落ち物ゲーム界の金字塔『ぷよぷよ』 その歴史の始まりを体感した日

  • 記事タイトル
    落ち物ゲーム界の金字塔『ぷよぷよ』 その歴史の始まりを体感した日
  • 公開日
    2018年11月09日
  • 記事番号
    651
  • ライター
    藤沢文太

俗に「無印」、あるいは「初代」などと呼ばれるアーケードゲーム『ぷよぷよ』は、1992年10月にリリースされました。しかし、ぷよぷよシリーズの壮大な、ほとんどサーガとも言うべき歴史と展開について述べる前に、まずは筆者の個人的な想い出話をさせていただこうと思います。

この初代『ぷよぷよ』に引き続く形で、スーパーファミコン版初代『ぷよぷよ』(タイトル名『す~ぱ~ぷよぷよ』)が発売されたのが1993年12月10日。この時、筆者は中学生でした。

そして、学校に仲の良い女友達がいて、たまたまほぼ同じ時期に、ほぼ同じようにして『ぷよぷよ』を購入していたのです。もっとも、それもスーパーファミコン版だったかどうかは今となっては定かではありませんが。

なぜかといえば、その前後にメガドライブ版(1992年12月18日)、PCエンジン版(1994年4月22日)なども発売されており、そしてゲームシステムは基本的には同じであったからです。

『ぷよぷよ』というのは、画面を2分割した半分のエリアの中で、同じ色の丸っこい「ぷよ」を4つ以上並べるとそれが消滅し、上手にぷよを積み上げ連鎖を組んで「コンボ」(呼称はシリーズのどの作品かによって微妙に変わりますが)を発動させると、対戦相手には同じものが4つ以上くっついても消えない透明な「おじゃまぷよ」が送り込まれるというシステムのゲームで、それでもってCPUや他のプレイヤーと勝敗を競うというものです。

初めての2人でゲーセン。そして空前絶後の惨敗

▲初代アーケード『ぷよぷよ』のWiiバーチャルコンソール版。「相殺」の機能がまだなかった(セガ公式チャンネルより)

1990年代初頭、まだインターネットはおろか、携帯電話もPHSも普及していないような頃のことです。ゲームの攻略情報やプレイ情報といえば、対面による口コミだけが頼り、そんな時代でした。

そして『ぷよぷよ』も、今ほどメジャーなタイトルというわけでもなく、クラスでそれを話題にするのは筆者と仲の良い女友達の2人だけでした。必然的に、それについて2人だけで話をする機会が増えます。

どちらが先にどのキャラクターのところまで進んだとか、どちらが先にクリアしたとか、まあ言ってしまえば他愛のないことではあるのですが、そこは思春期のなせるわざ。それは楽しかったものです。

ちなみに、ラスボスの「サタン」を倒してゲームそのものをクリアしたのは筆者が先でした。ですが、後でびっくりするようなことが起こります。まあ、その後もなんやかんやあって2人でゲームセンターに行くことになり、そしてアーケード版『ぷよぷよ』で対戦することになったのですが…。

いざゲームスタート、と思った途端…

瞬殺されました。
それはもう、今も忘れられない、見事にまでに鮮やかな瞬殺でした。

今日にまで至る『ぷよぷよ』シリーズには、ナンバリングタイトルとしては2作目という位置付けに当たる『ぷよぷよ通』(1994年)から「相殺」という機能が搭載されています。

相手から送り込まれたおじゃまぷよが落ちてくる前に、自分も連鎖しておじゃまぷよを相手に送り込めば、その分、自分のフィールド上部にあるおじゃまぷよ(予告おじゃまぷよ)を消すことができるというものです。

ただし、初代『ぷよぷよ』にはその「相殺」がありません。つまりどういうことかというと、基本的に初代『ぷよぷよ』の対戦システムは、「いかに先んじて多段連鎖を組み、対戦プレイヤーを瞬殺するか」にすべてがかかっているといったような、侍の斬り合いの如き、いかに一瞬にして敵の虚をつくかが勝負を分かつゲームだったのです。

実のところ、筆者は対CPUの難易度最高モードで一度サタンを倒したくらいで満足しており、対人対戦の経験はほとんどありませんでした。それはその後も同じで、いまだに3連鎖以上の連鎖はうまく組めません。彼女に瞬殺されたのも道理というものです。

ちなみにその後、彼女には高校に入ってから思いを打ち明けましたが、振られました。そちらも瞬殺でした。

落ちモノゲーム界のレジェンド

さて、『ぷよぷよ』の歴史を語る前に、どうしてもこれだけは避けて通れないという名前があります。そう、『テトリス』です。1984年にソビエト連邦(現 ロシア)で開発され、1980年代後半には日本にも入ってきて、当時の日本に「落ちモノ」と呼ばれる一大ジャンルの旋風を巻き起こした、伝説のコンピューターゲームの一つです。

『ぷよぷよ』もそうした流れの中で生まれた落ち物パズルゲームの一種であるわけですが、その誕生と発展は、かなり複雑な経緯を辿っています。

実は、アーケード版初代『ぷよぷよ』はオリジナル、元祖ではないのです。オリジナルは、ファミリーコンピュータ ディスクシステム版(徳間書店インターメディア)とMSX2版(コンパイル)で、これが1991年10月25日に発売されています。27年前ですね。

▲『魔導物語』のキャラクターが登場する初代アーケード版『ぷよぷよ』(画像は「セガ Wii バーチャルコンソール公式サイト」より引用)

このぷよぷよを、通称「旧ぷよぷよ」と言います。この作品はまだCPUとの対戦システムがなく、黙々と落ちてくるぷよを消していくだけの、シンプルかつストイックなゲームでした。

