さあにん@山本直人の我が青春のテレビゲーム
目次
第七回:青春小僧がゲームキャラクターに初めて萌えた日
スペースチェイサー(タイトー/1979年7月)
さて、はじめに宣言しておきますと、今回はテレビゲーム以外の私の当時の話が、脱線して出てきます。ご承知の上、お読みいただければ幸いです。
ということで前回、ようやくナムコの登場となったのですが、やや時期が戻って1979年の秋になるかならないかくらいのお話。
テーブル筐体が世の中に当たり前のように見られるようになり、1980年に向けてはゲームコーナーなるものが高知にも増えていました。
ただ、出回るものはほとんどがタイトーの商品か、インベーダーのデッドコピー。それでも徐々に、タイトーの訴訟の動きもあってかデッドコピーは駆逐され、代わりに「インベーダー基板」を利用し、ROMを差し替えたオリジナルタイトルが登場するようになります。
あふれかえるテーブル筐体とインベーダー基板
時代はハードウェアから、ソフトウェアに移りつつありました。
そしてその分、ハードウェアは簡便かつ流用性のあるものが、進化を遂げていくのであります。大量にあふれたインベーダー基板の流用は、日本のテレビゲーム業界のベースになったと言っても良いかと思います。
が、そのインベーダー基板自体がデッドコピー品だったり、差し替えられるゲームのROMは、ROMライターでコピーされたものだったりと、まだまだそんな時代です。
プレハブ小屋のゲームコーナーの親父さんが、アルミホイルに包まれたEPROMを取り出して、基板に差し替えていたのを見た人も多いのではないでしょうか。
もちろん本家・タイトーも、インベーダー基板を使った新タイトルを発売しています。
『スペースインベーダー PART=II』(1979年7月)『ルナレスキュー』(1979年11月)などなどですな。
そんな感じでいろいろなメーカーが世に出始め、ゲーム大好き少年の私は、小躍りしながら新しいゲームで遊ぶのに勤しんでおりましたが、実際に熱中していたものはそれだけではなかったのであります。
ドット絵のキャラクターに個性を見出せるか
「大のテレビゲーム好き」と、私のことを思われているかたも多いかなと思いますが、Twitterのプロフィールを見ていただきますとわかるのですが、それ以前に私は「大のマンガ好き」であります。
マンガを読み始めたのは3歳の頃。近所の貸本屋で、毎日数冊のコミックスを借りては読んで、借りては読んでしておりました。
まだ「週刊少年ジャンプ」が創刊していない時代であります。
まだ「赤本」にルーツを持つ、描き下ろしのコミックスが普通に並んでいた時代であります。
とはいえ幼児ですから、読むのはもっぱら赤塚不二夫先生、藤子不二雄先生、山根青鬼、赤鬼先生とかでありましたが。
マンガ好きはその後、さらに拡大し、9歳で少女漫画(「週刊マーガレット」。山本鈴美香先生の読み切りでハマった)に目覚め、中2で「ぱふ」という雑誌で「まんが評論」にハマります。
中学から高校生になる頃には、発売されるすべての少年、少女マンガ雑誌を(週刊、月刊、増刊問わず)買うほどになっていたのであります。
アニメでも「機動戦士ガンダム」の放映が始まったり(高知では放映してなかったですが)、ビッグ・マイナーの吾妻ひでお先生が、ロリータ本を発刊したりと、マンガやアニメの2次元キャラクターに萌えるファンが一般的に増えていった時代でもあります。
「宇宙戦艦ヤマト」あたりから続く「声優ブーム」も普通のことになっていましたかね。
しかし、同じ2次元ながらテレビゲームはまだ若いジャンルで、表現方法も薄い時代であります。
「コンピューターの絵が動く」といっても、固定ドットの絵がスライドする程度がほとんどで、無機質なものでしたし、そこにキャラクター性を見出すのはちょっとまだ……という感じでした。
あ、それでも『スペースインベーダー』のカニは、ちょっと可愛かったかも。
あれは腕があるのがポイントだと思います。
そして私の初「萌え」ゲームキャラクターが君臨した
実際にはまだこの頃「萌え」という言葉でキャラクターを愛でるという概念は存在していないのでありますが、私が初めて「萌え」を感じたテレビゲームが、1979年7月に登場しました。
それが
『スペースチェイサー』
であります。
「いや、どこに萌え要素があるんだ」
そのツッコミはごもっとも。
『スペースチェイサー』自体は『ヘッドオン』のブームを受け、タイトーがインベーダー基板を使って開発したドットイートタイプのゲーム。
ただしコースの構造は『ヘッドオン』に比べると複雑で、敵のスピードが上がる通路があったり、追いかけるチェイサーのタイプが2種類(決まったコースを周回、こちらをサーチするタイプの2種類)あったりと、仕組み的にはかなり練られた部分が多かったかなと思い出します。
コースの構造を利用して、追いかけてくるタイプ(赤)のチェイサーを脇道にそれさせるというのが攻略のポイントなのですが、時折、チェイサーがこちらを見失ったかのようにコースの隅で点滅し、戸惑うという演出が起こります。
「コンピューターが悩んでいる!」
「かわいい…………」
これが私のゲームキャラクター初「萌え」であります。
単純にチェイサーと自機のXY座標の差がイコールになってしまったといった「進む方向の判断材料がない」といったようなものなのでしょうが(チェイサーはコースの曲がり角や分岐点で、進む方向の判断を行う。Uターンもできるので、角で判断材料がないと停止し、判断材料が出来るのを待つ……のような処理?)、この点滅+停止が、チェイサーにキャラクター性を与えたように、かわいく感じたのであります。
多分、私が「プログラム」や「アルゴリズム」や、「ゲーム」の生き物のような楽しさを感じたのが『スペースチェイサー』だったのかなぁと振り返ります。
それはまだ、その後の私につながっていくのかも知れません。
いや、つながっているのです。