見城こうじが訊く ハイスコアラー、お気に入りの一作を大いに語る 第四回「グラディウスII」前編
目次
まんサマ氏、花岡氏、TZW氏 トリプルインタビュー
一本のゲームに絞って、当時遊び込んだ、もしくは今なおプレイし続けているプレイヤーの話をお訊きすることで、そのゲームを深く掘り下げるとともに、昔のゲームセンター事情も振り返っていく企画、第四回は『グラディウスII』(1988年/コナミ)です。
今回お招きしたまんサマ氏、花岡氏、TZW氏は、その全員が『グラディウスII』の一千万点達成者です。まんサマ氏、花岡氏のお2人は、全国1位としてゲーメスト誌に名前が掲載されたこともある強者であり、TZW氏は秋葉原のトライアミューズメントタワーの元店員、そしてアーケードアーカイブスへの協力者としてもその名が知られています。今回のインタビューもTZW氏のご自宅にお招きいただき、そこで行なってます。
前・中・後編の3回に渡り、全国トップを取るまでのドラマ、そしてさまざまな攻略や熱い想いを語っていただきます!
【聞き手】
見城こうじ
アルファ電子の話題も! 1980年代の埼玉ゲームセンター事情
―― 今回お集まりいただいたお三方ですが、皆さん地元が埼玉だったとお聞きしています。主にどの辺りのエリアだったのでしょうか?
まんサマ ぼくは浦和から大宮の間ですね。
花岡 ぼくは大宮から上尾です。
TZW ぼくも大宮から上尾です。メインは上尾だったんですけど。だから、ぼくと花ちゃん(花岡さん)は交流があったのですが、まんサマさんのことはぼくが一方的にお名前を知っていただけで、当初は交流がありませんでした。
―― 他県の人にはわかりにくいかもしれませんが、浦和、大宮、上尾は距離的に近いのですか?
一同 近いです。電車で1駅2駅という距離です。
まんサマ ただ、高崎線なので2駅で10キロぐらいあります。
―― よく行かれていたゲームセンターの名前は覚えていますか?
まんサマ 浦和だと「サム」、大宮だと「ハイテクセガ大宮」ですね。
TZW 当時ときどきあったと思うのですが、ハイテクセガ大宮はプリペイドカードでゲームが遊べたんですよ。500円分買うと1プレイ分得するというのがあったりして。
―― プリペイドカードはタイトーなどでもありましたね。
TZW それとハイテクセガ大宮には、当時珍しかったハイスコアボードが設置されてたんです。階段の脇にあったのをよく覚えてます。そういう理由もあってか、うまい人が多かったんです。だから、ハイテクセガ大宮がこの3人の接点といえるかもしれません。
花岡 ぼくも家から近かったので、高校時代はほぼハイテクセガ大宮に入り浸っていました。その後、専門学校に進んだときに、上尾のタイトーのお店にアルバイトに行きまして、そこでTZWくんと出会ったんです。
―― 上尾というとゲームメーカーのアルファ電子(後のADK)の社屋があった場所ですね。
花岡 アルファ電子で働いてた人とも知り合いでした(笑)。そのタイトーのお店によく遊びにいらっしゃる人がいて。
TZW 上尾にはほかにも「宇宙館」というゲームセンターがあって、そこでよくADKの新作をロケテストしてましたね。
まんサマ 当時、大宮から上尾に向かって旧中山道を自転車で走ってると、アルファ電子の看板が見えたんですよ。デカいボーリング場を過ぎた交差点の先辺りに。
―― まさに上尾らしい素敵なエピソードばかりですね(笑)。私も学生時代に一度アルファ電子を訪問して、温かく迎えていただいたのを覚えてます。上尾はそれでとても印象に残っていて。
TZW 宇宙館は上尾と宮原と桶川に店舗があったんですけど、桶川に住友さんというプレイヤーがいて、宮原には花岡さんがいて、あと上尾に私ともう1人柏田さんという人がいて、「その4人で宇宙館四天王だ!」なんて痛々しいことをいったりしてました(笑)。
花岡 まあ宮原もちょこちょこ行ってましたけど、ぼくもそのころのメインの拠点は上尾でしたよ(笑)。
まんサマ 宇宙館は当時かなり”強い”お店で、最新ゲームがよく入ったんですよ。大型筐体ものもよく置かれたし、基板ものはほぼ入ってました。普通に『Do! Run Run』も入ってたものね。
―― 後に『スーパーピエロ』(1987年/ユニバーサル)の名前で発売されたゲームですね。
まんサマ 宮原の宇宙館でゲームサークル「闘幻狂」の人がプレイしてて、いきなりすごいスコアを出してるのを目撃したこともあります。
―― 後にカプコンでヒット作を出された西谷さんと竹中さんが所属してたサークルですね。
まんサマ 内心「やっぱり闘幻狂の人はすげえ」と思いながら、平静を装って見てました(笑)。
―― その辺のお店はやはり当時1プレイ50円でしたか?
