さあにん@山本直人の我が青春のテレビゲーム
第九回:もし普通の高校生が田舎にゲームコーナーを作ったら
さて、突然ですがクイズです。
以下の単語から想像できる共通のものを答えてください。
●ハンカチ
●歯ブラシ
●ボールぺン
●ゴルフマーカー
ここまででわからなければ第1ヒントです。
●ライター石
え? まだわからない? では、第2ヒントです。
●純金チップ
答えは、下の本文で。
実家の商売の事情で喫茶店を買い取る
では、正解発表です。
正解は、パチンコ(パチスロ)の交換景品であります。
何で、今回こんな話から始めているかといいますと、まずは私の子ども時代の生活環境から始まります。
私自身の高知時代のテレビゲームの話は、この連載を読んでいただけているかたはご存じだと思いますが、当時の私の実家は、高知では大きめの「パチンコ」チェーンでありました。
いや、実際には「ありました」でなく、今でもまだ親族の1人がそのまま経営して、そこそこ大きなチェーンとして続いているのではありますが、私自身は両親も祖父母も死別し、現在は関係のない身であります。
ただ、高校生の時代は、まだ父親が現役で店の経営をしておりました。
私自身も店の経理を手伝ったりして、それで小遣いをもらっていて、マンガやテレビゲームに使っていたのであります。
で、冒頭のクイズですが、パチンコ店の経営の上のグレーゾーンとして「3店方式」というシステムがあります。
そもそもパチンコ店は(これ、正式には「ぱちんこ」です)公営ギャンブルではないので「当たり」の換金が認められておりません。
そもそも玉もコインも「貸し」ているものなので、それを「景品」に交換するだけなのです。このあたりは温泉街のスマートボールなんかと同じですね。
それがなぜ「現金」にできるのか。
それが、先ほど書きました「3店交換」なのであります。
簡単に書きますと……
「パチンコ店で景品に交換」
→「交換所が現金で買い取る」
→「パチンコ店が景品を買い取る(仕入れる)」
……という流れなのですな。
このルールを守るために「景品買取所」という場所を作る必要があります。
要は「古物商」的な場所です。
当時「土佐山田町」に新しく店舗を出すことを決めた父親は、近くの閉店していた喫茶店を買い取り、叔父がその経営をする形にしたのであります。
が、この叔父が曲者で、その喫茶店自体がものすごい赤字。
パチンコ店舗の経営より、そちらのほうが親父にとっては頭痛の種になりました。
タイトーの営業所を訪ねる高校生
ある日、あまり私に語らない親父から、突然相談をもちかけられました。
「直人(私の名前)、インベーダーゲームっていうのは、どうすれば手に入るんだ?」
うちの親父はいわゆる「職人」で、釘師ではあるんですが「777(フィーバー)」台も嫌いな人で、デジタルとかメカニックとか、そういうものを理解できな人でした。
その親父が「ゲーム好き」の私に、そういった相談を持ちかけてきたのであります。
そうはいっても、当時高校生の私ですから、そんなことには思い至らず……。
「うん、桟橋(地名)のところに、“タイトー”の営業所があるから、そこでわかると思う」
はい。
これが私の答えでした。思いついとるじゃん!
当時、高知の親戚の店の近くに「タイトー」って看板を上げた営業所がありました。
まぁ昔の店構えだとドドンと「タイトー」という非常に目立つロゴがありましたので、それで覚えていたのだと思います。
以下、おぼろげな記憶。
結局、親父に言われる以前か、言われてからか、私自身がその営業所に赴き、
「インベーダーの筐体をお店に置くために手に入れたいんですが、どうすればいいですか?」
はい。私、詰襟の学生服です。
おそらくタイトーのかたは、かなり面食らったかと思います。
で、その回答。
タイトーさん「今、製品は買えない(ブームが過熱しすぎて)のですが、お店に置くならリース契約ができます」
私「比率は?」
タイトーさん「売り上げによりますが、最初は7:3とか、6:4とかですかね」
私「ありがとうございます!」
はい、どんな高校生じゃって話ですが、こういった流れを親父に話し、結局、土佐山田の喫茶店は無事、「ゲーム喫茶」になったのであります。
しばらくして……。
そのゲーム喫茶は、タイトーさんの中で高知で一番の売上となります。
土佐山田町には当時、テレビゲームの営業形態がほぼなかったので、お客さんが殺到したんですね。
1週間程度でコインタンクが満杯になるとかで、タイトーさんがひっきりなしにやって来る状態。
少しばかり遅れてきたインベーダーブームになったのであります。
開店当初設置されていたのは、初代の『スペースインベーダー』とか。時期を考えるとちょっと古めのものでしたが、すぐに別のタイトルも導入。
『PART=II』はもちろん『ルナレスキュー』なんかも入ってきました。
ただなぜか、サン電子のタイトルも入ってきてたんですね。
『第三惑星』(1979年9月)、『ワープ1』(1979年12月)といったタイトルがそれでした。
サービスボタンで遊び放題
当時のサン電子は、自分も知った会社。
実はゲーム関係よりパチンコ店の「集中管理システム」を制作している会社でした。
このあたりは現在も確認ができ、パチンコ店で『へべれけ』のキャラクターを確認することができます。
で、なぜか前記の2機種が導入されたのですが、これがなかなかに癖のあるタイトル。
よく言えば「挑戦的」、悪く言えば「荒い」内容でした。
『第三惑星』は画面内に大量の隕石があり、それを壊しながら、画面上にいるUFO群を倒すというもの。
こちらの弾は隕石に当たるのに、敵の弾は通過してくるというルール。
機数制でなく、ダメージ制というのが斬新でした。
『ワープ1』は接近してくるUFOを撃墜するシューティングですが、インベーダーのような画面構成でなく、徐々に敵機が大きくなる疑似3Dの画面構成でした。
撃つ際もレバーで照準を合わせ撃墜する。
敵機との距離によって得点が変わるという仕組みでした。
『第三惑星』は操作の自由度が低く、ダメージ制のルールもわかりづらかったので、一般の人からは敬遠されがちでしたが、『ワープ1』は画面のもの珍しさもあって、そこそこ遊んでいる人がいました。
私はというと、閉店後の喫茶店に入って、筐体を開け、サービススイッチを使って遊び放題という、天国のような時間を過ごすことを楽しみにしておりました。
さすがに毎日というわけにはいかないので、週に1回がせいぜいでしたが。
筐体がリース物件であるので、簡易の説明書しかありませんでしたが、中に入っている基板を見ることもできたりして、とにかく新鮮そのもの。
無料ですので、ちょっと失敗したら電源を入れなおしてリセットするという、好き放題をやっておりました。
当時の機械は電圧や電子ノイズへのセキュリティがまだ甘く、そうやって電源のオンオフをやっているとクレジットが上がったりしちゃうものもありました。
有名なところでは、電子ライターの着火を使って、クレジットを上げるなんて行為もありましたね。
もちろんその後すぐに「シールド」等が施され、対策が行われていましたが。
しかしこの「楽園」へは、半年程度で向かわなくなってしまいました。
それは高知市内にどんどんゲームコーナーが増えてきたこと。
そしてナムコをはじめとするいろいろなメーカーが、多彩なタイトルを世に登場させたことが関係しています。
次々と登場するタイトルに翻弄されるようにして、高知市内を自転車で走り回る毎日が始まったのであります。