『ナイトストライカー』を作った男たち 後編
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- 記事タイトル
- 『ナイトストライカー』を作った男たち 後編
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- 公開日
- 2019年10月11日
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- 記事番号
- 1795
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- ライター
- IGCCメディア編集部
目次
海道賢仁×津森康男 ダブルインタビュー
ひとまずの完成を見た『ナイトストライカー』だが、そこにはまだ大きな関門が待ち構えていた。すなわち、ロケテストである。そこでのプレイヤーたちの反響は芳しくなく、本作に大幅なてこ入れがなされることになるのだが……。
「前編」は、こちら。
「中編」は、こちらからどうぞ。
【聞き手】
大堀康祐(ゲーム文化保存研究所 所長)
【聞き手・資料提供】
石黒憲一(ゲームセンター研究家)
メモリがカツカツだけど……
――『ナイトストライカー』の基板の仕様で意外だったのは、拡大機能がなかったことなのですが。
海道 そうです、ないですね。縮小はあるのに(笑)。
――それで苦労されたことは……。
海道 スプライトは、めちゃくちゃ大きなものを用意する必要があったので、グラフィックの人は大変だったと思います。今、見るとそこまでスムーズではないですけど、当時はスムーズに見えるようにちょっとずつ大きさの違う建物などを用意して、それっぽく見えるようにして。ただ最初はビルとかは全然立体感がなくて、結構きびしかったんですよね。BG(背景)は最初から非常に完成度が高かったんですけど。
――背景のイメージは、どこから?
海道 香港ですね。
――香港に思い入れが?
海道 思い入れがあったわけではなく、映画の「ブレードランナー」が好きだったので、そのイメージですかね。あと、夜が舞台なので、夜景が綺麗な場所ということで、それじゃあ香港しかないだろう、と。
――香港に取材は行かれたんですか?
海道 いえ、ガイドブックを参考にして、行ったつもりになって(笑)。打ち上げでも香港に行こうとは思わなかったなぁ。もう終わったことだし。
――メモリには余裕があったんですか?
津森 いえ、カツカツでしたね(笑)。それなのに、ネームエントリーの文字はバカみたいに大きくて。あれもそこそこメモリを食っているんですよね。
海道 でも、あれはやっぱりやらないと! ゲームのシステムを利用したネームエントリーで、どうしてもやりたかったんですよ。それであれに必要な大きさの文字を作ったら、あんなことになってしまった(笑)。まあ、これは譲れないということで。ネームエントリーでメモリを使っちゃったので、ゲーム中のWARNING表示とかはプアな、「高橋はるみ方式」を採用しました。
――高橋はるみ方式! ベーマガ世代じゃないとわからないワードじゃないですか!
海道 タイトーのハードには、BGの上にスクリーンという一番手前に表示されるレイヤーがあって、そこにはキャラクターが8×8ドットの256個分、表示する領域があるんです。そのキャラに、いわゆる外字を登録するような感じでまっすぐの線とか十字とかを入れて、それを組み合わせて大きな文字にするという荒技ですね。
――なるほど。なぜ、ああいった書体なのか不思議だったんですけど。
津森 単に容量を節約するためですね。
そして、ついにロケテストに……
――さて、そうしてひとまず『ナイトストライカー』が完成し、ロケテストが行われることになったわけですが……。
海道 トラブルは多かったですね。ゲームの内容だけじゃなく、筐体も変わりましたし。
――筐体のデザイン、ですか?
津森 町田に「プレイランド いこい」というゲームセンターがあったんです。そこにロケテストをお願いしたんですが、中が結構暗いお店で……。最初、『ナイトストライカー』の筐体は真っ黒だったため、全然目立たない。これはいかんということで、筐体デザイナーの関口さんが頑張って筐体デザインをイチから作り直してくれたんです。
海道 「パシフィストボーナス」も、ロケテストまでは入っていなかったんですよね。あれは津森が言い出しっぺで。気がついたら入ってました。
――え、海道さんに相談せずに作ったんですか?
