですね。自分にとって洋書は美術書のカテゴリでした。

大堀 それ、翻訳されてるもの?

石黒 そうですね。英文の本物のほうは、かなりあとになってから集めるようになった感じですね。

大堀 あ、これ「JENA(イエナ)」ってシールが貼ってある。88年1月、600円って。

金築 88年か。結構、最近だな(笑)。

大堀 最近じゃないですって(笑)! 30年も前ですって。

雑誌の表紙に貼られた、イエナ書店の値札シール。1988年1月22日のもののようだ。

石黒 これって当時、新刊として海外と発売日があまりズレずに売ってたんですか?

金築 あんまりズレてなかった記憶があるね。

石黒 そうすると、この辺りの雑誌に海外ゲームのことが載っていて、そこから知識や情報を吸収していったと?

金築 そうね。情報だけじゃなく、開発者のインタビューとか。買えるときは買いましたけど、立ち読みだけのときもあったなぁ。お金もあんまりなかったし。ただ、時間だけはたくさんあったから(笑)。

大堀 なぜ金築さんが洋ゲーにくわしいのか、その謎は解けたんですけど、それ以外にもいろいろ聞きたいことがあって。金築さんは、洋ゲーを置いてあるゲーセンについても、ものすごくくわしかったじゃないですか。どこのゲーセンには、あの洋ゲーがあるとか。

金築 まあ、当時、家が池袋にあったから。

石黒 池袋から新宿にかけてはタイトーやシグマ(*02)の店舗が多かったから、輸入されたゲームマシンの稼働は多かったね。

大堀 金築さんは池袋~新宿間のゲーセンによく行ってたんですよね。でも、それ以外の場所もやたらくわしかったじゃないですか。

金築 ヒマだからでしょ、どう考えても(笑)。

大堀 ぼくの場合、ブティック(高田馬場)や歌舞伎町のゲーセンぐらいで、遠征とかはほとんどしなかったんですけど、何か特別な情報網みたいのはあったんですか? それとも、自分であちこち行ってみて、という感じなんですかね。

金築 情報網は……なかったなぁ。ゲーセンに行って、偶然、そこで友だちと出会うことはあったけど、情報交換のために何かした記憶はないかな。

石黒 なぜそこまで海外のゲームに入れ込んでいたんでしょうか。

金築 うーん、おもしろいから……だよね。誰かの影響とか、そういうのは一切なくて、単に自分がおもしろいと思ってしまったから、それについて調べてみたり、遊んでみたり。それだけのことだよ(笑)。

大堀 国産のゲームってあんまり遊んでなかったような……。

金築 いや、そんなことはないよ。ちょっとだけやった。

大堀 ちょっとだけ(笑)。

金築 いろいろやってみて、たまたま自分と外国のゲームの相性がよかった。それぐらいの理由しかないと思うよ。

当時、難易度の高かった洋ゲー

大堀 ぶっちゃけ、当時の洋ゲーってアイデアとかは斬新でおもしろいんですけど、最初から難易度が高いじゃないですか。プレイヤーを初っぱなから全力で殺しに来るっていうか。初見さん即死、みたいな。たとえば『ロボトロン』なんて、よい子はできないじゃないですか。

金築 (笑)

大堀 当時、お金なかったから。洋ゲーって慣れるまでに時間というか、お金がかかるじゃないですか。それがホントにつらくて……。ルールもわかりやすくないし、操作というか、コンパネというか入力デバイスも馴染みのないものが多かったり。操作に慣れるまでに、まず千円は払えよって言われてるようで(笑)。

――おもしろいと思えるようになるまでのハードルが高いってことですね。

大堀 そうそう。

石黒 パターンにハメるというより、ランダム要素が強いのかもね。

金築 でも、そこがおもしろい(笑)。

金築さんの持ってきてくださった海外のゲーム雑誌を見て盛り上がる三人。

石黒 そういえば、『グラビター』(1982年/アタリ)で背景が透明になるようなところまで行かれているって話を聞いたことがあるんですが。かなり先の面ですよね。

金築 ああ、行ったね。最初は普通に重力があるんだけど、12面か13面か忘れたけど、それをクリアすると重力が逆になる。そのあと重力は元に戻るんだけど、背景が見えなくなる。

石黒 見えなくても背景に当たり判定はありましたよね。

金築 あるね。ショットを撃って弾が消えれば、そこに壁があるとわかるんで。

石黒 日本人で当時、そこまで行っていた人、ぼくは知らないですよ。

大堀 ぼく、このゲーム知らないんですけど、どこに置かれていたんですか?

金築 新宿のルナパークにはあったね。

大堀 そうだったんだ……。いやぁ、当時もっといろいろ聞いておくべきだったな。

――お知り合いになったあとも、あんまりお話はされなかったんですか?

