我が青春のテレビゲーム

  • 記事タイトル
    我が青春のテレビゲーム
  • 公開日
    2020年11月06日
  • 記事番号
    4015
  • ライター
    さあにん@山本直人

第六回:『ギャラクシアン』 あの旗のもとに集え!

1979年の年末が近づき、高知市内にも少しずつ、ゲームコーナーが増えてきました。
はりまや橋そばにありました「ウィン」(ホテル西鉄インそば)も、ショッピングモール内の「いろいろな遊びがあるゲームコーナー」から、「テレビゲーム中心のもの」に改装し、帯屋町商店街のショッピングモールにも、本格的なゲームコーナーが誕生することになります。

タイトー以外のメーカーも身近にやって来る!

けれどまだ、あのメーカーはやってきていませんでした。
セガは『ヘッドオン』(1979年)がヒットし、メーカーの名が知られるようになっていましたが、やはりアップライトの筐体か、タイトーにライセンスしたもので遊ぶことが多かったですね。

『ヘッドオン』は、いろいろな筐体のタイプで遊んだのですが、アップライトの筐体だとレバーが大きすぎて、個人的にはものすごく操作がしにくかった印象があります。
あと、あまりないことだと思うのですが「縦画面バージョン」と「横画面バージョン」があり、攻略経路が異なるんですよね。
と思ったら、Uターン可能な『ヘッドオン Part=II』(1979年/セガ)や、『ローリングクラッシュ』(1979年/日本物産)など、コースやルールが違うものがガンガン出現して、結果、慣れないままに終わりました。

こちらは縦画面の『ヘッドオン』。いわゆる2in1の筐体はこちらだった。インベーダー系のゲームとセットになっていたため縦画面のデザインが使用された。単体のアップライトの横画面『ヘッドオン』については、こちらを参照
作画:山本直人氏
『ヘッドオンII』。コースの左右にUターンできる通路が設けられた、セガ制作の続編。Uターンの通路が長いため、逆にここに追い込まれてミスになるパターンが多かった。
作画:山本直人氏
『ローリングクラッシュ』。コースが8の字になっているアレンジ型のタイトル。
作画:山本直人氏

インベーダーブームを受け、他のメーカーも続々とテレビゲームに参入してきたのもこの頃です。
ほとんどは『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)の基板を転用した商品でしたが、コピー(アレンジ)だったものが、徐々にオリジナルの内容に変わっていき、スマッシュヒットのタイトルも多く誕生。
「テレビゲームって、こんなバラエティに富んでいるんだ」というのを感じたものであります。
プログラムや、ソフトウェアといった概念を、私の中で認知したのもこの時期であります。

そしてナムコがやって来た!

私が実際にそのタイトルに出逢ったのは、小さな駄菓子屋に1台だけ置いてあったテーブル筐体でした。
今までのどのゲームとも違う、カラフルなキャラクター。
無機質なデザインでなく、そういう生き物がいるかと思うようなデザイン。
ほとんどのテレビゲームで、直線方向にしか動きのなかったキャラクターが、角度を変えながら曲線状に飛来してくる。

はい。『ギャラクシアン』(1979年/ナムコ)であります。

『ギャラクシアン』のデモンストレーション画面。ここの解説を読むと「キャラクシアン」が、的でなく、自分たちというのがわかる。敵の得点が待機中と攻撃中で変化するのも斬新だった。
以下、『ギャラクシアン』の画面写真は、プレイステーション『ナムコミュージアム Vol.3』をアーケードモードで撮影したものです。

今にして思えば、この周辺ではほとんどどこにも導入されてなかった『ギャラクシアン』が、なんで駄菓子屋さんにぽつんと1台あったのかわかりませんが、その後、同じ店で『パックマン』(1980年/ナムコ)を最初に発見しているので(当然、純正品)、導入している業者の関係かなと思ったりします。
……と、話が脱線しました。