津森 そうです、勝手に入れました(笑)。敵を撃たず、ダメージも食らわなかったらボーナスあげてもいいんじゃないですか、とメインプログラマーの菅原さんを焚きつけました(笑)。
海道 ぼくが知ったのは、最終仕様書を書くあたりでしたね。いやぁ、じつはこういうのがあるんですよ、と。まあ、おもしろいからいいかなって。でも今にしてみると、ちょっと軽く考えすぎていた部分はありますね。たとえば「ワイプアウトボーナス」というのがあって。
――敵をすべて全滅させたときのボーナスですね。
海道 そうです。そういったものとのバランスが取れていなかった。
津森 当初は、全部よけるって不可能だと思ってたんですよ。そうしたら、全部よける人が出てきてしまって(笑)。
――ステージ最後に出てくるボスが、意外と弱めな設定になっていると思うんですが。
海道 そのステージで苦しんで苦しんで、そこで最後、ボスをすぱーんと倒して、はい次のステージ!というのが気持ちいいんじゃないかと思って、あえて弱くしました。そういう爽快感とかテンポを重視した結果ですね。ぼくの中では、各ステージのボスって「〆の一杯」みたいなイメージなんですね。
大堀 〆の一杯(笑)。
海道 あと、ボスで粘られても嫌ですしね。インカム下がりますから。まあ、チェックポイント的な扱いというところでしょうか。といっても、単に各ステージのゴールにたどり着いただけだと味気ない気もするので、そこは調整に悩んだところですけどね。
津森 そういえば、新人プログラマーが工場のボスの、アームがウィーンと動く奴を二週間ぐらいかけて作ってくれたんですけど、「わー、よくできてるよくできてる!」と褒めながらも二秒で倒されちゃって泣いてましたね(笑)。
大堀 二週間かけて秒殺はきついなぁ(笑)。
海道 そのプログラマーからは、「もうちょっと強くしませんか?」って言われたんですけど、「これぐらいのほうがいいから、ごめん」と謝ってそのまま行くことにしました。
――そういえば『ナイトストライカー』の最後も自機が変形したりしますよね。これは『地獄めぐり』からの……。
海道 そのとおりです。最後、ちょっと盛り上げるなら、これしかないだろうと(笑)。
津森 結構、対応が大変でしたけどね。全部違う奴ですから(笑)。
海道 ネタ出しも苦しかったなぁ……。無理矢理な奴も、中にはいますし。
――『ナイトストライカー』というタイトルは、いつごろ決定されたのでしょうか。
海道 結構、後半だったよね。
津森 そうね。大体、タイトルっていうのは開発の終わりごろに決めますからね。
――それは、ロケテストをやるからタイトルを決めないと、という感じですか?
津森 そうです、そんな感じでした。
大堀 どなたが決めたんですか? 知財(知的財産権)を管理している部署が、こんなのどうですか?みたいな流れとか……。
津森 いえ、開発スタッフみんなで、あれこれ候補を出して、そこから絞っていく感じです。それから知財にお願いして、他に取られていないかを確認してもらう、みたいな流れですね。
大堀 『ナイトストライカー』というのは第一候補だったんですか?
海道 どうだったかなぁ。
津森 他の候補に、どんなのがあったのか、まったく覚えていません(笑)。
海道 覚えてないなぁ。とにかく、これ!というのが、なかなか出なかったのは記憶に残ってますね。それで仕方ないな、『ナイトストライカー』でいいや、なんてノリでしたね。
――それで、実際にロケテストを行ったわけですが、プレイヤーの反応は……。
海道 ロケテストで、プレイヤーの反応は今イチでしたね。それで結構、てこ入れすることになったんです。
――先ほどの筐体のデザインや色を変える以外にも?
津森 コースの分岐も、そのときはなかったんです。一本道で進んでいって、途中で自機が勝手に変形してボスと戦うといった感じだったかな。
――え、分岐はなかったんですか?
海道 いえ、正確には企画当初からありました。でもステージ数の確保や難易度調節が間に合わなかったため、ロケテスト版では分岐システムをいったんオミットして、一本道のショートバージョンで行ったんですよ。
大堀 ショートバージョンというと、今よりもかなり短かったんですか?
