なかったはずの海外アーケードゲームを楽しむ男 後編

  • 記事タイトル
    なかったはずの海外アーケードゲームを楽しむ男 後編
  • 公開日
    2019年10月25日
  • 記事番号
    1983
  • ライター
    IGCCメディア編集部

1980年代初頭から、東京の数々のゲームセンターで海外アーケードゲームのおもしろさを広めていた男がいた。「彼」――金築浩史氏は、海外の雑誌を読んではその知識を惜しげもなく披露し、今でいう「インフルエンサー」的な役割を果たしてきた。
そんな金築氏が「伝道師」として、溺愛する『ロボトロン2084』(1982年/ウィリアムス)について、そして今、ハマっている意外なゲームを聞き手である大堀康祐所長と石黒憲一氏に熱く語ってくれた。
「前編」は、こちらからどうぞ。

【聞き手】
大堀康祐(ゲーム文化保存研究所 所長)
【聞き手・資料提供】
石黒憲一(ゲームセンター研究家)

『テンペスト』のアレ

大堀 ぼくがよく覚えてるのは、金築さんたちが、難易度の高い洋ゲーを遊んでてミスしてやられたときに「さぁぎぃ~」っていう、あの言葉。

金築 「詐欺」ね(笑)。

大堀 あと、やられたときに言う「やられり」とか。何か、そういう特殊な用語みたいのが開発されて、みんな言ってましたよね。

金築 何かいろいろあったね。

大堀 「詐欺には勝てん」とか言いながら、次の100円を投入するみたいな。『マーブルマッドネス』(1984年/アタリ)も、トラックボールに掌の皮を挟んで血まみれになりながらも遊んでいたり。

石黒 スポーツみたいですよね。

大堀 あれは、ぼくはeスポーツのハシリだと思ってますから(笑)。

金築 あのときのビデオがあったらおもしろいのにね。

大堀 ホントそう! ゲーム画面だけじゃなくて、プレイしている人も一緒に撮った映像ね。そういうのが残せなかったのが心残りなんですよ。特に古田くんのプレイ! あの速さで、あの正確さでよくトラックボールを操作できるなって。多分、今、見ても感動すると思うんですよ。

――ゲームブティック高田馬場といえば、『ドルアーガの塔』(1984年/ナムコ)が最初にクリアされたゲームセンターだと言われていますけど、金築さんはドルアーガ攻略グループには入っていなかったんですか?

金築 というか、あのころは、みんな夢中になってたよね。画面とか隠しながら(笑)。

石黒 店は違いますが、ぼくも上手い人が『ドルアーガの塔』をやってるのを見てたんですけど、後ろに立つと「見せるな見せるな」とかプレイしている人の仲間たちが言い出してムカついた(笑)。

金築 そういうのもあったよね。こっそりクレジットボタンを押すとか。膝でね(笑)。

石黒 ゲームブティック高田馬場に金築さんがよく行かれていたのは伺ったのですが、それ以外のゲームセンターには、どれぐらいの頻度で足を運んでいたんですか?

金築 当時は、毎日……というほどではないけど、週に二、三回はゲームセンターに新しいゲームが入荷するようなペースだったからね。日本のゲームも海外のも含めて。となれば、普通に周回するよね、ほぼ毎日(笑)。今みたいに、いつ新しいゲームが入荷するなんてニュースも流れないから、自分の足で回るしかない。

石黒 ひとつのゲームをとことんまでやりこむというよりも、いろんな新しいゲームにどんどん触れるほうがお好きだとか?

金築 まあ、そうだね。あんまりひとつに集中しないかな、あんまりうまくないし。

大堀 いや、十分うまいです(笑)。

金築 こう……何というか、自分の中で「よし」と思うところまではやる感じかね。「これはわかった」と納得するレベルというか。

大堀 これ嘘だからね(笑)。金築さんは、相当うまいから。

金築 いや、ちょっとしかやってないって(笑)。

石黒 『グラビター』(1982年/アタリ)は日本で一番うまかったんじゃないですか。

金築 うーん。あれは結構やり込んだからね。それに、他にやってる人いなかったし。

大堀 あのころの洋ゲーでうまい人って、ホントにすごいと思うんですよ。日本のゲームはやっている人が多くて、それを見ているだけでも結構上達できる。でも洋ゲーは、置いてあるゲーセンも少ないし、やり込んでいる人もそんなに多くない。だから、うまくなりたかったら誰にも頼らず、自分で道を切り拓いていくことが必要になると思うんですよ。

