僕はアストロシティミニの収録タイトルたちにゲームの作りかたを教わった 前編

  • 記事タイトル
    僕はアストロシティミニの収録タイトルたちにゲームの作りかたを教わった 前編
  • 公開日
    2021年02月05日
  • 記事番号
    4685
  • ライター
    鶴見六百

「アストロシティミニ」の収録タイトルを眺めていると、30年ほど前の記憶が、鮮明に蘇ってくる。
僕がセガ第一研究開発部(一研)で、新人企画マンとして悪戦苦闘していたあの頃の記憶が。

最近では聞かなくなってしまったけれど、一時期、セガのことを「大鳥居ゲーム専門学校」と呼ぶ人をよく見かけたものだ。ゲーム業界の第一線で、多くのセガ出身者が活躍していることを表した言葉だ。
かく云う僕も平成元年に新卒として入社した、バリバリの大鳥居ゲーム専門学校出身者だ。セガに在籍したのはたったの6年半だったけれど、30年以上経った今でもゲーム業界で飯が食えているのは、あそこで学ばせてもらったおかげだと思っている。
そして「アストロシティミニ」に収録されているタイトルの半数近くは、僕が一研(アーケード開発部署)に在籍していた頃、つまり、まさに大鳥居ゲーム専門学校で僕がゲーム作りを学んでいた頃に、同じ一研や隣の部署で作られていたものばかりだ。
これらが作られる様を横目で見ていたからこそ、ゲーム作りの方法論であったり、技術論であったり、精神論や根性論? を身につけることができたのだと思う。いわば僕の「先生」だ。

今回は、収録タイトルのいくつかをピックアップして、それらのタイトルが(そして当時の環境や制作チームの先輩がたが)いかに多くの「ゲーム作りに大切なこと」を学ばせてくれたのか、そのあたりを書いていこうかと思う。
かなりの昔話なので、もしかしたら記憶違いや、あるいは今現在の知見で上書きしてしまった箇所があるかもしれないけれど、そのあたりはご容赦いただきつつお読みいただければ幸いだ。

©SEGA ©SEGATOYS

社内ゲーセンで出会った『ゴールデンアックス』のこと

平成元年、春。
僕がセガに入社してまず驚いたのは、本社1階ロビーが夜な夜なゲーセンになっていたことだ。
いやもちろんゲームセンターとして営業していたわけじゃない。1階ロビーには最新業務用ゲームの数々が、一種のショウルームのようにフリープレイで設置されていた……のを、営業時間外に、みんなが勝手に電源を入れて遊びまくっていたのだ(あまり文句を云われた覚えがないので、会社も黙認していたのだと思う)。

入社まもなくで、お金はなくても時間だけは有り余っていた僕は、研修が終わるやいなや毎晩ロビーに居残り、帰宅するまで1~2時間以上、狂ったようにゲームを遊びまくっていた。
夜のロビーでは、僕のような新人だけでなく、いろんな部署の人間が入れ替わり立ち替わり遊んでいたと思う。特に『テトリス』は大人気で、本物のゲーセンさながらに、順番待ちをする人間まで並んでいたぐらいだ。

僕のお気に入りは、入社と同じ頃に発売された『ゴールデンアックス』だった。
何しろ遊び飽きない。敵の出現パターンを覚えていても、毎ゲーム何かしら展開が変化してしまうから、上手くいくようでいかないもどかしさ。なのに繰り返しプレイしていると、先へ進めるようになる上達性。そして何より敵を倒すことが「気持ちいい!」。
通常攻撃はもっさりした重めの手応えだけど、それとの対比もあって、ダッシュ体当たりや乗り物の攻撃は軽快で、魔法攻撃は爽快。総じて攻撃がバリエーションに富んでいて痛快そのものなのだ。

――いやいや、ちょっと待った。学生時代は大のナムコ好きを自認しており、ナムコゲームに特徴的な「ポップな色使い」で「キャラが魅力的」で、なおかつ「新しいゲーム性」ばかりを好んでいたはずの僕じゃなかったのか? 何故、「激シブな色使い」で「キャラは無個性な顔立ちのおっさん・おばさん・じじい」の「既にあるような横スクロールアクション」である『ゴールデンアックス』に心をとらわれてしまっているんだ!?