津森 そうですね、今よりも短かったですね。確か、4ステージぐらいで終わりだったような。
――ロケテストが終わって、分岐システムは……。
海道 ロケテストの結果を反映しつつ復活させました。ただステージ数が増えることになるので、その作業が大変でしたね。同じ背景のところはデータをコピペして、敵を増やしたりとかの修正で済むんですけど、中にはまったく新しいステージを作ることになったりして。とにかく時間がなかった。
津森 新しいステージといえば、運河は最初はなかったんですよ。
海道 そうそう。メインプログラマーさんが、「いろいろやってみたら、こんなのできたんだけど」って(笑)。
――開発も大詰めなのに、プログラマーさん余裕あるんですね……。
海道 プログラマーは五人体勢で、かなりリッチなチーム編成だったこともありますね。
――プログラマーさんが五人というのは、かなり多いほうですか?
津森 多いと思います。ただ、それは当初の開発の見積もり期間が短かったため。
――『ナイトストライカー』は何ヶ月で開発する予定だったんですか?
海道 最初は十ヶ月の予定でしたね。スピード感を持って、さくっと終わらせるタイプのプロジェクトだったんです。でも、ちょっと延びてしまった。結局、一年二ヶ月ぐらいになったかな。
津森 ああ、思い出した。操作がジョイスティックになりそうなこともありましたね。
海道 ジョイスティックでも一回だったかな、ロケテストしたこともあったなぁ。
――それは、やはりコスト面の問題で、ジョイスティックという選択肢が?
海道 そうですね。
津森 ただ、開発自体はジョイスティックでやっていたんですよ。
――え、そうなんですか!?
津森 アナログスティック用のツールがなかなかできなかったので、アナログの操縦桿で遊んでいたのは、ごく一部の人だけで、他に人たちはずっとジョイスティックで遊んでいましたね。自分もそうでしたし。
――開発としては、アナログの操縦桿を希望していたんですか?
海道 そうですね。そっちのほうが絶対におもしろいですし。で、メカ屋さんがいろいろと頑張ってくれて、何とかアナログで行けることになりました。ぼくは半分、あきらめていたんですけどね(笑)。
津森 ただ、その分、故障が多かったんだけどね(笑)。
もう一つのプロジェクト
――こうして『ナイトストライカー』は完成に向かうわけですが、海道さんはすでにこのころには別のプロジェクトも掛け持ちしていたそうですが……。
海道 よく知ってますね(笑)。そうなんですよ、じつは『チャンピオンレスラー』(1989年/タイトー)というプロレスゲームを作ってましたね。企画の人って、結構掛け持ちしてるんですよ。
津森 うーん。でも海道は、その中でも特殊だったような。
海道 え、そう?
津森 うん。掛け持ち率がすごく高かった。他の企画の人はそこまでできなかった。
――それは、海道さんが上の人から頼りにされていたということですか?
津森 それはあると思います。昔、お互い、休日出勤をしているときがあって、一緒にご飯を食べようということになったんです。休日出勤をしているぐらいなので、忙しくて精神的に余裕がないはずなのに、「じつはさ、こういうゲームを考えているんだけど、どう思う?」とか、今だけじゃなく、先のことをいろいろ考えているんですね。そういうことを上の人も知っていたのかわかりませんが、頼れる男だとそのときから思ってます。
海道 全然覚えてないな(笑)。
石黒 『チャンピオンレスラー』は、最初はトラックボールでしたよね。
海道 そうですね。よくご存じですね。
石黒 池袋のロサ会館に行ったときに、ロケテストをちょうどやっていて、そこでプレイしたんです。それで、これは非常におもしろいと。ジョイスティックのバージョンもありましたけど、やっぱりトラックボールのほうが断然おもしろいと思いましたね。
海道 ですよね、ですよね! プロレスゲームをトラックボールで作ったら絶対におもしろくなるから、これでやらせてくれって頼んでいたんですけど……。
――企画段階から、トラックボールで行きたいと?
海道 そうです、そうです。そもそもお金をかけないプロジェクトで、基板もローコストのもので、というオファーだったんですね。でも、それなら筐体のほうをちょっとリッチにしてもらえないかって。それで、ぜひトラックボールを使いたいと。
――『チャンピオンレスラー』は日本向けの企画だったんですか?
海道 日本と海外、両方ですね。でも作っている最中に、営業から「どうしてもジョイスティックでお願いしたいんですけど」と言われてしまって……。まあ、コストやメンテナンスなどの面でわからないでもないけど……でも、それだったらジョイスティック版とトラックボール版の両方を作ってロケテストして、インカムで勝負しましょうと。
――いきなり料理バトルみたいな展開ですね(笑)。
海道 ぼくはものすごい自信があって、絶対にトラックボール版のおもしろさをみんなわかってくれるはずだと思ってたんですね。でも、蓋を開けたら、ジョイスティック版のほうが圧倒的にインカムが多かった(笑)。
――そもそも、なぜプロレスゲームだったんですか? 上からのオファーで?
