誰でも気軽に楽しめるシューティングゲーム「プラスアルファ」の魅力

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    誰でも気軽に楽しめるシューティングゲーム「プラスアルファ」の魅力
  • 公開日
    2018年08月25日
  • 記事番号
    487
  • ライター
    こうべみせ

プラスアルファ』がジャレコ(*01)からリリースされた1989年。その頃は、まだまだシューティングゲームがゲームセンターで花形の存在といえた時代だった。とはいえ全ジャンルを通じてアーケードゲームの難易度高騰が始まり出した頃でもあり、ビギナーが気軽にプレイして楽しめるタイトルが少なくなっていった時期でもある。

しかし、当時のジャレコはそんな時代の風潮に逆行するかのように、難易度低めで幅広い層が楽しめるタイトルをこの時期に多くリリースしている。『サイキック5』(1987年)や『銀河任侠伝(ぎんがにんきょうでん)』(1987年)、『P-47 THE FREEDOM FIGHTER』(1988年)など、地味ながらも高く評価される作品群を生み出したのもこの時期だ。かつて『アーガス』(1986年)や『バルトリック』(1986年)など、鬼の難易度であるシューティングをリリースしていたジャレコのイメージは、次第に薄くなる。

そんな万人が楽しめるジャレコゲームの一つとして、本作『プラスアルファ』はどのようなシューティングゲームだったのかを見ていこう。

ファンシー&ポップな世界観にオーソドックスなゲームシステム

▲ファンシーな雰囲気で、キャラクターもかわいらしい

本作は2人同時プレイが可能な縦スクロールシューティングゲームだ。タイトル画面デモでシリアスなSFを思わせつつ、実はパステル調のファンタジックな世界で可愛らしいキャラクターが暴れまわる、ファンシー&ポップなイメージの作品だ。後年にコナミがリリースした『出たな!!ツインビー』(1991年)のような雰囲気と言えばイメージしやすいだろうか。戦闘機を操って空中や地上のザコ敵と戦い、ステージ最奥のラスボスをやっつけるというオーソドックスな内容。全7ステージでエンディングとなるが、2周目以降もプレイを続けるループスタイルとなっている。

特徴的なのは、2周目以降はステージ3からのスタートとなっており、ステージ1、2は1周目にしかプレイできない点である。これにはどのような意図、事情があったのか気になるところだ。当時の関係者と話す機会があれば、ぜひ尋ねてみたい。

真の意味で好きなものを選べたバランスのよい3タイプの攻撃

▲極端な性能差がなかったので相性のいい機体でプレイできるのがうれしかった

攻撃方法は「ショット」と「ハイパー」。戦闘機(自機)のタイプは3種類あり、桃のような見た目の敵編隊を倒すと出現する機体チェンジアイテムで変形する。各機体の特徴を紹介しよう。

●プーペラ
前3方向に弾を撃つワイドショットのプロペラ機。ハイパーは円形に爆発する爆弾を発射する。これといったクセのないオーソドックスな性能なので、初心者におすすめ。
●ジター
左右に揺れながら飛んでいく弾を撃つジェット機。ショットの弾道にクセがあるものの、半画面ほどの幅があるレーザー状のハイパーは強力で使い勝手がよかった。
●ヘリポ
後方に発射された後、前方へと飛んでいく弾を撃つヘリコプター。後方の敵をカバーできる強みが特徴。ハイパーも画面横幅全体をカバーするため、非常に頼りになった。

戦闘機はいずれのタイプも特徴の一長一短がしっかりと考えられており、特定のタイプが突出して高性能になっていたのがよかった。他のゲームでは使用武器によって難易度も大きく左右されてしまうものがよくあったが、本作の場合は真の意味で「自分の好きな武器でプレイできるよ」という自由さがあったと思う。この頃には、「空中と地上の敵への兼用攻撃」が縦スクロールシューティングでの一般的な仕様となりつつあり、本作もそれにならった作りとなっていた。その点においてもビギナーに優しいゲームだったと思う。

ハイパーとはストックしている数だけ使用できる全体攻撃で、一般的には「ボム」と呼ばれる攻撃だ。

今ではほぼ標準的な操作体系ではあるが、ゲームが複雑化していった当時において、この『プラスアルファ』は実にシンプルなシステムだった。同時期に同様のシステムを採用したゲームは多数あったが、本作とは対極にある高難易度の縦シューティングであったことを考えると、この頃のジャレコのポリシーは「やさしさ」にあったのではないかと思うのだ

