『ナイトストライカー』を作った男たち 中編
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- 記事タイトル
- 『ナイトストライカー』を作った男たち 中編
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- 公開日
- 2019年10月04日
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- 記事番号
- 1788
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- ライター
- IGCCメディア編集部
目次
海道賢仁×津森康男 ダブルインタビュー
それぞれに情熱に満ちた高校生時代を送った海道氏と津森氏。卒業後、ともにタイトーへ入社するが、すぐに『ナイトストライカー』の制作に取り掛かるわけではない。海道氏は『地獄めぐり』のディレクターとしてデビュー。一方の津森氏は『トップランディング』のプログラマーとして実務に携わることになる。しかし、氏が直面することになるのは、まったく馴染みのなかった「ポリゴン」という最新技術だったのである。
「前編」は、こちらからどうぞ。
【聞き手】
大堀康祐(ゲーム文化保存研究所 所長)
【聞き手・資料提供】
石黒憲一(ゲームセンター研究家)
苦労したのは全部です
――それでは津森さんにお伺いします。津森さんがタイトーさんに入られて、最初に手がけたのは『トップランディング』(1988年/タイトー)でしょうか?
津森 プログラマーとしては、そうですね。でも、その前にじつは『レイメイズ』(1988年/タイトー)に携わっているんです。
――プログラマーとしてではなく?
津森 ええ。マップのデータ作りでお手伝いしました。
大堀 プログラマーとしてのデビューが最初じゃなかったんですね。
津森 はい、そうです。入社当初、こいつはゲームにそこそこ詳しいぞ、みたいな立ち位置だったんです。そのとき、ちょうど『レイメイズ』のほうで人手が足りないということだったので、じゃあ津森やってみろ、と。
――その後、『トップランディング』でついにプログラマーとしてデビューするわけですね。
津森 はい。そのとき最初に感じたのは、本当にこれ作って売れるのかなぁってことですね。ゲームとしては割と地味ですし。
――前作といっていいのかわかりませんが、『ミッドナイトランディング』(1987年/タイトー)がありますよね。あれの筐体などを流用したプロジェクトと言っていいんでしょうか。
津森 そうですね。ただし、ゲーム自体は全然別物と言ってもいいと思います。『ミッドナイトランディング』は光の点で空間を表現していましたが……。
――『トップランディング』はポリゴンですよね。
津森 はい。一応、ナムコさんの『ウイニングラン』(1988年/ナムコ)あたりと同時期ということになります。
――最先端に携わっている感じはいかがでしたか?
津森 いやぁ、当時は全然そういう感じはなかったんですよ。何か、色を塗った板しか表示されないんだけど、これどういうこと?みたいな(笑)。最先端のプロジェクトに関わらせてもらいながら、ホント失礼ですよね(笑)。でも、仕様的とか技術的には正しいよね、ということは薄々感じていました。ただ勉強することだらけで、とにかく大変でしたね。
――使用した基板は、前作とまったく関係ないんでしょうか。
津森 最初は『ミッドナイトランディング』の基板でいろいろとテストしていたんです。まず、この基板でポリゴンが描けるかどうか。それが処理時間はかかるものの、一応、四角を出してクルクル回すことができたんですね。で、何とかなりそうだと。それで、じゃあポリゴンで行こうと正式に決定しました。ただ、このままじゃ当然、ゲームにならないので、演算用のチップを新たに載せて頂点計算をそちらに全部任せるようにしました。
大堀 そこまでポリゴンにこだわったのは、どうしてなんでしょう?
津森 これは上の方針で、できるかどうか、とりあえずやってみてくれ、と。
――他社さんとの競争のようなものは?
津森 いえ、そのころは他社さんが何を、どんな風にやっているのか全然情報がなかったんです。なので他社と競争するとかではなく、『ミッドナイトランディング』で夜中ができたのだから、今度は昼間にチャレンジしてみてはどうか、という視点でプロジェクトがはじまったのだと記憶しています。
――ソフト面で苦労なさった点は?
津森 飛行機の制御は自分の担当だったんですけど、『ミッドナイトランディング』から流用した部分も多かったんです。それでプログラムやハードを一つずつ見ていって、業務用のゲームっていうのは、こういう入力があって、こんな処理をして、最終的にこういう出力をすると画面に表示されるんだって、本当に一から勉強できて苦労は多かったんですけど楽しかったというのが正直なところですね。だから苦労したのは全部です(笑)。
――このシリーズは、シミュレータではなく、かなりゲームに寄せている印象ですが。
津森 完璧にシミュレータにすると、むずかしすぎて誰もプレイできなくなっちゃうからですね。だから操作も操縦桿とスロットに絞っています。
運命の出会いということは……
――さて、こうしてそれぞれのデビュー作を経て、お二人が出会うことになるわけですが。
海道 いや、その前……工場研修とか一緒だったよね。
津森 うん。運命の出会いとか、そういうことはまったくないですね(笑)。ごく普通に。
――では、そのころから仲よくなさっていたと?
