さあにん@山本直人の我が青春のテレビゲーム

  • 記事タイトル
    さあにん@山本直人の我が青春のテレビゲーム
  • 公開日
    2021年07月09日
  • 記事番号
    5593
  • ライター
    さあにん@山本直人

第十二回:ダーウィンが来た! ~テレビゲーム生息地 新伝説~

1980年になり、私も高校2年生に進級いたしました。
とはいえ、勉学に勤しむわけでもなく、クラブ活動に精を出すわけでもなく(と言っても帰宅部というわけではなく、文化系の部でしたので大会や文化祭の時期以外は、週に1回の集合があるかないかで「活動」自体が少なかった)、あいかわらずマンガとテレビゲームの毎日を送っておりました。

この頃になると、いわゆるゲームセンターめいた規模の店舗も、高知市内に出来てきておりました。
それでもまだ、駄菓子屋や、店舗変化型のゲームコーナーといった「お店の一画にゲームがある場所」というのが全盛の時代であります。
その小規模なテレビゲームの生息場所に、それぞれの風景、特徴があり、それを知り尽くすことが「テレビゲーム好き」のスキルともいえた時代でありました。

例えば、テレビゲームの生息場所の風景は、以下のようなものを見受けることができます。

単独、もしくはそれに近い形で筐体が鎮座する「中洲型」

いわゆる「駄菓子屋ゲーセン」の初期基本形であります。
中央にあったテーブルや、置き場をとっぱらい、そこにテーブル型筐体が生息するという形。
周囲を駄菓子やくじ引きの商品が流れるという、風景になっています。
店によっては商品の流れが片側に寄っている形のもの、もともとそこにあったものが「お好み焼きの鉄板」(関東でしたらもんじゃ焼きなのでしょうが)だったという店もあったかと思います。

基本的に仲介の業者によって据え置かれていると思われるものがほとんどで、それが故に逆に「売れ線」のタイトルがドン! と置かれていたりするのも一興でした。

中洲型から進化。複数の筐体が鎮座する「単独領土型」

上述の中洲型の売り上げが良くなる、客足が増えるという流れで、駄菓子等の販売と、ゲームの売り上げの比率が逆転したであろうような店によく見られた形です。
店と、それに隣接した形で存在した納屋などとを仕切る壁を壊し、店自体を拡張。
テーブル筐体の単独生息地として領土を拡大するという形です。
木の上から降り、新天地を手に入れたホモ・サピエンスのような感じですな。

この場所には、定番のタイトルに加え、少し冒険した感じのタイトルが導入されたりする特徴がありました。
集う者たちの評判を聞き入れ、店主がリクエスト導入するなんてことも。駄菓子屋時代の名残りとも言える「コミニュケーション」のなせる技ですな。
時間が経つにつれ、店主が妙にゲームにくわしくなったり、腕が上がっていたりするのもおもしろいところでした。

過去の遺物を残しつつ発展する「新文明型」

上の2つが「駄菓子屋」からの進化形であるのに対し、こちらは他の業務形態からの発展形であります。
元が雑貨屋さんであったであろうお店の話は#5の『フィールドゴール』の回で紹介いたしましたが、他にも文具屋さん、酒屋さん、中には米屋さんからの変貌という流れもありました。

特徴としては店内にポスターや什器、棚など過去の遺物が残っているということ。
子どもが集う場所なのに、ちょっと艶っぽい、酒類のポスターが掲示されているとか、ありましたよね。
その業界の月めくりのカレンダーも特徴ある遺物だと言えるでしょう。

しかし、残されたものはあくまで遺物だけであって、実際にその場所の文明の中心となっているのはゲーム筐体なのであります。
かなり変則的なものでは、車工場(車検とか修理とかしてくれる場所ですな)として営業してたガレージがこの「新文明型」になった店舗。
天井が高く、敷地も広い。しかし照明が暗すぎるため、その中にアップライト筐体のみが稼働しているという、新文明なのか何なのか、という店舗にも出会ったことがあります。

この場所は、やはり業者との契約で営業しているものが多かった印象があります。
そのため、特定のメーカーのタイトルばかり導入されるという、マニアにとっては要チェックという場所でありました。
高知市ですと、潮江中学校のあたりにあった場所には、なぜか日本物産の新しいタイトルがどんどん入荷されるというお店がありました。
高知市から外れると、ユニバーサルの新しいタイトルが早いお店とかも。

豪華絢爛、きらびやかなシャンデリアに大型筐体「スペースシップ型」

今までのものとはグッと趣が変わっての大型店舗が、この形にあたります。
『スターウォーズ』をはじめとするSFブームも手伝って、内装がやたらきらびやかで、宇宙船の窓を想像させるような、あるいは宇宙船内のコンピュータのメーターやランプといったものを思い出すような、何だか派手なお店って、多かったですよね。
高知市内には「ベルエポック」という、現在も存在する店舗ビルに、そんな場所が存在しておりました。
まぁ実のところ、いわゆるキャバレーとかクラブとかの飲み屋さん向けの建物でして、その内装がガガン! と活きていただけなんですけどね。

