ビデオゲームミュージックの父・小尾一介氏×大野善寛氏ダブルインタビュー 後編
音楽を聴くまでの苦労が多かったからこそ、心に残ったゲームミュージック
――そういう文化があったことも知らない世代になっているかもしれないですね。レコードやCDも今はインターネット配信に移り変わっている時代ですから。
iTunes配信(のようなかたち)で、欲しいと思ったときにすぐダウンロードして聴ける現代と、僕や大堀さんのように、ゲームの筐体から音を録って、効果音が入らないように一生懸命録音して聴いていた時代では、かなり音楽環境が変わってきましたが、小尾さんはこれについてどうお考えですか?
小尾 その当時っていうは、クリエイターがつくったものを筐体やレコードなんかに記録して、1回「物」にするわけですよね。それがお店に並んで、それを家に持って帰って、聴いたりコレクションしたりする。今は、インターネットで簡単に媒体に記録させて、いつでも簡単に音楽が聴けるようになっている。
そういう流れって、何も音楽業界だけじゃないものね。品物だってAmazonでネット注文すれば、翌日届けられてしまう。株式の株だって何だって…。大きな時代の流れなんだろうと思いますよ。
――僕なんか、音楽を聴くまでのハードルがいっぱいあるんですよ。まず、ゲームセンターでゲームをやって聴くんですけど、ゲームかうまくならないと、最終面の曲とかは聴けないじゃないですか。
やっと最終面までたどり着いて聴けるようになると、今度は効果音が邪魔になってくる。そして基板から録りたくなってくる。そのため、わざわざ店員さんと仲良くなって、録らせてもらうんです。
すると今度は、もっとクリアな音で(ゲームの曲を)聴きたくなる。そうするとライン入力で専用の機械をそろえて、プロ仕様で録音するわけですよ。その最高峰というかてっぺんが、(ゲームミュージックの)CDとかレコードでした。大堀さんはどうですか?
大堀 僕がまだサイトロンに所属していた当時、メーカーさんがちゃんと良い環境、良い素材で記録したテストモードのデータをくれた時はうれしかったですよね。
自分はサントラCD制作にも少し携わっていたのですが、ユーザーから「効果音入れやがって」などのハガキが来ると「確かにないほうがいいよなあ」と思うときもありました。(サイトロンが)東亜プラン(*01)などマイナー系メーカーの作品もちゃんとサルベージしてくれたことは感謝ですよね。
――大野さんいかがですか?
大野 自分も、学生の頃とかは1枚のLP盤を買うのってすごい大変で、お小遣いを貯めてやっと手にした時は、喜びもひとしおでした。しかし今は、それが簡単に手に入って、へたしたらYouTubeに上がることもある。(音楽を聴くことに対しての)ハードルが低くなってしまったのは、仕方がないところもありますよね。
大堀 残念なことですが…。それでも、良い音楽がすぐに手に入る今の音楽環境はうれしいですよね。お2人が頑張ってくれたことによって、ゲームミュージックがさまざまな人々に認知され、脚光を浴びるようになったわけですから。
――まったくその通りです。感謝しかないですよ。
大堀 ゲームミュージックが出た最初の頃って、一般の人にとっては「何? このキンキンうるさい音」ってレベルだったじゃないですか…。
当時、まだ認識されていなかったゲームミュージックを、「一つの大きなジャンルなんですよ!」ってアプローチし、音楽の1ジャンルとして確立した小尾さんたちは、本当にすごいなって思います。
小尾 僕らはこうしてビデオゲーム業界にいたんだけど、その裏側に『ドラゴンクエスト(以下、ドラクエ)』(1986年/エニックス)などメジャーなタイトルの存在があるわけです。すぎやまこういちさん(*02)作曲でオーケストラのコンサートが開催されるほど、ものすごいヒットとなりました。
――レーベルは「アポロン」でしたね。
小尾 ステージごとに音楽が作曲された演劇のように、『ドラクエ』もシーンごとに音楽がつけられていた。それはそれで壮大な世界というか…。本作はファミコンでしたけど、ゲーム音楽史に大きな影響を与えたと思います。
大野 実は、以前に「すぎやまこういち」さんという方からアンケートハガキを頂いたことがあって、そのハガキに「好きで聴いてます」って書かれてあったんです。「本当に本人か?」って思って返事はしなかったんですが、今考えると、あの時に連絡をしとけばよかったなぁと(笑)。
――会う機会があったら事実だったのか聞いてみたいですね。
大野 聞いてみたいですね。
