ビデオゲームの基板修理を請け負う「スタジオたからのす」

  • 記事タイトル
    ビデオゲームの基板修理を請け負う「スタジオたからのす」
  • 公開日
    2021年04月30日
  • 記事番号
    5144
  • ライター
    外山雄一

ビデオゲームの基板修理を請け負っているスタジオが横浜にある……という情報が寄せられたため、今回その「スタジオたからのす」運営者である塔矢氏へ取材を申し込み、お話を伺った。
このスタジオでは個人、法人を問わず、ゲーム基板の修理を広く請け負っており、大手を含むゲームセンターの運営を陰で支えている存在でもある。
「スタジオ」という言葉には大きく分けると、音楽収録や映像制作のために使われる「施設」、アトリエや工房などの「仕事場」、という二つの意味があるが、「スタジオたからのす」は両方の使われかたをしている。本記事では、なぜこのような場所で基板修理を行っているのか? を含め、このスタジオの紹介をしたい。

ビデオゲームの「保存」に欠かせない「修理」

かつてゲームセンターを支えていたのはビデオゲームだ。
ビデオゲームの心臓はタイトル毎の専用ゲーム基板や汎用システム基板で、それが壊れるとゲームが遊べなくなってしまう。普通の家電が保証期間内であればメーカーに持ち込めば修理を受け付けてもらえるように、ゲーム基板でも同様だ。
しかし、製造から数十年が経ったゲーム基板は、古い家電と同じように保証期間はとっくに過ぎてしまっている。場合によっては製造/販売した会社が存在しなかったり、会社は残っていても事業部がなかったりと、メーカーがサポートや修理を受け付けていないことが大半だ。

そうして、壊れたゲーム基板はそのまま廃棄されることも多く、元々製造数がそれほど多くないタイトルの基板は、どんどん数が少なくなり、希少化して中古市場での取引価格が高騰していく。
美術品や骨董品と同様、その時代のオリジナルのゲーム基板を現在新たに作ることは実質難しく、年々減っていくばかりだ。

このように消えゆくビデオゲームを保存する手段のひとつとしてエミュレーター文化があるが、元のゲームやエミュレーターエンジンの著作者に許可なく商業利用することはできない。
それらをクリアして移植版、復刻版が発売されるタイトルもあるが、ビジネスとして成立するのは一部の人気タイトルに限られる。不人気なゲーム、知名度が低いゲーム、表現の問題で移植/復刻できないゲームなどは、よほどのことがなければ、オリジナル版以外の手段で正規に遊ぶことはできないのが現状だ。
また、移植/復刻により別の手段で遊べるようになったタイトルも、色やサウンドの再現性が高くなかったり、入出力信号に遅延があったりすると、プレイ感覚が変わって別のゲームになってしまう。

それゆえオリジナルの筐体や基板でのゲームプレイ環境の保存には常に需要がある。
そうした貴重な環境でのゲームプレイを提供しているゲームセンターは、それだけで尊敬に値するが、店舗だけの努力では限界があるため、その環境をバックアップしている人々がいる。

例えば、無数のゲーム機器を保全、修理しながら、コインオペできる形でリースしている髙井商会のような企業や、所有しているゲーム機器を店舗に貸し出しているレトゲ部のような個人の集まり、業務用ゲームパーツを製造/販売し続けている三和電子のような企業……。
今回紹介する、ゲーム基板の修理を請け負う「スタジオたからのす」も、ビデオゲームを陰ながら支える貴重な存在だ。

ステージ、観客席、照明、音響設備と共にゲーム筐体や基板が並ぶ空間

「スタジオたからのす」は、本来は多目的イベントスペースだ。
ライブハウス的な側面もあるが、キャパシティーは小さく、感染症対策下では出演者と観客合わせて30人が上限だ。
現在、ライブステージの横にはテーブル筐体が1台ある他、少し離れた場所にブラストシティ筐体が2台と、計3台のゲーム筐体がある。

最近『アルカノイド』を修理して遊びたくなったため、自前の基板をつなげている

このスタジオでは、現在も週末を中心に定期的なイベントが開催されているが、コロナ禍のためイベントスペースとして稼働している日は少ない。
それ以外の日は、ここが基板修理の作業スペースとなっている。
このため、ドラムセットやピアノなどの楽器、音響や照明設備と共に、ゲーム機器と各種工具や部材が雑多に置かれた、かなりミスマッチな空間となっている。
なぜこのような空間が出来上がったのか? は後述するとして、運営者である塔矢氏に、まず基板修理について伺った。