金築 そんな大げさなことでもないけど。

大堀 いや、でもゲームブティック高田馬場という狭いエリアでしかないかもしれないけど、金築さんのおかげでみんな洋ゲーのおもしろさに気づいたし、広まったのは確かだと思うんですよね。

金築 そうかなぁ。

大堀 たとえば……『テンペスト』(1981年/アタリ)とか……。

金築 ああ、『テンペスト』のアレね。

大堀 まだタイトルしか言ってないのに、わかってるし(笑)。

――読者のかたにもわかるように説明をお願いします。

大堀 『テンペスト』が流行りかけたときに、金築さんがフラっと現れて、ある操作をするとかなり先のステージまでセレクトできるようになるって言い出して。

金築 それはね、さっき言ったこの雑誌(ジョイスティック誌)に載ってたんだ。それで本当にできるのかなぁって確かめに行ったときだね。

「JoyStik」誌に掲載されている『テンペスト』のシークレットテクニック。(金築 浩史氏提供)

大堀 しかも、その手順が結構複雑で……。

金築 ああ、これだ!(と、該当の記事を発見)

大堀 すげえ、これが当時の情報源なんだ!

金築 書いてあるね。「テンペストのシークレットテクニック」って。

大堀 当時、こういう雑誌があるなんてことは、金築さん、全然言わないから。どうしてこんなこと知ってるんだよ!って、もう不思議で不思議でしょうがなかった。

石黒 それを当時、金築さんに訊いたりしなかったんですか?

大堀 訊かなかったなぁ。何か、訊いたらいけない気がして(笑)。

金築 あ、思い出した。ほら、『ギャラガ』(1981年/ナムコ)で敵が弾を撃たなくなる技あったじゃん。それも元ネタは、このジョイスティック誌なんだよ。それで友だちと一緒にお店でやってみて「おお、ホントにできる」って感動して(笑)。

石黒 よくそんなこと発見しますよね。てかMIDWAY版も同じなのね。

金築 それは、この雑誌の記事を書いている人がすごいだけで。

大堀 ここに載ってたっていうのは確かにそのとおりなんですけど、でもあの当時、これを見つけちゃう金築さんもすごいと思うんですよ。

金築 『テンペスト』なんて、あんまり他の店で見なかったしなぁ。

石黒 そういえば『テンペスト』の筐体イラストって『モンスターゼロ』(1982年/カルチャーブレーン)の元ネタですよね。

『メジャーハボック』とその前身

石黒 『アイ,ロボット』(1984年/アタリ)でいうと、ぼくが最初に遊んだのは聖蹟桜ヶ丘のナムコランドだったんですよ。そのあとに巣鴨キャロットで見て、そのあとも別の店で見て……。それで、結構たくさん輸入されているんだなぁって、そのときは思ったんですけど、よく見たら全部同じ台で、それがたらい回しにされてたみたいなんです。

金築 ああ、そうかもしれないね。

大堀 『アイ,ロボット』とか『ジャウスト』(1982年/ウィリアムス)は、最初、一番街(かつて新宿にあった、ナムコ直営のゲームセンター「プレイシティキャロット一番街」のこと)に入ったんでしたっけ?

金築 『アイ,ロボット』って最初、シグマじゃなかった? でもシグマの台はドゥードゥル・モードがなくて。

石黒 ああ、そうですね。ひとつ前のバージョンでコンパネも違う……。

――ちょっと待ってください。普通の人にわからないと思うので質問しますが、その「ドゥードゥル」って何でしょう?

金築 ああ。お金を入れてゲームを普通に遊ぶだけじゃなく、お絵かきできるモードがあったんですね。それが「ドゥードゥル(落書きの意)・モード」って呼ばれてて。

大堀 ああ、あった! あれが「ドゥードゥル・モード」なんだ! でも、あれがないバージョンなんてあったんですか?

金築 うん。

石黒 その話をしようと思って、今日は『メジャーハボック』(1983年/アタリ)の基板を持ってきたんです。

金築 おおっ!

