北陸、新潟でビデオゲームの灯を護り続ける「テクノポリス」!

  • 記事タイトル
    北陸、新潟でビデオゲームの灯を護り続ける「テクノポリス」!
  • 公開日
    2019年11月01日
  • 記事番号
    2155
  • ライター
    外山雄一

北陸地方に気になるゲームセンターがある。新潟県長岡市の「テクノポリス」だ。
都市部でも運営が難しいビデオゲーム中心の店舗を地方で維持し続けており、SNS等を活用した積極的な情報発信により、県外からの来店者も多い。
筆者がテクノポリスを知ったのは、同店とゲームセンター「ミカド」の交流や、それに関わるSNS上の情報がきっかけだった。 今回はテクノポリス運営会社である(株)アミューズメントファクトリーの創業者であり会長の吉田健智氏にお話を伺った。

【取材・構成】
外山雄一

店舗紹介

店内は、対戦格闘や麻雀を中心とした喫煙エリア、レトロゲームを含むその他ビデオゲームや音楽ゲームを中心として禁煙エリア、その間を繋ぐカフェバー『ラウンジ』と、大きく3つのエリアに分かれている。

オープン当初は喫煙エリアだけだったが、その後の拡張に伴い、主に若いプレイヤーへの配慮のため、稼働タイトルの属性に合わせた分煙を行った。

「テクノポリス」という店名は、新しさと古さを兼ね備えたイメージから吉田氏が命名しているが、その名の通り新旧のゲームが稼働し、それを求める幅広い層のプレイヤーが訪れる店になっている。

テクノポリス店内。喫煙コーナーは、対戦格闘と麻雀が中心。

テクノポリス開店に至るまで

吉田氏は小学生時代、ファミコンではなくMZ-1500(1984年発売)を買い与えられ、その後、中学でX1 TurboZ、高校でX68000と進んだ生粋のSHARPパソコンユーザーだった。

中学一年で『沙羅曼蛇』(1986年/コナミ)に衝撃を受け、HARD設定の店舗だったことを知らずに、中三までかけて一周クリアするまでやり込んだ。

高校時代はナムコ系列のゲームセンターでのアルバイトを経験、一時期はゲームクリエイターを志したが、親の反対もあって希望する進路へ進めず浪人。その後、半年間東京へ家出をして、パソコン通信やパチンコで知り合った友人宅を転々としたり野宿したりのホームレス生活を経て地元に戻り、パチンコ店へ就職した。

二年後に別のパチンコ店へ転職し、数年で経営に関わるまでになる。このとき、不採算のパチンコ店の業態をゲームセンターにする提案を行い、実現には至らなかったものの、その過程で風営法を含め様々なこと学んだ。

パチンコ業界でできるだけ地元での人脈を築き、様々なノウハウを身につけた後に27歳で独立、起業してテクノポリスをオープンした。

オーナーである吉田氏は、1974年生まれの45歳。

テクノポリス開店! しかし…

2001年12月7日、映画館の一角の28坪を借りてスタートしたテクノポリス。そのオープン当初のラインナップは、ビデオゲーム数機種とプライズ機などだった。

起業するからには、ある程度の勝算があったのだが、スタート月の売り上げはかなり厳しく、方針転換を余儀なくされる。やむなくスタッフを自宅待機とし、インカム重視でラインナップを見直し、一時期はほとんどが転用機(*01)となった。

オープンした2001年12月のインカム表。かなり苦しいスタートだった。

吉田氏は、自身で広告やWebのデザイン、風営法関連手続きなどを行うことができることもあり、外注費はかなり低くおさえることができた。

また、当時サービス開始して間もない「Yahoo! オークション」をフル活用し、機材の導入費用を安くし、不要機材を高く売ることもできた。

そうして様々なピンチを乗り越えつつ、別業態としての飲食業、ダーツを含むAM機器のレンタル業などに手を広げ、経営を軌道に乗せていった。

こうした苦難の時期、吉田氏を支えたのは当時の「2ちゃんねる」だったという。

吉田氏は「ゲームセンター経営者&経営したい人」スレ主として、店名を出してアドバイスを求めていた。

もちろん、ネット上のノイズも非常に多かったが、それ以上に有用な意見や刺激を得ることができ、プレイヤー目線だけではなく、経営目線でのアドバイスも得られた。

開店からしばらくして、対戦格闘ゲーム『バーチャファイター4 エボリューション』(2002年/セガ)の導入がきっかけで、開店直後の苦しい時期を脱却した。

吉田氏は、利益が出るようになっても、その一部を再投資することで訪れるプレイヤーに還元することを心掛けた 。

フロア拡充~ビデオゲーム増台!