海道 いや、決まっていたのは、ローコストの基板を使うってことと、アクションタイプのゲームにしてくれってことだけですね。あとは納期ぐらいかな。
――海道さんはプロレスがお好きなんですか?
海道 プロレスがというよりも、プロレスゲームが好きなんですね。当時、タイトーは、テクノスジャパンのプロレスゲームを扱っていて、何だか自分でも作ってみたいな、と。プロレスはタイガーマスクがすごく好きで、あとはコミックスの「プロレススーパースター列伝」。そのときは会社のお金で取材に行きました、全日本プロレスに(笑)。場所は武道館だったんですけど、試合前に下の喫茶店みたいなところにいたら、そこにジャイアント馬場さんが入ってきて、「ああ、本物だ! デカい!」って(笑)。足が床のタイルからはみ出してる!とか、いろいろ感動しましたね(笑)。
津森 グラフィックとプログラムは大阪研究所だったよね。
海道 うん。だから週に一回ぐらい、大阪のほうへ出張してました。
――『ナイトストライカー』のマスターアップ直前だと思いますけど、そちらに問題はなかったんですか?
津森 海道は、そこがうまいんですよ。両方ともがっつり関わってしまうと問題が出るのはわかっているので、絶対にそうならないように細かく調整している。ここでも先のことを考えて、今、どちらを優先すべきかを考えているんですね。だから『ナイトストライカー』のマスターアップ直前でも、海道がいなくて困ったということはまったくなかった。
――だから、上のかたも海道さんに任せようとするんですね。
津森 やっぱり最初に作った『地獄めぐり』が大きかったと思います。あれは本当に、海道が担当してから見違えるゲームになりましたから。それで認められたんだと思います。
石黒 『地獄めぐり』は海外でも評判になりましたよね。
――さて、こうして無事にリリースされた『ナイトストライカー』ですが、発売当初はあまりプレイヤーからの反響はなかったと聞いていますが。
海道 そうなんですよ。最初は、あんまりパッとしなかったんですね。それが、曲から火がついた感じですかね。CDが発売されて、曲がすごくいいぞとそれで知れ渡って、プレイする人がどんどん増えて、反響も大きくなりましたね。そして「パシフィストボーナス」のことがバレて、みんなシューティングなのに弾を撃たなくなった(笑)。
――「パシフィストボーナス」については、あんまり納得なさっていないようですが。
海道 ああいう遊び方ももちろんいいとは思うんですが、みんながみんなそうだと、やっぱりちょっとね……(笑)。ぼくとしては、もう少しストレートにゲームを評価してほしかったなぁって思わないでもないですね(笑)。もっとも、まったく注目されずに終わっちゃうゲームも多いので、贅沢は言えませんけど。
――『ナイトストライカー』で心残りはありますか?
海道 ぼくは、もうちょっと得点を調整したかった。
津森 自分もちょっとそれに似ていて、得点のシステムを練り込む時間があれば、と感じています。「ワイプアウト」と「パシフィスト」を連動させて、このステージは敵を全滅させて、次は「パシフィスト」で……みたいなプレイヤーによって幅広く遊んでもらえるようにしたかったんです。現状だと、どうしてもパシフィストばっかり狙うようになってますからね。
――なるほど。
津森 あ、もちろん、プレイヤーのみなさんに対しての不満ではないですよ。当時、自分は町田のゲーセンに通っていたんですけど、そのときは異様に盛り上がっていて、とにかく感謝しながらそういった方々のスーパープレイを眺めていました。『ナイトストライカー』の開発に関われることができて、本当によかったと思いましたね。
――そういえば、自機のインターグレイというのは、当時、海道さんの乗っていたホンダのインテグラが元になっていると言われていますよね。
海道 ええ、そうです。
――そのあと、事故ったという噂も……。
海道 うえへへへへ、何で知ってるんですか(笑)! いやぁ、峠道でちょっと……ちょっとだけスピードを出して走っていたら、ひっくり返ってしまって……。
大堀 え、ひっくり返ったんですか!?
