ゲームをカルチャーとして捉えたゲーム総合誌『Beep』

  • 記事タイトル
    ゲームをカルチャーとして捉えたゲーム総合誌『Beep』
  • 公開日
    2018年09月01日
  • 記事番号
    516
  • ライター
    稲元徹也
▲『Beep』1986年11月号。表紙はセガの『ファンタジーゾーン』(1986年)がモチーフ

青春時代をゲームで過ごした現在40~50代の人にとって思い出深いコンピュータゲーム情報誌『Beep(ビープ)』は、日本ソフトバンクの出版事業部(現・SBクリエイティブ)より1984年12月に創刊されました。『ログイン』や『マイコンBASICマガジン』など、PCゲームを扱う雑誌が主流だった当時、特定のハードウェアに偏らない、いわゆる“ゲーム総合誌”の先駆けとなった月刊のゲーム雑誌です。

誌面を彩るたくさんのゲーム画面に心躍らせ、通称「Beeper(ビーパー)」と呼ばれる読者となった人も多いのではないでしょうか。筆者もその1人でした。ゲームの最新情報に貪欲だった高校時代、学校の最寄り駅近くにあった書店で初めて『Beep』と出会い、1985年10月号を購入。以降Beeperとして、休刊する1989年6月号まで同誌とつき合うこととなります。

ライターによる記名記事が誌面の顔となった

▲『アウトラン』(1986年/セガ)の初出記事。見開きで大きく扱われた(『Beep』1986年11月号P18~19 )

筆者が『Beep』を購入していた動機はごく単純で、「いろいろな機種のゲームの記事がたくさん載っている」ということでした。創刊当初はPCゲームを扱う割合が多かったようですが、ファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)やセガ・マークⅢ(*01)といったテレホビーゲーム(*02)の台頭や、セガの体感ゲームなど見逃せないビデオゲーム(*03)の登場により、翌1985年からはそれらも誌面で大きく扱うようになり、総合誌としての価値を高めていきます。

また、当時最先端だった16ビットゲーム(*04)の特集やテーブルトークRPG(*05)など、今で言うアナログゲームも扱っていて、Beeperのゲーム全般における知識は、ほかの雑誌の読者よりも深いものとなったはずです。

『Beep』の初代編集長であった豊田素行氏は、2004年に発行された『Beep復刻版』のインタビューにて、当時の編集方針について「既存のゲーム誌のイメージを打破するために、“ゲームを文化として愉しむ”というメッセージを発信する」ということを述べています。単なる紹介や攻略にとどまらない、ゲームをカルチャーとして捉えた多角的な切り口の記事は、後にライターの個性が色濃く出る誌面へとつながっていきます。

『Beep』で活躍したライターの個性は、単に文体やレイアウトに反映されただけでなく、主観による批評が入ったり、ときにはライターのアイデアによる企画色を強めた特集記事になったりすることもあり、それが誌面の顔となっていきます。1988年末に誌面が刷新されるまではほとんどが記名記事で構成されており、『Beep』ライターのファンも少なからず存在していました。

▲3号連続のアーケード版『アテナ』(1986年/SNK)の攻略マップ。こうした独自の攻略も役立った(『Beep』1986年11月号P84~85)
読者参加企画やクリエイター特集など、先端をいく企画記事

▲「ハイテク情報」ではゲームの裏技やテクニックを紹介。ハシラには「ゲーム小僧」のマンガも(『Beep』1986年11月号P70)

ここでは『Beep』の印象的だった記事について触れたいと思います。まずは、創刊初期の1985年8月号から1年間連載された「YATATA WARS(ヤタタ・ウォーズ)」。投稿コーナーにSFやパロディ要素を交えたストーリーとゲーム要素を盛り込んだ読者参加型企画で、一部の熱烈な読者に支持されました。しかし、筆者のように連載の途中から購読を始めた読者にとってはさっぱり内容がつかめず、御厨さと美(みくりやさとみ (*06))氏による美麗な挿絵ばかりが印象に残っています。同様の読者参加企画に「MEGA ORBIS(メガ・オービス)」や「ムーンダンサー」などがありました。