2007年には、併設の映画館が撤退。思い切ってそのスペースも借り、ゲームコーナーを拡充した。

映画館のチケットカウンターだった場所は、カフェバー『ラウンジ』とし、ゲームセンターの隣で、アルコールを含むちょっとした飲食もできる店舗とした。

その後も訪れるプレイヤーの嗜好に合わせ、稼働タイトルのラインナップを少しずつ増やし、長い期間を経てテクノポリスは現在の形になった。

テクノポリス店内、禁煙コーナーの一部。

禁煙スペース手前側は、近年の対戦アクションゲームや音ゲー中心のラインナップとなっている。比較的若いプレイヤー向けだ。

禁煙スペースの奥、ビデオゲーム中心のコーナーは、レトロゲームという点では北陸で最も充実していると思われる。

取材時には各種ケイブSTGの他、『ドルアーガの塔』(1984年/ナムコ)、『グロブダー』(1984年/ナムコ)、『ガンフロンティア』(1990年/タイトー)、『グラディウスⅢ』(1989年/コナミ)、『ゲイングランド』(1988年/セガ)、そして専用コンパネ付きの『ロストワールド』(1988年/カプコン)まで稼働していた。

最新のラインナップはホームページで確認いただきたい。

映画館の名残も見える壁には『アウトラン2』のプレイ映像が投影されていた。

こうした様々なタイトルを稼働させ、店舗でのゲーム大会も頻繁に開催しているのは、ゲームの間口を広げていろいろなプレイヤーに遊んでもらいたいのはもちろんのこと、来店してくれたプレイヤーには、時には他のジャンルのゲームにも手を広げてほしいからだ。

実際、『GROOVE COASTER』(2013年/タイトー)のプレイヤーが、その収録曲の元タイトルを遊んで曲を聴きたいからと、ケイブのシューティングゲームを遊ぶ姿があったり、親子連れの子供がオールドゲームに興味を持って遊んだり……その狙いどおりの効果を目にすることも増えたという。

日本で数少ない「ダライアスⅡ」純正筐体が稼働!

テクノポリスは、全国でも数少ない純正の『ダライアスⅡ』(1989年/タイトー)の二画面版筐体を稼働させている店舗でもある。

残念ながらすべてが純正というわけではなく、モニターの片方は別の筐体から移植されたものだが、整備されたレバーとボタン、ボディソニックを含め、ほぼリリース当時と変わらない状態でのプレイ環境が提供されている。

この筐体は、以前は東海地方の店舗で稼働していたのだが、とあるきっかけで吉田氏が個人的に託されたものだ。

運ばれてきたときは『ウォリアーブレード』(1992年/タイトー)仕様になっていたが、その後テクノポリス常連プレイヤーがたまたま所有していた『ダライアスⅡ』オリジナルマーキーなどを併せ、現在の形になった。

北陸地方に限らず、この作品をプレイするだけでも来店の価値があると言える、貴重な筐体だ。

この形で『ダライアスⅡ』を遊べる店舗は、全国で数えるほど。

きっかけは『シューティング ラブ。2007』?