スタジオ運営者・塔矢氏が基板修理の技術を身に付けるまで

塔矢氏は、小学生時代からハンダごてを使って電子工作を行ってはいたものの、高校は普通科で、とくに電子技術を専門に学んだことはないという。
学生時代からゲーム好きで、社会人になってからビデオゲームの基板を収集するようになり、特に80年代の大型筐体用のゲーム基板を買い集めていた。

この頃入手した代表的な基板には、『スペースハリアー』、『アウトラン』、『ソルバルウ』、『スターブレード』、『WECル・マン24』、『ミッドナイトランディング』などがある。
当時の中古基板はそれほど高価ではなく、90年代には50~60枚ほどを収集した。
しかし保管する場所の問題もあり、あくまで基板だけで筐体の入手までには至らなかった。
そうして集めた基板も時折故障することがあったが、当時は修理のスキルも高くないなりに、趣味の延長で「意地で」直していた。

ゲームをプレイ中の塔矢氏。ここ最近で『アウトラン』基板を5枚修理したとのこと

その後、社会人としての本業とは別に、なぜかプライベートでエアコンの修理や家庭用ゲーム機の修理を周囲から請け負っていた塔矢氏は、電子部品を扱うスキルを独学で高めていく。

ゲーム基板は押し入れに仕舞っており、そこから出すことも少なかったが、紆余曲折を経た2019年、あるきっかけでその基板たちを紐解き、再び電源を入れて遊べる状態にするため基板修理を再開した。
しばらくゲーム基板を扱っていなかった塔矢氏だが、その間に蓄えた知識と修理スキルで、以前では手が出なかった故障にも対応できるようになっていた。

希少なカスタムチップを汎用ICで代用?

手持ちのゲーム基板が壊れた場合、その時点で電子技術がない人は修理業者に頼むしかない。
多少技術のある人であれば、液漏れした電解コンデンサや壊れた汎用TTLやSRAMの交換、切れたパターンの導通、消えたEPROMをROMライターで書き込んだ別ROMへ交換するなどは対応できるだろう。

しかし、各メーカーがコピー対策のためにカスタムチップを使っていると、これが修理の際の壁になることがある。
メーカーでも、このカスタムチップのストックがある内は修理が行えるものの、底をついた時点で通常はお手上げとなってしまう。
以前取材した髙井商会でも、カスタムチップは別タイトルの基板から外した物を使ったり、複数のジャンク基板の動く部分を合わせて動くようにする、いわゆる「ニコイチ」での修理が常套手段だと伺った。

とはいえ、こういった修理の手法は現存数が少ないゲーム基板の個体数を、さらに減らすことにもつながってしまう。このため塔矢氏は、場合によってはカスタムチップを汎用TTLで再現する手法を使っている。以前はこうした手法は使えず「意地で直していた」とのことだが、20年以上経って状況は変わった。

まず、アーケード基板の情報が世界中の有志によってネット上に公開されるようになったことが挙げられる。
各メーカーの基板の回路図、カスタムチップの挙動などは、当然ながら機密情報で、それらのゲームが現役で稼働している時代では、こうした情報の公開は当然できなかっただろうし、今現在でも実際のところはNGであろう。
しかし80年代の基板は製造から30年以上が経過し、機密としての価値は限りなくゼロに近くなっているとも考えられるため、メーカー側が黙認している(あるいは気付いていない)のが実情だろう。
こうした情報の有無は、基板の修理難易度に大きく関わってくる。

また、ネット環境の変化により、修理部品の情報が入手できるようになったのと同時に、eBayなどを経由して海外からの部品調達が容易になったことも大きい。

加えて、塔矢氏の修理スキルも大幅に上がった。
塔矢氏いわく「基板の修理で一番難しいのはQFP(Quad Flat Package)やSOP(Small Outline Package)、TSSOP (Thin Shrink SOP)を外すこと。それができれば、ほぼ修理できます」とのこと。
塔矢氏がQFPを剥がす様子はTwitterで公開されている。今では100ピンのチップは5分もあれば外せるし、30分あれば付け替えもできるようになったという。

前述したカスタムチップの別部品での置き換え例も『ぷよぷよ通』修理動画としてTwitterで公開されている。
同作に使われているセガのSystemC2基板は、とあるカスタムチップが外部からの静電気を受けやすい位置に配置されており、そこが最も壊れやすいらしい。