花岡 そうですね。圧倒的に50円のお店が多かったです。ただ、ハイテクセガ大宮だと新台は大体100円でしたね。
TZW 当時はいわゆる「駄菓子屋ゲーセン」のような場所も多くて、そういうところでは20円30円なんてこともありましたね。
花岡 大宮でもう一軒思い出しました。西口に「白鳥」ってお店があって50円でしたね。そこでもよくプレイしてました。
まんサマ あー、あったあった。100円の店は高貴過ぎて、俺らのような小僧の行くところじゃなかったです(笑)。学生時代に昼飯代を切り詰めて切り詰めてゲーム代に全振りしてたぐらいですから。
―― 皆さんはいつごろからアーケードゲームを遊んでましたか?
花岡 ぼくはたぶん『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)からですね。小学校2年のころだと思うのですが、駄菓子屋にアップライト筐体が置いてあって、それもボタンで操作するタイプで遊んでました。10円でプレイできたんですよ。
―― 2つのボタンで砲台を左右に操作する初期タイプですね! すぐにすべてレバー式に改造されてしまったので、それはとても貴重な体験ですね。
まんサマ ぼくもインベーダーはプレイしてました。小学1年生のときですね。
TZW ぼくは2人より少し年下なんですけど、自分の記憶は「ゲーム喫茶」ですね。父親の仕事場のそばにゲーム喫茶があって、そこで父親と一緒に『ドンキーコング』(1981年/任天堂)をやった記憶があります。あと、当時は団地に住んでたんですけど、その裏がインベーダーハウスでしたね。それから、当時は本屋さんの一角にプレイ料金の安いゲームが置いてあったりもしました。
まんサマ 「駄菓子屋テーブル」とか「駄菓子屋アップライト」とかいわれてた気がします(笑)。
TZW 『スペースインベーダー』の筐体なんだけど、中には違うゲームが入ってたりして、ショックだったのは『パックランド』(1984年/ナムコ)で、右上の1Pスタート部分にレバーが生えていて、2Pスタート部分でジャンプさせるものがあって、この配置で遊べってどういうことって(笑)。
まんサマ 自分が駄菓子屋で見て一番衝撃的だったのは、白黒の『ペンゴ』(1982年/セガ)ですね。古いモニタをそのまま使ってたらしいのですが、見てて気持ち悪くなってきて(笑)。
―― 皆さん、そうした創成期から年々進化していくアーケードゲームを見てきて、1985年には画期的なゲーム『グラディウス』(1985年/コナミ)と出会い、そして今回の本題である『グラディウスII』(1988年/コナミ)に至るわけですね。
初代『グラディウス』、そして続編の『沙羅曼蛇』『ライフフォース』
―― 『グラディウス』は本当に画期的でした。キャッチコピーが「1・9・8・5 ウチュウがまるごとやってくる」、メーターでパワーアップをマネージメントするという考えかた、自分の武器の長いレーザーやオプションという概念、多関節キャラが出てきたリ、ステージのバリエーションも豊富で、さらに2周目以降の高難易度、すごくインパクトがありました。
そして、その続編として『沙羅曼蛇』(1986年/コナミ)、『ライフフォース』(1987年/コナミ)と続き、『グラディウスII』に至るわけです。
まんサマ 当時、ゲームセンターに通い詰めてるような人間で『グラディウス』を無視できるプレイヤーなんて、まずいなかったと思います。本当にみんなやってたんじゃないかな。
―― 皆さん、『グラディウスII』までのシリーズも全部やってこられましたか?
