バンダイミュージアム探訪記~アーケードゲームも移植されたLSIゲームの魅力(前編)
目次
FL管の採用でアーケードゲームの移植もよりオリジナルに近づいていく
1980年代に入ると、LSIゲームも雰囲気を真似たところから卒業し、正式にアーケードゲームメーカーから許諾を受けて作られるようになる。バンダイもアーケードゲームからの移植版ともいえる商品を多数リリースしているが、従来のLED表示から高度化し、より本格的な内容で私たちを楽しませてくれた。
――LSIゲームは新作が出るごとにゲーム画面が高度になっていきましたよね。初期の頃はLEDを使ったシンプルなものばかりでしたが、やがてFL管(*01)を使用したグラフィカルなタイトルが発売されました。自分は当時、『クレイジー・クライマー』(1980年/日本物産)の正式な移植版である『FL クレイジークライミング』 (1981年) が、LSIゲームという制限の多いプラットフォームでほぼ忠実に再現されていたことに衝撃を受けました。
金井 『FL クレイジークライミング』はFL管の使い方としてはよくできたゲームだと思います。形も非常にスマートにできましたしね。実際に評判もよかったです。この頃になると似たようなゲームというのではなく、ライセンス契約をして正式な移植版として売っていましたね。
――『FL ビームギャラクシアン』(1980年)は画面がきれいですね。背景の星もしっかり流れているし。
金井 FL管はきれいな光の表現ができますからね。『ギャラクシアン』(1979年ナムコ)のようなゲームは非常によい見た目の移植ができたんです。バンダイはLSIゲームの画面表現にこだわりを持ってやっていました。
『ゴルフコンペ』(1979年)というLEDを使ったゲームがあるのですが、LEDをそのまま発光させてしまうと大きな赤い光になってしまうんですね。LEDの光がゴルフボールを意味しているんだけど、そのままではフェアウェイ上に巨大なボールがあるように見えてしまう。そこで、半透明のフィルムを挟んで減光させてね、LEDの中央にある光だけを通すようにして小さなボールを表現していました。いろいろ工夫していたんですよ。
――『パーフェクト麻雀』(1983年)は1万9,800円と非常に高額な商品でしたが、やはり大人がターゲットだったのでしょうね。
金井 『パーフェクト麻雀』はシリーズで2作出したヒット商品でしたね。完璧に大人向け商品で、値段設定もそうなっていました。この値段だと大学生でも手が出せなくて、サラリーマンが主な購入者でしたね。ただ、液晶も当時としては大きくてね、細かいドットマトリクスで牌を描いていたから、どうしても高価にならざるを得なかったという背景があります。
LSIゲームのようなものはあっても「LSIゲーム」というジャンルはもはや存在しない
――現時点では2016年の『TAMAGOTCHI m!x』がバンダイLSIゲームの直近の作品だと考えてよろしいでしょうか。
金井 何をLSIゲームと呼ぶかの定義にもよりますけどね。もう『たまごっち』は違うかなあ(笑)。確かにハンドヘルドでゲームの形態は取っていますが、バンダイでは育成ゲームというカテゴリで呼んでいて、もうLSIゲームであると意識している社員はいませんね。初代『たまごっち』の発売は1996年10月になるのですが、そのときもLSIゲームとして売ったわけではないんですよ。時代背景的にはハンドヘルドのLSIゲーム機は下火になっていて、携帯ゲーム機といえばゲームボーイに変わっていた時期ですよね。もう、2000年前後に社内でLSIゲームという呼び方をしても、理解できる若い社員はいなかった。
――すでにLSIゲームというのはジャンルではなかったのですね。
金井 『たまごっち』を考えた人間は僕と同じ年齢なのですが、最初バンダイにいて、独立した後にウィズという会社を作ったんですね。彼らの年代からすれば、頭の中にかつてのLSIゲームのイメージがあって、LSIゲームとして『たまごっち』を企画したのかもしれない。もうその頃には、いわゆるLSIゲームは姿を消してしまったけれど、液晶を使って小さいサイズで楽しめるものということで考えたのかもしれませんね。
果たしてLSIゲームとして企画したのかは、本人に直接聞いたわけではないので分かりませんが、仮に考えた人間がLSIゲームのつもりでも、商品に夢中となった女子高生や女子大生はそう思っていなかったでしょうね。「これはLSIゲームです」といったところで「何それ?」だったと思いますよ(笑)。
――確かに、若い世代にとってLSIゲームという言葉は謎のワードになっているかもしれません。