『ゴールデンアックス』©SEGA ©SEGATOYS

内田デカ長と「遊びの因数分解」のこと

その答えは、直ぐ判ることになる。研修期間が終わり、僕が配属された第一研究開発部こそが、『ゴールデンアックス』を作った部署だったからだ。
『ゴールデンアックス』の企画を担当した内田誠先輩(後に『ダイナマイト刑事』にちなんで「内田デカ長」と呼ばれる)は、何かを尋ねると、にやにやと笑いながら、回答……の断片を投げてくれるのだ。
「お前も企画マンなら理解できるだろ?」と云っているかのように、ちょっと挑発気味に。

内田さん曰く、『ゴールデンアックス』のゲームメカニクスは単純で、ある敵を攻撃している間に、他の敵が後ろから襲ってくるので、それをさばく遊びだ、とのこと。
だからこそ……
  
  

●プレイヤー攻撃のリスク・リターン
  
 敵への攻撃は、実はプレイヤーにとっては「リスク」。攻撃に要する時間が長いほど、後ろから攻撃されるリスクが高くなる。
  

 基本は「連続攻撃」。トータル所要時間の異なる攻撃パターンを用意し、リスクは高いが与えるダメージの大きいものや、相手を遠くに投げて以降の戦局を有利に進められるものなど、様々なリスク・リターンのバリエーションを作る。
  

 1ボタン操作で「敵との距離」によって違った攻撃パターンが選ばれるようにする。下手なプレイヤーでも勝手に色々な攻撃が出ておもしろがってもらえ、上手いプレイヤーなら自分でコントロールして有利に展開させることができる。
  
  

●プレイヤーに対する敵の位置取り
  

 敵は、プレイヤーを挟み込んで「敵2体vsプレイヤー1体」となる位置取りを目指す。到達したら攻撃行動に移る。
  

 敵の速度が速いほど、あるいは敵の数が多いほど、挟み込む位置取りが早く完成し、難易度は上がる。
  

 敵が団子状態にならないように、敵の交通整理をシステム側が行う。
  
  

――これらのポイントをしっかり設計すればゲームはおもしろくできるし、他のいろんな要素を上乗せしても遊びがブレることはない、というのだ。なるほど!

今にしてみれば常識とすらいえる古典的なゲームメカニクスだけど、新人の僕は、こういった「遊びを因数分解」するかのような考えかたに初めて触れ、本当に目からウロコが落ちる思いがしたものだ。

内田さんによれば、『ゴールデンアックス』を作る際には『ダブルドラゴン』(テクノスジャパン)などの先行作を研究したという。
実際に『ダブルドラゴン』と比べると、パンチ/キックが1ボタンに一本化されていたり、バットやムチといった武器がなかったりと、要素は色々省かれているものの、ダッシュ攻撃や「乗り物」のような移動を絡めた攻撃や、強化されていく「魔法攻撃」などのバリエーションが加えられ、遊びの根幹――攻撃のリスク・リターン/敵の位置取り――に関わるメカニクスは、むしろ豊かになっている。推測だけど、先行作を「因数分解」して、遊びの根幹をなす「因子」はそのままに、その上に色々なアイデアを重ねていったのだろう。

入社前、僕が「ゲーム開発」に対して漠然と抱いていたイメージは「発明」だった。
過去に例のない新奇な遊びのアイデアを着想することこそが、開発の肝だと思っていたのだ。だけど、『ゴールデンアックス』に惹かれた自分を振り返ると、発明というより「遊びの設計」「気持ちよさの設計」といったものに魅了されている。
そうか、これが「開発」なんだ……そんなことをもやもやと思いながら、内田さんの説明を脳内で反芻するたびに、僕は自分が「ゲーム開発者」に一歩一歩近づいていくような気になれたのだった。