大堀 いやぁ、恐ろしくて声がかけられなかったからね(笑)。特に最初のころは、知り合いが話しているところに近づいていって、ちょこっとお話をさせてもらうぐらいで。

金築 そうだね(笑)。

大堀 ぼくは洋ゲーが下手だったし、金築さんは国産のゲームをやってるの見たことないから共通の話題がなくて……。

金築 えー、国産ゲームもやってたよ。

大堀 でも、ぼく見たことないですよ、一回も(笑)。大体、ブティック(高田馬場)の入り口付近にある洋ゲーコーナーにしかいなくて。

金築 そう……だったかもね。

大堀 洋ゲー、むずかしくなかったですか? 特に操作を覚えるまでが……。

金築 続けて遊んでいたから気にならなかったのかな。

石黒 続けて、とは?

金築 たとえばさっきの『グラビター』だけど、あれって『アステロイド』と『ルナランダー』(ともに1979年/アタリ)をくっつけたみたいなゲームでしょ。で、『グラビター』をそれなりに遊んでいると、両方苦労せず遊べるようになるかなって。

大堀 なるほど……。

金築 あと、いきなりうまくなろうとせずに、毎日コツコツと遊んでいたから、それで苦にならなかった部分もあるかな。

今なお語り継がれる名作『マーブルマッドネス』。
北米PS3用ソフト「Midway Arcade Origins」より撮影。
Ⓒ Warner Bros. Interactive Entertainment

大堀 もうひとつ、金築さんと当時、あんまり話ができなかった理由を思い出した。これ、あんまり書かないでほしいんだけど(笑)、当時、厳しい学校に通ってたから、ゲーセンに行けない時期もあって。それでブティック(高田馬場)にも足を運べなくてね。それでようやく行けるようになったとき、ちょうど『マーブルマッドネス』(1984年/アタリ)をみんな狂ったように遊んでて……。

金築 ああ、そういう時期があったね。

大堀 みんな、すごくうまくなってて。もう意味がわかんないような技とかを平気で使っててね。23万点とか、アホみたいな点数を普通に出してるんですよ。ああ、この人たちと一緒にできんと思って、それで余計に話しかけづらくなってたんですよね。

金築 なるほど(笑)。

大堀 最初、名前出てきましたけど、古田くんも洋ゲーがうまくて。

金築 古田くんは、うちの弟と仲が良くてね。あのふたりはゲームがうまい。

石黒 そこに金築さんは入っていないんですか?

金築 いや、ぼくは多少やってた程度で……。

大堀 そんなことないですって! 当時、まだゲームセンターが24時間営業してて、ぼくは八王子に住んでいたんで、夜になると帰って、次の日、またみんなのいるゲーセンに行くんですけど、そうするともう別次元のところまで進んでるんですよ(笑)。何だ、この人たち……おかしいんじゃないか……って。そうやって置いてけぼりを食らってたんで、余計に洋ゲーから遠ざかった感じがありますね。

石黒 金築さんは、ハイスコアを競おうという気持ちはなかったんですか?

金築 いや、それはないなぁ。うまくなりたい。そうすれば先が見られるから。そういう感じだったと思う。

大堀 えー、そうかなぁ(笑)。だって、ブティック(高田馬場)以外でも「UGG」(金築さんのスコアネーム)って見たことあるよ!

金築 他の人が誰もやってないからだよ(笑)。海外のゲームって、当時からハイスコアがバックアップされてることもあるし。『アステロイド』だってあったね。

大堀 ああ、そうか。だから、行く先々で「UGG」を見たのか(笑)。いろいろ謎が解けてきたなぁ。日本だと、当時はそういうのなかったからね。

石黒 任天堂とコナミは1982年ぐらいからやっていたと思いますね。

大堀 今にして思えば、金築さん兄弟がブティック(高田馬場)に来るようになってから、洋ゲーをがっつり置くような文化ができたような気がしますね。他の常連も、金築さんに刺激されたのか、洋ゲーでハイスコアを競うようになって。

――海外ゲームの伝道師的な?

大堀 そうそう。それで他の店では考えられないぐらいインカム(売り上げ)が上がった(笑)。でも、よく考えたら『クリスタルキャッスル』とか、あんまりおもしろくなかったような……(笑)。

金築 いや、おもしろかったでしょう。何で他のお店に入らないのか不思議だった。

大堀 えー、そう? ぼくにとっては『クリスタルキャッスル』と『ピーターパックラット』(1985年/アタリ)は二大苦手ゲームで……。

金築 『ピーターパックラット』は、ねえ(笑)。音はよかったんですけどね。

大堀 金築さんから『ピーターパックラット』が苦手だって聞けたのは、今日一番の収穫かも(笑)。

金築氏と石黒氏の出会い

――では、話が変わりますが、金築さんと石黒さんの出会いを。

金築 はじめて会ったとき、石黒くんってすごいちっちゃかったよね。

石黒 そうですね、今からしたらガキんちょだったしね。当時、自分はゲームにくわしいつもりでいたんです。でも金築さんと話したら、知らない世界のことばっかりで、それでかなり驚いて。ああ、この人はめちゃくちゃ頭のいい人だなぁって感じました。