海道 走ってたらスリップしちゃって、そのときすぐ脇に土手があったんです。そこに車体をこすって止まるかなって思ってたんですけど、そこが絶妙な角度で、車が止まる寸前に乗り上げて、ころんと転がった感じで。
――では、車にはあんまりダメージはなかった?
海道 そのときは、そうですね。
――そのときは?
海道 ちょうどそのとき、自動車工場のクレーン車が通りかかって、ひっくり返った車を元に戻してくれるって言うんでお任せしたんです。で、いざ、車をつり上げたら、そこで車を固定していたロープが切れて、そのまま下に落ちて廃車となりました(笑)。
大堀 ひどすぎる(笑)。
海道 まあ、廃車になったんですけど、地元にいるぼくの弟が「じゃあ、俺にくれ。自分で直すから」と言うんでいいよって答えたら、ホントに自分でそれを直して乗れるようにしてたから、これにも驚きましたね(笑)。いやぁ、あのときロープが切れなかったら、まだ現役で走れてた可能性が高かったんですけどね。
津森 そのときは起きてたの?
――起きてた、とは? 居眠り運転ということですか?
津森 いやぁ、海道は怖い運転で有名で(笑)。
海道 いやいやいや……(笑)。
大堀 もしかしてハンドルを握ると人格が変わるタイプですか!
津森 いえ、運転は非常にうまいんですよ。それは間違いなく。ただ、気がつくと寝てるという(笑)。
海道 これを読んでるみなさんも、くれぐれも峠道には気をつけてください(笑)。
――本日は、どうもありがとうございました。
あとがき
全3回に渡ってお送りした『ナイトストライカー』ダブルインタビューは、いかがだっただろうか。それぞれが自分の理想を追い求めながらも、決して破綻しないばかりか、奇跡の傑作に仕上がったのは、そのチームワークのよさゆえなのではないかと感じられた。
海道氏は、その後『キャメルトライ』や『ソニックブラストマン』のディレクションをなさったが、こちらも来年30周年を迎える。インタビューをお願いしたところ、ご快諾いただいたので、どうかお楽しみ。
お知らせ
『ナイトストライカー』は、当研究所の記事で紹介したゲームセンター「Hey」(秋葉原)にて絶賛稼働中です。
秋葉原Heyについては、こちらをご覧ください。
公式Twitterでも、随時情報を発信中!
また『ナイトストライカー』の楽曲を収録したアルバム「タイトーデジタルサウンドアーカイブ ~ARCADE~ Vol.2」も発売中です。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00QSSXHVM/
そのほか、iTunesストアやSpotifyでも配信中!
特報! ナイトストライカー30周年記念商品
「インターグレイXsi ポスターver.」
「インターグレイ」カラーレジンキャストキットが、数量限定で再登場。
今回は30周年を記念した特別モデルで、ポスターをイメージカラーとしたパールブラック。特典としてパイロットフィギュアと柳瀬敬之氏描きおろしポストカードが付属。
■発売元:有限会社RCベルグ
公式Webサイト
■価格:26,000円(税抜)
■予約期間:2019年10月25日(金)~11月25日(月)
海道賢仁 氏
1969年、石川県出身。幼少のころからビデオゲームで遊ぶだけにとどまらず、ゲーム制作に没頭。高校卒業後にタイトーに入社。『地獄めぐり』でデビューしたのち、『ナイトストライカー』や『チャンピオンレスラー』、『キャメルトライ』、『ソニックブラストマン』などを開発後に退社。『ドラゴンクエスト モンスターパレード』などを手がけて今に至る。株式会社ツェナワークスに所属。
津森康男 氏
1968年、島根県出身。パソコンゲームに熱中し、RPGなどを改造するようになってプログラミングに目覚める。高校卒業後、タイトーに入社。デビュー作である『トップランディング』でプログラマーを務めたのちに『ナイトストライカー』を手がける。その後も『パズルボブル』や『プリルラ』などを経て、株式会社マトリックスへ移籍。現在はパチスロの映像制御や『ωラビリンス ライフ』にプログラマーとして参加しつつ、趣味で始めたダンスが高じてCMやショートフィルム、プロスポーツの決勝戦のオープニングアクトに出演。
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