マイ・ベスト・アーケードゲーム Vol.01 大堀康祐(ゲーム文化保存研究所 所長)
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現在も一線で活躍するゲームクリエイター、ゲーム情報通でもあるゲームライターや業界関係者が、個人的に好きだったアーケードゲームをランキング形式で選ぶ「マイ・ベスト・アーケードゲーム」。記念すべき第1回目は、当研究所所長にしてマトリックスの代表取締役を務める大堀康祐が、思い入れの深いゲームベスト10を選びます。
大堀 康祐
1966年、東京都生まれ。高校生の時に“うる星あんず”のペンネームでミニコミ誌『ゼビウス1000万点の解法』を制作。その後『マイコンBASICマガジン』の別冊『スーパーソフトマガジン』の創刊に携わり、『マル勝ファミコン』などのゲーム雑誌にてライターとして活躍。ゲームプランナーなどを経て、仲間3人とともに1994年にゲーム開発会社マトリックスを設立。2016年にゲーム文化保存研究所を設立。当研究所所長。
No.1 『ゼビウス』(1983年/ナムコ)
アニメ手法を用いたグラフィック表現や重厚な世界観などで大きなターニングポイントとなったゲーム。ゲーム画像が単一的だった時代に、グラデーションで表現された敵や「ナスカの地上絵」など、そのグラフィック力の高さに驚愕しました。当時、本作のカタログの「コンピュータ・グラフィックスはここまできてしまった!」というコピーに素直に納得したことを、今でも鮮明に覚えています。
高校時代に本作の攻略本『ゼビウス1000万点への解法』(*01)を作ったことがきっかけで、この業界に入ることになった経緯も加味して「マイBESTゲーム」とさせていただきました。
No.2 『パックマン』(1980年/ナムコ)
同一の敵を複数出すゲームが多いなか、主人公を追いかける敵が、単に色違いなだけでなく、アルゴリズム自体が異った4種も用意されており、当時はかなり驚愕しました。キャラクターのかわいさや洗練されたデザインは他のゲームと一線を画すほどで、後にアメリカでアニメになったのは有名な話です。
中学生だった当時、方眼紙にドット絵を模写したり、初心者マークを切り取り厚紙を張って自作のパックマン磁石を作るほど、その魅力にハマっていました。
No.3 『クレイジー・クライマー』(1980年/日本物産)
8方向レバー2本の斬新な操作方法は、正直取っつきにくいものでしたが、その操作に慣れてくると自分の手足のごとく先に進めるようになり、目に見えて自分自身のスキルアップを感じることができたゲームでした。
ノーデスで進んだときにしか出ない鉄骨や、1度そのステージで死ぬと出なくなる敵など、難易度調整も同じくニチブツ(日本物産)制作の『ムーンクレスタ』(1980年)同様に絶妙。クレジット増やしの技さえなければ、今でもゲームセンターに設置されていてもおかしくないほどの名作です。本作の1~4面ノーミスクリアは、いまだかなえられていない夢です。
NO.4 『ドンキーコング』(1981年/任天堂)
ストーリー性を持った4画面構成でデビューした本作。十字キーとボタンだけの操作なのに、主人公になりきって多彩なアクションを展開できることが、実に楽しかったですね。いまだにステージ開始からレディ救出までのBGMを口ずさめるほど、ハマった作品でした。
No.5 『ストリートファイターⅡ』(1991年/カプコン)
ゲームの目的を、「ハイスコアを出す」から「対戦で他者に勝つこと」に変えた作品。後のeスポーツも本作品なしには語れないと言っていいほど。
1990年代初頭の音楽映像制作会社に所属していた際に、本作の攻略ビデオを制作することになりました。「ハイスコアを目指すビデオか?」「コンボを華麗に見せるビデオか?」と悩んだあげく、ハイスコア重視のビデオを制作し、ファンからクレームが入ったことは、今でも苦い思い出です(笑)。
No.6 『マーブルマッドネス』(1984年/アタリ)
トラックボールに肉を挟んでも、爪を割って流血してもプレイし続けていた当時を思い出します。上級者が、3面のショートカット(スタート時に溝に入らない)やワープなどの裏技すべて体得し、成功させている姿は、まさにゲームアスリートの様相を呈しており、eスポーツの先駆けともいえる作品だったと思います。当時、上級者のプレイ動画を残していなかったことが悔やまれます。
No.7 『ムーンクレスタ』(1980年/日本物産)
とにかくレベルデザインが秀逸でした。シューティングには珍しく、敵が弾を打たないにもかかわらず難易度調整が絶妙で、10週目以降の調整も施されていました。3号機のみが残ったときのやりきれなさや、アトミックパイルの全落ちなど、さまざまな記憶や思いが蘇る作品です。
No.8 『Mr. Do!(ミスタードゥ)』(1982年/ユニバーサル)
プレイしてみると、その奥深さ、そして他に類を見ないゲーム性にすぐにとりこになりました。面ごとのリンゴの配置パターンが複数あり、プレイするごと新鮮な気分で遊ぶことができました。当時「255機増やし」といった裏技がゲーム小僧の間で盛り上がったことも、良い思い出です。
No.9 『スペースハリアー』(1985年/セガ)
『アウトラン』(1986年/セガ)以降、セガのゲームのサウンドは素晴らしく、サウンドがゲーム自体の人気をも牽引することになった作品だと考えています。歌舞伎町のゲーセン「KIGAWA」の路面に設置されていた台で最後まで遊んだ際にギャラリーが30人くらいで、その時にこのゲームのもつポテンシャルを知りましたね。
No.10 『ギャラガ』(1981年/ナムコ)
編隊を組む最中から攻撃できる、攻撃力を2倍にするデュアルファイターの仕様、チャレンジングステージなど、敵を倒す「気持ちよさ」が前面に出た作品。初めてパーフェクトのファンファーレを聞いた時には鳥肌が立ちました。
マイベスト10を選ぶ難しさ
今回の新企画では「大好きな作品」を皆さんにお伝えすることができる、なんて幸せな…と思ったのもつかの間、いざ選定を始めると「10本に絞ること」「限られた字数で伝えること」の難しさに直面しました。原稿は書いたもののどうしてもまとめられず、とても難儀な課題となりました。
『リブルラブル』(1983年/ナムコ)、『スター・ウォーズ』(1983年/アタリ)、『レディバグ』(1981年/ユニバーサル)、『鮫!鮫!鮫!』(1989年/東亜プラン)など、まだまだ語りたいゲームは山ほどあります。これらはまた別の機会に紹介させていただければと思います。
ゲーム文化保存研究所所長 大堀康祐