キャラクターの美しさと動きに加え、当時のゲーマーが目を見張ったのは、漆黒の背景に流れる、さまざまな色の星。吸い込まれるように奥行のある画面に、未来を感じたものでありました。

その駄菓子屋さんには、テレビゲーム仲間の友人と通うことになるのですが、いかんせん狭めの駄菓子屋さん。
筐体も1台だけですので、待つ時間もお店に来づらい(ただ『ギャラクシアン』を遊ぶだけなのも申し訳ないので、駄菓子を買って、食べながら待ってたりしてました)。
プレイは1日1回。1人で訪れた時は数回遊ぶという感じで、いわゆる「やりこむ」というところまで遊ぶことはできませんでした。

突然、近所にできた楽園

家の近所に、当時母親が行きつけだった喫茶店がありました。
人手の足りないとき手伝ったり、モーニングセットを食べたり、私もたまにコーヒーを飲んだり、軽食を食べたりしていた店です。
何より「ツケ」(いわゆる後払い。月締めででまとめて料金を払ったりする。私の場合は母親がまとめて払っていた)がきくので、気軽に利用できたのであります。

ある日、母親から「〇〇〇(喫茶店の名前)にゲームが入ってたよ」と教えられます。
うちの両親はテレビゲームなどにはまったく興味がなく、タイトルを覚えてくるようなことはありません。
けれど「これは朗報!」と、その夜、喫茶店に行ってみると、そこにあったのは……。

コントローラがボリューム式の、コピー版インベーダー

だったのです。

とりあえず遊びはしましたが、ちょっとガッカリしながら自宅へ戻ります。

しばらくして「ゲームを入れ替えてたよ」と、再び母親から情報。
あまり期待せずに訪れてみると、今度はそこに『ギャラクシアン』が鎮座しているではないですか!
私は、感動の涙を流しました(ウソ)。

その日から喫茶店通いがはじまります。
コーヒーを1杯注文し、100円を投入し、『ギャラクシアン』をプレイする。
それが私の日課になっていきます。
まさに『ギャラクシアン』の楽園が、家の近くに誕生したのであります。

『ギャラクシアン』。いわゆるボス編隊との攻防。ここで素早く800点を決めるのが腕の見せどころだった。

あの旗のもとに集え!

『ギャラクシアン』といえば、ステージ数を示す画面下段の旗が特徴であります。
毎日プレイし、徐々にプレイの腕を上げていく私がまず疑問に思ったのが、

「この旗、きっとあんまりたくさんは並ばないんだろうな」

でした。

『スペースインベーダー』は9面の繰り返しですし、当時のテレビゲームはだいたい1桁のステージしか用意されていません。
なので『ギャラクシアン』も、旗がいっぱい並んだら終わりと思っていたのであります。

その疑問が解決されるときが訪れます。
ステージ9を初めてクリアしたその時、画面上に「10」の旗が。

「その手があったか! 10の束だ!」

私はまた、感動の涙を流しました(だからウソだって)。
ちなみに「10の束」は、1974年から1978年まで日本テレビで、朝に放送されていた「カリキュラマシーン」で、足し算を教える時に出てくる言葉。
テーマソングは現在「チコちゃんに叱られる!」(NHK総合)使われてます。おっと、また脱線……。

『ギャラクシアン』。敵の動きが曲線なだけでなく、撃ってくる弾もまっすぐでなく、飛ぶ軌跡に合わせてコースが変わるというのも熱中したポイント。この画面だと、すでに右に追い込まれてます。

「10の旗」があるのであれば、これはどこまで続くのか。
ゲーム好きの血が騒ぎ始めます。
どこまでもどこまでも……。日課プレイが続く日々。

「敵の真相をつかむまで、あの旗のもとに集え! ギャラクシアン!」

結果、数か月後。「48ステージ」が画面に現れ、私はそれをクリアします。
「49ステージ」の旗は現れず、ステージ数のカウントはストップしました。

旗のもとに集い、大義を果たした私は、この日を最後に『ギャラクシアン』から卒業するのであります。

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