ビデオゲームミュージックの父 小尾一介氏×大野善寛氏ダブルインタビュー 中編

  • 記事タイトル
    ビデオゲームミュージックの父 小尾一介氏×大野善寛氏ダブルインタビュー 中編
  • 公開日
    2019年01月18日
  • 記事番号
    789
  • ライター
    八木 貴弘

オリコンにも入った売れ線タイトルとは?

当時のシリーズ企画について解説する大野氏

――さて、それではそろそろ「1500シリーズ」の話を。サイトロンは2つのゲームタイトルが入った「1500シリーズ」と、複数タイトルが入った「G.S.M.シリーズ」があるんですけど、その棲み分けというか、どうしてああいう企画になったんでしょうか?

大野 『ダライアス』(1986年/タイトー)のように1タイトル1アルバムもあったけど、アルバムになると、複数の収録ゲーム数を集めるためにほかのタイトルリリースを待たなければいけないというのがビジネス的に難しいというのがあって。

それなら、当時8cmシングルCDから12cmのマキシシングルが出てきたので、シングル感覚で1タイトルずつ1,500円という低価格で出していこうと始まったのが「1500シリーズ」でした。これなら、フルアルバムが出せないメーカーさんも、ある程度カバーできるんじゃないかと。そういう考えがありましたね。

――その後「サイトロン2000シリーズ」が出てきますが、値段が高くなったのはまさか…(笑)。

大野 そうそう、前述のZUNTATAの件で…。

――なるほど(笑)。

大野 (「1500シリーズ」に)プラス500円して、そのぶん価値の高い商品にしましょうと企画されたのが「2000シリーズ」。2,000円という値段をつけてから、名盤シリーズとかも出したんじゃないかな。

大堀 名盤ありましたねー。『レイフォース』(1994年/タイトー)とか『ダライアス外伝』(1994年/タイトー)とか。

大野 アレンジ要素やブックレットなどにもこだわって付加価値を高めました。

――サイトロンが始まってからだと思うんですけど、例えば、コナミやファルコムの制作と販路がキングレコードであったことに対して、そのほか多くのゲームミュージックの制作をサイトロンが担うという位置づけだったと記憶しております。ゲーム会社ごとのテリトリーというようなものはあったんでしょうか?

大野 普通のアーティストのような独占契約があったわけではないですが、担当者同士のつながりが出来上がっていましたね。長年、コナミさんがキングさんとやっていて、うちがちょっと行っても、こっちのことを気にしながら、「じゃあこのタイトルだったらいいと思います」とか。そんなタイトルの棲み分けはあったりしたね。

――『ウイニングラン』(1988年/ナムコ)などのドライブゲームはサイトロンさんで、それ以外のビッグタイトルはビクターさんが担当するというような都市伝説を聞いたことがあります。

大野 こじつけだと思うなあ(笑)。ナムコさんは、「G.M.Oレーベル」から「サイトロンレーベル」に変わってからビクターでゲーム音楽をリリースするようになったけど、担当者同士のつながりは続いていて、隙間をかいくぐって、たまにうちからリリースしていた、そんな感じだったと思います。

――サイトロンレーベルで一番売れたタイトルって何でしょうか?

小尾 たぶんSNK(*01)。『ストリートファイターⅡ(以下ストⅡ)』(1991年/カプコン)ではない。

大野 『ストⅡ』じゃないよね…。SNKの『餓狼伝説』シリーズ(1991年~)だね。

大堀 『餓狼伝説スペシャル』(1993年)とか?

大野 いや『餓狼伝説2 -新たなる闘い-』(1992年)のサントラが一番セールス高かったと思いますよ。

――では、アルファレコード時代で一番売れたのは?

小尾 『セガ・ゲーム・ミュージックVOL.1』(1987年)じゃない?