筆者がテクノポリスを知ったのは、ミカドを通してだった。そのミカドとテクノポリスとの交流はどこからはじまったのか?
……というところを紐解くと、そこには意外なゲームがもたらした縁があった。

あるとき、テクノポリスと交流がある他店舗から「インカムが良いので、試しに置いてみて」と言われ、吉田氏は『シューティング ラブ。2007』を稼働させた。

他店舗と同様に、テクノポリスも対戦格闘を中心として様々なゲームの店舗大会を開催していたが、『シューティング ラブ。2007』を気に入った吉田氏は、このタイトルでの『シューティング技能検定』大会を検討する。

しかし、店舗大会での参加者のスコア比較のため、ランキング機能がほしかったのに、どうやらその機能が搭載されていない。

このため、吉田氏は開発元である(有)トライアングルサービスに問い合わせた。

この連絡を受けた同社代表の藤野氏は「こんな問い合わせをしてくるゲームセンターは一軒しかなかった……一体どんな店なんだろう?」と、アポなしで新潟のテクノポリスまで足を運び、吉田氏と会い、ふたりの交流はこの日からはじまったという。

この模様は、両社それぞれのブログに記事があるので、そちらも参照してほしい。

■テクノポリス店長の部屋「シューティングらぶなのだ。」
https://am-factory.jp/tecnopolis/?p=1328

■シューティング ラブログ「ふらっと行ってきました。」
http://www.triangleservice.co.jp/lovelog/2009/10/post-150.html

すでに別の形で『シューティング ラブ。2007』の大会を実施していたミカドにも、藤野氏を通じて「新潟におもしろい店がある」という情報が伝わり、ミカドとテクノポリスの交流もはじまった。

そうした交流は、2012年11月25日に開催された、テクノポリスとトライアングルサービス両社の十周年イベント『新潟事変』(*02)として、実を結んだ。

各社の交流は今も続いており、最近では新作『タッピングスキルテスト』(トライアングルサービス/ 2019年)の大会を開催、藤野社長がテクノポリスに緊急来店する一幕もあった。

物販コーナーでは、様々なゲームグッズと共に、メンテ用の筐体パーツも販売。

これからのテクノポリス

オープンから約18年、ここまでの道のりは決して楽ではなく、今後もゲームセンターにとっては厳しい局面が続くと思われる。

これまでも、メンテナンス問題、ネットワーク課金の問題であったり、あるシリーズが新作に切り替わった途端にプレイヤーが一斉に離れてしまったりと、様々な波があった。

吉田氏は、人気がある新作オンリー、オールドゲームオンリーではゲームセンター運営は成り立たないため、複数のジャンルへの分散を心掛けているという。

またゲーム以外の業種も並行して営むことで、更なるリスク分散も行っている。

そうして柔軟に変わり続けることで市場の変化に対応し、新潟、長岡の地でゲーム文化を護り続けているテクノポリス。お近くにお越しの際は、ぜひご来店を。

映画館だった時代の面影を残す入口には、ゲームのポスターが貼ってある。

【店舗情報】

住所:新潟県長岡市要町1-8-50
電話番号:0258-33-1516
営業時間:8:00~24:00
休み:なし
駐車場:あり(約30台分)

公式サイト
公式Twitter

脚注

脚注
01 パチンコ、パチスロ用に開発、製造された遊技機を、メダル営業向けに改造し、ゲームセンターで使えるように転用した機器のこと。所謂風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)で、かつて第二条第一項の第七号に定められた遊技機を転用した物であったため「七号転用機」とも呼ばれているが、その後の法改正によって、現在の遊技機は第二条第一項四号での定めとなっており、呼称も「四号機」となっている。これに伴い、転用機を「四号転用機」と呼ぶケースもある。
02 2012年11月24日~25日にかけてテクノポリスで行われた、ゲームセンターテクノポリスと有限会社トライアングルサービス両社の十周年記念イベント。ゲーム音楽LIVE、ゲームのスーパープレイ、トークイベントなど様々な催しが前夜祭も含めた二日間に渡って行われた。
詳しくは以下のレポートページ参照。
http://am-factory.jp/tecnopolis/?cat=10

こんな記事がよく読まれています

2018年04月10日

ゲームセンター聖地巡礼「1980~1990年代 新宿」前編

今回から、新企画「ゲームセンター聖地巡礼」の連載がスタートします。当研究所・所長の大堀康祐氏と、ゲームディレクターであり当研究所のライターとしても協力いただいている見城こうじ氏のお2人が、1980~1[…]