金井 だから、「バンダイは今後どのようなLSIゲームを展開していきますか?」という質問があると、社員みんな答えに困っちゃうと思うんですね。しかし、LSIゲームと要素が似たものは、とくに女児向けの玩具では多く出ているんです。『プリキュア』シリーズなどのアニメに登場する道具として、携帯電話やスマートフォンの形をしたおもちゃでちょっとしたゲームができるというよう(なもの)に変化しているわけですね。
なので、定義は人それぞれでしょうが、LSIゲームそのものは1985年の段階で終わっていると個人的には考えています。バンダイがLSIゲームの流れとして、今後どのように展開していくのかを考えても、現在はLSIゲームを基軸として商品展開していくことはないのではないかと考えています。
LSIゲームは形を変えながらこれからも残っていく
――LSIゲームで育った世代としては寂しい気がします。今後はもう、新作LSIゲームを望めないということですね。
金井 今後の企画については申し上げることができませんが、館内をご案内したときにご説明したように、LSIゲームは形を変えてさまざまなおもちゃに取り込まれていることは確かです。
作る側の立場では、コンピューターのチップが安価になって、かつては高価な部材であった液晶なども気軽に使えるようになりましたので、これをおもちゃに使用しない手はないわけです。時代の流れとしておもちゃも高度化が要求されますしね。
ハンドヘルドな携帯・スマートフォン系おもちゃだったり、ちょっとした時計のようなおもちゃだったりとか、電子化された機械的なものに変わっていくわけですよ。女の子向けに手帳のおもちゃがあるのですが、昔は他人に見られないようにする小さな鍵が、今では鍵を使うと液晶が出てきてパスワードを入れるみたいなギミックになっている。そのような変化こそ、時代が求めている質なんでしょうね。ハンドヘルドゲーム機という直接的なアプローチではなく、そういった応用系として使われてきているといえるのではないでしょうか。
――今ではLSIという言葉も聞かれなくなってしまいましたね。
金井 LSIという言葉は過去の言葉になりましたよ。今は何かを作るときにLSIを意識したり、LSIという言葉を語ったりするということは、今回のような場でなければ機会がなくなりましたからね。おもちゃを作るときに「LSIを使ってギミックをどーのこーのする」とかはもう言わないですよ。「液晶を部材に使う」という言い方はしますけどね。
――せっかくの機会なので、お聞きしたいのですが、バンダイはLSIゲームだけでなく、テレビゲーム機もいろいろチャレンジしていましたよね。「アルカディア」とか……。
金井 あまりよい思い出はありませんね(笑)。それは冗談として、展示室を回ったときに目にされたと思いますが、「TV Jack」(1977年)と「アルカディア」(1983年)の2機種を展示しています。
1983年に任天堂さんがファミリーコンピュータを出しましたよね。値段は安いし性能もいいしで、当時の我々としては「うわぁ」という感じだったんですよ。『アルカディア』は当時としては高性能に作ったのですが、お客さんが簡単に手が出せる値段にできなかったし、勝てるわけがなかったですよね。おもちゃ屋さんの商品レイアウトも定番があったのですが、ファミコンを境に変わってしまったほどですから。
【次回予告】
次回はバンダイミュージアム館内の様子をお伝えする。日本のおもちゃの歴史を学べるジャパントイミュージアムエリアでは、今回紹介した以外のゲーム機が多数展示されており、レトロゲームマニアには垂涎の的となっていた。金井館長の興味深いお話はまだまだ続く。後編は次週公開予定。
金井 正雄 氏
1977年バンダイ入社。模型部で『宇宙戦艦ヤマト』など有名タイトルの商品化に広く携わる。バンダイアメリカ、バンダイB.V.(オランダ)、バンダイS.A.S.(フランス)等の海外支社勤務を経て、国内外の玩具に広く精通するようになり、2012年にバンダイミュージアム館長に就任。エジソン関連の書籍も多数執筆。
施設情報
おもちゃのまち バンダイミュージアム
住所:栃木県下都賀郡壬生町おもちゃのまち3-6-20
電話番号:0282-86-2310
営業時間:10:00~入館16:00
休み:不定
駐車場:あり(無料)
入館料:高校生以上1000円、4才~中学生 600円
公式サイト
脚注
↑01 | FL管 : 蛍光表示管とも呼ばれる発光式の表示装置。液晶表示のゲーム機と比較して消費電力は大きかったものの、カラフルなキャラクターをはっきりと表示することができた。 |
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