さあにん@山本直人の我が青春のテレビゲーム

  • 記事タイトル
    さあにん@山本直人の我が青春のテレビゲーム
  • 公開日
    2021年07月23日
  • 記事番号
    5602
  • ライター
    さあにん@山本直人

第十三回:マイコンとの遭遇(♪パーラーパーパーパー♪)

学校、本屋、ゲームコーナー、自宅と、その4ポイントを移動する毎日を送っていた高校2年生の頃。
1980年のテレビゲームへの想いを綴る上で、外せないコトがひとつあります。
テレビゲームがインベーダーブームを越え、多彩なタイトルが世に出回るようになっていた頃。
コンピュータというものがさらに身近になるムーブメントが訪れます。
そう、「マイコン」の登場でありました。

コンピュータに触れる時代がやってきた

思えば、中学生時代から卓上に置けるようになった、個人でも扱える「コンピュータ」というものに興味津々でありました。
安芸高の文化祭でTKー80のキットが動作し、数字当てゲームのようなプログラムが動作しているのを見て、

「いつかこれを買いたいなぁ」

と思ったものであります。
しかし、それからわずか2年後。海外からディスプレイにつないで使う、SF映画でしか見たことのなかった、フルキーボードで入力できるコンピュータがやって来ます。
話題になったのは「ビジカルク」。いわゆる表計算ソフトですな。
動作していたのは「TRSー80」。タンディラジオシャックというメーカー(なのでTRS)の製品であります。
ビジネス用の色が濃く、ゲームを遊ぶという感じのものではなかったですが、それでも高知に専門店ができたほどの話題になっておりました。

その頃、あるマイコンショップ……というよりは、何だかよくわからない場所。
それは、はりまや橋から桟橋町(1丁目から5丁目までありますが)へと向かう電車通り沿いにありました。
どうしてそこを訪れたのかは定かではありませんが、自分ひとりで向かったのではないという記憶だけがあります。
これ以降いろいろなご縁となる「タスクフォーツ高知(TFK)」であります。
たまに間違えられますが「PSK」ではありません。

ここに置いてあったのが、TRS-80と「APPLE II」。
言わずと知れたアップルコンピュータの製品であります。
こちらはドットグラフィック機能があり、しかもカラー。ゲームも多く出ておりました。
とはいえまだ、ゲームセンターの反射神経系ゲームではなく『スタートレック』『レモネード』といったシミュレーション系のゲームが中心。
なおかつ基本「英語」表記ですので、何が表示されているのかさっぱりわかりません。
それでも、10インチのカラーモニターに表示される画像の虜になっていったのであります。

TRS-80 model1。電気チェーン「ラジオシャック」の製品。日本でもそうだったが、(自作)ラジオ→コンピュータという流れがあった。”Radio Shack Tandy TRS-80 Model I” by eevblog is licensed under CC BY 2.0
APPLE IIの「レモネード」。正式なタイトルは『Lemonade Stand』(1979年)で、天気を元にして、レモネードの販売をするという経営シミュレーション。

時代を開いたMZ-80K2とPC-8001

時を空けずして、国産のマイコンも登場します。
MZ−80K2とPC−8001がそれであります。

と、同時に、マイコン雑誌が売れはじめ、搭載されているBASICを使った自作プログラマーが続々と登場。
そこで作るものといえば「ゲーム」でありました。

当時の非力なBASIC言語と、貧弱なグラフィック機能では、ゲームセンターにあるようなものをそのまま再現はできませんでしたが、それでも「インベーダーもどき」なんかは早い時期から登場。
特に「バリケード」系のゲームは当時のマイコンの性能とも相性が良く、自作ゲームのサンプルプログラムの代表格として、よく雑誌や書籍に取り上げられていました。

MZ-80Kのカタログより。ドットグラフィックスの機能がないため、それを補うようにいろいろなキャラクターが表示できるように登録されている。右の使用例の中に「インベーダーゲーム」が上がっている。

