大堀所長&メンバー石黒氏の「初めてハマった80年代のアーケードゲーム」

-
- 記事タイトル
- 大堀所長&メンバー石黒氏の「初めてハマった80年代のアーケードゲーム」
-
- 公開日
- 2018年01月08日
-
- 記事番号
- 157
-
- ライター
- IGCCメディア編集部
ゲームの魅力についても聞いてみた
大堀 それにしても『スナップジャック』(1981年/ユニバーサル)というタイトルが出てきたのはうれしいな。
編集部 それでは本題の企画の趣旨に沿って(笑)、『スナップジャック』の魅力について、もう 少し伺ってもいいですか?
石黒 「のどちんこ」があるんですよね。
一同 (爆笑)。
大堀 やっぱり、覚えているところが違うよね(笑)。
石黒 ジャンプするときに、のどちんこが出るんですけど、なんか良くわからないけど楽しそうなんですよね。こいつ笑ってるんだ、みたいな。
編集部 ゲームの中で生きている変な生物が見ていて楽しい感じなんですかね。
石黒 そうですね。ひょうたんとかも飛んでくるし、そもそも自分が何者なのか分からない。自分のキャラの足が伸びるし、スピードが自分で変えられるんですけど、そのときに音楽もそれに連動しているんですよ。そういうのも好きでしたね。
編集部 変なゲームに魅力を感じるということですか?
石黒 もちろん変なゲームだけじゃなくて、非常にクオリティの高いゲームにもハマりました。たとえば『ジャンプバグ』(1981年/セガ)とか『ファンタジー』(1981年/SNK)とか、物語が完成するようなゲームもハマりました。
『ジャンプバグ』は一周するとスタート地点に戻るんですけど、「ああ、地球は丸かったんだ」みたいなそういう感じも好きです。当時『ニルスのふしぎな旅』という児童文学とアニメがあって、『ジャンプバグ』の副題が「ワーゲンの不思議な冒険への旅」で、そういうのに気づいたときに“ニヤ”として…、あ、一番好きなゲームは『ジャンプバグ』かもしれないな(笑)。
編集部 すいません、話が面白すぎてかなり大きく広がってしまい、ここで新たなゲームのタイトルも出てきちゃいましたが、実は大堀さんの好きなゲームも聞かないといけないんです(笑)。
大堀所長は、やはり『ゼビウス』なのか!?
大堀 僕が最初に大ハマりしたのは『パックマン』(1980年/ナムコ)ですかねー(笑)。こんなこと言っちゃいけないけど、学校の授業中、方眼紙に『パックマン』を描いていましたから(笑)。
編集部 さすがですね(笑)。
大堀 『パックマン』の迷路を描いたり、自分で攻略パターンを考えたりしていました。かなりハマりましたね。

石黒 攻略パターンといえば新宿でゲームセンターをやったときに、大堀さんが現れて『スペースパニック』(1980年/ユニバーサル)をいきなりプレイし始めました。パーフェクトに近いパターンで『スペースパニック』の面をクリアして、一通りやったあとに席を立ち上がって一言「楽しんでいただけましたか?」って僕に言ったんですよ。あれは、カッコ良かったですね(笑)。
大堀 『パックマン』はとにかく遊びましたからね。ドット絵まで描いて。『ギャラクシアン』(1979年/ナムコ)も描いていたなぁ。でも『パックマン』のほうが遊んだかな。絵もかわいかったんで。
編集部 楽しくて、人気も一気に出ましたからね。
大堀 当時、まだゲームのグッズもなかった時代で、自分でグッズも作っていました(笑)。たとえば道ばたに落ちていた磁石の初心者マークを拾ってきて、それに色紙で『パックマン』の形を作って貼って、『パックマン』磁石を作って冷蔵庫に貼ってましたからね(笑)。
石黒 僕の中では大堀さんは『パックマン』や『ゼビウス』(1983年/ナムコ)の人じゃなくて『ディグダグ』(1982年/ナムコ)の人なんですけどね。新宿で『ディグダグ』のうまい人がいるっていう噂が流れて、それはたぶん大堀さんなんですよね。
編集部 ナムコのゲーム全般が、うまかったんですね。
大堀 でもグッズを作るほどですから、やっぱり『パックマン』ですかね(笑)。
編集部 それは、高校生の頃ですか?
大堀 いや中学生ですね。中2とか中3だったかな。『パックマン』の置いてあるいろんなゲーセンに行っていました。みんなの『パックマン』の攻略パターンを見に行っては研究して、中には僕の考えたパターンを使って遊んでいる人を発見したり、それがうれしかった記憶がありますね。
編集部 ゲームセンター間でのコミュニティが徐々にできてきた頃ですかね。
大堀 そうですね。そんなことがうれしかったですね。
編集部 『ゼビウス』ももちろん好きだったわけですよね。

