見城こうじが訊く ハイスコアラー、お気に入りの一作を大いに語る 第一回「メタルホーク」前編
G.M.C.えるす氏 おしむら氏 ダブルインタビュー
一本のゲームに絞って、当時遊びこんだ、もしくは今なおプレイし続けているプレイヤーの話をお聞きすることで、そのゲームを深く掘り下げるとともに、昔のゲームセンター事情も振り返っていく新企画です。
第一回は『メタルホーク』(1988年/ナムコ)を採り上げてみました。
【聞き手】
見城こうじ
お二人のゲームプレイヤーとしての歩み
―― 今回、『メタルホーク』をこよなく愛し、当時のみならず、現在に至るまでプレイされ続けているというお二方に集まっていただきました。本日はよろしくお願いします。
まず『メタルホーク』のお話の前に、お二人がどんなゲームプレイヤー人生を歩んできたかを聞かせていただきたいと思います。
えるす 学生時代は、主に福岡の「モンキーハウス本館」というゲームセンターで遊んでいました。おしむらさんの話とも絡んでくるので、くわしくは後ほど……。
―― 「モンキーハウス本館」は有名ですね。当時、非常にレベルの高いプレイヤーが集っていました。
おしむら ぼくは高校までは岡山の倉敷にいまして、どっぷりゲームにハマっていました。近所にナムコの直営ゲームコーナー「ナムコランド」があって、まさにナムコゲーム大好きっ子でした。大学進学を期に山口に引っ越しまして、そこでゲーム好きの友人がたくさんできたので、ゲームサークルを作ったりして、さらにハマった感じです。「TUC」というサークル名でした。
―― 1980年代、ゲームセンター仲間でサークルを作るのが流行り始めましたね。
おしむら で、この「TUC」がさらに近隣のゲームセンターの常連と徒党を組み始めるんですよ。「NJP」っていうんですけど。だから、ぼくらのハイスコアネームは「NJP-TUC-○○○○」みたいになってました。○○○の部分が個々人のスコアネームです。NJPは「日本ジャパンパイナップル」の略です。
―― (笑)。みんなでよく集まっていたゲームセンターの名前は覚えていますか?
おしむら いろいろ変遷はあるんですけど、多かったのは「ウィルトークタイトー山口」かな。あと「キャンパスタイトー」というお店もありましたね。とにかくタイトーのお店が多かったんですよ。
―― こちらのえるすさんとは長いお付き合いだと聞きましたが、どこで知り合ったのですか?
おしむら TUC副会長の「SET」さんという人が横のつながりを作るのが好きで、あちこちのお店に電話連絡しては知り合いをどんどん増やしてくるんですよ(笑)。それで「次はみんなで福岡の「モンキーハウス」に行ってみようぜ」って話になったんです。あそこに行けばG.M.C.に会えるぞって。そこにえるす氏がいたわけです。
G.M.C.といえば本当に「ベーマガ(マイコンBASICマガジン)」のハイスコアコーナーの常連で、ぼくら山口のメンバーは羨望のまなざしで見ていたんですよ。何でこんなとんでもない記録が出せるんだって。
―― 山口と福岡ってけっこう距離がありますよね。間に海もあるし。
えるす 関門トンネルから行くか、橋の上の高速道路を通っていくかの二択ですね。
おしむら 仲間の誰かに車を出してもらって行くんです。高速道路で2時間ぐらい、トンネルだと4時間ぐらいですかね。
えるす その次は逆に、福岡のメンバーが山口に遊びに行ったりするわけですよ。そうすると、ギャグの塊みたいなすごくおもしろい人がいたりして、いろんな人がいるなあって。
―― G.M.C.はどんなサークルだったんですか?