まんサマ ぼくは正直いうと『沙羅曼蛇』はあまりやってなかったですね。なぜかというと1ゲーム100円だったから。『沙羅曼蛇』って筐体売りだったじゃないですか。そのせいか、当初はどこのお店でもずっと100円で営業されてたんですよね。当時、学生だったので100円は厳しかったです。
50円になってからは少し遊んでましたけど、そのころにはもう先人たちが超うまいレベルになっちゃってて。でも『沙羅曼蛇』は今やってもおもしろいです。最近まで蕨のゲームセンターに入ってて、しょっちゅう遊んでいました。
初めて『グラディウス』を見たときの話にもどると、どんどん自機をパワーアップさせていくのが「すごくね?」って思いましたね。あの少し前からですかね、ロールプレイングゲーム的に自分を”強化”していく遊びが出始めましたよね。『グラディウス』の後、程なくして『ファンタジーゾーン』も出たりして。
―― その指摘はしっくりきますね。単発的な「パワーアップ」ではなく、段階的で複合的な「強化」ができるアーケードゲームは当時まだとても珍しかった。本来のロールプレイングの意味(役割を演じる)とは違うかもしれませんが、当時のCRPG的な文脈で捉えられたわけですね。
花岡 ぼくの場合は、近くのおもちゃ屋の小さな筐体に『グラディウス』が設置されたので、そこでプレイしましたね。50円握りしめて遊びに行ってました。
でも、そのときはまだあまりうまくなくて、1周できればいいなと思ってたぐらいで、2周目に入って撃ち返し弾が出てくるともう全然ダメで、「これどうやればいいんだろう。こんなの終わらなくなる人いるのかな」って思ってたんですけど、少し後になってノリオくん(まんサマさん)のプレイを見たりして、ああこうやるんだって参考にさせてもらって、何とか2周目まではクリアできました。
まんサマ ぼくのそのプレイは、小川さんのプレイを参考にしてましたから。
―― この連載の第3回でも名前が出てきた故・ACU-EPS氏ですね。全国的に名の知られたプレイヤーでした。どこで彼のプレイを見ていたのですか?
まんサマ 先ほどお話しした浦和のサムですね。小川さんは本当に何をプレイしてもうまいんですよ。こっちもあんまりお金がないものだから「よし、お手本がある」って、いつも見せてもらっていました(笑)。『グラディウス』のときは、他にもACU-Y.N(後のHTL-Y.N)氏のプレイもガン見させてもらってましたね。
―― ACU-Y.N氏も当時の常連ハイスコアラーですね。
まんサマ 小川さんは単車乗りだったんで、それでいろんなところに颯爽と現れてましたね。一度単車でコケたらしく、そのとき破れたジーパンをずっと履いてて、ダメージジーンズ状態だったんですけど、ぼくはまだガキだったからよくわからず本人に「何で破れたのをずっと履いてるんですか?」なんてことを訊いちゃって。今にして思うと何と失礼なことを(笑)。
―― TZWさんは『グラディウス』についてどのような思い出をお持ちですか?