――あ、その前に『メジャーハボック』について、ちょっと補足していただけますか。

石黒 『メジャーハボック』は、アタリの『バトルゾーン』などのデザイナー「オーウェン・ルービン(Owen Rubin)」、『マーブルマッドネス』の「マーク・サーニー(Mark Cerny)」なども制作にかかわっているベクタースキャン方式のビデオゲームです。アメリカでのリリースは1983年。目的は、基地に侵入し爆弾を仕掛けて脱出すること。脱出を暗示させる『ブレイクアウト』(1976年/アタリ)が遊べるセンスも独特で、今も多くの固定ファンを持っていますね。それから、『カイの冒険』(ナムコ/1988年)に多くの影響を与えたとされています。

――ありがとうございます。

石黒 日本人が最初に目にした『メジャーハボック』って、シグマの直営店にあったものだと思っていて、それはローラー部分が光るんです。このゲームは正規版の販売前にタイトルが何度か変わったそうで、『アルファー1』とか『トリアン・ウェブ』とかがあるんですよ。

大堀 へえ、そうなんだ。

非常に貴重な『トリアン・ウェブ』の基板。 (石黒憲一氏提供)

石黒 シグマで営業した筐体の中の基板は、この『トリアン・ウェブ』のような気がしてます。基板のシルク印刷にあるだけでタイトル画面は同じなんだけど。シグマの『アイ,ロボット』は「ドゥードゥル・モード」がないよねって話を前にもしたから、『メジャーハボック』もバージョンが若いのが稼働されたのかなと。このローラーはプロトタイプ版なんですが、シグマ版と違って光らない。こんな話でも金築さんならカマってくれるだろうと今回持ってきた(笑)。

金築 おお、わざわざありがとう(笑)。うれしいな。ねえ、この基板、早く動かそうよ。

左に写っているのは、光らないプロトタイプのローラー。 (石黒憲一氏提供)

『ロボトロン』が嫌いな人っていないでしょ

石黒 そういえば、金築さん、『ロボトロン』のミニ筐体をご自分で作ってましたよね。

大堀 え、どういうこと!? 筐体を作ってたの?

金築 ゲームキューブで『ロボトロン』が発売されてたのね。北米版だけど(『Midway Arcade Treasures』2003年リリース)。

大堀 金築さん、『ロボトロン』好きだからなぁ(笑)。

金築 で、最初は普通に遊んでいただけだったんだけど、何となくね。

大堀 何となく筐体、作っちゃうんですか。

石黒 アートワークもすごい綺麗にやってましたよね。

大堀 え、そんなに凝ったものなんですか?

石黒 「ARCADE 1UP」って話題になりましたけど、それよりももっともっと前に同じようなコンセプトのものをハンドメイドで作ってたんですよ。

大堀 へえ……。でも、石黒くん、どうしてそのこと知ってるの?

石黒 ずいぶん前にwebで見ました。ジョイスティック部分とか凄いと思った。

自作の筐体を披露してくれる金築さん。 (金築 浩史氏提供)
くわしくは金築 浩史さんのWebサイトをご覧ください。
http://paradise2086.seesaa.net/category/9132188-1.html

金築 沼津のイベント(2016年4月に行われたイベント「レトロゲーム アラカルト」)に持って行ったからね

石黒 現物を見たのはそこですね。

大堀 すごいな、これ……。いつごろ、作ったんですか。

金築 今でこそあんまり珍しくないけど、もう十年ぐらい前かな。Twitterのネタにしようと思って作っただけだから(笑)。

大堀 どれぐらい時間かかったんですか? 完成させるのに。

金築 そんなにかかってないよ。一日とか二日とか、それぐらい。

大堀 え、一日でできちゃうの!? これ、中にゲームキューブが入ってるんですよね?

金築 うん、そう。

――金築さんは、思い立ったらすぐに動く感じですか?

金築 そうですね……。おもしろいなと思ったら、まずやってみる感じですかね。

石黒 『ロボトロン』への愛情が溢れてますよね。

金築 『ロボトロン』が嫌いな人っていないでしょ(笑)。

大堀 いやいやいやいや……。

金築 え、嫌いなの? 『ロボトロン』嫌いな人、いるの?

大堀 いえ、好きですよ(笑)。好きだけど、むずかしいじゃないですか。

金築 そうかなぁ。

大堀 金築さん、ゲーム終わらなくなって、ずっとやってたでしょ。

金築 あれ、そうだっけ?