えるす ゲーセン仲間同士の緩いつながりみたいな感じでしたね。会長が下関出身の森山(スコアネーム:XVI)という人で、彼が『スーパーゼビウス』(1984年/ナムコ)ぐらいの時代に福岡に出てきたんですよ。それで『ギャプラス』(1984年/ナムコ)が出たころにぼくと知り合って、一緒にゲームサークル作ろうよって話になったんです。そのとき、後のハイスコアラーとして有名な「めぞん一刻」もいて。
そこで、ぼくが中心になって身内に向けた会報を作っていました。「メンバーの家に20人ぐらいで押しかけて、そこで『バルーンファイト』を徹夜でやった」とか「山口に遠征して、朝起きてみんなでパンを買って、そのままゲーセンに行った」みたいなことを毎号書くんですよ。そのころには支部が5か所ぐらいできていて。
おしむら いわゆるガチガチのハイスコア(を目指す)集団ではないということですよね。それはぼくらのところも一緒でした。
えるす そう、人とのコミュニケーションを楽しむのがメインでしたね。
ハイスコアの話でいうと、基本的にはおもしろいからそのゲームを遊ぶわけで、そのゲームのスコアシステムがまっとうによくできていれば、しゃぶり尽くすまでの寿命が長くなって、結果ハイスコアが出た、という流れだったと思うんですよね。もちろん、ハイスコアを狙うのをメインにしていた人もいましたけど。
おしむら 自分が全一(全国一位)を狙ったゲームっていうと『フルスロットル』(1987年/タイトー)かなあ。
―― タイトーのレースゲームですね。渋いところを攻めますね。
おしむら 当時、『アウトラン』(1986年/セガ)が流行っていたんですけど、山口にセガの店がなかったんですよ。それで『アウトラン』がどこにもなくて……。
―― そういう理由(笑)。
おしむら がんばってプレイしましたけどね(笑)。
それはさておき、当時は西日本全域でゲームファンの交流があったと思います。他にも宮崎、岡山、愛媛、大阪とか。互いに遠征したり、電話で情報交換したりしていました。
えるす ぼくもそうなんですが、どのサークルにも電話好きがいて、延々電話で雑談していました。
―― ゲームセンターに行けば会えるのに、何でみんな電話していたんでしょうね?
えるす お店が閉店した後、さらに話したくて夜に電話したり、あと新製品がなくて遊ぶゲームがなくなった時期は早く帰宅するんで、それで電話で話し始めるということもありましたね。
おしむら やってましたねえ。大体、出だしは「あのゲームのあのスコア、どうやって出したんですか?」みたいなところから始まって……。
えるす ぼくはそういうの一切なくて、ひたすら雑談でした。
おしむら へえ。
―― あのころはネットがないから、ゲームサークルの人たちはひたすら電話で連絡を取り合っていましたね。私もしばらく前に仙台のゲームサークルの「SPREAM」の人たちと話す機会があって、当時一か月の電話代が5万円を超えて親に怒られたことがあった、なんて言ってました。
おしむら 交流を広げるとき、最初は「ベーマガ」や「ゲーメスト」に掲載されているお店に直接電話をかけて、「スコアラーの○○さんいますか?」って取り次いでもらうんです。あとはそこからネットワークを広げていく。
―― あー、ありましたね、そういうの。私も「プレイシティキャロット巣鴨店」(現在の「namco巣鴨店」)でアルバイトしていたとき、ゲーマーから電話がかかってくることがありました。今にして思うとすごい話ですね(笑)。
えるす 「モンキーハウス」でいうと、卸業者もバイトもゲームファンで、みんな身内みたいな感じでしたね。もう店を占領していましたもの。
でも、そうやってみんなが集まる店になって、売り上げが倍増したんですよ。頼み込んで1ゲーム100円から50円にしてもらったんですけど、そのおかげで周囲の学校の生徒がみんな来るようになって、プレイ料金下げたのに売り上げが増えたという。
―― ゲームファンが集まる店は活気がありましたよね。
えるす 当時の「モンキーハウス」で有名だったスコアラー名を挙げると、「N.K」「HSA」を筆頭に、あと「やちょ」とか、すごく突き詰めた研ぎ澄まされたプレイをするヤバいやつらがいたんですよ。
―― 「ベーマガ」の「チャレンジ! ハイスコア」コーナーでよく見た名前ですね。覚えています。
えるす 彼らそれぞれが全国トップクラスや、ダントツレベルになると、本当にそのプレイが美しいんですよ。見てて洗練されているのがわかる。
たとえば、「あとま」っていう『サイバリオン』(1988年/タイトー)がうまいプレイヤーがいたんですけど、見ごたえがありましたね。ものすごい勢いで進んで、ものすごい勢いで止まって、ものすごい勢いでいろんな方向にブレスを吐いて……確か、全一にもなったんじゃなかったかな。