TZW ぼくはそのころまだ子どもでした。とはいえ、1985年ごろには少しずつゲームというものが理解できるようになって、大人の目線で評価できるようになりつつあったんですね。そんなときに『グラディウス』に出会ってしまったものだから……。お金を入れて曲が鳴り始めるじゃないですか。そのときにFMサウンドがギューンと沁みるというかゾクゾクッときて、ああ、「ウチュウがまるごとやってくる」ってこれだという感じで、すごくショックを受けたのを覚えてます。でも、そんなにうまくはなかったので、一千万点とかは出せなくて、1周できるぐらいでしたけど。
―― 皆さん、『グラディウスII』以前のシリーズでは、どの製品で一千万点を出されましたか?
まんサマ ぼくは『沙羅曼蛇』は一千万点まで行ってないです。600万点ぐらいです。『ライフフォース』に至ってはほとんど触ってないのですが、ただあれって赤と青の機体で性能が違うじゃないですか。赤の性能は勝手がわかってるので、たぶんやれば一千万点行きます(笑)。
―― 『ライフフォース』は2つの機体でパワーメーターの並びが違っていて、青い機体のほうが難易度が高いことで知られてましたね。
花岡 ぼくは一通り一千万点出してますね。『ライフフォース』のときは青で一千万点出そうとわざわざプレイシティキャロット巣鴨店まで行ったんですけど、そのときは900万点ぐらいで終わっちゃったんです。そしたら、ぼくの次のプレイで小南(KOM)氏に一千万点出されちゃって(笑)。
満を持しての『グラディウスII』登場、そのときの衝撃やいかに
―― 『グラディウスII』のお披露目は1988年のAOUショーでした。あそこで見てビックリしたゲームファンも多かったと思います。皆さんの印象はいかがでしたか?
花岡 いやもう、すごかったです。4種類の装備があって、しかも今までになかった武器も入ってて衝撃を受けましたね。
ぼくが初めて見たのは池袋のロサ会館だったんですけど、たまたま知らずに行ったらすごい人だかりができてて。何やってるんだろうって近づいて覗き込んだら『グラディウスII』で、「新しいの出たんだ!」ってそこで初めて知ったんですよ。そのとき見たのがたしか7面のボスステージの辺りで、テーブル筐体だったんですけど、本当に20~30人が輪になって取り囲んでて、自分もやりたいけどとても無理だなって(笑)。
まんサマ ハードの進化とともに、シリーズを追うごとにどんどん絵がカッコよくなっていくんですよ。『沙羅曼蛇』を見た後に『グラディウス』を見るとちょっとイマイチに見えちゃうところがあって、同様に『グラディウスII』を見てから『沙羅曼蛇』を見るとやはりややイマイチに思える感覚ってありました。いえ、もちろん、ゲームは後から遊んでもおもしろいんですよ。
あと、処理落ちのしなさ具合というか、スプライトの多さというのか、そこにも驚きました。昔のゲームって「本当はもっと派手にしたいんだろうな」「もっと弾を出したいんだろうな」というのをひしひしと感じるじゃないですか。そういうのがどんどん追いついている感じで。
―― あのころは1年2年違うとずいぶん違いましたからね。
まんサマ モアイのボスのところのスプライトの数とか尋常じゃないんですよ。それ見て「このゲームすげえなあ」って。
TZW 『グラディウスII』が出たとき、ぼくは中学二年生でした。今どきですと、格闘ゲームをプレイする人たちもすべてを遊ぶわけではなくて「〇〇勢」とか呼ばれるじゃないですか。でも、あのころって基本的に全部のゲームを触るんですよね。で、自分も『グラディウスII』を触って「こりゃマズい」と(笑)。事前に噂は聞いてたんですけど、いざ見たらあの出来だったんで、これはすごいって。
まんサマ ビジュアル的にカッコよかったものねえ。