――もっと話をお伺いしたいところですが、残念ながらお時間になりました。最後に「サイトロン」とはご自身にとって何だったのか。ちょっと抽象的ですけれども(笑)、コメントを頂けますか。
小尾 やはり初めて自分で会社を経営した「サイトロン」は大変でした。お金のこととか社員のこととか、すべての問題を自分が対処しなければならない。自分にとっては忍耐の時代でありました。
一方、1990年代の終わりから2000年始めまで、世間は、ゲーム、CD、CD-ROMと続き、いわゆるデジタル時代がやって来た。その当時「コンテンツ」って言葉はなかったけど、プレイステーションなどの家庭用ゲーム機も多岐に広がっていって。ちょうどブリッジの時代だよね。そこからインターネットがさらに栄えるわけですけど、「その時代でしかできないもの」を作ってきたような気がします。
――僕にとって、小尾さん、大野さんは最初にゲームミュージックの道を作り上げた偉大な父であると思っています。それでは大野さんも一言お願いします。
大野 僕は、昔から無類の音楽好きで、ゲーム好きだったんですよ。それがイコール仕事にもなった。この業界で仕事をさせてもらえた自分は、本当に幸せだったと思っています。今でもその当時のつながりで仕事させてもらっているんです。
この間は、S.S.T.BAND結成30周年のBOX「S.S.T.BAND -30th Anniversary Box-」で何十年かぶりに制作のお手伝いをさせてもらいました。ウェーブマスターさんから2018年12月にリリースされたばかりです。
――相当、久しぶりだったんじゃないですか?
大野 ポニーキャニオンさんやハピネットさん原盤を使用させてもらって、プロデューサーという立場でかかわらせてもらいました。
ちょうど、去年(2018)年はS.S.T.BANDにとって30周年という節目の年だったんですよね。ちょうど30年前にサイトロン・レーベルが立ち上がって、このあと続々とゲームバンドが生まれて来たこともあって、今年もその節目に当たる懐かしい作品が再注目されるようになるのではと思っています。
これからも過去の作品を掘り出して、ユーザーの方に喜んでもらえるようなことができればいいなと考えています。
――大堀さんとってのサイトロンとはどのようなものだったのでしょう?
大堀 個人的には、最初に働いた会社だったので、まず右も左も分からない学生を雇っていただいてありがとうございますと(笑)。親には最低3年は会社にいろと言われていたし、自分としてはちゃんとゲームを出してプラスにしないと辞められないという覚悟もありました。
なので、サイトロンにかかわれたことで音楽作品や映像作品だけでなく、ゲームを作る機会を頂いたことにも本当に感謝しております。
ユーザー的な立場から言うと、ゲームミュージックというジャンルを確立していただけことに、ただただ感謝ですよね。「ゲーム好き」っていうだけで虐げられた時代だったので、それをちゃんと、文化として昇華してくださった。
小尾さんと大野さんは、まぎれもなく日本の、いや世界のゲームミュージックというものを、単発作品ではなく、一ジャンルとして確立させて、導線を作られた第一人者であり、一ゲームファンとして感謝の言葉もありません。本当に、ありがとうございます!
――ありがとうございました!
節目の年に…
ほんの1時間程度のインタビューではありましたが、サイトロン、そしてゲームミュージックの歴史の片鱗が味わえた貴重な時間でした。
余談ながら、大野さんからのメッセージの中に「周年」というキーワードが出てきましたが、筆者としても、ゲームミュージック、ゲームメーカー、ゲーム雑誌というくくりで、それぞれ周年イベントができないかと模索中です。何か企画したら、当メディアでも順次発表していきます。
これからも変化し続けるゲームミュージックから、目が離せません。
小尾 一介 氏
「アルファレコード」「サイトロン・アンド・アート」を統べてきた、 ゲームミュージック業界の祖。その活躍は音楽だけに留まらず、マッキントッシュ用CD-ROMソフト「Shadow Brain」の開発・制作や、立体音響と3D映像ビデオソフト「ヴァーチャル・ドラッグ」シリーズの制作・販売など、枚挙に暇がない。現在は、ロケーションインテリジェンスを手掛けるクロスロケーションズ株式会社代表取締役を務める。
大野 善寛 氏
小尾一介氏と共に、1980年代以降のゲームミュージック業界を先導してきた第一人者。ほぼすべてのゲームメーカーと接点を持ち、ゲームと音楽ファンのために長く尽力してきた。現在は株式会社MAGES.(メージス)が運営する声優養成所「SAY YOU LAB(声優ラボ)」所長を務める。
脚注