それから、「HSA」がプレイする『パックマニア』(1987年/ナムコ)も気が狂うほどおもしろかったですよ。あれはパターン化しようとしてもフレーム単位でズレていくので、アドリブプレイが要求されるんです。敵のモンスターが5匹ぐらい並んで突っ込んでくるのを、その行列のわずかなすき間にジャンプして着地したり、敵が反転するタイミングを覚えていてうまくジャンプするとか、もう芸術的なんですよ。
―― 「モンキーハウス」の当時の熱気がちょっとわかってきた気がします。
えるす 個人的に思うのは、新しいゲームを遊ぶときの最初の何ゲームかって「投資」なんですよね。わけわからないうちにやられて百円を吸い込まれていくけど、おもしろいことを信じて遊び続けるわけです。それで、あるところまで遊ぶとゲームの仕組みがわかっておもしろくなってくる。そうすると、せっかく投資したわけだから、そのゲームをずっと遊び込んで「回収」したいわけです。
だけど、基本的には最後までクリアしたら終わりとか、パターン作ったら終わりというゲームがほとんどだから、「投資」したけど、味わうところがなくなって、残念に思いながら別のゲームに移るんです。表現が適切かわからないですけど。
―― いや、よくわかりますよ。
おしむら そういう意味では、今回のテーマである『メタルホーク』って、ぼくたちまだ全然回収しきってないんですよ。
えるす そうそう(笑)。
おしむら えるす氏との出会いの話に戻るんですけど、ぼくが初めて「モンキーハウス本館」に行ったときに、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら『メタルホーク』を遊んでいる変わった人がいたんですよ。
その直前ぐらいに、ぼくも『メタルホーク』をクリアしていて、1万1千点ぐらいの記録を出してて「もしかして俺超うまいんじゃね?」とか思っていたんですけど、彼のプレイを見たら、もう違うゲームなんですよ(笑)。自分とまったく違うプレイ方法で、クリア時のスコアも確か1万3千点ぐらい行ってて、何だこれはと。それがえるすさんでした(笑)。
―― ついに今回のテーマのゲームと話がつながりましたね! では、いよいよ『メタルホーク』の話に進みたいと思います。
『メタルホーク』とはどんなゲームなのか?
―― まず当時の時代背景として、『メタルホーク』の発売は1988年末なのですが、このころって体感ゲームブームで、セガが多くの体感ゲームを発売していたんですよね。『アウトラン』とか『アフターバーナー』(1987年/セガ)とか。体感ゲームというのは大型筐体もので、筐体が動くゲームのことをそう呼んでいました。
それに対して『メタルホーク』はナムコが出した体感ゲームとしては2作目に当たります。1作目は『ファイナルラップ』(1987年/ナムコ)ですね。
おしむら ああ、このときまだ第2弾だったんですね。
―― 戦闘ヘリという題材については、1983年に『ブルーサンダー』という映画がありました。さらに『エアーウルフ』というテレビドラマがあって、これが日本で始まったのが1986年です。そして、セガの戦闘ヘリものである『サンダーブレード』の発売が1987年でした。このころ、そういう戦闘ヘリブームが背景にあったんだと思うんですね。
おしむら ぼくらとしては、たまたま好きになったゲームが戦闘ヘリものだったというだけですね(笑)。
えるす ゲーセンにしか行ってないのに、そんな映画やドラマ観てるわけないじゃないですか。
―― (笑)。でも、作る側は恐らくそういうものに触発されて作っていたと思うんですね。
次にゲーム内容ですが、真上からの俯瞰視点で、スロットルレバーで自ヘリの高度をアナログに変更できるという、非常に珍しいタイプの遊びでした。
操縦桿でヘリを操作して、対空/対地攻撃を駆使することで敵を倒し、GP(スコア)を獲得していく。そして、制限時間内にVP(ヴィクトリーポイント)と呼ばれるノルマスコアに到達すればステージクリア……というルールですね。
対空ショットは同じ平面上にいる空中の敵への攻撃で、対地ショットは地上物への爆撃。有名なゲームでいうと『ゼビウス』(1983年/ナムコ)のような感じでしょうか。
移動は、前後移動と左右旋回。つまり左右に直接移動することはできないわけですね。そして、自ヘリの進行方向に合わせて背景が回転するというのも大きな特徴です。当時としてはまだ珍しかった、BG(背景)の回転機能を持ったハードが使われていました。
おしむら 俯瞰で高度が変わるゲームとしては、この少し前に同じくナムコの『アサルト』(1988年/ナムコ)もありましたね。
―― データイーストの『ザビガ』(1984年/データイースト)、そして『B-ウィング』(1984年/データイースト)というゲームもありました。
えるす どちらかというと、一番近い感覚はコナミの『A-JAX』(1987年/コナミ)の、海に浮かぶ敵の戦艦に向かって上から突っ込んでいくシーンなんですよ。
―― はい。同社で没になったゲーム『急降下爆撃隊』のようなシーンですね。これもBGの回転と拡大縮小機能を使って表現されていた。