TZW それで、うまい人はサクッと1周クリアしてたんですけど、ぼくは下手なりに自分で攻略して自力でエンディングを見ようと思って、他の人がクリアしたときは見ないようにしてました。
エンディングの最後に、ビブラートじゃないですけど、揺らぐような高い音が出るじゃないですか。自分でクリアできたときは、そこで涙がツーッと流れました。
そのときまだ子どもだったということもあって、あまりにも感動してコナミにお手紙まで書いちゃいましたからね。「こんなすごいゲームを作ってくれてありがとう」みたいな内容だったと思うんですけど。
―― 開発の人はうれしかっただろうと思います。
TZW それで、忘れたころにコナミから封書が届いたんですよ。開けたら何も手紙は入ってないんですけど、『グラディウスII』のフライヤー(チラシ)だけ入ってるんですよ。「ちゃんと読んでますよ」ってお礼にフライヤーを入れてくれるってうれしいじゃないですか。粋だなあと思って。
他にも、中学のときに『グラディウスII』のポスターなどで使われているイラストが好き過ぎて、美術の授業でレコードのLPのジャケットを描く課題で、それを『ライフフォース』風に色を青に直して描いてました(笑)。
まんサマ 余談になりますが、AOUショーのときのバージョンでは、②番装備の「OPTION(オプション)」の名称が「MULTIPLE(マルチプル)」になってましたね。ボイスも「マルチプル」なんですけど、それが「もーちゃぽー」って聞こえるぞっておかしくて笑ってました。①番や④番は「OPTION」のままなんですよ。
―― 製品版だと全部「OPTION」ですよね。ショーバージョンではなぜか一部名称が違ってたんですね。
TZW 『グラディウスII』の海外版『VULCAN VENTURE』だと、その辺が聴けますよ。
ゲーメストで一千万点一番乗りできたのは「周りの環境のおかげ」
―― まんサマさんは、ゲーメストのハイスコアコーナーで、④番装備(2-WAYミサイル、テイルガン、リップル)で一千万点を一番乗りで達成されました。これは発売から何カ月ぐらい経ってたのでしょうか?
TZW (該当する号を探して)1988年の6月号に掲載されていますね。4カ月ぐらいでしょうか。
まんサマ ああ、そのぐらいだったんですね。あのときは(たくさんのプレイヤーと競争してたので)もうお尻に火がついてるような気持ちでやってました。もう誰に出されてもおかしくない状況だったので。
TZW このゲーメストの発売日に、まんサマさんがゲーメストを持ってハイテクセガ大宮に颯爽と現れたのを、ぼくの師匠が目撃したそうです。今でいうイキッた感じでうれしそうにしてたって(笑)。
まんサマ 全然覚えてない(笑)。
TZW それと、まんサマさんはゲーメストで一番乗りだったんですが、ベーマガ(マイコンBASICマガジン)のコーナーでは内藤(NAI)さんが一番乗りだったんです。発売日がベーマガのほうが先だったので、世間的には内藤さんのほうが早いと思われてるんですが、実際に出した日でいうとまんサマさんのほうが早いんです。
―― 僅差でどちらもすごい記録だと思います。あれだけ多くのスコアラーがプレイしていた中で、なぜ一番乗りできたと思いますか?
まんサマ それはですね、ただ単に周りの環境がよすぎただけ(笑)。
―― どういうことでしょうか?
まんサマ 周りにすごくうまいやつがいっぱいいたんです。ベーマガ一番乗りの内藤も当時から仲良かったし、ACU-Y.Nともつるんでいたし。そういうヤバいレベルの人たちのプレイを直に見ることができたので。インスパイア可能なところはインスパイアされようぜと。
一同 (大笑)。
―― ちなみに、『グラディウスII』には旧バージョンとニューバージョンがありますが、違いを教えていただけますか?