海道 うーん。まあタイトーに来ている人は、みんなある程度ゲームが好きな人ばっかりなんで。誰を見ても、自分の分身かよ!みたいな感じでしたね(笑)。そういう中でも、高卒の人たちはみんなまとめて同じ寮に入ることになっていたので、そうやってつるんでいるとわかるんですよね。こいつはなかなかできるな、とピピッと来るんですよ。
――津森さんは、海道さんのことをどういう風に思ってたんですか?
津森 最初は……何かボーッとしてる人だなぁ、と(笑)。ただ、その後、『地獄めぐり』を作っているのを見て、印象がガラッと変わりましたね。全マップを紙に書いて、それをつなぎあわせて世界すべてを俯瞰できるようにしていたんです。それを見て、とにかくビックリしたんです。こいつ入社したてなのに、こんな風にゲーム全体を見ながら作っていけるんだ、と。
――べた褒めですね。
海道 じゃあ、ぼくもちょっと追加しておきます(笑)。当時、津森はスロットマシンの耐久テストをやらされていて……。
――そのスロットマシンというのはタイトーさんの?
海道 いえ、多分違うと思います。直営店に導入する前や研究のために、他社さんのマシンをチェックすることがあったんです。で、津森はそれまでスロットマシンをやったことがないというのに、一日で完璧に目押しをマスターしちゃってビックリしたんですよ。
――それ、あんまりゲーム開発には関係ないですよね……。
海道 あはは、そうですね(笑)。でも、ゲームは津森のほうが圧倒的にうまいんですよ。
――そういった出会いを通して、いつかこいつと一緒にゲームを作るんだ、という……。
海道 いや、そういう思いは全然なかったですね(笑)。すごいとは思ったけど、それとこれは別かな、みたいな。
新たなプロジェクト始動
――と、紆余曲折ありながらも、同じプロジェクトチームに所属することになるわけですが、これはどなたがチーム編成をするんでしょうか。
海道 特に複雑な仕組みがあるわけではなくて、たまたま手が空いている人を集めて一緒にやるという、それだけのことだったりするんですよね。
津森 偶然、一緒になるというパターンがほとんどですね。あとはプロジェクトの規模によって、プログラマーの人数が変わってくるとか。
大堀 上長が割り振る感じではない?
海道 一応、上長が割り振るんですけど、特に現場の希望を聞くとか、そういうのはないですね。とにかく手の空いている人材を、どう振り分けていくのかです。
津森 当時は長いプロジェクトでも一年。短いと八ヶ月や六ヶ月なんてこともあって、とにかくどんどん仕事が回ってくるんです。なので、自分の希望がどうとか、そういうことを言っている余裕はまったくなくて、一つ終わったと思ったら、「はい、次はこれをお願い」みたいな感じで、次々仕事が割り振られる状態でしたね。
海道 しかも、やだなぁと思っても、一年しない内に次のプロジェクトに行くことになるので、スタッフ同士の好き嫌いなんて言っているヒマがないんですよね。中でもグラフィックや音楽の人、あとハード屋さんは自分の仕事が終わったら、どんどん抜けて次に行く。
津森 最初から最後までプロジェクトに関わっているのは、企画とプログラマーだけですね。
――ということで、ようやく『ナイトストライカー』の話になるわけですが。
津森 長かったですね(笑)。
海道 『ナイトストライカー』の一番最初はメカ屋さん、ハードの設計をする人ですね。当時、流行していた可動筐体をやろう、と。1988年の春ぐらいだったかな。簡単に言ってしまうと、『アフターバーナー』(1987年/セガ)のようなクレイドル(ゆりかご)・タイプ。コクピットがZ軸で回転する感じですね。それをやろうという話が出てきた。
――その可動筐体からゲームの企画を考えることになったわけですね。
海道 で、最初に考えたのがパイプの中を疾走するレースゲームでした。そうしたらいきなり、やっぱり可動筐体はなし、となって。
――いきなりですか。それはコストの都合で?
海道 そうですね。そのころには、もう開発メンバーは集まっていたのかな……。
津森 自分は可動筐体の話は聞いていなかったので、チーム編成はまだだったんじゃないかな。
海道 そうだね。で、いったんお蔵入りになりかけて、どうしようかと考えているときにメカ屋さんが「新システム出来たぞ!」って走馬灯が回る奴を持ってきてくれたんです(笑)。
――走馬灯って(笑)。度肝を抜かれましたか?