▲S.S.T.BANDのライブで盛り上がる曲は数あれど、『アウトラン』はその代名詞ともいえるだろう。曲は「Passing Breeze」

大野 そうですね。オリコンにも入りましたよね。ちなみに『龍虎の拳』(1992年/SNK)のサントラもオリコン3位だった

――3位!? 大堀さん、どうですかそういう話を聞いて。

大堀 オリコンとか、うれしいですよね。(ゲームミュージックが)そういうメジャーなアーティストと肩を並べるっていうのは。中学生の時なんて、周りからバカだなあとか言われながらも、自宅で録音したのを聴いていましたからね。

大野 いやあ、僕もおんなじですよ。やはり当時は基板から音を録っていたので、時々マニアの間で、基板とCDの音が違って聞こえたときに「開発版を使ったのかも」と噂されたりしたこともありました。

そのうち、サウンドチームとも関係が良くなってきて、基板から収録するのではなく、すでにメディア化した状態で納品してもらうようになりましたけど、それはそれで、開発版と製品版で曲順が違うなどの間違いが発生したりしましたね。

――クレームじゃないですけど「あのゲームタイトルが収録されてない!」とか「この曲抜けている!」とか「このゲームが入っているのに、なんであのゲームは入っていないんだ!」といったの声は聞かれたんでしょうか?

大野 もうそんなんばっかでしたよ。

――大堀さんは、収録タイトルについてアドバイスをしたりしなかったんですか?

大堀 私は音楽商材についてはノータッチなんで。どっちかっていうと、CDよりもビデオのほうを担当していました。脱衣麻雀ビデオとか。

――いい話の流れですね(笑)。

小尾 あれ、売れたよね。

大堀 複雑な心境でしたが…。

小尾 週間か月間のセル・ビデオTOP3ぐらいに入っていましたからね。ここまで売れるとは誰も思ってなくて。

大野 シリーズ化にもなりましたからね。

▲ゲームグッズやゲームミュージック商品を専門に扱うショップで、売り手としても時代を通り過ぎてきた筆者

――ちょうどその頃、僕は「マルゲ屋」っていう『ゲーメスト(*02)のアンテナショップで、CDとかビデオを死ぬほど売っていました。品番でどこのメーカーか分かりましたからね。PCCBはポニーキャニオン、VICLがビクターエンタテインメントとか。もう、この脱衣麻雀ビデオは毎週追加オーダーの嵐でしたよ。

でも、アルファレコードのタイトルがどんどん廃盤になり、「これまだ手に入らないんですか?」ってお客さんから言われるようになっていきました。売れているタイトルだったら、別に廃盤とか製造中止にしなくてもよかったのではないでしょうか?

小尾 ある程度まとめて作んなきゃいけないからね。その時に、これだけまとめて作っちゃっても全部売れるかな、っていうのを判断していたから、販売数にも限りがあったんですよ。

大野 契約期限の問題もありますからね。

――なるほど、ありがとうございます。


次回予告

次回、最終回の後編では、細分化していくゲームミュージック市場において、サイトロンが担った役割とは何だったのか。 切り込んで話を伺っていく。次週公開予定。乞うご期待!

小尾 一介 氏

「アルファレコード」「サイトロン・アンド・アート」を統べてきた、 ゲームミュージック業界の祖。その活躍は音楽だけに留まらず、マッキントッシュ用CD-ROMソフト「Shadow Brain」の開発・制作や、立体音響と3D映像ビデオソフト「ヴァーチャル・ドラッグ」シリーズの制作・販売など、枚挙に暇がない。現在は、ロケーションインテリジェンスを手掛けるクロスロケーションズ株式会社代表取締役を務める。

大野 善寛 氏

小尾一介氏と共に、1980年代以降のゲームミュージック業界を先導してきた第一人者。ほぼすべてのゲームメーカーと接点を持ち、ゲームと音楽ファンのために長く尽力してきた。現在は株式会社MAGES.(メージス)が運営する声優養成所「SAY YOU LAB(声優ラボ)」所長を務める。

八木 貴弘

脚注

脚注
01 SNK : 1970年代から数多くのゲームを世に送り出してきた老舗のゲーム制作会社。世代によって琴線に触れるゲームは違うだろうが、1990年代のサイトロンレーベルがリリースしたアルバムに、ネオジオのパワーワードは切っても切り離せない。
02 ゲーメスト : 1986~1999年まで新声社から発行されたゲーム雑誌。サイトロンレーベルとの関係も深く、「1500シリーズ」ではゲーメストのライター陣がライナーを執筆したり、『ゲーメスト』のアンテナショップ「マルゲ屋」1号店で、サイトロンが制作したアルバムのミニライブなどが行ったりしていた。

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