TZW 旧バージョンはエブリーエクステンドのスコアが違うのと、ジャンプモアイの自爆で得点が入ってしまうというバグがありました。
―― この記録はニューバージョンで達成されたわけですね。
まんサマ そうです。
あわやハイスコア申請せずに帰ろうとしたところで声をかけられ……
―― 花岡さんが③番装備(フォトントゥーピド、ダブル、リップル)で全国トップになったときのお話も訊かせてください。
花岡 埼玉県の志木駅のそばにナムコランドがあって、ぼくは学校が志木で自宅も隣の駅だったので、友だちと一緒によく通ってたんです。
そこで自分は最初④番装備でプレイしてたんですけど、③のほうがおもしろいなって感じて、途中からずっと③でやってました。
そのときも、友だちと同じ筐体に座って、彼は1P側、ぼくは2P側で交互プレイしてたんです。1P側には連射装置がついてたのに、ぼくはわざわざ2P側を選んでました。何でかというと、1P側はレバーの玉が大きくて、ぼくは玉の大きなレバーが操作しにくくて嫌いだったんです。
―― シューターの人はその辺気にしますよね。
花岡 それで、友だちは先に終わっちゃったんですね。でも、ぼくのほうはもしかしたら一千万点行くかなって感じで進んでたんですけど、やっぱりプレッシャーがかかって、先のほうの周の8面(敵本拠地)の前半で死んじゃったんです。ここは復活が一番難しくて、当時絶対に死んじゃいけない場所だったんですよ。そのまま復活できず、800万点を超えた辺りで終わってしまいました。まさか……って感じでした(笑)。
―― 読者の中には「復活」という言葉をご存知ないかたもいるかもしれないので、一応補足しておくと、派手にパワーアップするゲームで、死んだ際に装備がすべて剥がされてしまうルールの場合、難しいステージでもその状態から立て直さないといけないわけです。これを「復活」と呼んでいました。
自機の状態に合わせて難易度が変化する場合もあるのですが、基本的には強い状態を前提に難易度が設定されているので、ゲームによってはそこから立て直すのが大変なものもあって、『グラディウス』シリーズはその最たるものの1つでした。
まんサマ 8面オープニングのハッチのところは最大の山場だからね。
TZW 速攻で壊さないといけないところですね。今なら復活パターンもあるけれど……。
花岡 当時は無理でしたね。そのときはプレイも安定してなくて、残機もほとんどなくて、そのまま全滅しちゃいました。
―― それは何周目だったのですか?
花岡 ええと、13周目だったかな。
それで一千万点行かずに終わってしまったから、これじゃ(スコアが低過ぎて)載らないだろうと思って、申請せずに帰ろうかっていってたら、志木の常連さんが見てて「ハイスコア申請しないんですか!?」って声かけてきてくれたんです。
じゃあ、載らないかもしれないけど書こうかなって。そのときたまたま(スコアネームではなく)本名で書いちゃったんですよ。後でゲーメストを見たら「自分の名前が載ってる!?」ってビックリして(笑)。
TZW 上尾の宇宙館でゲーメストの最新号を読んでたら「花岡」って名前が載ってて「えーっ!?」って(笑)。そこに花ちゃんが紙パックの牛乳を飲みながら現れたのを覚えてます。それで「ほら、載ってるよ!」って。
花岡 (笑)。
まんサマ 当時、埼玉県ってスコア集計店がほとんどなかったですよね。
花岡 TZW そうなんですよ。
―― ベーマガの「チャレンジ! ハイスコアコーナー」の場合でいうと、基本的にお店側からの立候補で加入していただいてたので、地域によってアンバランスになってしまうことはありましたね。
まんサマ 大宮から川口の間だと、「セントラル」っていうバッティングセンターしかなくて、あとは蕨と川口の中間辺りの、やっぱりバッティングセンターぐらいしかなかったんです。何でこんなにないの? って。
TZW 上尾、北本、桶川、熊谷のほうも含めて、当時なかったですね。
―― それで、皆さん、主にゲーメストで個人申請されていたわけですね。集計店ではないお店で記録を出した場合、そこで店員さんの承認をもらって、個人で申請するという仕組みですね。
花岡 もしくは、わざわざハイスコアを出しにプレイシティキャロット巣鴨店まで行ったり。
ループゲームが存在し得た最後の時代
―― 一千万点を出すのにどれぐらいプレイ時間がかかるのでしょうか?
