さあにん@山本直人の我が青春のテレビゲーム
目次
第十七回:「変態」メーカーと言っても過言ではない!(『シェリフ』1979年11月/任天堂)
というわけで今回は「任天堂」の話であります。
私たちの年代だと「任天堂」って、テレビゲームのメーカーというよりは「玩具」や「カード」のメーカーなんですよね。
私たちの幼年期って、まだ「1ドル=360円」の固定為替の時代で、おもちゃ屋さんに行くと輸入系の商品に「ドル」の値札があった時代。
そんな中で、かなり革新的な「変態」おもちゃを出していたのが「任天堂」でありました。
玩具メーカーとしての任天堂
さすがに幼年期に「ラブテスター」は買わなかったですが、「ウルトラスコープ」は持ってました。
鏡の反射を使って、上の視線で覗けるというもの。
当時の任天堂は「ウルトラ」シリーズが多かったですよね。このあたりはまとめている本も多いのでそちらをご覧いただくとして、幼年期=岡山県在住時代、家にはほかにも「光線銃」のセットがあったり、結構任天堂の商品が多くありました。
私も好き勝手に購入できたので、Nブロックとか(ダイヤブロックもあったが)買ってた覚えがあります。
なぜ好き勝手かというと、父親の勤めていたパチンコ店(父親は当時、釘師兼マネージャー)の向かいに「サンキュー」という玩具店がありまして、そこは「ツケ」が効いたんです。
私が買いに行っても、ある程度の価格のおもちゃ(だいたい当時の千円以下。今だと五千円程度)のものは、そのまま持って帰れるという、信じられない暮らしをしておりました。
しかしながらなぜか、我が家には任天堂のテレビゲームシリーズはなかったんですよね。
親戚の家にはあった覚えがあるんですが、私自身もそこまで欲しくなかった覚えが。
すでに業務用のゲーム機に目覚めていたせいもあるかもしれません。
その後も「任天堂」の商品は、自宅に現れたり(「チリトリー」もありましたが、すぐに使い物にならないと捨てられてました)しましたが、テレビゲームとの遭遇は『コンピューターオセロゲーム』(1978年7月/任天堂レジャーシステム、以下「任天堂」)でしょうか。
『ブロックフィーバー』(1978年11月/任天堂)、そして『スペースフィーバー』(1979年2月/任天堂)、『スペースフィーバー ハイスプリッター』(1979年8月/任天堂)へと続くわけです。
AとCは一見同じに見えるが、Aはインベーダーが下に降りた後、2段上に戻り、そこからまた降りてくる。通称「三歩進んで二歩下がる」モード。
Bは縦1列ずつ、インベーダーが出現する。
3タイプのゲーム選択が可能な任天堂タイトル
この3タイトルは、結構好んで遊んでいましたが、身近で遊んでいる人は少なかった覚えがあります。
A、B、Cの3つのバリエーションがあるというのが特徴ではありましたが、特に『スペースフィーバー』で、わざわざ見慣れないバリエーションを選択する人はおらず、結果『スペースインベーダー』と同じタイプの「C」で遊んでいる人がほとんどではなかったでしょうか。
あと、このタイトルは「デッドコピー」がほぼ皆無だったというのもポイントかと思います。
理由は簡単で「A・B・C」の選択ボタンが、他の筐体の流用でできないというのがあったからなんですな。
そう、ここでも任天堂の「変態」ぶりが出ていたわけであります。
まぁ実際には、タイトーからライセンス契約での販売があったりもしたのですが、当時高知とかに住んでますと、関西系のメーカーの筐体は、結構純正品で入ってましたので(タイトーの販社経由でも)、あの白いテーブル筐体が目立っていたという印象が強いです(このあたりも「変態」っぽいメーカーですな)。
「変態」っぷりの極み『シェリフ』
『スペースフィーバー』でも「攻めてる」印象のあった「任天堂」ではありましたが、さらに「攻めてる」印象を持ったのが、今回のお題『シェリフ』でありました。
その「変態」っぷりや、実際の筐体をご存知のかたは納得かと思います。
まず、当時にしては少ない「8方向」のジョイスティック(当時はまだ「レバー」ですな)。
