我が青春のテレビゲーム

  • 記事タイトル
    我が青春のテレビゲーム
  • 公開日
    2020年08月07日
  • 記事番号
    3321
  • ライター
    さあにん@山本直人

第五回:涙のフィールドゴール

さて、前回「私の青春は別方向へと舵を切る」と収めましたが、現実にはそこまで半年以上の期間を要します。
前回書きました「ゲームコーナー」が出現するのは、高校1年生の秋以降。このあたり、都会のかたがたと経験が違うんです。いわゆる「いろんなメーカーのゲーム」が楽しめる場所って、高知にはまだまだなかったんですね。
そんな高校生の春から夏にかけ、ある場所を発見します。それはタイトーのテーブル筐体が並んでいる、小さな空間でした。

まだまだ「新機軸」は来ない

なぜタイトーばかりというのは、当時(1979年)の「アーケード」ゲームの考えかたにもあるかなと思います。
例えばセガのテレビゲームは、基本アップライト筐体でした。
タイトーはTT(タイトーテーブル)っていう符号を付けていたのもあってテーブル筐体をある程度押し出してはいました。

また、手前でも宣言しましたが、高知にはタイトーさんの営業所がありました。テレビゲームがインベーダーのおかげでメジャーになって、ようやく「タイトーさんのお店」みたいなものが生まれたというわけです。

「ゲームコーナー」が出現する前、高知の電車通り(高知市内のメイン通りには、路面電車が通っているのです。電車=路面電車、汽車(ディーゼル)=JR)の裏通りに、文具店か雑貨屋さんかが廃業した場所があって、そこにタイトーのテーブル筐体が6台くらい並んでいる場所(明らかにタイトー直営に近い)場所ができたのです。
全部が丸ごとタイトーという「ゲームコーナー」のようなスペースは、この場所が初めてだったような気がします。

そこには、時間によってではあるんですが、基本、やわらかい感じのおばさんがいらっしゃって、お金の両替とかしてくれました。
たまーに怖いおじさんがいて、「うわ! ハズレ!」とか思ったりしたんですが、よく聞くとおばさんは「休んでる」とか「調子が悪いんでね」とか。
アットホームなお店で、通っているうちに「もうちょっと遊んでいったら?」みたいに、おじさんが鍵を開けてクレジットのサービスをしてくれたりとかもありました。
そんな機能があるとは知らなかった当時の私は、最初、愕然とした覚えがあります。
まぁ、当時の高知の中で「テレビゲーム」というのは、まだまだそれくらいの存在でしか」ありませんでした。

1979年の夏くらいから、インベーダーで勢いのついたテレビゲーム業界は、怒涛の新作ラッシュになります。
このお店はタイトーが直接ゲームを納めていたせいなのか、新しいタイトルがどんどんと入ってきました。

ネームエントリーの出現

ある日、お店の中央に、ちょっと変わった『スペースインベーダー』が置かれていました。『スペースインベーダー』に比べると、何やら派手な画面。見れば「PART=II」の文字。

「続編だー!!」

そう『スペースインベーダー PART=II』(タイトー/1979年7月)が登場したのであります。

『PART=II』のタイトル画面。このグラフィックを見るだけで、当時はココロが踊ったものである。PS2『「タイトーメモリーズ 下巻』にて撮影

『PART=II』のゲーム性については、ここで細かく書く必要もないかなと思いますが、当時の私を虜にしたのは「ネームエントリー」の初搭載でした。
画面上中央の、ハイスコア表示の「HI-SCORE」の箇所が自分の名前に打ち換えられるというもの。私はここに、今のTwitterなどネットワーク系のハンドルネームである「SARNIN」を打ち込んでいました。
ちなみにこの「SARNIN」は、今のSNSだけでなく、パソコン通信の時代から同じハンドルネームであります。30年以上使っているんですかね。

『PART=II』のネームエントリーは10文字あったので、そのうち、SARNINの後ろに番号を入れていくという遊びをやるようになります。
ただ、3桁までしか入りませんので、そのうちに1000を超えてしまい、結果「DX.」という3文字を付けるのを自分の標準としました。
結果、その後3文字ネームがネームエントリーの基準になった際に「DX.」が私のゲームネームになります。

上部にある[TAITO]の文字が、ハイスコアネーム。ここに自分の名前を打ち込めた。バックアップはないため、電源を落とすと初期状態に戻る。PS2『「タイトーメモリーズ 下巻』にて撮影