花岡 当時は8時間ぐらいかかりましたね。
TZW 高校のころに皆さんより遅れて一千万点出せるようになったんですけど、プレイ時間が長いので、仲のいい店員さんにお願いして途中でパンとコーラを買ってきてもらって、それを食べながらプレイしてました(笑)。
花岡 今は攻略が進んで、もう少し早く達成できるようになったとは思うんですけどね。
まんサマ それでいうと、当時は残機つぶしで一千万点出すのは何か邪道な感じがしたんですよね。今はそんな気持ちはさらさらないんですけど。
花岡 TZW あー、わかります。
TZW 今は逆に「長時間プレイするとお店に迷惑かかるよね」とか「そもそも大変だよね」っていうのがあるんですけど、当時はたしかに残機つぶしは邪道みたいな流れがありましたね。
ぼくには柏田さんという師匠がいたんですけど、その人が一千万点を目指してプレイしてるときに、よりによって最終面の直前のボスラッシュで死んじゃったんですよ。残機はいっぱいあるんで、7面のボスラッシュで残機つぶしをすれば一千万点行けたんですけど、「それは邪道だ!」って果敢に攻めて最終面で散ってました(笑)。
花岡 いい話ですね(笑)。
TZW でも、その後リベンジして、ちゃんと一千万点出してましたけどね。
まんサマ それって上尾の話だよね? 当時、大宮までその話入ってきたよ(笑)。
TZW 『グラディウスII』の次に出た『グラディウスIII』(1989年/コナミ)の話になりますが、あれは発売後ずっと経ってから一千万点が達成されたんです。当初は1周の点効率が70万点ぐらいで、みんな「これは(営業時間内に)一千万点は無理だな」なんて計算をしていたんですけど、後に一千万点を出した人は、処理落ちをかけないように周回して、残機つぶしで営業時間内に達成をしていましたね。
―― 『グラディウスIII』は永久パターンがありましたよね?
TZW はい、発覚したのでゲーメストでは「到達面数」で集計してたんです。ところがさらに無敵技が発覚して、さすがにそこで打ち切りになってしまったんです。その後、対応されたニューバージョンがこっそり出て、それできっちり一千万点を出されたかたが2名いらっしゃいました。
まんサマ それはすごいよ。
―― 知られてる限り、たった2名しかいないんですね。
TZW 『グラディウスIII』は人気タイトルではあったのですが、難しすぎて1年後2年後にはもうゲームセンターには置いてなかったんです。そういうこともあって、ニューバージョン自体がほとんど知られてなかったんです。
―― 『グラディウスII』の話にもどりますが、周りにもうまい人が多いとプレイ時間も長いので、自分の順番が回ってくるまで待つのが大変じゃなかったですか?