この場所の特徴として、外部に面したところが広い窓になっており、その窓際に大型筐体やアップライト筐体が並べられているというものがあります。
まぁ、窓から光が入るのを防ぐ役割でもあるんですが。

で、その結果、当時はめずらしかった(というか、設置できる店を選ぶ)海外の大型筐体とか、国内タイトルのアップライト筐体デザインを見られるというメリットがありました。
コックピット型の『スターウォーズ』とか遊んでましたね。
『スペースインベーダー』アップライト筐体に『ミュージックインベーダー』が入っている、なんてのもありました。

ゲームコーナーというわけではないですが、写真の場所は成田空港。
やっぱり窓際に大型筐体が鎮座しているというのが、この生息地であることを示している何よりの証明であります。

王道の生息地。最もバラエティに富む「営業店舗型」

こちらは、いわゆる「ゲーセン」として開かれた場所。王道中の王道であります。
チェーン店的なものだったり、ゲームの仲介業を兼ねた業者さんが運営していたりする場所です。

場所の系統もさまざまなのですが、その場所に応じたタイトルや筐体が生息しているというのがこの場所の特徴。
まさに生態系のバランスが良く、バラエティに富んだものが存在しているのであります。
現在も王道として残る、ゲームマニアの拠点となる場所ですな。

ショッピングセンター(当時は「モール」なんて言いませんでした。「プラザ」とは言ってたな)の中にある、広場的な形態ならアップライト筐体や、子ども向けの景品が出てくるタイプの小型筐体などが基本。
屋内であっても、長時間居座れるタイプのテーブル筐体は少ない、あるいは皆無。
ゲームセンター的な居抜店舗形態ですと、テーブル筐体が中心ながら、一部、コックピット型や海外のアップライト筐体などがある。
そんな場所であります。居抜店舗型のコックピット型筐体は、なぜか柱の横にあることが多かったような気がします。テーブル筐体が設置しづらい、デッドスペースだったからなんですかねぇ。

孤高の地に生きるテーブル筐体たちの棲家「完全独立生息型」

ゲームコーナーなどありそうにない風景の中に、突如として現れる。
それがこの形であります。

何のこっちゃ、という感じですが、要は住宅地にあった空き地や、田畑に囲まれた広場に突然現れる「プレハブ」のゲーセンであります。
家の近くなんかに意外とあったりしましたよね。
私も、自宅近くに「アトムII(ツー)」という名前のプレハブゲーセン(実際にはプレハブというより、工事現場の詰所みたいな感じですが。あ、それもプレハブか)がありました。

この「完全独立生息型」の特徴は、100円でなく50円が基本だったり、コピー基板とか、ROM差し替えによるタイトル変更とか、怪しげなメーカーのタイトルだったりとか。
「純正」とは言い難いものが揃っていたことであります。
自宅近くの店もご多聞にもれずで、あるとき、最新のタイトル、ちゃんとしたメーカー品の基板を見せてくれて、

「ふんぱつして、買っちゃったよー!」

と自慢げに話してくれたこともありました。
この場所を治める人は、ルールやマナーを守る常連客には愛想も良く、サービスしてくれたり、店を閉めてから導入前の基板を遊ばせてくれたり(業者からサンプルで借りているものを、感想を聞いて、購入するかどうか決める)するのですが、それを守らない客に対しては超攻撃的であります。

以前書きました電子ライターや、ビニールテープや針金、釣り糸などによるコインセレクターの誤動作を狙う客。
中には筐体を傾けて、コインタンクのお金を逆流させる(返却口から払い出させる)なんて客もいる時代。
見つかろうものなら、体を高あぁぁあく持ち上げられ、道に捨てられる(さすがに叩きつけはしてなかった)なんてこともありました。

まだまだテレビゲーム筐体のセキュリティが低い時代でしたから、管理する人が常駐しているというのが「生息地」の基本でしたが、コインセレクターやコインタンク、はたまた筐体そのものの盗難についてのセキュリティがしっかりするにつれ(黎明期は太い金属チェーンでテーブル筐体が柱などに括り付けられているなんてのもありましたな)、コインスナックなど24時間営業の無人店舗に生息地は広がっていきます。

で、そういった生息地を巡るのに必須だったのが「チャリンコ」です。

普通の中高生、これが基本。
まさに「チャリで来た」で、生息地を巡っていた遊牧民が、当時のゲームマニアでありました。
10kmくらいの移動は当たり前。
これを学校を終えてからやっていたわけであります。

今はSNSやネット、ネットニュースで珍獣(レトロゲーム、珍しい筐体)の生息地は調べられますし、交通機関も発達。
昔のようにクチコミでその場所を聞きつけ、30分かけ、チャリで駆けつける……なんてことはないんでしょうなぁ。

こんな記事がよく読まれています

2018年04月10日

ゲームセンター聖地巡礼「1980~1990年代 新宿」前編

今回から、新企画「ゲームセンター聖地巡礼」の連載がスタートします。当研究所・所長の大堀康祐氏と、ゲームディレクターであり当研究所のライターとしても協力いただいている見城こうじ氏のお2人が、1980~1[…]