また本誌では、比較的早い時期からゲームクリエイターのインタビューや特集記事にも力を入れていました。例えば、筆者が最初に購入した1985年10月号ならば、『ハイドライド』(1984年/T&E SOFT)を手掛けた内藤時浩氏や『ロードランナー』(1983年/Broderbund)のダグラス・E・スミス氏、『テグザー』(1985年/ゲームアーツ)の五代響氏と上坂哲氏などが顔出しで登場し、さらに「ゲームデザイナー68人アンケート」として、堀井雄二氏や坂口博信氏、岩田聡氏、シブサワ・コウ氏、岡本吉起氏ら68人のゲームクリエイターへのアンケートが掲載されています。

そんなゲームクリエイターにスポットを当てる究極の特集が、1986年8月号の「遠藤雅伸さんとつくったBeep」です。ナムコから独立後の遠藤雅伸氏(*07)に打診し、ロングインタビューのみならず、対談や遠藤氏の好きなアニメやゲームについてのコラムなどが35ページにわたって特集されました。『Beep』全56号の中でも特に異彩を放つ号ですが、今読んでも、遠藤氏の当時のセンスが凝縮された、とても読み応えのある内容でした。このような記事作りをしていたからこそ、『Beep』が今なお高く評価されていることを改めて感じます。

セガ推しのスタンスは、後継の専門誌への布石に

▲「爆発!セガパワー」内の1ページ。「セガ人(びと)」と呼ばれるセガマニアの部屋のイラストが掲載(『Beep』1986年11月号P45)

「『Beep』はセガ推し」というスタンスを感じられるようになったのは、セガ・マークⅢの「メガロム」と呼ばれるカートリッジソフトが出てきた1986年頃だったと記憶しています。『Beep』は総合誌だったので、それ以前からセガタイトルは扱われていましたが、筆者が現在唯一所有している1986年11月号の「爆発!セガパワー」なる特集を皮切りに、セガ・マークⅢタイトルを中心としたセガ特集が定期的に組まれ、専門誌が存在しなかった当時のユーザーの需要を満たしていきます。

こうしたセガ推しのスタンスは、ときに読者の混乱を招いたこともあります。当時、主軸ライターであった雅(*08)氏が1988年1月号で、セガ・マークⅢ版『アフターバーナー』(1986年/セガ)を絶賛したものの、その後の号で「アーケード版を完全移植しようとして外してしまったタイトル」として同作を紹介したことがありました。その際、同作の名称を伏せ字のような意味で「アウアーアーアー(子音は勝手につけて読んでね)」と記述したことは、今でもファンの間で語り草となっています。

『Beep』でセガを推したことがきっかけとなり、後継誌『Beep! メガドライブ』(1989年5月~1994年12月)や『セガサターンマガジン』(1995年1月~1998年10月)、『ドリームキャストマガジン』(1998年11月~2001年4月)といったセガハード専門誌が、13年にわたって刊行されました。

『Beep』を象徴する人気企画、付録ソノシート

▲『Beep』1986年11月号の付録となった記念すべき最初のソノシートには、セガの『スペースハリアー』(1985年、『カルテット』(1986年)、『ハングオン』(1985年)、『ファンタジーゾーン』(1986年)から8曲を収録

『Beep』はゲーム中に流れるBGMや効果音などの、いわゆる「ゲームミュージック」にいち早く注目したメディアでもありました。誌面では1986年6月号に「近頃、ゲームミュージック」といった大型特集が組まれ、楽譜やPC向けのサウンド再生プログラムを定期的に掲載。ゲームミュージックについてさまざまな切り口で語る連載コラム「サウンドクラブ」もありました。

そんなゲームミュージック関連の企画の中で、その独自の選曲により「Beeper」の心に強く刻まれているのが、付録「ソノシート」の存在です。ソノシートとは、薄いフィルムのようにプレスされたレコード盤で、当時普及していたレコードプレイヤーで再生することができました。『Beep』では、編集部で最新のゲームミュージックをソノシートに収録し、1986年11月号に初めて付録として付けられ、以降1989年4月号まで、合計12枚のソノシートが付録となり、一部では「『Beep』といえばソノシート」と語られるほどの人気企画となりました。