大堀 ぼくは、あの誘導弾がどうしてもダメで。脳みそみたいのが撃つ奴。

金築 ああ、あれね。

大堀 思い出した。昔、それを金築さんに相談したんだった。あの誘導弾、どうすればいいですかね、って。

石黒 そのときの金築さんの答えは?

大堀 撃てばいいじゃん、ってさらりと(笑)。当時、そう言われて困惑しましたよ。それができれば苦労しないって。

金築 こういうのもあるよ。

(と言って、スマホで動いている『ロボトロン』を披露してくれる)

大堀 え、これどうしたんですか?

金築 スマホのベンチマーク用に、自分で作った(笑)。

石黒 すごい、そのままじゃないですか! これ公開しないんですか?

金築 公開したらまずいからね。自分用。Java Scriptで組んだんだよ。全部、目コピ。

大堀 すごいな……売り物になるぐらいの完成度だ。

石黒 プログラムは昔からやっていたんですか?

金築 いや、ちょっとだけ。大したことはできないよ。

大堀 また謙遜する……。金築さん、どこまで『ロボトロン』が好きなんだ。って、よく見たら着てるTシャツにも「ロボトロン サマーキャンプ」って書いてあるじゃん!(笑)。

――すでに伏線が張られていたんですね。

金築 『ロボトロン』30周年のときだったかな。『ロボトロン』のWebのアーカイブページを作っている人がいて、そこに「君もロボトロンにまつわる写真を送ろう」みたいな企画があって。それで写真を送ったり、ちょっとやり取りをするようになって。

大堀 サマーキャンプには参加したんですか?

金築 いや、参加しなかった。海外だからね。2011年だったかなぁ。

石黒 そのときに送った写真というのは……。

金築 自作の『ロボトロン』のアップライト筐体の写真。

大堀 それはさっき写真を見せてもらった、ミニ筐体?

金築 ううん、それとは別のもっと大きな奴。

大堀 大きいのも作ってたの!? 『ロボトロン』好きすぎるでしょ! どうして、そこまで……。

金築 だって、小さいのって操作しづらいでしょ。

石黒 趣味の領域を超えてますよね。

――その写真のお礼として、Tシャツを送ってきてくださったと?

金築 うん、そうだね。そんな感じ。

石黒 『ロボトロン』愛に溢れてるなぁ。

金築 『ロボトロン』を嫌いな人、いないでしょ(笑)。

大堀 それ、さっきも聞きましたよ(笑)。このセリフ、インタビューの見出しに使ってほしい。

――検討します(笑)。

みんな大好き(?)な『ロボトロン2084』。
北米PS3用ソフト「Midway Arcade Origins」より撮影。
Ⓒ Warner Bros. Interactive Entertainment

大堀 『ロボトロン』は嫌いじゃなかったんだけど、やっぱり誘導弾が苦手であんまりやらなかったんですよ。でも、そのあとに出た『スマッシュT.V.』(1990年/ウィリアムス)が似た感じのゲームだったんで、あっちで憂さ晴らししてたんですよね(笑)。

――スーパーファミコン版も出てましたね。

大堀 スーファミ版はクリアしましたよ。

金築 じゃあ、今度は『ロボトロン』の基板を買ってやってみるといいよ(笑)。

大堀 勘弁してくださいよ……。

秘蔵グッズの数々で盛り上がる三人

――では、金築さんは『ロボトロン』が一番好きなビデオゲームということになるんでしょうか?

金築 『ロボトロン』というか、これを作った人のゲームは大体好きだね。

大堀 『ロボトロン』を作った人って?

石黒 ユージン・ジャーヴィス(Eugene  Jarvis)ですね。他に『ディフェンダー』(1980年/ウィリアムス)や『ブラスター』(1983年/ウィリアムス)、さっき話に出た『スマッシュT.V.』も彼の作品ですね。

金築 あとアタリの『スターウォーズ』(1983年)も好きかな。

大堀 ぼく、『スターウォーズ』も出遅れたんですよね。思い出しちゃった。やっと遊べると思ってゲーセン行ったら、もうみんなクリアしているどころか、弾一発も撃たないでやってたり、点数も一億点出してる人がいたりして。ダメだ、もうついて行けんって……。

石黒 あのころ、弾を撃たないことに挑戦する人、割といましたよね。それより少しあとですけど、ぼくがお世話になっていた方も『スペースハリアー』(1985年/セガ)で弾を撃たないプレイが見事でした。

大堀 スペハリで!? クリアできるの?