このケースでは、カスタムチップ内部の一部が壊れているだけだったので、CPUがその部分を読みに行くタイミングだけ信号線を切り替え、データを乗っ取る形でCPUを騙す「データーオーバーライダー」を汎用TTLで組んで修理した。

自作したダイオードアレイが載ったSystemC2基板

この基板は、それ以外にもダイオードアレイが壊れており、日本では現在入手できない部品だったため、手持ちのダイオードを複数つなげた自作品で代用している。

こうした基板修理は、当初は塔矢氏自身が所有していた物をスタジオで動かすために始めたのだが、その後のコロナ禍~緊急事態宣言により「スタジオたからのす」がイベントスペースとしての営業ができなくなった2020年春から、事業としての基板修理を請け負うようになった。

上記のような基板修理動画を公開したところ、とある基板ショップからの依頼が舞い込み、そこから基板ショップの常連客、さらには大手のゲームセンターへと情報が広がり、修理依頼が増えた。

簡易チェック用ハンディオシロスコープ(200kHz)。80年代の基板ならこれで十分とのこと

幅広い修理をこなすため、ROMライターやオシロスコープなど機材も増えていった。
それらを使いこなすことにより、さらに基板修理のノウハウが蓄積された。

PLD(Programmable Logic Device)の焼きかたも、この1年で身に付けた。
様々な基板を多数修理した塔矢氏だが、それでも希少な基板を扱うときは流石に緊張するという。
ビデオゲームの基板はどんどん市場から消えつつあり、中には数十万円~人気タイトルに至っては百万円以上で取引されるものも存在する。
動く/動かないで市場価値が大きく変わるため無理もない。

こうして幅広く基板修理を請け負い、それをこなしてきた塔矢氏だが、何でも修理できるというわけではないそうだ。
修理のための情報や部品が入手できなかったり、修理不能なまでに基板破損している場合もある。
それでも、まず物を見てみないと直せるか否かはできないため、動かしたい基板があれば、他の業者で修理を断られた基板も含め、気軽に相談してほしいとのことだ。

音楽活動とゲーム、運営者・塔矢氏の経歴と、スタジオ引き継ぎまで

「スタジオたからのす」は、常連客に支えられてはいるが、実質は塔矢氏が個人で運営している。
その塔矢氏の経歴は複雑かつ独特だ。

高校時代からライブで歌うことが好きだった塔矢氏は、とある歌手のボーカルレッスン、プロ養成コースを受けており、一時期はボーカリストを目指していたという。
しかし現実路線に舵を切ったのか、高校卒業時の進路目標は、IT系か外食産業という二択となっていた。

卒業後にはCOBOLエンジニア(プログラマー)として就職、数年勤めた後に、限界を感じて某ファミレスに転職する。
ファミレスではマネージャー候補として入社し、同期入社の同僚が辞めていくのを横目に2年後にマネージャーとなり、その後も2年間、計4年勤めた。
ここでは接客、調理、店長も経験した。
担当していた店舗は閉店が深夜2時で、閉店後に発注業務などをこなして明けがたに就寝、午後に起床してゲームセンターに通うような毎日だった。

この頃のファミレスの常連に、0時閉店のゲームセンターの社長がいた。
塔矢氏はこの社長に誘われ、ファミレス店長からゲームセンター店員に転職をする。
1994年、対戦格闘ゲームが大ブームの真っ只中で、ゲームセンターの景気が良い頃だった。

その後、対戦格闘ゲームのブームが落ち付いてインカムに陰りが見えはじめ、家庭用ゲーム市場がPS2で盛り上がりを見せた頃に5年勤めたゲームセンターを退職する。
このゲームセンター勤務時代にも、店舗の基板を修理することがあり、ノウハウが自然と身についていた。

ゲームセンター退職後の塔矢氏は、今度は当時出玉規制が緩く好景気だったパチンコ店に転職する。
パチンコ店ではマネージャークラスの人材が求められていたこともあり、主任として入社し7年間勤めたが、出玉規制が強化された影響により店が閉店することとなり退職。

ここで再度ITエンジニアとして某航空会社に転職、かつて身に付けたCOBOLの知識を役立て、メインフレームからオープン環境への移行業務に就いた。
航空会社での仕事はIT系とはいえホワイトで、アフターファイブに余裕が出来た塔矢氏は、六本木のライブハウスに出入りして再び歌うようになった。
この六本木での様々な出会いが、その後の塔矢氏の人生に大きな変化をもたらしたという。

