さあにん@山本直人の我が青春のテレビゲーム
目次
第十八回:魔性のゲームタイトル『ジャンピューター』(1981年3月/アルファ電子・サンリツ技研)
大学生になって覚える3つのことというと「酒」「パチンコ」「麻雀」というふうに、昔は言われておりました。
まぁ大学生でなく、高校を卒業すれば(お酒は20歳からですが)、おのずと覚える「大人の嗜み」といえる3つのことであろうかと思います。
そんなふうに「大人の嗜み」であった「麻雀」。
幼い頃から家に麻雀牌はありましたし、何よりあの数字的な絵柄のデザインが大好きでした。
牌を使って神経衰弱みたいな遊びをやっていたものであります。
実際にそういう経験のある人も多いのではないでしょうか。
高校生でも「麻雀」が遊べる!
しかしそんな「大人の嗜み」である麻雀が、突然、高校3年生の私が遊べる環境になって登場しました。
それが今回のお題タイトル、『ジャンピューター』であります。
初めてゲーム画面を見たときの感想は「美しい……」でした。
置いてあったのは、よく行くゲームコーナーの類の場所ではなく、今でいう「ダーツバー」のようなお店。
喫茶店とバー、ビリヤードなどが併設されており、ちょっと大人の雰囲気のする、照明も暗めのお店でした。
ゲームコーナーというよりも、喫茶コーナーのテーブルがゲーム筐体だったという感じでしょうか。
その暗めの照明の下、あのタイトル画面は非常に美しく見えたのであります。
ゲームはいわゆる「時間制」なのですが、残り時間=自分の持ち点という形になっており(点棒的なスコアは別にまたある)、持ち点が減っていき、マイナスになるとゲームオーバーとなります。
しかしながら、マイナスになった局までは遊べるという、割合と良心的なルールでありました。
もちろん役を上がれば持ち点がその分増えますので、マイナスからプラスに復帰して、次の局が遊べる、という流れも可能でした。
とはいえ、長考を重ねるとあっというまにマイナスになってしまうので、急いで牌を切る。
で、間違って有効牌を切ってしまう。
なんて流れは当たり前のように起こっていたのであります。
まったくの「麻雀」ルール知らず
当時の私は、麻雀どころかセブンブリッジのルールも知りませんで、理解していることといえば
「3つの牌の塊を4つ作る」「同じ牌2つのアタマを作る」
ということぐらいでした。
3つの牌の塊は、同じ絵柄の牌か、同じ種類の牌の連番か。その程度の理解しかしておらず、「役」という概念などまったくありません。
何となく「文字1文字の牌は偉い」とか、本当にその程度の知識でありました。
ですので当初は「役なし」で和了ろうとしたり、フリテンで和了ろうとしたりとかで、さんざんな状態。
当然長く遊べるわけもなく、最低補償の1局のみを遊ぶという感じでした。
高校の同級生の中にはすでに「麻雀」のルールを熟知している友人たちもおりました。
その友人もまた『ジャンピューター』にハマり、一緒にプレイしながら、ルールを教えてもらい、1か月程度で「まともに」遊べるまでに成長。
1人でプレイすることはほとんどありませんでしたが、その友人たちと遊ぶときは、『ジャンピューター』のあるその店に行くのが定番となっていたのであります。
この『ジャンピューター』ですが、初のCPU対戦可能な麻雀テレビゲームとして、ある意味『インベーダー』以上に、世の人々を虜にしたと言えると思います。
4人(もしくは3人)集まらなければできなかった「麻雀」を、1人でいつでも遊べる。
しかも雀卓の支度も片付けもいらない。
麻雀ファンでなくとも、興味があった人なら誰でも飛びついたのではないでしょうか。
ライセンス供与によるものも多数出ており、高知ではタイトーの『T.Tマージャン』のほうが有名でした。
また、このタイトルをきっかけに、テレビゲームだけでなくマイコンなどにも「麻雀」ゲームを流行らせることになるわけです。
82年には家庭用テレビゲーム機が、83年には液晶ゲーム機が発売されていたりと、まさに1つのジャンルを確立した、革命児であると言えるかと思います。
魔性の「麻雀」ゲームがその本性を現す!
さて、その革命児『ジャンピューター』ですが、これにより「麻雀」のルールを覚える人が続出したであろうというのは、想像に難くないんですが、当然実際の4人打ち「麻雀」にハマる人も出てきたのではないかと思います。
いや、まさに私がそうだったんですね。
「麻雀」を覚え、対人で打つというのにハマってしまった1人でありました。
が、問題はそこではなく、当初は自宅に集まってみんなで打っていたのですが(当時、パチンコ店舗である実家の屋上にプレハブを建てて、そこが私の部屋になっていた。結構広く、また、家の中を通らずに出入りできるので、友人が泊まり込みで遊びに来ても問題がなかった。トイレだけは家に入らないといけないですが)、やがて「雀荘」にも向かうようになります。
で、その「雀荘」に行く時間帯は昼間。
あたりまえですが、高校生が夜に出入りはできませんので、昼間に行く。
いや、それって「授業中」なんですよ。
小中学校と、どちらかというと「優等生」だった私ですが、『ジャンピューター』の誘惑に負け、高3では学校を途中で抜け出し、授業をサボり、ついには卒業が危ないと言われる(特に武術の出席時間が危なかった)までになっておりました。
まさに魔性の『ジャンピューター』であります(いや、自己責任だって)。
マンガにゲーム、マイコンに麻雀。そして同人誌制作。
まさに自分の趣味の時間だけで生きていたのが高3時代。
そんな高校生活も、そろそろ終わりが近づこうとしておりました。
同人誌「我が青春のテレビゲーム」刊行のおしらせ
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