付録として音源が容易に入手できたことで、ゲームミュージックをより身近に感じられ、さらに当時発売されていた公式のアルバムなどにも収録されていないレア音源が聴けたのも大きな魅力でした。個人的には、1987年11月号に収録された『デジタルデビル物語 女神転生』(1987年/ナムコ)の「Hellfire」(炎の腐海BGM)アレンジバージョンのギターサウンドを聴いたときの衝撃は、今も忘れません。

総合誌の『Beep』から、専門誌の『Beep!メガドライブ』へ

▲2004年発売の『Beep復刻版』。『Beep』全56号の主な記事を、約1/4サイズで掲載したムック。特にインパクトの強い記事は1/1サイズで別冊付録に掲載。また、ソノシートの楽曲を収録したCDも付録に。筆者も制作に参加しています

ゲーム総合誌の始祖となった『Beepでしたが、後発のさまざまなゲーム雑誌に押され、1989年6月号を最後に全56号の歴史にピリオドを打ちます。その後『Beep』の名前は、同年夏に季刊として新創刊されたメガドライブ専門誌『Beep!メガドライブ』へと受け継がれることになります。

専門誌として生まれ変わったことで、当然ながら誌面はゲーム紹介や攻略記事がメインとなり、記名記事やソノシートなどの名物企画は消え、Beeperとしては大変寂しい気持ちになりました。しかし『Beep!メガドライブ』でも、クリエイターを押し出す方向性や、時折組まれるおバカ企画などもあり、『Beep』時代のなごりを感じることもできました。

余談となりますが、筆者は『Beep』から引き続き『Beep!メガドライブ』を購読し、後日誌面で募集していた編集アシスタントのアルバイトとして、1990年に憧れの元・『Beep』編集部に潜り込むことになります。現在まで続けているゲームライターになるきっかけとなった出来事なのですが、それはまた別の機会があったときにお話しできればうれしいです。

▲1986年11月号の読者コーナー「びーぷるランド」には、なんと筆者の投稿イラストが掲載されました。ちょっとだけ自慢です(『Beep』1986年11月号P123)

※参考文献
ソフトバンクパブリッシング(現・SBクリエイティブ)発行『Beep 復刻版』

©SEGA

稲元徹也

脚注

脚注
01 セガ・マークⅢ : セガから1985年に発売された家庭用ゲーム機。専用の大容量
02 テレホビーゲーム: 『Beep』誌独自の呼び方で、家庭用ゲームやコンシューマーゲームを指す。
03 ビデオゲーム : アーケードゲームや、テレビに接続してプレイする家庭用ゲーム機を指すが、『Beep』誌ではアーケードゲームの総称として使われた。
04 16ビットゲーム : ここでは特集が組まれた1986年当時の最先端だったNECの16ビットPC「PC-9801」シリーズでリリースされたゲームを指す。
05 テーブルトークRPG : コンピューターを使わず、人間同士で行う対話型ロールプレイング・ゲームRPGのこと。サイコロや紙、ペンなどの道具を使い、参加者が登場人物を演じながらルールブックに従ってプレイする。
06 御厨さと美 : 1948年、長崎県生まれ。『ノーラ』などで知られる漫画家。「YATATA WARS」の企画者の1人であり、企画中の挿絵や漫画も手掛けていた。
07 遠藤雅伸 : 1959年、東京都生まれ。『ゼビウス』『ドルアーガの塔』などを手掛けたゲームクリエイター。特集の前年となる1985年にナムコから独立し、ゲームスタジオを設立。現在は東京工芸大学教授、日本デジタルゲーム学会副会長、同学会研究委員会委員長などを務める。
08 雅 : 学生時代にライターとして採用され、『Beep』の主力ライターとなった人物。「みやび」「大滝みやび」名義でも執筆し、ときに顔出しで登場したことも。

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