見城こうじのアケアカ千夜一夜

  • 記事タイトル
    見城こうじのアケアカ千夜一夜
  • 公開日
    2025年09月26日
  • 記事番号
    13456
  • ライター
    見城 こうじ

 

『SENJYO』開発者ショートインタビュー

 
 上田和敏氏 プロフィール
 ゲームデザイナー。代表作『Mr.Do!』『ボンジャック』『スターフォース』

 『女神転生』『ダンジョンエクスプローラー』『キング・オブ・キングス』他多数。
 

 
 鶴田道孝氏 プロフィール
 ゲームデザイナー。代表作『スイマー』『ソロモンの鍵』『キャプテン翼』

 『つっぱり大相撲』『モンスタータクティクス』『PLANTS WITH 5 ELEMENTS』他多数。
 

前半のコラムに引き続き、後半は企画を担当された上田和敏さんと鶴田道孝さんへのインタビューを掲載します。

じつは今回、お二方には『SENJYO』のことだけをお訊きするつもりだったのですが、関連する同社のゲームの貴重なお話も飛び出してきたので、全部掲載させていただきました。ちょっと脱線しますが、楽しんでいただければと思います!

『SENJYO』そして『ガズラー』『ボンジャック』開発の経緯

――『SENJYO』はお二方が別のかたから引き継いだ企画とのことですが、経緯を教えていただけますか?

上田 ユニバーサルからテーカンに移籍したころの記憶がものすごく薄いのですが、何とかしてほしいとの依頼があって引き継いだものだったと思います。『ガズラー』と『SENJYO』のテコ入れ(?)が同社での私の最初の仕事でした。

鶴田 『SENJYO』は前任の企画担当の方が退職されて上田さんが引き継いだ、という経緯だと思います。前任のかたが仕様書などがうまく書けず苦労されていたようでした。『ガズラー』については、私の企画案が採用されたものだと思います。

上田 『ガズラー』は記憶がほとんどなかったのですが、元は鶴さんの企画だったのですね。

©コーエーテクモゲームス

鶴田 『ガズラー』の開発のころ、まだ私は大学生でバイトだったと思います。テーカンで『スイマー』の基板を使った私の企画案が採用されて『ウォーターマン』という名前のゲームとして開発がされていたという記憶があります。

――『ガズラー』の仮称は『ウォーターマン』! 『スイマー』も水が関係するゲームなのでちょっと混乱しますね(笑)。当初はどのようなゲームだったのですか?

鶴田 通路上の水を吸うと自分の体が3段階まで大きくなり、射程のある水を飛ばして敵を倒す、というゲームだったかと。水の射程は体の大きさに比例していて、体が大きいと動きがゆっくりで、小さい方がやや早く動ける、とかだった気もします。

――ゲームシステムの原型はできあがっていますね。

鶴田 ただ、ゲームとしてはまとまっておらず、ゲームのメイン企画がバイトの私だったこともあるかもしれませんが、上田さんがテーカンに入社され、『ガズラー』として完成させたと記憶しています。

――当初からとても独自性の高いアイデアだったのですね。鶴田さんは『ボンジャック』の原型になるゲームの試作も担当されたとお訊きしました。

鶴田 たしか『ボンジャック』の前の段階で、坂本慎一さんと私で、メタルチックなボールを着地時にタイミングよくボタンを押すことで高くジャンプさせ、空中でボタンを押すとボールが縮んで一時的に止まるゲーム(の自機操作性)を作っていて、その段階であまり先に進まない状態でした。
そこで上田さんが、着地時にボタンを押すとジャンプ、空中でボタンを押すと停止する、というスタイルとゲーム性(クリア条件、遊ばせかた)をほとんどゼロから作って、『ボンジャック』として完成させたと記憶しています。

©コーエーテクモゲームス

――『ボンジャック』の前身のゲームのお話は、以前にもIGCCの記事で坂本慎一さんが語られていますね。

▲『ボンジャック』の元になった『Punch』企画書の一部(資料提供:コーエーテクモ様)

上田 じつは鶴さんと坂本さんのお話は少しだけ私の記憶と違っていて、『ボンジャック』の初案自体は私が出したものだと思います。

――上田さんが『ボンジャック』を発案されるまでの経緯は、以前にもいろいろなところでお話されていると思いますが、改めて訊かせてください。

上田 『ボンジャック』は、当時テーカンにいた石塚路志人君から「歌舞伎町のゲームセンターに『ジャウスト』というおもしろいゲームがあったので見てみたら」と言われたんです。

