世にも珍しいアーケードゲームの企画展はなぜ開催されたのか?
「小樽・札幌ゲーセン物語展」主催者インタビュー(前編)

  • 記事タイトル
    世にも珍しいアーケードゲームの企画展はなぜ開催されたのか?
    「小樽・札幌ゲーセン物語展」主催者インタビュー(前編)
  • 公開日
    2021年05月14日
  • 記事番号
    5211
  • ライター
    鴫原盛之

2021年1月16~3月29日にかけて、北海道小樽市の市立小樽文学館で1980~90年代のゲームセンターをテーマにした企画展「小樽・札幌ゲーセン物語展」が開催されました。

本展はゲームセンターと、それを取り巻く人や文化にフォーカスしたもので、会場には80年代に発売されたアーケードゲームのポスターやマニュアルをはじめ、ゲーム音楽CD、ゲームセンターで配布された小冊子などの関連グッズ、かつて地元にあったゲームセンターのマップやコミュニケーションノート、実際に遊べるアーケードゲーム筐体などが展示され、期間中は1735人もの来場者が集まりました。

「小樽・札幌ゲーセン物語展」の会場となった小樽文学館

公共施設を使用したビデオゲームの企画展、しかもゲームセンター、アーケードゲームにフォーカスした展示イベントは極めて珍しいものです。いったい主催者は、なぜ本展を開催しようと考え、来場者に対してどんなメッセージを伝えたかったのでしょうか?
本展の企画を手掛けた、地元北海道に在住の藤井昌樹氏と、小樽文学館の玉川薫館長に現地でお話を伺いました。

小樽文学館の玉川薫館長(左)と藤井昌樹氏

地元の有志が次々と協力に名乗りを上げ、画期的な企画展が実現

―― 本日はお時間をいただき、ありがとうございます。まずは本展を実施しようと考えたきっかけからお尋ねします。なぜゲームセンター、アーケードゲームをテーマにした展示をしようと思われたのでしょうか?

藤井 まず、その前段階として2012年に「テレビゲームと文学展」という展示をしました。元々私は博物館にまったく興味がなかったのですが、2008か2009年頃、都内にいる博物館に関心がある友人がいろいろな美術館や博物館に出掛けては、ブログにアップすることを繰り返しているのを見て私も感化されたんです。
その後、自分でも出掛けたところにある博物館や美術館をまわるようになり始めましまして、そのうちのひとつが小樽文学館でした。当時から、小樽文学館の雰囲気はほかの博物館とは違っていて、玉川さんご自身がおもしろいブログを書かれていたこともあって、定期的に顔を出すようになりました。最初はボランティアをやらせていただくところからお付き合いが始まりまして、やがて玉川さんもゲームに関心があることを知ってからは、ゲームの話もするようになっていきました。
2010年に、東京で「パックマン展 ── 80’s to 10’s ゲーム&カルチャー」が開催されることを玉川さんに伝えたら、「じゃあ、ここでも何かやってみましょうか」という話になりまして、2年ほどかけて準備をして開催したのが「テレビゲームと文学展」でした。当時は「パックマン展」以外に参考になる展示が全然なくて、とりあえずやってみたという企画でしたから、今思うとかなり粗削りな内容だったと思いますが、もしこの展示を開催していなければ、今回の「小樽・札幌ゲーセン物語展」につながることはなかったので、展示をした意義はあったと思います。
  

玉川 「テレビゲームと文学展」は、藤井さんの視点がとてもユニークでおもしろい展示になりましたね。アドベンチャーやRPGだけでなく、アクションやシューティングでさえも、ゲームのジャンルひとつひとつに物語があり、テレビゲームと文学がストレートにつながるのではないかと思いましたので、これをテーマにして展示をやってみたらおもしろいのではということで実施しました。

―― ナルホド。ゲームにはタイトルごとに、あるいはプレイヤーごとに物語があるという、今で言うナラティブ(経験から生まれる物語)的なところにフォーカスしたわけですね。

藤井 ゲームに内包される物語を、可能な範囲でお見せしようと思って展示内容を考えたり、既存の小説や文学との関連付けた展示も行いました。一番わかりやすいのが「走れメロス」ですよね。この作品は、ストーリー自体がゲーム的ですから。ただ、私自身はゲームを作る技術がありませんでしたから、もし自分でゲームにしたらどうするのかを、テキストとイラストで描いたものを展示しました。

玉川 このときに藤井さんが書いてくださった、「走れメロス」のシナリオ的なテキストがとてもおもしろくて、そのままゲームにできる内容だったと思いますね。展示の際はゲームの歴史ですとか、できるだけゲーム画面やハード、筐体も一緒にご紹介したいと思っていて、ある程度のところまでは実現できたのですが、ゲームそのものをプレイする、あるいは動いている形で展示するところまでは、メーカーさんから許諾を得られず、そのときは実現できませんでした。

―― 「テレビゲームと文学展」の反響はいかがでしたか?