そんなふうに、時間とお金があればこの小さなお店に立ち寄るという毎日を続けておりました。

まだまだブロック崩し

世はインベーダーや、その亜流がまだ中心の1979年夏。
まだまだパドルでボールを跳ね返す、ブロック崩しタイプのテレビゲームもちょこちょこと登場していました。
例えばこのお店に置かれてながら、あっという間に姿を消したのが『ズンズンブロック』(タイトー/1979年4月)。
見た目はブロック崩しなんですが、プレイしているうちにブロック列が下に降りてくるという、ブロック崩しとインベーダーの動きを足したようなゲーム。
ゲーム性はブロック崩しとほぼ変わらないんですが、「ズンズン」という効果音に魅せられた人は多かったのではないでしょうか。
今も時折、この効果音を口ずさむころがあるんですが、

「ズンズン、ズンズン、ズンズン、ズズズン~」
「それ『ドンドコドン』や!」

とひとりノリツッコミをしたりします(脳内再生してください)。

イラスト起こしするほどでもないが『ズンズンブロック』はこんな画面でした。高知ではほとんど見かけなかったタイトルですね。
図版作成:山本直人氏

パフォーマンスするアメフト選手

あいかわらず『PART=II』を中心に、お店に並べられているいろんなタイトルに手を出して遊んでいた私だったのですが、突然、やたらカラフルな画面のものがお店に出現します。
当時のゲームとしては珍しい、バックカラーがグリーン。そこにアメフトのヘルメットが、円弧状に並んで動いています。
これもまた、ブロック崩しといえばブロック崩し。『フィールドゴール』(タイトー/1979年7月)の登場です。

ブロックの代わりにターゲットとなっているのが上に表示されている3色のヘルメット。
「風船割り」のように消えるとボーナスが入り、新しいものが補充されます。
パドルで打ち返すボールはラグビーボールの形をしており、ブロック崩しのように入射角と反射角がイコールにならないという点も「よく考えられているなぁ」と思ったものであります。

『フィールドゴール』の画面。文字表示がカタカナなのが妙に間が抜けた感じがして、独特の印象を植え付けていた。PS2「タイトーメモリーズ2 下巻」にて撮影
上中央が「ゴール」になっていて、ここにボールを当てるとボーナスが入る。ここに上手に当てないと、ハイスコアを取るのは夢のまた夢。PS2「タイトーメモリーズ2 下巻」にて撮影

このタイトルで何よりプレイヤーを惹きつけたのが、画面中央を走り回る「アメフト選手」の存在でしょう。
ボールが当たると、馬鹿にしたかのように腕を上げパフォーマンス。
その時の効果音がまた、小馬鹿にしたようなもので、病みつきになるものでした。

ポーズを取るアメフト選手のキャラクター。体育の時間、バスケのパスボールの練習などで、このポーズでふざけてたりしてた。PS2「タイトーメモリーズ2 下巻」にて撮影

パドルにボールがくっつくというのも画期的でした。このあたり『アルカノイド』の源流になるといってもいいかもしれません。

私自身は、特に上手だというわけではなかったのですが、動きや音、画面のデザインが好きで『PART=II』からこちらに乗り換え、遊ぶタイトルのメインとなっておりました。
例によってお店のおじさんが、クレジットを5つも入れてくれたり(そんなに遊べないって)。
シリーズ作ともいえる『ストレートフラッシュ』(タイトー/1979年10月)も好きでしたね。

『ストレートフラッシュ』の画面を描き起こしたもの。昔はもっとカラフルでファンタジーだと思っていたのだけれど、随分とシンプル。タイトル画面にタイトーの看板マークが入っている。
図版作成:山本直人氏
ゲームオーバー時にラッキーナンバーみたいなものがあって、当たるとエクストラプレイができた。
図版作成:山本直人氏

『フィールドゴール』は、大ヒットとはいかずともファンは多く、結構長く遊ばれていたタイトルかな、と思い起こします。

さて、そんなお店ですが、ある日、前を通りかかると、中がすっからかんになり、なくなってしまっていました。
その頃にはゲームコーナーも何軒か開店し、タイトーメインの広い場所もできていたのでそちらに「役を譲ったのかな」と思っておりました。

しばらくして、お店のおばさんが亡くなったことを人づてに聞きます。

最初、お店にはおばさんがいつもいたのに、だんだんとおじさんがいることが多くなったこと。そのうちにお店が開いている時間が少なくなってきたこと。儲ける気がまったくない感じだったおじさんのこと。
いろいろな光景がストンと腑に落ちたとき、その場所はすでに居酒屋か何かになってしまっていた気がします。

  
※各ゲームタイトルの発売年月は、アミューズメント通信社「アーケードTVゲームリスト 国内・海外編」を参照しています。

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