『ゴールデンアックス』©SEGA ©SEGATOYS

僕の初プロジェクトと「企画の役割」と『ESWAT』のこと

そうこうしているうちに、僕は初めてのプロジェクトに企画としてアサインされることとなった。『マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー』というシステム18ボードのプロジェクトだ。
初期メンバーはプログラマー2人とデザイナー3人、そして企画が僕ひとり。

元々、マイケル・ジャクソンのゲームを作るという話自体は僕が入社する前から進んでいて、既に一研の企画内では、いわゆる「ペラ1」の企画素案が何枚か上がっていたという。
そんな中、僕が『ムーンウォーカー』の企画をやるようにと石井洋児副部長から云われたとき、その中から1枚の企画素案を渡されたのだ――「この素案をベースにせよ」と。
素案の提案者は、初代『SHINOBI 忍』の企画を担当した菅野豊さん。何でも、アメリカに赴任が決まっているので、後はよろしく、ということらしい。

僕はすっかり頭を抱えてしまった。

今でこそ、プロジェクトは経験豊富な「ディレクター」が統括し、その下に専門職である「プランナー」が配置されるのが常識となっているけれど、当時はディレクターやプランナーなんて細分化されたポジションはなく、「企画」の人間が何でもこなすのが普通だった。
企画は、ゲームのアイデアを考えて仕様を作成し、制作進行もして、外部との折衝もしつつ、プロジェクトを仕切る……という役割だったのだ――たとえ新人であっても。未経験であっても。

右も左も分からない新人にディレクター的な役割を任せるなんて、今の感覚からすると有り得ないほど乱暴な話に聞こえるかもしれないけれど、当時としてはそう珍しくもない話だったと思う。
あの頃セガは東証二部に上場したばかりで、ゲーセン営業もゲーム機販売も絶好調なイケイケ確変状態(年間売上目標が確か5000億円ほどだったか)。
ゲーム制作コストも今よりはるかに安かったので、「若手企画にも任せてどんどん作らせてみる」という方針だったのだろう。

実際、川崎大師の「セガ大師寮」で同室だった1年先輩の荷宮尚樹さん(英語が得意な低音イケボの持ち主。『ムーンウォーカー』のタイトルコールもこの人の声)も、入社1年目にして『サイバーポリスESWAT』というオリジナル企画を立ち上げている。
『ESWAT』の絵面を見れば一目瞭然だけど、ゲームの基本は『SHINOBI 忍』だ。そこに、ミリオタで漫画オタでSFオタである荷宮さんが自分の趣味を(ギリギリ一般人に理解されるレベルで)詰め込んだのが、『ESWAT』だ。
遊び味にしても、重装警官がガトリングをガンガン撃ちまくりながら進んでいくというシューティングの気持ちよさに比重をおいている。要は、大ヒット作『SHINOBI 忍』のメカニクスをベースにして、キャッチーなイメージや新しいアイデアを付加して、遊び味を変えているわけだ。
先に書いたような、遊びのコアとなる「因子」はそのままに、その上に色々なアイデアを重ねる、という方法論だといえる。確かにこれなら、新人ならではの新しい発想や志向と、一研が既に持っているゲームのノウハウを融合させることができるだろう。

ただしそれは、「既にノウハウのあるゲームをベースにするならば」だ。

僕が頭を抱えてしまった理由――菅野さんが置いていった企画素案は何とまあ、「クォータービューでのダンスアクションゲーム(操作はトラックボール)」というものだったのだ。『SHINOBI 忍』どころか、一研が今まで作ってきたゲームのノウハウはベースにできそうにもない、盛り盛りの企画。少なくともド新人の僕には手に余る題材だった。
どうすりゃいいのさコレ?

『ESWAT:サイバーポリス イースワット』©SEGA ©SEGATOYS

次回へ続く

©SEGA ©SEGATOYS

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