この「マイコンブーム」は、ゲームマニアの意識を大きく変えることになります。

「ゲームコーナーに行かなきゃ遊べなかったゲームが、家で遊べる!(かもしれない)」
「ゲームコーナーにあるゲームを、自分で作ることができる!(かもしれない)」

高校生にとっては遠い存在。
そして得体の知れない「機械」であったテレビゲーム。
実はその正体は「プログラム」だった! ということに普通のゲームマニアたちが気がついたのであります。

ということで1980年の7月。
私もマイコンを購入いたしました。
購入したのはコモドール社のCBM3032。
PET2001という名で流通していたハードの上位版で、キーボードが四角格子上でなくきちんとしたタイプライターの並びになっていて、打鍵感も造りも、高級感があるのが特徴です。
メモリー(RAM)も当時のマシンとしては多めの32KBを搭載したヤツです。
だいたい30万円だったかな。

PETシリーズで遊べたインベーダー。マシン語で組まれた本格的なもので、お店でも一番人気だったソフト。キャラクタ表示のみでの構成だが、かなり再現力が高い。

甘くない現実と制作者への憧れ

ということで、他のマイコンユーザー同様に、夢を抱きながらプログラムを打ち込んでみて、グラフィックの表現力のなさ、スピードの遅さに気が付き「できることの限界」にぶつかるわけです。

しかしながら中にはマシン語を習得し、ハードウェアの限界までたどり着く者。
雑誌で発表されたり、市販されたオリジナル言語を使い、内蔵のBASICより速い! と、光明を見出す者。
雑誌に掲載されたプログラムを打ち込むうちに、だんだんと「ゲームを作った」気になる者などなど。
おのおのが自分なりのマイコンとの付き合いかたを見つけ、「ゲーム」を作ることがより身近になり、普段遊んでいたテレビゲームの完成度の高さに尊敬の念と、憧れを寄せるようになるのであります。

遊んできたテレビゲームの先に、そのゲームを「作った人」「作った会社」が存在していることを、実感として感じるようになる。
そんな転換を迎えた時代でありました。

私は雑誌「アスキー」で公開されていた「GAME」言語で、プログラム作りに励みます。
BASICの域を大きく出るものではないですが、それなりに遊べるものを作り、アスキー本誌に投稿したりもしました。

そんな時代の軸となる「テレビゲーム」は、さらに大きな発展を遂げていくのであります。

そして現在。レトロテレビゲームを家庭で再現できる時代に

時代はすでに2021年。
私がCBM3032を購入してから41年が経過しました。
そんな今も、自宅で自作のゲームを作ったり、過去のテレビゲームを移植・再現したりして楽しむ「同好の士」は多いのであります。

長く仕事で携わっております『プチコン』(SmileBASIC)シリーズは、現在はNintendo Switchを使ってプログラムの作成ができます(プチコン4のHP→https://www.petc4.smilebasic.com)。
私がCBM3032で使っていたBASICと異なり、いわゆる構造化言語ですが、BASIC言語でスーパーファミコンやプレイステーション並のゲームを作ることが可能。
技術の進歩はクリエイティブの環境を大きく変えてくれますな。

例えば、この動画は『カプセルインベーダー』(1979年/アイレム)を『プチコン4』を使ってNintendo Switch上で再現したもの。
(制作:葛城コニミル(なめらか)さん)
  

「エミュレーターでしょ?」

と勘繰るかたのために、プログラムリストの一部と、キャラクター定義用のグラフィック設定も公開していただきました。

『プチコン4』で製作されたプログラムの一部。UFOの点数設定などがわかります
『プチコン4』の内蔵ツールでキャラクターの設定を見たところ。ドット絵も楽しめます

『プチコン4』は、オンラインでのプログラム公開・共有が可能なのですが、この移植版『カプセルインベーダー』は著作権の問題がありますので当然、非公開(配布もしていません)。
ですが、こうして、80年前後のテレビゲームを自力で再現して遊ぶというのは、単に「レトロゲーム大好きだぜ!」というのを通り越して、大いなる愛を感じるのであります。

ほかにもテレビゲームにインスパイアされた多くの作品を見るにつけ、「アスキー」に投稿していた自分を思い出し、少し思い出に浸るのでありました。

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