なのでコントロールパネルの化粧板に8方向の表示が書いてあります。
それだけでも「変態」なのですが、さらに変態度を増していましたのが「ショット」ボタン。プレイヤーであるシェリフが、銃を発射するためのボタンなのですが、これがスイッチングの8方向ダイヤル式で、押すと発射という仕組みでした。
さすがにこの頃はもう家にはなかったですが、テレビのチャンネルを回して押すみたいな感覚でしたかね。
で、これをリアルタイムのアクションシューティングゲームとして遊ぶわけですから、手首があっちゃこっちゃ捻れるわけです。もう「手がつる」という感じ。
もちろん一度離せばいいわけなんですが、熱中しているとそんなわけにはいきません。
さすがに椅子から転げ落ちたりはしませんでしたが、妙に体を捻る輩は続出しておりました。
で、『シェリフ』なんですが、『ドラキュラハンター』と同様に、プレイヤーが嫌になる「インフレシステム」があったんですな。
ステージを進めるとコーヒーブレイク的に恋人と会うデモがあるんですが、その際スコアが「2倍」になる。
これが問題だった。
確かに「スコア」が上がることに快感はあるんですが、通常のプレイでコツコツ貯めてきたスコアって「なんだったの!?」ということになるわけです。
このあたりの「インフレ」は、古くはピンボールの時代からあって、4桁だったスコアは気がつけば7桁。
今や9桁、10桁になってますからな。
4桁から桁が上がった際に、スコア表示の後ろに「0」が貼り付けてあっただけだったのは笑いましたが。
10点だったターゲットが100点に、やがてボーナスが入り、ボーナスステージができ、よくわからん隠しキャラで100万点とか。この時代のスコア「インフレ」を物語る話であります。
結局、このインフレシステムゆえにだんだんと遊ぶのを敬遠し、好きなゲームながら離れていくという流れになってしまいました。
この『シェリフ』も「変態」故にデッドコピーもあまりなく、目立った割にはという感じでした。
何より難易度が高かった。
ある程度まで進むと「必ず死ぬ」みたいなステージがありましたから。
好きな人は結構遊んでたみたいですがね。
こちらもタイトーからも流通されておりました。
デッドコピー版がたまにあると、ダイヤルスイッチがなく、シェリフの向いている方向にしか弾が出ないという仕組みに変わっていたので、さらに難易度が上がる。
敵に突っ込みながら撃つという結構な展開で遊ぶ必要があったのであります。無理無理。
ネット上の情報としてあるのが、この『シェリフ』のコピーとしてタイトーが『ウエスタンガン2』という商品を販売したというお話。
タイトー自体は任天堂の商品を多くライセンスで流していますので(おそらくは任天堂の生産の間に合わない部分をタイトーが請け負っていたかと思うのですが)、デッドコピーというのはあり得ないんですが、いろいろ調べてますと、オープニングの「雪山賛歌」(♪ゆーきーよ やーまーよ)は、個人的にも遊んだ覚えがあります。「タイトー」の直営店で。
で、インストカードには任天堂のライセンスシールがありましたので、基本的にはちゃんとした商品と思われます。
ただこれも、あまり長くは設置されてなかったですねぇ。
コンパネがどうなっていたかは覚えてないんですが、ダイヤルスイッチではなかったという記憶が。
このため、「コピー」という扱いになっていることが多いようです。
ⒸNintendo
「我が青春のテレビゲーム」発刊のお知らせ
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「我が青春のテレビゲーム」の表紙は、「SNK 40th Anniversary Collection」のメインイラストなどを手がける松下佳靖さん。題材として取り上げましたゲームタイトルの筐体や画面キャラを題材にまとめていただきました。
裏表紙は「れとろげ。」のくさなぎゆうぎさんにお願いいたしました。
それでは当日、会場でお待ちしております。
「会場まで行けない!」という方のために、秋葉原・BEEPさんでの店頭販売、通販も行いますので、そちらもぜひご利用ください。