玉川 とても良かったですね。皆さんおもしろがってくださいまして、感想を拝見してもすごく評価していただいておりましたので、風変わりな展示だと思われたみたいですね。

藤井 その次に、2014年にはボードゲームの展示イベント「ボードゲームと文学展」を、ドイツ製のおもちゃを売っているキンダーリープさんというお店と一緒に開催しました。キンダーリープさんは、2011年の震災のときにおもちゃを被災者に提供する取り組みをされていまして、その報告会に私が参加したことがきっかけで交流ができました。
当初は「テレビゲーム展」をもう一度やりたいなと思っていたのですが、同じゲーム展という枠でコンセプトをちょっと変えて、デジタルからアナログにして一度やってみようということで、キンダーリープさんにご協力をお願いしたところご快諾をいただいたので、いろいろゲームをお借りしてうえで展示をしました。

玉川 最初の「テレビゲームと文学展」のときに、TRPGにもちょっと触れていましたので、その流れでボードゲームのほうも自然に受け取ってもらえたのかなと思いますね。

―― では、なぜ今回の展示はゲーセン、それも小樽・札幌という地域に絞って開催したのでしょうか?

玉川 基本的には、最初は「テレビゲームと文学展2」をやりたかったのですが、そこからちょっと形が変わって今回のような展示になったという流れですね。

藤井 「テレビゲームと文学展2」を開催するつもりでいたのに、なかなか内容が決まらなくて……。そんな中、去年の1月に「文化庁メディア芸術祭 小樽展」が開催されました。企画・運営側には、地元出身の水口哲也さんもいらっしゃいまして、『Rez Infinite』がVRで遊べるコーナーですとか、『人喰いの大鷲トリコ』などのゲームに関わる展示も行われ、小樽文学館もその会場のひとつになりました。

玉川 そのときに、確か水口さんのオープニングイベントの質疑応答の時間だったと思いますが、札幌からお越しになったかたが「ゲームセンターが閉店して、アーケードゲーム文化がどんどん失われている」というコメントに対して、水口さん自身もすごく気にしてくださいまして、「そのようなものをアーカイブする時期に、もう来ていますよね。地方でも東京でも、本気でやってくれるところがないかなあと私も思っていました」などと仰っていたんです。
オープニングイベントは小樽市産業会館が会場だったのですが、「あまり使われなくなった公共施設で、そういうことができたらいいですよね」という話もされていましたので、私も水口さんに声を掛けて「そういう関係のイベントができたらいいなと思っています」とお話させていただいたら、すごく喜んでくださったことを藤井さんにもお伝えしました。

藤井 かつて、札幌にはディノスパーク札幌中央という、2階にかなり広いレトロゲームコーナーがある大きなゲームセンターがありました。地元では「レトロゲームを遊ぶならココ」というお店だったのですが、2019年に閉店してしまったので札幌市内のファンにとっては大きな喪失感に包まれたようですね。
私も2000年代以降は、ゲーセンに通って何かのゲームをやり込んだりすることはなくなったのですが、たまにディノスパークに行ってみたり、東京に出掛けた際はミカドやナツゲーミュージアムとかにも行ったりしていたのですが、玉川館長からそのようなお話があったことをお聞きしまして、「確かに、ゲーセン文化が消えつつあるな」と改めて認識しました。展示のテーマを、アーケードゲームとゲームセンターにすれば筋が通りますし、最初の展示に比べてコンセプトがかなりしっかりと固まるものができそうだなと思いましたので、じゃあやってみようかなあと。
それから、私の友人で元UPLの開発者がおりまして、コンセプトが固まる前から「ゲーム展に協力しますよ」とお話をいただいていましたので、今回の展示ではUPL関連の基板や展示物をすべてご提供いただきました。先程、玉川館長も仰っていましたが、最初の「テレビゲームと文学展」のときは、基板や筐体だけを展示して、実際に遊ばせるところまでは実現できなかったので、次回はゲームも遊べる展示ができればいいなとずっと思っていたんです。
ほかにも、「文化庁メディア芸術祭 小樽展」に来場されていた、昔のゲームグッズをたくさんお持ちのかたにもご協力をお願いしまして、今回の展示物の3~4割ぐらいにあたるたくさんのグッズ類をご提供いただきました

会場内に展示されていた筐体。手前の筐体では『とべ!ポリスターズ』が、奥側は『XX(ダブルエックス)ミッション』が無料で遊べるようになっていました

玉川 初めのうちは、こちらの想定を超える企画になっていたので正直、大丈夫かなあと思っていましたが、特にナムコ関連グッズを多く集めることができてうれしかったですね。私も昔のナムコのゲームがとても好きだったのですが、バシシマーカーとか豆本とかはウワサでしか聞いたことがなかったので、今回の展示で実際に見ることができてびっくりしました。