海道 抜かれました(笑)。いや、ホント、これどうしようって困って。いろいろ考えて、夜の街を走るレースゲームなら行けるかな、と。で、そのころにはチームも大体固まっていた感じですね。
弾を撃とう
――そこからレースゲームとして企画が練り込まれていったのだと思いますが……『ナイトストライカー』は弾を撃ちますよね。
海道 撃ちますね(笑)。それは、さっきの藤原さんが……。
――藤原さん再登場ですか(笑)!
海道 それから岩井さん、この人は『ミッドナイトランディング』の人なんですけど、この二人が「うーん、これ弾、撃てたほうがよくない?」って言ってきて。それで、撃ちましょう!って。
――快諾ですか(笑)! 海道さん的には、レースゲームなので弾を撃つのは、という気持ちはありませんでしたか?
海道 いえ、それもありかなぁって思ったんです。その辺、ぼくは全然こだわりがないんですよ。車が地面を走るだけならともかく、今回は空を飛ぶことも決まっていた。そうなると、弾を撃つことに違和感がないどころか、撃ったほうがカッコいいんじゃないかな、と。そんな風に思ってしまったわけです。
――こうしてシューティングゲームとしての道を歩みはじめたわけですね。
海道 シューティングにしようと決めてから、セガの『スペースハリアー』(1985年/セガ)が目標になりましたね。あのゲーム、すごいよくできてて好きなんですよ。で、そのよくできている理由をいろいろ研究して、それを『ナイトストライカー』に活かすことができたと思います。
――津森さんは、「弾、撃つぞ」と聞かされて、どう思いましたか?
津森 いや、じつはその弾を撃つことが決まった直後ぐらいにチームに入ったので、普通にシューティングゲームだと思ってたんですよ(笑)。ああ、『スペースハリアー』っぽい奴ね、みたいな感覚でしかなかった。なので、まったく違和感はありませんでしたね。
海道 津森はプログラムだけじゃなくて、コースのレイアウトとか全部やってるんだよね。
津森 そうですね。
海道 しかも、ツールの類いは一切使わないで。
津森 というか、あの当時、ツールを作ろうとか考えることもなく、テキストファイルでデータの指定をしてましたね。何メートル進んだら何が出てくるとか、どっちにカーブするとか。
――コースとか、頭の中だけで組み上げられるものなんですか?
津森 大体はできますね。慣れてくると、これぐらいだとこうなるな、みたいのもわかりますし。
――超アナログですね……。
海道 ステージの背景を何にするか、たとえば街の中ですとかお寺ですか、そういうのは当然、最初に決めてグラフィックの人に発注したんですけど、どういうコース取りにしようかとか、ビルをどこにいくつ置くかとかは、後回しにしていたんですね。最後にまとめて作業をしようと思っていたので。それなのに、いつの間にかできあがってて(笑)。
津森 頑張りました(笑)。
――津森さんに依頼してたんじゃないんですか!
海道 いや、いつの間にかできてましたね(笑)。そもそもデータがないと画面に絵が出せないので、それでやってくれたんだと思いますけど。でも、ビックリしたのが、多分、仮打ちのはずのデータだったのにプレイしてみたらいい感じになってて、ああ、もうこれでいいやってなりましたね(笑)。あとは敵の出現テーブルを作って、スクロールや敵の攻撃のスピードなどを調節するぐらいで全然オッケーな出来になりました。
津森 通常、タイトーは「田植えツール」を使ってデータを植えていくんです。「田植えツール」というのは、ゲームのフィールドになる道路を動かして、そこに敵とか障害物を置いていくものなんですけど、通常ならそういうものを作って活用するんですね。でも、自分はまだタイトーに入ったばかりでそんなことも知らなくて……。ただ、画面に何も表示されてないとチェックもできないので、試しにやってみたらなかなか調子がよくて(笑)、
海道 そこまで本気で作ってなかったのか、データもところどころコピペで作られていたんですけど、これが逆によかったと思っています。このステージだとこういう感じ、みたいにちょこっとプレイすると、いい塩梅に先が読めるんですよ。それが気持ちいい。こういったコースの傾向があったからこそ、爽快感が強まったのは確かだと思いますね。
――津森さん、その辺りは意識されていたんですか?