おしむら 『急降下爆撃隊』、ありましたね(笑)。
えるす あの感覚を自由に操れるというのが『メタルホーク』の本質なんですよ。“鷹の目”になって敵を探して襲いに行く感覚が最高なんです。
―― それまでにあった俯瞰で高度を変えられるゲームは、どれもデジタルな高度の切り替えしかなかったり、自由に切り替えられなかったりで、それらとは違うということですね。
えるす 敵を「見つけた!」ってところで、スロットルをガッと下げるのがメチャクチャいいんですよ。
おしむら そこで「ヤバい!」と思ったらまたスロットルを引いて、高度を上げて逃げるとか、ヒット&アウェイが楽しめるんです。本当に今遊んでもメチャクチャおもしろいゲームです。
えるす おもしろいよねえ。何でこんなにおもしろいんだろうねえ。
おしむら いろんな人からよく聞かれる質問で、「今までで一番おもしろかったゲームは何ですか?」って言われた瞬間に「メタルホーーク!」ってデカい声で答えますからね。
えるす 一択だよね。
おしむら これだけ長い間遊んで、いまだに攻略の余地が残ってるんですよ。それがすごいじゃないですか。
えるす 「さあ、やるか」って、筐体の椅子に座るじゃないですか。そこで座布団が敷いてある店の場合は、まずその座布団を整えるわけです。で、姿勢を正して心を整えて、操縦桿とスロットルをつかんで1秒ぐらい準備運動するんですよ。
おしむら やります、やります(笑)。
えるす で、ポケットから百円玉を取り出してコインシューターに入れるとき、ちょっとドキドキするんです。そこで百円玉を入れると「チャリーン」って音がして、このゲームはスタートボタンがないのですぐ始まるんです。そこで鳴る「ギュイーーン」ってSEでアドレナリンがビューッて出るんですよ。
おしむら 「勝利ポイント表示 タイム表示」ってナレーションのところでコンセントレーションを高めていって、「メタルホーク発進!」って声を聞いたところで「行けえええ!!」って感じで飛び出していくんです。
えるす 始まって最初の瞬間に目の前に敵がいるんですけど、このゲームってここでいきなりミスるんですよ。どういうことかというと、アナログ操作で自由度が高いがゆえに、理想的な振る舞いが常にできるとは限らなくて、最初の1フレーム目からが勝負なんです。
で、そこから終わるまで息つく暇が一切なくて、ステージ1が終わったときの得点が毎回なぜか百点ぐらい違ってて、そのたびに一喜一憂するんですよ。「ああ、今日は体調が悪いな」とか。
おしむら そうそう(笑)。「ダメだ、これはあああ」って。
えるす でも、1面目でもそれだけブレがあるから、逆に、後のステージでも巻き返しができたりするんですよ。
―― のっけから熱いですね(笑)。
もう少しルールについてくわしく聞かせてください。敵を破壊するとGPが入り、ノルマのVPに到達するとクリアになりますが、このGPというのは何を破壊しても加算されるのですか?
おしむら はい。考え方はスコアと一緒です。たとえば、市街地のちっちゃい建物を壊すと2点とか4点しか入らないけど、30点の戦車がいたりして、配点が違っているわけです。
―― 配点の低いターゲットばかり撃ってると、時間がかかり過ぎてタイムボーナスが低くなったり、時間内にVP到達できない、みたいなことになってしまうわけですね。
おしむら そうです。
―― それから、このゲームはフィールドが全方向に広がっていて、どちらへ進んでもいいわけですが、画面上にジャイロ(矢印)が表示されますよね。あれは何を意味しているのですか?
おしむら あれは初心者向けのナビゲーションです。この方向に高得点のターゲットがありますよ、ということを示しています。基本は地上物を指すのですが、例外として空中戦艦も指し示します。
―― では、ジャイロどおりに進んで敵を破壊していけば、基本的にはクリアできるということなんですね。
おしむら まあ、そういうことですね。
えるす ただ、基本的にはそうなんですけど、なぜか安い10点の地上物を指し示すこともあって、よくわからないんですよ。たぶん、一番近くて一番高得点の敵を指しているんだとは思うんですけど。
―― 地上物や空中物とのヒット判定についてですが、自ヘリは空中物にぶつかるとやられてしまいますよね。高度を下げすぎて地上物にぶつかったり、地表に激突することはないのですか?
おしむら ないです。スロットルを下げ切っても地表に激突したりしない。すごく良心的な設計なんですよ。
ステージクリアの瞬間の数秒間が熱い!
―― GPとVPについて、もう少し掘り下げていきたいのですが、このゲームってVPに到達したらその瞬間にステージクリアになるわけではなく、そこからクリア演出で操作不能になるまでの間に数秒の猶予がありますよね。その間にも敵を撃破してGP、つまりスコアを稼ぐことができるのですね?
えるす・おしむら そこが最重要なんです!!
