さあにん@山本直人の我が青春のテレビゲーム
目次
第十四回:1980年のゲームは「ゲームセンターあらし」に学んだ ~前編~(『ドラキュラハンター』1980年1月/テクノン工業)
高2の夏頃(1980年)になりますと、第十二回目で書きましたように、テレビゲームの生息地があちこちに存在しておりました。
タイトー直営に近い店舗もできたり(お店に提携店のステッカーが貼られている)、メーカー内での新タイトル開発や、中小のメーカーが乱立・参入したりと、かなり賑やかな様相になっておりました。
しかしながら、新タイトルかと思いきや、海外開発の輸入タイトルであったり、他社開発のライセンス商品であったり、まだまだ「黄金期」というには遠い時代でありました。
いわば「黎明期」であったかと思います。
小学生にまで多くのテレビゲームを知らしめた「ゲームセンターあらし」
ただ、この頃が「テレビゲームの時代」として記憶に残っているのは、何といっても「ゲームセンターあらし」(すがやみつる・著、月刊コロコロコミック(小学館)連載)の影響が大きかったのではないでしょうか。
アニメ化されるのは1982年のことですが、コミック連載時に、子どもだけでなく、ある程度の年齢層までの読者を巻き込んでのヒットになっておりました。
そんな「ゲームセンターあらし」に登場したゲームで、1980年リリースの名作として名高いのが『トランキライザーガン』(1980年6月/セガ)であります。
ジャングルに潜む猛獣をトランキライザーガン(麻酔銃)で眠らせ、トラックまで運んで捕獲する。
今だったら動物愛護協会とか、ワシントン条約とか、いろいろ物議を醸しそうなタイトルでありますが、眠った猛獣をトラックまで引きずっていく際の効果音が、忘れられない一作であります。
同様に「ゲームセンターあらし」が、タイトルを世に知らしめる一因となったであろうのが『ドラキュラハンター』(1980年1月/テクノン工業)でしょう。
こちらは後の時代にもゲームファンの記憶に残るタイトルで、残存基板が少なかったこともあり、自宅でアーケードゲームを遊ぶ、1980年頃の基板ブームの際も、探し求める人が多かった記憶があります。
かくいう私も90年前後に基板収集にハマった一人でありまして、JAMMAハーネスの端子が付いたコントローラと一体型のハードを購入しておりました。
いわゆる「コントロールボックス」ですな。
「ファミマガ」でお仕事をしていただいていた田尻智さん(現・ゲームフリーク 代表取締役社長)と基板談義に花を咲かせ、やれ『アップンダウン』(セガ・1983年9月)がほしいの、『ジャンプバグ』(アルファ電子・東栄産業・1981年12月/セガ)は安くて楽しいだのしゃべっておりました。
『ドラキュラハンター』の衝撃とすごい点
話がそれましたが、この『ドラキュラハンター』。
ゲームファンに驚きを持って迎えられたのがその「攻撃パターン」であります。
プレイヤーを中心に、上下左右、向いている方向に長方形を描くように飛ぶ「十字架」。
ブーメランのようなこの武器の動きが斬新かつ新鮮。魅了されたのであります。
わらわらと湧いて出るドラキュラをこの十字架で倒し、殲滅するわけですが、画面下に保護されている「お姫さま」を死守しなくてはいけない。
テーマやアイデア的にも新しく、私もプレイしてファンになった一人でした。
この『ドラキュラハンター』、1980年当時高知では「ベルエポックビル」(蓮池町通の電停から、高知城へ向かう、日曜市が行われる通りにある。現在も存在し、シースルーエレベーターが目印)にあったゲームコーナーに1台だけ確認しておりました。
かなり賑やかな店舗で、タイトーやセガなどの大手メーカーよりは『ドラキュラハンター』などのように当時増えてきた新興メーカーのタイトルや、海外の大型筐体などが多く導入されておりました。
『ドラキュラハンター』は「幻の名作」だったのか
で、何度も『ドラキュラハンター』をプレイするのですが、まったく上手くならない。
そう、このタイトル、操作が斬新なだけでなく、難しすぎるんですな。
しかし突然、とんでもないハイスコアを目にするのです。
「何じゃこのスコア!」
どんなプレイをして、こんなスコアを出したのか。当然気になるところであります。
しかしながら『ドラキュラハンター』の難しさは、すでに知られるところになっており、席に着く人はほとんどおりませんでした。
たまにいても、やはりすぐにゲームオーバーになり、席を立つ。
まぁ、そうでしょうねぇ。
しばらくして、私はようやくそのハイスコアを叩き出していたプレイヤーを見つけることができます。
あまりジロジロ見ないように。けれどしっかりとプレイを目に焼き付けるように画面と操作を凝視しつつ、当時のプレイヤーのあるあるな光景を描きつつ、知ったのは、
「ドラキュラ城に十字架をぶち込んで、画面上の敵を全滅させる」
というものでした。
要は逆“侵略”ということですな。
Youtubeで公開されている動画でも確認できますが、『ドラキュラハンター』の画面上には、ドラキュラたちの住処である館が存在しています。
この館、ステージ開始時にドラキュラを排出するだけでなく、門が開くとインベーダーのUFOにあたるコウモリが出現したりするのですが、門が開いている際に十字架をぶち込むと、ステージ上のドラキュラが全滅し、クリアとなるという設定が存在します。
つまりステージが進み、出現するドラキュラの数が多くなってきたら、門に十字架をぶち込んでクリアするというのが基本のプレイパターンになるわけなのですな。
で、この方法だとクリア時のボーナスが二倍になる。
で、このボーナスがステージを重ねるごとに高い得点になるので、スコアを稼ぐなら、ドラキュラを無視して面クリアを目指すこのやりかたのほうが効率的というわけです。
「名作」として評価が残る『ドラキュラハンター』ではありますが、正直、個人的にはせっかくの斬新さをぶち壊すこのプレイ方法の存在を知り、以後、触れることはなくなりました。
「ゲームセンターあらし」では、純粋に十字架を使ってドラキュラを倒す展開で、アツく物語が進んでおりますが、実際にはこんな光景が、あちこちで繰り広げられていたのではないかなと思っております。
「非常にもったいなかった一発屋」
それが私にとっての『ドラキュラハンター』なのでありました。
この時期は、思いついたアイデアをそのままゲームにする。という感じのタイトルが多く、ゲーム的にはまだまだ練り込まれていなかったタイトルが、思い返せば多かった気がします。
まぁ、それこそがまさに「黎明期」ということで、その後のファミコンタイトルにも同じような風景が見られるようになるのではありますが。
さて「ゲームセンターあらし」によって知らしめられたであろうタイトルは、まだまだあります。ということで、後編に続きます。
「ゲームセンターあらし」は、当時小学館から刊行されていたコロコロコミック版(てんとう虫コミックス版)が、電子書籍にてamazon Kindleストアや、ヨドバシカメラDolyなどで販売中です。
今回使用していますカットは、第4巻・P.84「恐怖! 夜霧の吸血鬼」より、小学館の許諾の上、掲載させていただきました。