大堀 そうですね、もちろん好きでした。あと『クレイジー・クライマー』(1980年/日本物産)も好きでしたね。でもあまりお金がなかったんで、あれも難しいゲームだったので、そんなに回数あそべなかったですね。
そのあとは石黒君の話じゃないけど、新しいゲームが出たら1回は100円を入れて遊んでみたいなっていうふうに、一通りいろんなゲームで遊びましたけどね。それで『パックマン』のあとにハマったのが『ゼビウス』ですかねー。
編集部 ナムコが好きだったんでしょうか。
大堀 結果、そうなりました。やっぱりナムコには、初期の頃から作り手のこだわりを感じましたね。たとえば『ギャラクシアン』が衝撃だったのが100円を入れたときに音がするんですよ。僕の中で、お金を入れたときから客をもてなすゲームというのは、あれが最初だなと思っています。だいたい普通のゲームはスタートボタンを押してから音じゃないですか。それがお金を入れてくれてありがとうみたいな、ね。あれは「いらっしゃいませ」だなと思ったんですよ。そういうこだわりみたいなものを感じましたよね。
編集部 まさに「遊びをクリエイトする」という感じですね。
大堀 なんで『ギャラクシアン』も、この面は何面まであるんだろうって、最後48面までやりましたからね。そのあともゲームは続くんですけど、何面クリアしたかの旗が48本以上出ないんですよ。もう画面に並べるところが出なくて。
編集部 さすがですね(笑)。やっぱり、むちゃくちゃゲームがうまいですね。
石黒 うまいですよ。桁違いにうまいです。しかも劣化しない。久しぶりにやってもらって当時と同じようにクリアしちゃいますからね。
大堀 昔の方がはっきり覚えているじゃないですか。
石黒 いやいや初見からうまいですね。
大堀 なので『ギャラクシアン』もハマりましたけど、それ以上に『パックマン』はハマりました。グッズを作るぐらいですから(笑)。その後のグッズ展開で言うと、ナムコの『ディグダグ』はメーカー公式グッズがあったんで、うれしかったですね。プーカ帽子とか、ゼンマイのプーカとかね。
とにかくゲームが大好きだったんで、まだゲーム雑誌もない頃ですから、それに付帯するものが欲しくてしょうがなかったんですよ。チラシもそうですし、インストラクションカードもそう、とにかくグッズはうれしいかったですね。高くて買えなかったけど(笑)。
編集部 ゲームに接したいという気持ちが最初から強かったんですね。
大堀 そうですね。当時、TBSラジオで放送していたナムコ提供の「大橋照子のラジオはアメリカン」を聞いていたんですが、放送内容は覚えてないけど、そこでいい投稿ネタが流れるとゲームの効果音が流れるんですよ。『ラリーX』(1981年/ナムコ)のファンファーレとか、僕はそれが聞きたくてラジオ聞いていましたからね。ゲームの音が家で聞けるっていうだけで喜んでいました。話がそれちゃいましたけど(笑)。とにかく『ゼビウス』も好きですけど、やっぱり一番遊んだのは『パックマン』でしたね。
編集部 本日は大堀所長とメンバーの石黒さんのバックグラウンドを知れるお話を聞くことができました。お二人の子供の頃から養われてきた、このようなゲームへのこだわりが、ゲーム文化保存研究所(IGCC)の活動へとつながっているんですね。本日はありがとうございました。