おしむら そういう(最後にGPを稼げる)攻略ルートを作るんです。
―― VPに到達した瞬間から正確に何秒で操作不能になるって決まっているんですか?
えるす 決まってます。
おしむら オペレーターから「帰還せよ、帰還せよ」って通信が入って、クリアミュージックが「タカタタン タカタタン タンタンターン」って鳴って終わるから……。
えるす 2~3秒だと思います。この2~3秒のカタルシスのためにすべてを注ぐゲームです。
―― VPに到達した直後にそのままたくさん稼げる場所を探して、そこに勝負を賭けるということですね。
えるす そうです、そうです。
おしむら その美しさを競うゲームですね。
えるす これが最っ高におもしろいんですよ。
―― 高得点ルートは、どうやって見つけていったんですか?
えるす このゲームの難しいところって、まず背景が回転するじゃないですか。しかもアナログデバイスで移動方向が微妙に変わる。そうすると、操作しているうちにどっちを向いているかわからなくなるんですよ。
そこでナビゲーションの矢印が出るから、ついそっちに誘導されちゃうんですけど、もちろん、それがまあまあ正しいルートなわけですよ。だから、大抵の人はそのとおりにプレイするんです。
そこで、さらなる高得点を目指すために、「もっといいルートがあるんじゃないか?」って、100円使って試しに普段と違う方向に進んでみると、あっという間に迷子になる。海の上なんか飛んでいると、もうどこに何があるかまったくわからない。つまり、パターンがすごく作りにくいゲームなんですよ。
おしむら ぼくもプレイしていて、いまだに迷いますもの。
えるす だから、みんな似たようなルートをトレースしがちなんですよね。パターンの模索がしにくいんです。
―― 開発者側としては、そういう作りにするしかなかったのかもしれませんね。そのままだと自由度が高すぎるゲームなので、とにかく矢印のとおりに動けば何とかなるよと。
えるす そうかもしれません。
―― でも、えるす氏はそこで一歩抜きん出て、当時ハイスコアを出していったわけですよね?
えるす それは執念です(笑)。開発者の意図を読みながら、人のやらないことをひたすら模索するという。
―― 言われて気づいたのですが、このゲームって直近のターゲットを教えてくれる矢印は出るけれど、全体のレーダーマップはないですね。こういう広いマップのゲームって、全体マップが出ることが多いのですが。
おしむら 今、自分がどの辺にいるかというのは出ないですね。
えるす 全体マップがあると、一瞬で最適解が出て終わってしまうと思います。
―― これも基本的な質問ですが、自分が死んだとき、そのステージで稼いでいたGPは引き継がれるんですか? それともリセットしてやり直しになるのですか?
えるす 引き継がれます。
おしむら 残りタイムも引き継ぎになりますが、残り40秒を切っていたときは40秒まで戻ってくれます。
えるす ちなみに、自分が死ぬとグルグル回りながら落ちていくんですけど、その最中も弾が発射できるので、空中物も地上物も撃てるんですよ。このときにうっかりノルマクリアしちゃうとヤバいんです。
おしむら そうそう。最後に稼ぐはずのスコアを稼がずにステージが終わっちゃうから、もう目も当てられない。
えるす たとえばノルマ700だったら690で止めるよう計算して撃ってるんだけど、なぜかそこにもう1機空中物がペロッと現れて、それも撃っちゃって台無し、みたいな。もうすべてのときに気が抜けないゲームなんですよ。
次回予告
次回は『メタルホーク』の可動筐体としての魅力、そして、他に類を見ないタイプの疑似3Dゆえの独特の仕様やキャラクターの挙動の話に踏み込んでいきます!
©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
神江豊(G.M.C.えるす)氏
幼稚園児のころから毎日アーケードゲームをデパート屋上やボーリング場で遊び倒し、学生時代は福岡のゲームセンター「モンキーハウス」を根城にG.M.C(ゲームメイトクラブ)というサークルを運営。各地のゲーセンゲーマーと電話で連絡を取りつつサークル会報を編集・発行し交流を広げた。
株式会社ナムコ(現バンダイナムコ)に就職後、ビデオゲーム企画開発を手掛けつつ、日吉のゲームセンター常連となる。現在は独立し企画会社を経営しつつ、学生時代のゲームセンターとコミュニティを懐かしんでいる。
おしむら氏
学生時代を岡山~山口で過ごし、ゲームとゲームミュージックにハマる人生を過ごす。株式会社タイトー勤務後、現在はフリーに。ゲームミュージック&テクノコピーバンド「O.T.K.」のKey担当。今年結成25年目を迎える。