セガのゲーセンの思い出 心地よく秘密めいたところ

  • 記事タイトル
    セガのゲーセンの思い出 心地よく秘密めいたところ
  • 公開日
    2020年11月20日
  • 記事番号
    4141
  • ライター
    IGCCメディア編集部・手塚

“本物”を目にした日

高校生のとき、少しだけビデオゲームから離れていた時期があった。
ゲームに興味がなくなったわけではなく、他にやりたいことがありすぎてゲームセンターへ足を運ぶ暇がなくなっていた。
放課後は友だちと暗くなるまで他愛のない会話に興じ、休日は映画を観たり、本を読んだり、釣りに行ったり、野球をしたり、走ったり。プログラミングも続けていた。
高校生の少ない小遣いなんか、すぐになくなる。
好きなことを何でもやる、なんて不可能。
バイトは平日ではなく、長期の休みにまとめてやっていた。

ある日の休み時間に、クラスメイトのイマミヤが突然、声をかけてきた。
「――手塚、ゼビウス見たか」

イマミヤは当時ラグビーをやってため真っ黒に日焼けし、それでいて熊のプーさんのように愛嬌のある顔立ちをした気のいい奴だった。
ぼくの紹介で五反田の東京流通センターの地下にあったナムコの直営店でバイトをはじめたのをきっかけに、ナムコに就職。ロケーションで店長などを務めていた。
今は脱サラし、元住吉で素敵なコーヒーショップを営んでいる(イマミヤ、また遊びに行くよ)。

イマミヤの言う「ゼビウス」という単語がナムコのリリースした最新のシューティングゲームだと理解できたものの、いったい彼が何に興奮しているのかわからない。
そう。奴は口下手なのだ。
10分の休み時間をすべて費やしても、ぼくの心は動かなかった。

「いいから遊んでみろよ。“本物”が動いてるんだぜ」
最後に、イマミヤはそう言った。

――“本物”が動く?
余計にわからなくなった。

授業が終わった。
帰路、特に理由はないが、これまで素通りしていた荏原町のセガ直営のゲームセンターに、この日はじめて足を踏み入れることにした。
イマミヤの言葉が妙に心に残っていた。
何なんだよ、ホンモノっていうのは……。

『ゼビウス』が、そこにあった。
店に入って、すぐ。右の壁際のテーブル筐体。
タイトルやインストカードなんか確認するまでもなかった。
マジかよ。
ようやくイマミヤの言いたかったことを理解した。
まさに百聞は一見にしかず。
確かに“本物”と見紛うほどのリアルな画面が動いていた。本当に“本物”が動いている。何だ、こりゃあ?
めちゃくちゃショックを受けた。
たった数ヶ月、目を離していた間に、ゲームセンターはこんなことになっていたのか!
やべえ。
やばすぎる。
やっぱりビデオゲームってすげえぜ。
体の震えが止まらなかった。
この感動を誰かに伝えようとしたが、できなかった。
ぼくも、きっとイマミヤのように口下手なのだろう。

『ゼビウス』Ⓒ BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

セガも、いいな

それから、ぼくのゲームセンター通いが復活した。
新しいホームグラウンドは、そのセガの店になった。
あまりに『ゼビウス』のインパクトが強すぎて、それを目にしたゲームセンターさえ特別視するようになったのだろう。

これまでにも当然、セガのゲームは遊んでいたが、本当のことを言えば、ぼくはナムコ党だった。
ナムコが必修科目だとしたら、セガは選択科目(非常に失礼)。
どこか、そういう感覚があった。
当時、『ヘッドオン』『サムライ』『ディープスキャン』『トランキライザーガン』あたりは胸を高鳴らせて遊んでいたけど、中にはあまり興味をそそられないタイトルもそれなりの数あった。
遊ばなきゃ楽しさのわからないタイトルだってある。けれども悲しいかな、小遣いは有限。
遊ぶゲームも、自分なりの基準で取捨選択しなければならなかったのだ。

だが、そのセガのロケーションでたくさんのセガのゲームに囲まれるうちに、ナムコに負けず劣らずセガのことも大好きになっていった。
アルファ電子やサンリツ、コアランドテクノロジーといったメーカーのタイトルを入れてくれたのもうれしかった。
『エクイテス』『バンクパニック』『ハイボルテージ』『4ーDウォーリアーズ』
どれも思い出深い。
セガ好きをこじらせて、のちにファミコンよりも先にセガマークIIIを買い、ベーマガ(マイコンBASICマガジン)で大橋編集長に掛け合って(無理やり)セガのページを作ってもらい、担当した。

ゲームだけじゃなく、その店自体も好きになっていった。
混んでいるわけでもなく、空いているわけでもなく、常連と思しき人はほとんど見かけたことがなく、店員もこちらから声をかけない限りは一切干渉してこない。
それでいて台のメンテナンスは、いつもバッチリだった。
何より、1ゲーム50円というのが貧乏高校生にとってうれしかった。

オレたちの神ゲー『ハイパーオリンピック』

午後の授業をサボり、友だちと一緒にこの店へ遊びに来ることも、たびたびあった。
イシダ、ホンダ、ナカムラの三人とは、週1、2回は来ていたと思う。
(彼らと一緒ではないときは、ぼくはひとりで『ゼビウス』や『ギャラガ』などに興じ、お店には申し訳ないが50円で日が暮れるまで遊んでいた)

気楽に気ままに、気兼ねなく遊べる。
それがこの店を好きになった一番の理由だったのかもしれない。
とにかく、心地よい空間だった。

イシダたちはゲームマニアというわけではなく、ぼく以外とはほとんどゲームセンターには行くことはなかったらしい。
そういうこともあり、シューティングとかは絶対にやらない。
すぐにやられてしまうから。
彼らが好きなのは、スポーツゲームだった。
ルールが理解しやすく、ゲームならではのお約束を知る必要も少なく、すぐにゲームオーバーになりにくい。

そんな彼らと一番夢中になったのは、コナミの『ハイパーオリンピック』だった。
四人それぞれに得意な競技があったのもよかったのだろう。
今、思い返しても、あれは絶対に忘れることのできない楽しい空間だった。

TRACK & FIELD(Nintendo Switchにて撮影)ⒸKonami Digital Entertainment

その店は、とっくの昔になくなってしまったけれど、今でもときどき当時の夢を見る。

セガがゲームセンターの運営から撤退するというニュースを目にしたその日の夜も、あの店が夢に出てきた。
そのときのぼくは、理由はわからないが急いでいて、お店の前でいったん立ち止まったのに、「明日来ればいいや」と思い通り過ぎてしまうのだった。

お店に入ったら、彼らはそこにいたのだろうか。
「遅いぜ、手塚」
と、あのときのように声をかけてくれたのだろうか。

みんな、元気かな。
この文化が、どうか、ずっとずっと続きますように。

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