さあにん@山本直人の我が青春のテレビゲーム
目次
第十三回:マイコンとの遭遇(♪パーラーパーパーパー♪)
学校、本屋、ゲームコーナー、自宅と、その4ポイントを移動する毎日を送っていた高校2年生の頃。
1980年のテレビゲームへの想いを綴る上で、外せないコトがひとつあります。
テレビゲームがインベーダーブームを越え、多彩なタイトルが世に出回るようになっていた頃。
コンピュータというものがさらに身近になるムーブメントが訪れます。
そう、「マイコン」の登場でありました。
コンピュータに触れる時代がやってきた
思えば、中学生時代から卓上に置けるようになった、個人でも扱える「コンピュータ」というものに興味津々でありました。
安芸高の文化祭でTKー80のキットが動作し、数字当てゲームのようなプログラムが動作しているのを見て、
「いつかこれを買いたいなぁ」
と思ったものであります。
しかし、それからわずか2年後。海外からディスプレイにつないで使う、SF映画でしか見たことのなかった、フルキーボードで入力できるコンピュータがやって来ます。
話題になったのは「ビジカルク」。いわゆる表計算ソフトですな。
動作していたのは「TRSー80」。タンディラジオシャックというメーカー(なのでTRS)の製品であります。
ビジネス用の色が濃く、ゲームを遊ぶという感じのものではなかったですが、それでも高知に専門店ができたほどの話題になっておりました。
その頃、あるマイコンショップ……というよりは、何だかよくわからない場所。
それは、はりまや橋から桟橋町(1丁目から5丁目までありますが)へと向かう電車通り沿いにありました。
どうしてそこを訪れたのかは定かではありませんが、自分ひとりで向かったのではないという記憶だけがあります。
これ以降いろいろなご縁となる「タスクフォーツ高知(TFK)」であります。
たまに間違えられますが「PSK」ではありません。
ここに置いてあったのが、TRS-80と「APPLE II」。
言わずと知れたアップルコンピュータの製品であります。
こちらはドットグラフィック機能があり、しかもカラー。ゲームも多く出ておりました。
とはいえまだ、ゲームセンターの反射神経系ゲームではなく『スタートレック』『レモネード』といったシミュレーション系のゲームが中心。
なおかつ基本「英語」表記ですので、何が表示されているのかさっぱりわかりません。
それでも、10インチのカラーモニターに表示される画像の虜になっていったのであります。
時代を開いたMZ-80K2とPC-8001
時を空けずして、国産のマイコンも登場します。
MZ−80K2とPC−8001がそれであります。
と、同時に、マイコン雑誌が売れはじめ、搭載されているBASICを使った自作プログラマーが続々と登場。
そこで作るものといえば「ゲーム」でありました。
当時の非力なBASIC言語と、貧弱なグラフィック機能では、ゲームセンターにあるようなものをそのまま再現はできませんでしたが、それでも「インベーダーもどき」なんかは早い時期から登場。
特に「バリケード」系のゲームは当時のマイコンの性能とも相性が良く、自作ゲームのサンプルプログラムの代表格として、よく雑誌や書籍に取り上げられていました。
この「マイコンブーム」は、ゲームマニアの意識を大きく変えることになります。
「ゲームコーナーに行かなきゃ遊べなかったゲームが、家で遊べる!(かもしれない)」
「ゲームコーナーにあるゲームを、自分で作ることができる!(かもしれない)」
高校生にとっては遠い存在。
そして得体の知れない「機械」であったテレビゲーム。
実はその正体は「プログラム」だった! ということに普通のゲームマニアたちが気がついたのであります。
ということで1980年の7月。
私もマイコンを購入いたしました。
購入したのはコモドール社のCBM3032。
PET2001という名で流通していたハードの上位版で、キーボードが四角格子上でなくきちんとしたタイプライターの並びになっていて、打鍵感も造りも、高級感があるのが特徴です。
メモリー(RAM)も当時のマシンとしては多めの32KBを搭載したヤツです。
だいたい30万円だったかな。
甘くない現実と制作者への憧れ
ということで、他のマイコンユーザー同様に、夢を抱きながらプログラムを打ち込んでみて、グラフィックの表現力のなさ、スピードの遅さに気が付き「できることの限界」にぶつかるわけです。
しかしながら中にはマシン語を習得し、ハードウェアの限界までたどり着く者。
雑誌で発表されたり、市販されたオリジナル言語を使い、内蔵のBASICより速い! と、光明を見出す者。
雑誌に掲載されたプログラムを打ち込むうちに、だんだんと「ゲームを作った」気になる者などなど。
おのおのが自分なりのマイコンとの付き合いかたを見つけ、「ゲーム」を作ることがより身近になり、普段遊んでいたテレビゲームの完成度の高さに尊敬の念と、憧れを寄せるようになるのであります。
遊んできたテレビゲームの先に、そのゲームを「作った人」「作った会社」が存在していることを、実感として感じるようになる。
そんな転換を迎えた時代でありました。
私は雑誌「アスキー」で公開されていた「GAME」言語で、プログラム作りに励みます。
BASICの域を大きく出るものではないですが、それなりに遊べるものを作り、アスキー本誌に投稿したりもしました。
そんな時代の軸となる「テレビゲーム」は、さらに大きな発展を遂げていくのであります。
そして現在。レトロテレビゲームを家庭で再現できる時代に
時代はすでに2021年。
私がCBM3032を購入してから41年が経過しました。
そんな今も、自宅で自作のゲームを作ったり、過去のテレビゲームを移植・再現したりして楽しむ「同好の士」は多いのであります。
長く仕事で携わっております『プチコン』(SmileBASIC)シリーズは、現在はNintendo Switchを使ってプログラムの作成ができます(プチコン4のHP→https://www.petc4.smilebasic.com)。
私がCBM3032で使っていたBASICと異なり、いわゆる構造化言語ですが、BASIC言語でスーパーファミコンやプレイステーション並のゲームを作ることが可能。
技術の進歩はクリエイティブの環境を大きく変えてくれますな。
例えば、この動画は『カプセルインベーダー』(1979年/アイレム)を『プチコン4』を使ってNintendo Switch上で再現したもの。
(制作:葛城コニミル(なめらか)さん)
「エミュレーターでしょ?」
と勘繰るかたのために、プログラムリストの一部と、キャラクター定義用のグラフィック設定も公開していただきました。
『プチコン4』は、オンラインでのプログラム公開・共有が可能なのですが、この移植版『カプセルインベーダー』は著作権の問題がありますので当然、非公開(配布もしていません)。
ですが、こうして、80年前後のテレビゲームを自力で再現して遊ぶというのは、単に「レトロゲーム大好きだぜ!」というのを通り越して、大いなる愛を感じるのであります。
ほかにもテレビゲームにインスパイアされた多くの作品を見るにつけ、「アスキー」に投稿していた自分を思い出し、少し思い出に浸るのでありました。