敵の攻撃レベルと連動しないので思う存分できたパワーアップ

▲パワーアップが素直に楽なゲーム展開につながった

アイテム関連はパワーアップ系とスコアアップ系が存在し、「とりあえず何も考えずに取得しておけば大丈夫」という気楽さが本作の敷居の低さにつながっていたと思う。同時期のシューティングゲームは、「スピードアップしすぎると操作が難しくなる」「パワーアップしすぎると極端に敵の攻撃が激しくなる」など、さまざまな要素を考慮しつつアイテムを取捨選択しなければならないものが多くなりつつあった。本作はパワーアップしても敵の攻撃レベルが上がるようなこともなく、気軽にパワーアップできる点がよかった

アイテムは、桃のような姿の敵編隊や地上の敵を破壊することで出現する。出現アイテムの種類は、一部を除きシーンで固定されていたように記憶している。1UPやレーザーは、もしかすると何か出現法則があったかもしれないが、実戦上はランダムで、しかも滅多に出現しないレアアイテムだった。

登場アイテム

機体チェンジ機体を変形できるとともに、攻撃方法も切り替わる。「P(プーペラ)」「J(ジター)」「H(ヘリポ)」が一定間隔で変化する。
ショットアップ発射弾数や当たり判定が大きくなるなど、ショットが強力になる。強化レベルは3段階。
1UP自機のストックが1つ増える。
レーザー最強武器。あまりにも強力すぎるせいか出現頻度はかなり低い。
得点アイテムフルーツやトランプマークの加点アイテム。アイテムの種類で得点が異なる。

ステージ間のボーナスゲームはゆるいながらも重要ポイントだった

▲成功報酬が大きかったボーナスゲーム

ステージクリア後には毎回ボーナスゲームが挿入され、ステージクリア時のハイパー残数の分だけチャレンジすることができた。右の画像は絵合わせがボーナスゲームになっているもの。キャラクターの絵が3つのパネルに分割されてパタパタ回転するので、それをボタンで停止させ、見事にそろえることができれば絵柄に応じた報酬が手に入る。

特に目押しが必要というわけではなく、ただボタンを押せばいいだけと完全に運任せではあるのだが、成功したときの報酬(表参照)はバカにできないものであった。押すボタンはショット、ハイパーどちらでもよいが、当たりボタンはランダムでどちらかに設定されていたという噂もあった。果たして真偽はどうだったのか知りたいものだ。

絵柄ごとの報酬内容

セリアブルーのロングヘアが印象的な主人公。残機のストックが1機増える。
ルゥミィ金髪ショートヘアの2Pキャラ。ショットが1段階パワーアップする。
ロボット次のステージ開始時にハイパーが1つ追加される。
ネコの着ぐるみ1万点。本作でこの点数は、ハイスコアを競っているときに大きな差がつくものだった。
ドクロマークボーナスゲーム強制終了。ハイパーをたくさん持っている状態の1回目でこれがそろうと最悪な気分になった。

ビギナーにおすすめしたい、シューティングの楽しさが分かるゲーム

▲当時の流行りの絵柄で登場する美少女キャラクターも人気だった

本記事を執筆するにあたり、同時期のゲームにどんなものがあったか、改めて調べてみた。筆者の中で、本作は『出たな!!ツインビー』の影響を受けているのではないかという思いがあったからだ。ところが、本作の方が2年も先にリリースされていたという事実。いやはや、これはなんとも申し訳ない思い違いだ。

本作から長い年月が経ち、今や新作シューティングゲームもほとんどリリースされなくなった。今でもゲームセンターで容易に接することができるのは、ケイブ(*02)作品に代表される弾幕シューティングばかり。シューティングゲームに興味を持った人が気軽に遊べる難易度とはいえないだろう。適度な難易度のシューティングゲームは、繰り返し遊ぶことで自身の習熟度向上を実感でき、敵弾を避けつつ強敵を撃破することに高揚感を得られるものだと思う。だからこそ、筆者自身もシューティングゲームを愛しているのだ。

『プラスアルファ』は、初めてシューティングゲームに触れるという人に、このジャンルの楽しさをきっと伝えてくれるはずだ。現時点では移植版が存在しないが、今後に期待したいところである。レトロゲーセンで本作を置いてあるところもあるので、見かけたらぜひプレイして、シューティングゲームの楽しさを少しでも知っていただけたら幸いである。

画像提供:株式会社シティコネクション
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こうべみせ

脚注

脚注
01 ジャレコ : 主に1980~1990年代にかけて、業務用や家庭用ゲームで活躍したゲームメーカー。
02 ケイブ : 弾幕系シューティングゲームのトップメーカー。残念ながら現在はアーケード、家庭用ゲーム機いずれからも撤退し、スマートフォンアプリ専業となっている。

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