六本木で歌う塔矢氏(2015年3月)

六本木で知り合った人物に誘われた塔矢氏は、8年勤めた航空会社を辞め、何と目黒でラーメン店を開業することになった。
個人店ではあれど、都内には少ないジャンルの味で、ファミレスのノウハウを使って効率化を図ることで勝算があったが、赤字とはならないもののプラスにもならず、1年持たずに閉店する。

その後、今度はフリーランスとしてITエンジニアに戻った塔矢氏は、某巨大銀行のシステム開発に参加。
以後は、現在も「昼の仕事」はITエンジニアだ。

塔矢氏は六本木のライブハウスにずっと出入りしていたが、客として参加していたライブイベントで、音響担当者が姿を見せないというトラブルに居合わせたことをきっかけに、以後この店の音響を手伝うようになる。
あるとき、横浜にある別のライブハウスのオーナーが逝去したことから、店は六本木から横浜へ移転する形で合併、塔矢氏が歌う場所も横浜へ移った。
そして今度は元六本木店横浜のオーナーが逝去、2019年から塔矢氏が「夜の仕事」として、ライブハウスを引き継ぐことになった。

奥に見えるノートPCでは自作ソフトで照明制御をする他、ROMも焼く

「スタジオたからのす」始動!

塔矢氏は、引き継いだ店の名前を「スタジオたからのす」とした。
六本木の店の看板に描かれたモチーフが「鷹」だったことと、店にとって大事な「たから」が集まる場所にしたかったということで、とある常連客の提案でこの名前が決まった。

塔矢氏のこだわりで、入口に掲げられた店名は六本木時代のままとなっている

塔矢氏は、まず店内にテーブル筐体を設置、ライブ後に集まったかたがたとゲームで遊ぶ日々が続いた。
このテーブル筐体では『ディグダグ』、『ゼビウス』、『魔界村』、『アウトラン』という順番で手持ちのゲーム基板を稼働させた。

こうして所有基板を紐解くうちに、それらを動かすために自分で修理するようになった。
そして土日はライブ、平日は基板修理というサイクルができたのだが、2020年に入ってコロナ禍に見舞われ、ライブの機会が減少、基板修理の時間が増え、さらには業務としての基板修理を請け負うようになっていく。
今ではメーカー直営の大手ゲームセンターの基板修理を請け負うなど、オペレーターからも厚い信頼を勝ち取るまでになっている。

店を引き継いでからこれまで、筐体は3台の設置に留まってはいる。
かつては『レイブレーサー』の筐体やピンボール台を入手できるタイミングがあり、それらを置くことも検討したが、何とか思いとどまった。
また、eBayで部品を探す際に、海外で『アフターバーナー』のダブルクレイドルタイプ出品を目にして、真剣に購入を検討したこともあったが、送料を試算して現実的ではないことに気づき断念した。
しかし、今でもピンボールは1台置きたいと考えているそうだ。

ライブイベントとゲーム基板修理、それぞれ案件募集中!

ライブハウスの多くがコロナ禍で厳しい状況に置かれている昨今、「スタジオたからのす」も、今後の見通しが見えない部分もあるというが、それでも塔矢氏は前向きだ。

イベントスペースとしての稼働は、音楽ライブだけでなく、電子工作イベント「ツクルチカラ」を時折開催している。
これは基板修理イベントというわけではなく、参加者が電子工作キットをひとつ選んで組み立てるという内容で、塔矢氏のアドバイスも受けられるほか、修理の相談もできるそうだ。
もちろん本来の音楽ライブのイベントも定期的に開催しているので、公式ページをチェックの上、気になるライブがあれば気軽に参加して欲しいとのこと。

また、ゲーム筐体が常設してあるライブスペースということで、今後はゲームサウンドに関するイベントの開催も検討している。ゲームミュージックバンド/ユニットに関わっているかたは、興味があれば「スタジオたからのす」にお問い合わせを。

そして、もうひとつ。
昔入手したものの、今は動かなくなっている貴重なゲーム基板を所有している人からの修理の相談も歓迎しているそうだ。
修理が成功し、再び動くようになったゲームは個人で楽しむだけでなく、より多くのプレイヤーに遊んでもらえるよう、行きつけのゲームセンターに持ちこむことなども、ぜひ検討して欲しい。そういったことがゲームセンターという文化を盛り立てる力につながるのだから。

■店舗情報

スタジオたからのす
神奈川県横浜中区長者町2-5-4 ニュースカイマンション103

公式Facebookページ

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