津森 ……いえ、あんまり(笑)。
海道 でも、学習曲線というか、そういうのがホントにいい感じで出てしましたね。一回目よりも二回目のほうが気持ちよくなるという。目押しできる奴は違うな、と思いましたね(笑)。
津森 各ステージごとにスピードが決まってたんですね。このステージは速いとか。それを参考に、こういうビルの配置をしたら、もっとスピード感が出るんじゃないかとか、あとハードの特性なんですけど、道をカーブさせるとちょっとスピードが上がったように見えるんですね。なので、きついカーブを連続させるとものすごい疾走感が出たりとか。自分なりに結構、工夫しましたね。
海道 疾走感は『ナイトストライカー』の重要コンセプトのひとつで、常にそこは意識していましたね。疾走しまくればゲームも早く終わってインカムも上がりますし(笑)。『地獄めぐり』は結構粘るプレイヤーがいたので、今回はどんなにうまくても最短でしか進めないようにしました。
――そういえば、同時期に似たタイプのゲームとしてアタリの『スタンランナー』(1989年)がリリースされていましたが、意識はしましたか?
海道 いえ、全然しませんでしたね。
津森 自分たちが研究したのは同じアタリでも『スターウォーズ』(1983年/アタリ)、それからセガの『スペースハリアー』(1985年)ですね。たとえば工場とかトンネルは『スターウォーズ』、寺院とか海とかは『スペースハリアー』の影響がかなり強いと思います。敵の配置とか。
海道 『スペースハリアー』とかは、結構「嘘」があるんですよね。完全な三次元ですべてを計算していない。たとえば撃った弾が前方の消失点に向かって正直に飛んでいくと、敵にほとんど当てられなくなってしまうんですね。だから画面の左上で撃った弾は画面中央に向かってではなく、画面左上の奥のほうへ飛んでいくようにしてある。これって三次元に見えるけど、やっていることは二次元のモグラ叩きとまったく一緒なわけです。でも、これは非常に大事で、こうしないと敵に弾が当たらず、プレイヤーはまったくおもしろくない。ゲームとして大切な「嘘」というわけです。『ナイトストライカー』も、これに倣って、弾の飛び方や当たり判定の大きさなど、プレイヤーが気持ちよく遊んでくれるためにいろいろ嘘をついてます。
津森 計算の正確さは重要じゃなくて、あくまでもゲームのおもしろさを優先して作っているということですね。
次回予告
ついに開発がスタートした『ナイトストライカー』だが、次々と難題が降りかかり、開発は難航する。次回の「後編」では、ついにロケテストが開始。しかし、ここでも様々なトラブルがスタッフに襲い掛かることになるのだった。初出秘話満載の後編に、どうぞご期待ください。
お知らせ
『ナイトストライカー』は、当研究所の記事で紹介したゲームセンター「Hey」(秋葉原)にて絶賛稼働中です。
秋葉原Heyについては、こちらをご覧ください。
公式Twitterでも、随時情報を発信中!
また『ナイトストライカー』の楽曲を収録したアルバム「タイトーデジタルサウンドアーカイブ ~ARCADE~ Vol.2」も発売中です。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00QSSXHVM/
そのほか、iTunesストアやSpotifyでも配信中!
特報! ナイトストライカー30周年記念商品
「インターグレイXsi ポスターver.」
「インターグレイ」カラーレジンキャストキットが、数量限定で再登場。
今回は30周年を記念した特別モデルで、ポスターをイメージカラーとしたパールブラック。特典としてパイロットフィギュアと柳瀬敬之氏描きおろしポストカードが付属。
■発売元:有限会社RCベルグ
公式Webサイト
■価格:26,000円(税抜)
■予約期間:2019年10月25日(金)~11月25日(月)
海道賢仁 氏
1969年、石川県出身。幼少のころからビデオゲームで遊ぶだけにとどまらず、ゲーム制作に没頭。高校卒業後にタイトーに入社。『地獄めぐり』でデビューしたのち、『ナイトストライカー』や『チャンピオンレスラー』、『キャメルトライ』、『ソニックブラストマン』などを開発後に退社。『ドラゴンクエスト モンスターパレード』などを手がけて今に至る。株式会社ツェナワークスに所属。
津森康男 氏
1968年、島根県出身。パソコンゲームに熱中し、RPGなどを改造するようになってプログラミングに目覚める。高校卒業後、タイトーに入社。デビュー作である『トップランディング』でプログラマーを務めたのちに『ナイトストライカー』を手がける。その後も『パズルボブル』や『プリルラ』などを経て、株式会社マトリックスへ移籍。現在はパチスロの映像制御や『ωラビリンス ライフ』にプログラマーとして参加しつつ、趣味で始めたダンスが高じてCMやショートフィルム、プロスポーツの決勝戦のオープニングアクトに出演。
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