石黒 ボスだけは速攻で倒します。要は最少得点を競ってて。

大堀 ああ、なるほど。縛りプレイって奴か。

石黒 それから、こういうものも持ってきてみました。

(一枚のフライヤーを取り出す)

金築 おっ、『スペース・フューリー』(1981年/セガ)。これ、もしかして基板持ってるの?

石黒 ええ。

金築 (身を乗り出しながら)もしかして日本語版?

石黒 はい。ただ、ぶっ壊れてると思うけど。

金築 マジかッ!!!!

大堀 何か一番テンションが上がってるんですけど(笑)。

金築 それ早く動かしてみようよ。やりたいよ。英語版はそうでもないけど、日本語版はかなり珍しいと思うんだよね。

大堀 俺、それ見たことないんだけど、どの店に置かれてたの?

金築 どこにでもあったよ。

大堀 嘘だよ、一回も見たことないし。新宿にあった?

石黒 ありましたよ。少なくとも三ヶ所で見ましたね。

大堀 マジで?

金築 そこら中にあったでしょ。捨てるほどあったよ。

大堀 ホント!? 何か今になって、やりたくなってきたなぁ。

石黒 あと、こういうのもあります。

(と、ソノシートを取り出す)

金築 これ、最近の?

石黒 違います(笑)、当時のプロモのですね。

『スペースフューリー』の資料と、『720°』のソノシート。 (石黒憲一氏提供)

金築 すごい綺麗な状態で残ってるね。1986年って書いてある。

石黒 これはアメリカのトレードショウで配った奴だと思いますね。

金築 ぼくは、この『720°』(1986年/アタリ)は遊ばなかったなぁ。

大堀 これ、レバーをぐるぐる回す奴でしょ?

金築 ぼく以外のみんな、やってたよね。

大堀 みんなは……やってないなぁ(笑)。

金築 ねえ、今さらだけど、こんな海外のマイナーなゲームの話ばっかりしててホントにいいの?

大堀 いいんですよ。今回はそういう回ですから(笑)。

金築 じゃあさ、こういうのも出しておいたほうがいいんじゃない? ほら、ちょっとしか持ってないけど、ナムコのグッズも持ってきた。

(と、袋からいくつか取り出す)

石黒 ナムコの豆本でディグショナリーは特に珍しいね!

金築 こういうのもあるよ。

大堀 あー! 俺、これで学校行ってた! 中に教科書入れて。

――ナムコ製の、いわゆる「セメント袋」ですね。

大堀 何で、こんな綺麗な状態で残ってるの!? すごいな。

ナムコ純正の「セメント袋」。一部のマニアは、これに教科書などを入れてカバン代わりにして学校に持っていった。 ( 金築 浩史氏提供)

石黒 この袋、初期の奴ですよね。そのあと、電波新聞社から出たのは、かなりたくさん出回っていますけど、ナムコ製のはまったく見ないですよね。

金築 あと……「ビット・ジェネレーション」の会場の見取り図。名古屋でやった奴ね。

大堀 インタビュー終盤で、こういうネタを出してくるとは……。

――バランスを取ろうとしてくださるところが、さすが展覧会エンジニア!

大堀 すみません、いろいろ気を遣っていただいて(笑)。

金築 実は、出すタイミングをうかがってたんだよね(笑)。

金築氏が今、広めたいゲームとは

――それでは、そろそろインタビューの〆を。

大堀 金築さんは、今でも昔のゲームが好きなんですか?

金築 昔のゲームだからとか、そういうのは全然ないよ。今も昔も、「仕組み」というものを見るのが好きっていうのかな。

石黒 昔は、それが海外のゲームだったと?

金築 うん、そう。仕組みを解き明かしたり、知ったり、そういうことが楽しい。これ、どうなってるんだろうとか、どういう風にやってるのかなとか、裏側を見てみたくなる。だから、今、ぼくが仕事にしている展覧会エンジニアも、そういった側面があるからやってる感じだよね。

石黒 現在は、お仕事にそういう感じを求めているわけですね。

金築 仕事だけじゃないよ。ゲームは相変わらずやってるし。

石黒 最近はどんなのを?