そこに、製作元であるコンパイル(*01)の別のシリーズである『魔導物語』(1989年)のキャラクター(主人公アルル・ナジャ、サタン等)を登場させ、台詞を喋らせ、対戦させるというフレーバーを加えたものが、初代『ぷよぷよ』だったのです。

対戦ゲームとしての“完成形”

▲2作目のアーケード作品『ぷよぷよ通』のセガ Wii バーチャルコンソール版。『ぷよぷよ』の完成形ともいえる

前述のように、対戦ゲームとしての初代『ぷよぷよ』は、言ってしまえばまだ未完成の存在であったといえます。相殺システムをはじめとする、ほぼすべての形式とルールが確立されたのは、1994年9月のアーケード版『ぷよぷよ通』においてでした。

「相殺」を発生させると残りのおじゃまぷよが即座に振ってくるというルールが、ぷよぷよの対戦ルールの中でもとりわけ重要で、これが「通ルール」と呼ばれるものの中核を成しています

ほかにも、おじゃまぷよも含めてフィールド内のすべてのぷよを一掃すると「全消し」のボーナスが発生する、縦に閉じた1列分のスペースにぷよが入り込んだ際にも「クイックターン」によって回転させることが可能、次の次に落ちてくる組ぷよの片方を視認できる(NEXT2ぷよ)などといったルールの基本形が、この『ぷよぷよ通』において確立されました。

なお、対応する筐体(「メガロ50デラックス」と呼ばれる大画面筐体)が利用されている場合のみ、アーケード版では攻撃を受けると椅子が震動するというフィーチャーも用意されていました。

さて、『ぷよぷよ通』登場から24年の歳月が流れているわけですが、ここからの歴史的展開の全貌は、ダイジェストですら追うのが難しくなります。

端的に説明しますと、ナンバリングタイトルの最新は2009年7月30日にニンテンドーDS、2009年11月26日にWii、プレイステーション・ポータブルで発売された『ぷよぷよ7』。その他の関連作品は数えるのも大変なほど出ていて、ありとあらゆるハードとフォーマットに移植され、愛され、遊び継がれています。

一番大きな変更と思われる部分だけを挙げますと、さまざまな事情から『魔導物語』の要素はだいぶ薄められました。ただし、デザインなどを大きく変更したものの、一応アルル・ナジャの姿は近作にも見られます。

ぷよぷよ、eスポーツの世界に躍り出る

▲『ぷよぷよeスポーツ』の公式動画。対戦にこだわり、eスポーツを盛り上げる(「セガ ぷよぷよ公式YouTubeチャンネル」より)

2018年10月現在、『ぷよぷよ』シリーズの最新作は『ぷよぷよeスポーツ』です。プレイステーション4版、ニンテンドースイッチ版が2018年10月25日ダウンロード専用で発売、アーケード版は2019年春以降にリリースが予定されています。オフライン対戦は最大8人まで参加可能、インターネットでの対戦にも対応します。

さて、この『ぷよぷよeスポーツ』が世に出るのに先立ち(名が体を表してはいるのですが)、『ぷよぷよ』は日本eスポーツ連合(JeSU(*02))の「ジャパン・eスポーツ・プロライセンス認定タイトル」となりました。公認タイトルとなったことで、賞金のかかった大きな大会などが開催でき、「ぷよぷよプロ」を公式に認定することもできます。

もちろん一般プレイヤーの裾野も大きく広がっており、インターネットを通じて全世界のプレイヤーと対戦したり、あるいは、プロやハイアマチュアプレイヤーのプレイを観戦・応援したりすることもできるようになっています。

なお、この『ぷよぷよeスポーツ』、収録されている2つのルールのうち、1つは「ぷよぷよフィーバー」というルールで、もう1つは『ぷよぷよ通』となっているそうです。

ちなみに、『ぷよぷよeスポーツ』発売後最初の公式大会は、「ぷよぷよチャンピオンシップ」の名称で2018年10月27日に開催されたとのこと。定期的に公式大会を開催しているようなので、詳しくは公式サイトをご参照ください。

記憶は遠く

筆者自身にとって、初代『ぷよぷよ』は遠く懐かしい甘酸っぱい想い出の中のゲームです。

たまにレトロゲーセンで見かけたらワンプレイだけしてみる、くらいのタイトルではあるのですが、それが二十何年かの歳月を経て、今や公式の世界大会さえも開かれん(*03)という展望を持つゲームに成長している。その隔世の感にはなんともいえない思いが湧いてきます。

それにつけても、本当に今でも忘れられないのですよ。わずか3分足らずかそこらの間に大連鎖を組み上げこちらを瞬殺した、あのときのあの少女の面影だけは。

©SEGA

脚注

脚注
01 コンパイル : 1990年代に『ぷよぷよ』シリーズの企画・開発で一世を風靡したゲームメーカー。現在、その権利はセガゲームスに受け継がれている。
02 日本eスポーツ連合(JeSU) : 日本におけるeスポーツの普及を目的に、プロライセンスの発行、大会の認定、選手の育成・支援などを行っている団体。2018年2月1日設立、一般社団法人。
03 すでに、非公式では世界最大級の格闘ゲーム大会「EVO」のサイドトーナメント「AnimEVO」などで開催されており、今後公式の世界大会への期待も高まる。参照:日本初の女性パズルプロゲーマー・Temaさんに聞く、プロゲーマーの理想と現実

こんな記事がよく読まれています

2018年04月10日

ゲームセンター聖地巡礼「1980~1990年代 新宿」前編

今回から、新企画「ゲームセンター聖地巡礼」の連載がスタートします。当研究所・所長の大堀康祐氏と、ゲームディレクターであり当研究所のライターとしても協力いただいている見城こうじ氏のお2人が、1980~1[…]