金築 いやいや、そんなことないよ。

石黒 日本のゲームはそれなりに調べられても、海外のゲームはまだ体が小さかった頃に稼働してたのが多くて、アップライト筐体は背が届かないというか、近寄りづらいオーラがあった。あと海外のものは1プレイ100円で、しかも安くならない。『センチピード』(1980年/アタリ)は後発のサンリツ版(日本のメーカーのサンリツ電気がライセンスを取得した)なら駄菓子屋で20円でプレイできたんですけど、『クリスタルキャッスル』は同じサンリツ版でもなかなかプレイできなかったり……。それで、もっと海外のゲームのことも知りたいんだけど、どうしたらいいですか、と金築さんに相談したんです。

大堀 それで石黒くんは金築さんからアドバイスをもらって、海外から基板とか資料を取り寄せたりするようになったんですね。

金築 いやぁ、ぼく自身はそういうこと、したことないんだよね(笑)。

大堀 え、やったことないのにアドバイスしたの(笑)?

石黒 自分はインターネットが普及する前は、ニュースグループでマニア向けの記事を読んで情報収集をしていたんですね。でも、どうしたら業者しか持っていないようなフライヤーとかの資料を集められるのかがわからない。しかも英語がしゃべれないし。それで金築さんに何かいい方法ないですか、って相談したんですね。

――それで、どんなことを教わったんですか?

石黒 しゃべれないならFAX買えばいいじゃん、と。

金築 え、そんなこと言った(笑)?

石黒 はい。それで、その足でFAXを買いに行ったんです。

大堀 行動が早い(笑)。

石黒 そのときに、業者の住所はこれに載ってるよって海外の……アメリカとかイギリスの業界誌を何冊かくれて、そこにFAXしてみればってアドバイスももらいましたね。

金築 そうだったんだ。

石黒 それでもう手当たり次第に業者にFAXしまくって、そうしたらいくつかの業者が反応を返してくれて、資料を取り寄せることができるようになったんです。なので、あのときに金築さんに教えてもらわなかったら、資料を集めるのも相当遅れていたと思います。

金築 役に立ててよかった(笑)。

金築さんとの久しぶりの再会に笑顔が溢れる石黒憲一氏。

石黒 ぼくが海外の業者とコンタクトを取ったとき、「あ、お前、日本人なのか。俺は日本のアニメが好きなんだ」なんて返信があったり、真夜中に電話が鳴って、受話器を取ったら海外の方からマシンガントークがはじまって対応できなかったり。まあ、いろいろありましたね。

金築 最初はそうだよね。

石黒 で、このままじゃダメだと思って、電子辞書を買ってきて。それですごい世界が広がりましたね。

――金築さんは洋書などを海外から取り寄せることはあったんですか?

金築 高校生のころかな。「スターログ」(*03)とかスヌーピー(*04)関連の雑誌とか、そういうのは取り寄せたことはあった。中には買いたくても買えなかったものもありましたね。

――それは、どういったものですか?

金築 ぼくが中学とか高校のとき、ロケットが流行ってたんですよ。ロケットを自作して打ち上げることができる。そういうキットが海外で売ってたんですね。それが買えずに、がっくりしたことはよく覚えてます。

――それは「モデルロケット」と呼ばれているものですか?

金築 そうそう、それです。

大堀 いろいろと手を出されているんですね。

金築 おもしろそうとか……興味を持ったら、まずやってみる性格なんで(笑)。

次回予告

東京は高田馬場を拠点として、海外ゲームのインフルエンサー的役割を果たした金築氏。次回は、溺愛する『ロボトロン2084』(1982年/ウィリアムス)について、そして現在夢中になっているタイトルについて伺った。
乞うご期待!

金築浩史 氏

1962年、島根県生まれ。80年代アーケードのテレビゲームにどっぷりはまって、81年初頭に『ディフェンダー』に衝撃を受ける。そのまま上京してから海外の見たことのないゲームに心酔。とくにWilliams社のゲームが好み。
91年から展覧会の仕事をはじめ、展覧会エンジニアとして従事、通常は新宿のICC、メディア芸術祭など、メディアアートの展覧会に関わる。時々、天保山のビットジェネレーション、miraikanのGAMEONなどゲームに関われてうれしい。

脚注

脚注
01 2002年のイギリス・ロンドンを皮切りに世界中を巡回したビデオゲームの企画展。日本では2016年3月2日から同年5月30日まで、日本科学未来館にて開催された。『PONG』(1972年/アタリ)などのレトロゲームからプレイステーションVRなど最新のゲームまでを取り扱い、話題となった。
02 アミューズメント施設の運営やゲーム開発を行っていた会社。ここでは「ゲームファンタジア」など、当時運営していたゲームセンターを指す。メダルゲームマシンの運営法を広めた。現在は株式会社KeyHolder。社名を変更してからゲームセンターは、「アドアーズ」へと移行された。
03 1976年に創刊されたアメリカの月刊雑誌。主にSF映画を扱っていた。日本版も1978年に刊行が開始され、「スターウォーズ」や「エイリアン」といったSF映画の情報源として注目を集めた。
04 アメリカの漫画家、チャールズ・モンロー・シュルツによるコミック「ピーナッツ」に登場する犬。日本ではコミックとしてではなく、キャラクターが一人歩きして人気を博している。

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