―― 過去の展示やイベントを通じて、協力していただける地元の有志との出会いがいろいろあったんですね。

藤井 はい。それから去年の3月には、札幌市内にあったゲームセンター、レタス702の元店長で、今はすすきのにあるゲームバー、GAMERSBAR lettuce702の店長さんを紹介されてお店に行ったところ、『アウトラン』のマニュアルをはじめ、当時のゲーセンで使っていたものをたくさんご提供いただくことができました。
ほかにも、去年の6月頃にはTwitterを通じて「こんな昔のゲームのポスターがありました」と投稿されていたかたを見付けて、協力をお願いしたりもしました。もうこの時点で、かなり説得力のある展示物が用意できる目処が立ちました。割と早い段階で、展示できる物をたくさんお持ちのかたがたに出会えたのは本当にありがたかったですね。
無料展示コーナーでの開催ということもあり、初めのうちは勢いだけで「(2020年の)夏ぐらいにゲームセンターの展示をやろう」と考えていたのですが、コロナの影響でいろいろな調整が必要になり、さらに思いのほか多くの協力者が現れて展示物がそろった結果、ついには筐体も借りることもできるようになりました。
それから玉川館長は、かつてスガイディノス札幌中央でイベントのMCをされていた、札幌吉本の大林宜裕さんと面識があり、大林さんはハムスターさんともつながりがあってイベントに出演されてることをお聞きしました。そこで大林さんの伝手を生かして、UPLの版権をお持ちのハムスターさんに協力をお願いしたところ、ご快諾をいただけたので会場内でゲームが遊べる企画を進めることができました。

玉川 人も物もノウハウも、そして「どうやらゲームも遊べるようになりそうだ」と、どんどん後付けで企画が広がっていきました。過去に開催したほかの展示でも、最終的にどんどん内容が濃くなるケースがとても多かったのですが、今回もまさにそうなりましたね(笑)。それにしても、ゲーセンをテーマにしたことでこれだけ共鳴してくれるかたがいらっしゃるとは想定以上でした。

藤井 今回の展示がきっかけで、また新たに多くのかたと知り合うことができました。過去の二度の展示と違ったのは、とても建設的な提案や協力をしてくださるかたが増えたことですね。展示のコンセプトとレイアウトの作成は私がやりましたが、「筐体を貸しますよ」とか「こんなふうにしたらどうですか?」とか、途中からどんどん協力者が増えましたので、例えば筐体のメンテナンスに関しては、ご提案をいただいた本人が一番くわしいので、すべてお任せした上で展示しました。

―― 会場を拝見したところ、2台あった筐体のうち1台は、コナミの『とべ!ポリスターズ』が遊べるようになっていました。と、いうことはコナミからも許諾が取れたわけですね?

玉川 はい。ダメモトでコナミさんにお願いしたところ、展示にすごく興味を持っていただいて、「ルールを守ってくだされば展示してもいいですよ。ただし、後で状況をわかる範囲で教えてくださいね」とご快諾をいただけて、むしろこちらが拍子抜けするほどでした。

藤井 コナミの基板は、『とべ!ポリスターズ』のほかに『フラックアタック』も一時期動かしていました。どちらの基板も、先程お話した元UPLのかたがお持ちでしたので、せっかくだからUPL以外にもやってみようと思い付きました。
さらにコナミさんから「『グラディウス』とか『ツインビー』とか、有名な基板の展示をしてはどうですか?」と、逆にご提案もいただきましたので、「コナ研」さんという札幌にあるコナミ関連のコレクションをしている有名なサークルのかたがたにご相談したところ、『出たな!!ツインビー』や『沙羅曼蛇』などの基板も、会期の途中からの追加という形になりましたがお借りして展示することができました。

―― 展示物は、80年代に作られたものが大半のようですが、本展は当初から80年代にフォーカスした企画だったのでしょうか?

藤井 それはたまたまですね(笑)。年代まで考えながら調整するのは大変ですし、ご提供いただいたものをそのまま展示するだけでもおもしろいし、まあいいかなあと。シューティングゲーム関連の展示物が多めだったりなど多少の偏りはあるのですが、むしろ地方で実施する展示イベントとしては、逆に偏りがあったほうがおもしろいと思いましたので、あえて調整はしませんでした。

―― 懐かしグッズの展示が多くあるので、来場者は80年代にゲーセンに通っていた40~50代が中心になったのではないかと思われますが、実際はどうでしたか?

玉川 ええ。明らかにそうなりました。夢中になるのはだいたい50代前後の方で、「ゼビウス1000万点の解法」もすごく反応が良かったですね。一緒に来た家族に、「これはすごい展示だ。これは今では貴重な物なんだよ」とか、いちいち我々のほうから説明しなくても、昔の思い出などを篤々と説明するダンナさんとかもいて、聞いている側の奥さんとかは正直、どこまでついていけてるのかなあと思いつつも(笑)、お子さんたちは比較的楽しそうにしていらっしゃいましたね。

藤井 そうですね。展示内容がストレートに刺さるのは、やはり我々と同じ80年代にゲームを楽しまれたかただったと思います。

ショーケース内には懐かしのゲーム雑誌や書籍、「NG」(かつてナムコの発行していた広報誌)も展示されていた

以上、前編はここまでです。
次回の後編では、本展のキモとなった地元、小樽のゲーセンマップや、ゲーセンのコミュニケーションノートが紡いだ「ゲーセン物語」ならではのおもしろさを中心に、藤井、玉川両氏が本展に込めた熱い思いをお伝えします。
どうぞお楽しみに!

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