我が青春のテレビゲーム

  • 記事タイトル
    我が青春のテレビゲーム
  • 公開日
    2020年03月06日
  • 記事番号
    2752
  • ライター
    さあにん@山本直人

第二回:夏期講習にかこつけて。昼ご飯代は『アバランシェ』(1978年/アタリ)に化けた

1978年になると、海外からのテレビゲーム輸入に加え、国内制作のものも増えてきます。高校入試に向けた夏休み。また新しい場所との出会いがありました。

夏期講習での「ナムコ」運営店との出会い

安芸市(最近、阪神の選手がキャンプで「あんげいし」っておっしゃってましたが「あきし」です)のゲームコーナーから、次へのステップになったのは、いわゆる学習塾の「短期講習」です。

中3の夏。高知市内には「ニチイ」のショッピングモールができていました。
屋内にデパートの屋上のような場所ができたのですが、1978年になっていましたし、エレメカでなくテレビゲームも多く置かれるスペースに変貌していました。

一番のポイントは、その運営が「ナムコ」だったということです。
ナムコは四国の営業所や直営店は少ないものの、大型店のこういった施設を伸ばしていた時期でした。いわゆる遊園地施設、エレメカから、店舗のほうも屋内施設、メインテナンスが楽なものに移行していた時期だったわけです。

1978年の夏はまだ、ナムコがオリジナルのテレビゲームを発表しておらず、ニチイにあったのは海外ゲームが中心でした。
夏休みの夏期講習に友人と参加した私は、その会場となる場所の近くにある「ニチイ」のほうに入り浸る羽目に陥っておりました。
とはいえ、まだ中3の身ですから、遊び尽くせるだけのお小遣いはない。そこで手を付けるのが、誰もが通ってきたであろう「お昼代」です。
移動用の電車賃(高知市は路面電車での移動が基本)もありましたが、さすがにそこまでは手を付けず、お昼を抜いて、テレビゲームに興じる……。そんな夏休みを送っていました。

たくさんのカルチャーが花開く1978年

『ブロック崩し』のブームを抜け、海外製の作品はグラフィックが細かくなり、CPUとプログラムで動作するテレビゲームが増えていったこの頃。
日本では映画『スターウォーズ』(1978年/ルーカスフィルム 20世紀フォックス)が公開。
「外国からものすごいものがやって来た!」と、老若男女がココロオドっていた時期に、私は高知市の外れで、昼食を抜きながらココロオドっていたのです。

そんな中でよく遊んでいたのが『ディプスチャージ』(1977年/グレムリン)。
後に『ディープスキャン』(1979年/セガ)のシリーズに続く、潜水艦爆破のゲーム。
インベーダー系のゲームの魅力が「敵が攻撃する」「近づく」等々言われることがありますが、『ディプスチャージ』も敵からの攻撃、距離感のあるゲームでした。まぁ、スピード感はかなり違いますが。
ゲームのターゲットとなる潜水艦に描かれている数字(得点)を好んで、よくプレイしていました。
蛍光管や回転フラップ式、そしてブラウン管やLEDの数字表示に心を奪われるのは、この時代の男の子の特徴ではないかと思います。

『ディプスチャージ』
『ディープスキャン』につながる潜水艦爆破ゲーム。ルールはほぼ同じだが、パターンが決まっており、ミステリーなどの要素はない。タイムオーバーで撃沈数×30PTSのボーナスが入る。文字フォントを見ると分かるのだが、その後のセガのゲームで使用されているものに酷似している。(イラスト作成:山本直人)

『ディプスチャージ』はその後、安芸市のゲームコーナーにも、タイトー版が導入されたり、高知市内のとでん西武(路面電車の運営元・土佐電鉄と、西武百貨店の資本提携による百貨店。はりまや橋交差点に土佐電鉄の電車・バスターミナルを兼ねる形で存在した映画館も併設されていて『スターウォーズ』や『さらば宇宙戦艦ヤマト』(1978年/東映)など観に行きました)の屋上にセガ版があったりと、あちこちで見かける作品になっています。

同じく「数字」表記が好きだったのが『キャニオンボンバー』(1977年/アタリ)。
こちらも爆撃ゲームで、飛行船から渓谷に詰まった丸いターゲットめがけて爆弾を落とすというもの。
ナムコゲームの代名詞ともなる「アタリフォント」の基になった作品でもあるのですが、個人的にはこの丸いターゲットがシュールで好きでした。
ただ、ルールがわかりにくく「爆弾がターゲットに1つも当たらないとミス」→「3回ミスでゲームオーバー」っていうルールだったのですが、ポンポンと爆弾を落としているうちに突然ゲームオーバーになる……。そんなゲーム性でした。
なので画面のフチのほうで爆弾を落とすと、あっという間にゲームオーバーになります。この頃のテレビゲームって、こういう自爆っぽい遊び方がけっこうありましたね。

『キャニオンボンバー』。タイトルの通り、渓谷にスコアの粒が積まれている。左右に移動する飛行船から爆撃してスコアを稼ぐ。(画面はSteam『Atari Vault – 50 Game Add-On Pack』より)
ある程度破壊すると、飛行船がプロペラ機に変化。低空飛行になり、スピードアップする。地道に粒を狙って消していく。(画面はSteam『Atari Vault – 50 Game Add-On Pack』より)

シュールさが好きだった『アバランシェ』

ニチイにあった機種の中で最も好きだったのが今回のタイトル作『アバランシェ』であります。
いわゆる『ブロック崩し』の発展形、パドルゲームの類ですな。
画面上部にある“岩”が順に落下してくるので、それをパドルで受ける。受けると得点になる。そういう流れのゲームであります。

好きだったのは、そのシュールさ。落ちてくる“岩”はそのまままっすぐ落ちてくるだけ。まぁこの時代なので、アニメーションするとかはなかなか難しいところなんですが、ひたすらまっすぐ、下に落ちるだけです。

画面上に5列に並んだ岩が、順に落下してくるのを5連になったラケットで受け止める。ラケットの動きが速く、意外に難しい。(画面はSteam『Atari Vault – 50 Game Add-On Pack』より)
列が無くなるごとに、ラケットが1つ減り、受け止めづらくなる。岩が小さくなると、落下速度が上がり、さらに難しくなる。(画面はSteam『Atari Vault – 50 Game Add-On Pack』より)

効果音もなかなかで、最初無音なんですが、徐々に地鳴りのようなノイズ音がボリュームアップしてきます。
静かな中でプレイすると、結構響く。そこへパドルで“岩”を受けたビープ音が鳴り響くという感じ。
この頃のテレビゲームのわりには、未来感もなんにもない演出でした。

でもまぁなぜか、この『アバランシェ』がお気に入りで、講習で通う間、ほぼほぼこのゲームに熱中しておりました。
夏休みが終わると、また安芸市での毎日へ戻り、次は冬休みの模擬試験。
“侵略者”の足音は、まもなく高知にも押し寄せることになります。

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