――任天堂の『バルーンファイト』の着想の元にもなったアメリカのWilliams社のゲームですね。

上田 早速その夜、車でぴゅーっと向かいまして、遊んでみたところ、目新しい操作性のゲームで、これはおもしろいと思い、家に帰って1枚の紙を4分割して4つの絵を描きました。以下のような絵です。
 ①ボタンを押すと、空中にある「まーるい玉」がつぶれている絵
 ②地面に落ちた玉がポンポンと弾みながら段々とジャンプが小さくなっていく絵
 ③地面でボタンを押すとつぶれてジャンプする絵
 ④空中でボタンを押すと、落下速度がゆっくりになり空中移動できる絵

……ほぼこんな感じです。ここはけっこうよく覚えています。
翌朝、その紙を持って当時の柿原社長の元へ行ってゲームの説明をして「おもしろいと思うか?」と訊かれたので「はい♪」と答えて企画が通りました。立案から企画が通るまでほぼ12時間、私の「最短記録」です。
鶴さんと坂本さんのお2人に操作性の部分で試作を作っていただいたことについては、たぶんそうだったと思います。『ボンジャック』は操作性が命のようなところがありますよね。当初は空中の16dotの隙間になかなか入れなくて苦労しました。

――皆さんで知恵を出し合って、あれらの傑作を生み出していったのですね。他にも『ソロモンの鍵』も鶴田さんと上田さんがご一緒に企画を担当されていますよね?

上田 そうですね。ちなみに『ソロモンの鍵』については、間違いなく初案は鶴さんです。

『SENJYO』開発からリリース後までの思い出

――『SENJYO』に話をもどしますが、引き継いだ時点ではどんなゲームで、どこまで完成していましたか?

上田 引き継いだ時点で『SENJYO』としての完成度はゼロに近かったと思います。最終形とはまったく違った形のタンクゲームとして動いていました。

鶴田 大まかな内容が決まっているくらいで、テスト用のプログラムが動いていた程度だと思います。

――『SENJYO』は上田さんがメイン企画とお訊きしていますが、鶴田さんはどのような形で関わられていたのですか?

鶴田 曖昧な記憶ですが、私は多重背景の速度の割り出しかたでお手伝いしたのではないかと思います。

上田 その箇所を鶴さんに手伝ってもらってたのですね。ありがとうございます。

鶴田 他にも、多重スクロールで奥の背景は自機の移動方向と同じ向きでゆっくり、そして手前の背景は自機と反対方向へ、という案を(不採用になるだろうけど、おもしろいかな、と)提案したことを思い出しました。
カーブしている列車の車窓から見ると、遠くの山が列車の進行方向へ、手前の風景が列車の後方へ流れていく、というイメージです。アニメの『宝島』だったか、出崎統作品の背景の動かしかたで見て、おもしろそうだ、やってみたいと思ったんです。
ただ、日常ではあまり体験しない現象ですし、当時効果をうまく説明できる技量と自信がなかったので、まあ没だろうなと思っていました。記憶違いがありましたらご容赦ください。

©コーエーテクモゲームス

――他社製品等で参考にされたゲームはありますか?

上田 「戦車のゲーム」というアイデアは結果的に継続になったので、夜な夜な通った歌舞伎町のゲームセンター「キガワ」にあった戦車ゲーム『バトルゾーン』を参考にしました。行くたびにプレイするほどお気に入りのゲームでした。会社が浅草にあって、私の住まいはそこから1分のところだったのですが、歌舞伎町までは夜中の高速道路を使って10分ぐらいで着きました。

――夜中に通っていたのですか?

上田 このころのゲームセンターは、24時間営業でしたので。
最終的にBG(バックグラウンド)を3枚持つことができて、それぞれが別々にスクロールする基板を使えるということで、あの形の戦車ゲームになりました。
ちなみに、のちにこの基板の2作目が『スターフォース』になりました。多重スクロールする『ゼビウス』を目指したのですが……ほぼ多重スクロールを使用することはなかったです。

©コーエーテクモゲームス

――『SENJYO』を市場に出した際、オペレーターやプレイヤーからはどのような意見・感想がありましたか?

鶴田 曖昧な記憶ですが、プレイの継続率がプレイヤーによってバラツキがあるという話があったようです。

上田 強烈に記憶に残っているのは、ロケテスト先がいつもの直営店「水道橋店」だったのですが、私の作るゲームとしては桁違いの売り上げがあったことです。たしか1日2万円を超えていたと思います。
他の私の作ったゲームのロケテスト結果は、正確には覚えていませんけれど、大体1日3~5千円程度で、売り上げは悪いけど、お客さんは付きっぱなし……という感じだったかな。それに対して『SENJYO』は売り上げはよいのだけれど、客付きは……? でした。オペレーターやプレイヤーからどのような意見があったかについては、あまり記憶にありません。

――最終的にとくに満足できた点と、できなかった点がもしあれば教えてください。

上田 「迫りくる恐怖」がもっとも表現したかった部分なのですが、結果として表現しきれなかったと思います。

――貴重なお話をありがとうございました!

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