花岡 ぼくはむしろそういうプレイを見ることでパターンを覚えられるので、ありがたかったですね(笑)。
まんサマ たしかに当時プレイシティキャロット巣鴨店で『グラディウスII』をプレイするのは至難の業とかいわれてた気がします。
TZW それは現在でもゲームセンターとしては課題ですね。自分も秋葉原のトライタワーで店員をしてた経験があるのですが、何度も一千万点を出しに来るかたがいると他のお客様が遊べなくなるので、お店側としては毎回は勘弁してくださいねといわざるを得ない。
とくに今どきですと、お店もどんどんつぶれてますし、長時間プレイをするなら、お店に声をかけたほうがずっといいと思うんです。これは本当にたとえばですが、「好きなのでどうしても一千万点やりたいんです。土日を避けて平日に来ます」のようなことを伝えて相談してみたり。
―― ミカドさんは『グラディウス』のプレイ料金を200円にされてましたよね。
花岡 『グラディウスIII』だと300円ですね。
TZW 初心者のかたに対しては少し厳しいかもしれませんが、ミカドはマニア向けのお店という色もありますので。
―― 周回プレイの熱さはみんなわかってるだけに難しい話ですね。
TZW こんなご時世でも「長時間プレイ、ウェルカムですよ」というお店もありますので、そういうところでは何の気兼ねもなく遊べばいいと思います。でも、そういうのを売りにしてないお店では少し配慮してあげないと、というのはあると思います。
―― 思うに、『グラディウス』シリーズって、1980~90年代当時としても、ループゲームでヒットしたほぼ最後の世代のゲームでしたよね。
TZW ああ、たしかにそうかもしれません。対戦格闘ゲームが流行り始める前だったので、お店もまだ許容できたのかもしれませんね。
―― あの時期はループせずにエンディングで終わるゲームが既に主流になりつつあって、『ダライアス』(1987年/タイトー)も最後まで行けば終わりますし、『R-TYPE』(1987年/アイレム)なども2周でエンドでした。
TZW ちょっと話がそれるんですけど、『ストリートファイターII』の初代ってあれだけの熱量があっても、ゲームセンターでのブームってたしか1年半ぐらいなんですよね。
『グラディウスII』もとんでもなく盛り上がったんですけど、熱量が高かったのは1年ぐらいだったと思うんです。というのは『グラディウスIII』も出たし、他のコナミのタイトルもどんどん出てましたし、ファンがほぼ全員やってたのは、それこそ2~3か月なんじゃないかなと。
―― 当時はゲームセンターに次々おもしろい新作ゲームが供給されてましたからね。
まんサマ ホントそれ。
TZW ハイスコア競争を「諦めた」という人もいるんでしょうけど、何となく飽きたころに他のゲームをやっちゃって、そのままもどってこないことが多かったのかなって。
―― 当時のコアゲーマーの世界がわかるおもしろい話ですね。
次回予告
次回は攻略編。『グラディウスII』最大の特徴ともいえる4種類の装備に関するお話です。各装備の長所と短所、難易度の違いなど徹底解析していただきます。乞ご期待!
プロフィール
まんサマ氏
(スコアネーム:AZUKI-CHE)
1970年代後半、まだゲームセンターと呼ばれていない時代からゲームにハマる。主に大宮~浦和(現さいたま市近郊)で活動。
「数年前に旧友ゲーマーと連絡をとったことをきっかけに、再びゲーマーたちのコミュニティに参加するようになりました」
花岡洋行氏
(スコアネーム:HAN)
当時は大宮を拠点に上尾、志木に遠征。ゲーム歴は40年以上で、初めてのゲーム体験は『スペースインベーダー』のアップライトタイプ。好きなゲームはシューティング。とくに『グラディウス』シリーズは初代~V、『沙羅曼蛇』は初代~2、『ライフフォース』と全種類プレイ。後はアクションゲームも少々。
「仕事はゲーム関係ではありませんが、陰ながら業界を応援しています」
TZW氏
(スコアネーム:TZW-ART?)
80年代は主に地元の上尾、大宮を中心にほぼ毎日ゲーセン通い。『グラディウスII』でK.K-ART?師匠に出会い、人のつながりが一気に増え、ゲームへの取り組みかたが変わる。『グラディウスII』は全装備1000万点達成&全地点復活。とくに好きな『グラディウスII』『ストリートファイターII』『パイプドリーム』は思い入れがありすぎて語りつくせないほど。ゲーム開発数社、トライ/トライアミューズメントタワーなどを経てフリーに。
「株式会社ハムスターの『アーケードアーカイブス』シリーズの外部検証など、現在もゲーム方面で活動中です」
『グラディウスII GOFERの野望』は「アーケードアーカイブス」にて絶賛配信中!
ハムスターさんの展開する「アーケードアーカイブス」で『グラディウスII GOFERの野望』が配信されています。
本作には国内版のみならず、海外版の「VULCAN VENTURE」も収録。難易度など、設定を自由に変更してプレイすることも可能です。
PS4版は、こちら。
Nintendo Switch版は、こちら。
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