金築 最近……でもないけど、ゲームキューブの『マリオカート ダブルダッシュ!!』(2003年/任天堂)ってあったでしょ。

石黒 ありましたね。

金築 あれって二人乗りのカートで走るんだよね。つまり、二人一組で遊べる。しかもブロードバンドアダプタを使えば、最大で16人一緒にプレイできる。

大堀 え、まさか16人同時プレイをしてたの!?

金築 うん(笑)。

大堀 え、どこで?

金築 その話を聞いたら、どうしてもやってみたくなってね。展覧会とかを一緒にやってる人とかに声をかけて、知り合いの人のオフィスに集まったのよ。

石黒 ゲームキューブを8台も用意したんですか?

金築 遊ぶ人に各自、ゲームキューブとコントローラ2個とゲームソフト、それからブロードバンドアダプタを用意してもらったよ。

石黒 ハードル高いなぁ。

金築 いや、でもホントにハードルが高いのは、画面のほうでね。モニターが当然のことながら8つ必要になるんだよね。しかもビデオ入力がないとダメだから、それを集めるのもなかなか大変だったかな。

大堀 そこまでしてやっちゃうところがすごいよなぁ。

――どうして『マリオカート ダブルダッシュ!!』を選んだんですか?

金築 あのゲームは、一人は運転だけど、もう一人はアイテムを投げるの専門だったりするから、あんまりゲームをやったことのない人でも十分遊べるんだよね。だから、全員が楽しく遊べる。そこがいいなぁって。

石黒 今でも「伝道師」は健在なんですね。

大堀 あ、そういえば『スプラトゥーン』(2017年/任天堂)を遊んでるって、ちょっと前に言ってましたよね。

金築 うん。昨日もやってたし。あれは楽しいよね。みんなが……誰でも楽しいっていうのがいいと思うんだよね。

大堀 そう考えると、やっぱりあの当時、洋ゲーを流行らせたのは金築さんなんだよね。おもしろそうに話すし、おもしろそうに遊ぶし。みんな、それでその気になる。

金築 あと、今、気に入ってるゲームがあるんだよね。

大堀 え、何なに?

金築 『ビッグバックハンター プロ』(2005年/プレイメカニクス)。最初、アーケードでリリースされて、今はいくつも続編が出ててコンシューマとかいろいろ展開してるね。

大堀 ハンティングのゲーム?

金築 そうそう。いわゆるガンシューティングだよね。雄の鹿は撃ってもいいけど、雌はダメとか。外国では、自分の経営しているバーとかに置いて、そこで賞金が出るトーナメントを開催していたりして結構熱いのよ。フランスとかでも見かけたし。でも日本では遊んでいる人の話を全然聞かないんだよね。あんなにおもしろいのに。

大堀 それを俺にやれ、と(笑)?

金築 コンシューマでもいいけど、普通のパッドじゃなくて銃型のコントローラで遊んでほしいんだよね。リコイルすると一発撃てるようになるんだけど……西部警察みたいでね(笑)。うまい人のプレイを見ているだけでも結構楽しいんだよ。

石黒 何か金築さんがおすすめするのを聞くと、すごいおもしろそうに感じる(笑)。

金築 マトリックスに設置しようよ。輸入してさ。そうしたら、毎日来るからさ。

大堀 えー。うちの会社、どんどんゲームセンターみたいになっちゃうなぁ。

金築 マトリックスのゲームセンター化計画か。設営なら任しておいてよ(笑)。

大堀 そこに話が飛びますか(笑)。

――本日は、どうもありがとうございました。

金築 浩史 氏

1962年、島根県生まれ。80年代アーケードのテレビゲームにどっぷりはまって、81年初頭に『ディフェンダー』に衝撃を受ける。そのまま上京してから海外の見たことのないゲームに心酔。とくにWilliams社のゲームが好み。
91年から展覧会の仕事をはじめ、展覧会エンジニアとして従事、通常は新宿のICC、メディア芸術祭など、メディアアートの展覧会に関わる。時々、天保山のビットジェネレーション、miraikanのGAMEONなどゲームに関われてうれしい。

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