餅月あんこのゲーセンに行きたい!
目次
第7回「エムツー・ほりいさんのゲームの思い出を聞きたい!」(後編)
前回に引き続き、有限会社エムツー代表取締役の堀井直樹さんをゲストにお迎えしました。
堀井さんといえば……。
1970年千葉県生まれ。ゲーム友だちと『ガントレット』を移植してテンゲンに持ち込み、メガドライブ版を発売したというエピソードは有名。1991年に有限会社エムツーを立ち上げ、『SEGA AGES』シリーズを始めとする数々のソフトのファン人気の高いクオリティの移植でおなじみ。
2016年からは『M2 Shot Triggers(エムツーショットトリガーズ)』ブランドでパブリッシャーに参入。最新作は『エスプレイドΨ(サイ)』(PS4/Nintendo Switch)。
近況はTwitterをご覧ください。
※こちらのインタビューは2020年2月に実施いたしました。
前編は、こちらから。
セガ・マークIIIとアーケードゲーム
―― (前回の続き)そっかー。次のゲーム的な段階は……。
ほ:で、今度は、友だちがファミコンを買うんだよね。ミヤザワくんていうんだけど。
―― ミヤザワくん。
ほ:それがもう本当に、衝撃的で。まぁ今見るといろいろ、わかるところはあるんだろうけど、おおむねアーケードゲームと同じ『ドンキーコング』(ファミコン版:1983年/任天堂)が。
―― え、『ドンキーコング』ってアーケードだったんですか!
ほ:そうそう。アーケードゲームがあって、ゲーム&ウォッチがあって、で、ファミコン版があるんだ。(アーケード版とほとんど同じ)『ドンキーコング』が(ファミコンで)動いてて、「なんか俺のパソコンよりスゴそう!」って思ったの。
―― へぇ~。
ほ:でも買えないんだ。で、まわりはみんなファミコン買ってたんだけど、ボクはファミコンを買わずに、高校に上がってセガ・マークIIIを買う。
―― そっ、そっ、そこって!
ほ:えっと、『ファンタジーゾーン』(1986年/セガ)ってゲームがあって、あれを家でやるために、要するにまた結局ゲーセンに100円払いたくないから(笑)。で、それをやるためにはセガ・マークIIIしか選択肢がなくて。で、みんなファミコン持ってるから、セガ・マークIIIを貸せば、ファミコンは借りれたの。本体ごと貸しあってたの。
―― 本体の貸し借り……! ほぇ~! それって何日スパンとかなんですか?
ほ:どうだろう、お互いがだいたい、「まぁこんなもんかな」、って思うまでかな。
―― え~。貸し借り、すごいな。
ほ:幸い、買ったパソコンが、テレビ兼用で使えるパソコンだったんだよね。『X1』っていう。ファミコンを借りてきたら、その、パソコンのテレビにつなげば、自分の部屋で遊べたんすね。
―― お~、いい環境。なるほど!
ほ:加速するじゃん、そこで。
―― なるほどー。画面がついてるやつ?
ほ:外付けモニターにテレビチューナーもついてたんですよ。
―― すごーい、夢のようですね。へぇ~。
ほ:で、まあ、ここまでファミコンをスルーしてマークIIIを買うところまでやってるけど、その間もやっぱりゲームセンターには行ってた。
―― ふ~ん! 何をプレイしてたんですか?
ほ:『ゼビウス』(1983年/ナムコ)とか、『スターフォース』(1984年/テーカン)とか、『ドラゴンバスター』(1985年/ナムコ)とか。
―― 『ドラゴンバスター』って何ゲーですか?
ほ:アクション。だいたいナムコのゲームが多かった気がする。
―― それが高校生ぐらいですか?
ほ:中学~高校? その間にたぶん、パソコンも2台目を買ってる気がするな。88(『PC-8800』シリーズ)っていうパソコンを買ってて。
―― はちはち! NECっぽい。
ほ:そうそう、NEC。
―― 『X1』は、どこのパソコンですか?
ほ:シャープ。
―― あ~! なるほどなるほど。で、セガ・マークIIIを買って……。初めて買った家庭用ゲーム機はセガ・マークIIIですよね。で、それをやりつつも、アーケードも常に行ってたみたいな感じですか。
ほ:たまに……っていうか、結構やってた。
―― 100円が浮くとかってことに、なってないですよね(笑)。
ほ:あのねぇ、そこがねぇ、難しいところなんだけど。
―― なんも難しくないですよ。
ほ:アーケードゲームってねぇ、どんどん進化するんですよ。
―― それ言い訳してるんですか、今(笑)。
ほ:だって、進化するんだもん! するんだよ! 絵がどんどん綺麗になってー、画面に迫力が出てー。わかれ!(笑)
―― だからゲームやりたかったんでしょ(笑)。
ほ:そう、ゲーム、やりたかった。
―― アハハ!
ほ:よくおわかりで。
―― その頃ってたぶん夢のような進化だったんでしょうね。だって『スペースハリアー』(1985年/セガ)とか操縦桿とか、3Dみたいだったりとか、あんなん衝撃的ですよね、いきなり出たら。
ほ:『スペースハリアー』が出たときは、人のプレイを後ろから見るんだけど、こんなに目まぐるしく、すさまじく速く動くゲームに、自分は絶対対応できないだろうなと思って、しばらく見る専だったからね。
―― そうなんだ~。(当時のゲームで特に)すごく衝撃的だったのって……。
ほ:『ゼビウス』と、『グラディウス』(1985年/コナミ)と、『スペースハリアー』かなぁ。
―― それぞれ、どういう理由でですか?
ほ:これまでのゲームって色をベタッと、ここは赤、ここは黄色、とかって塗ってるんだけど、『ゼビウス』は、ここはグレーの階調、って感じで、影が描いてあるんですよ。テカリとか。ゾルゲ(市蔵)さんが漫画に描いてたけど、『ゼビウス』を初めて見た少年が学校で「凄いゲームを見た!」って言って、その画面を説明するときに「写真が動きよるんじゃぁ!」って言ってるんだけど、そういうインパクトがあったんですよ。
―― ふ~ん。
ほ:(スマホで『ゼビウス』の画面写真を見せてくれながら)こういう色づかいだよね。それまではホラ、わりとぺたっとしたイラストが動いてたんで。
―― (使える)色数が急に増えたんですか?
ほ:いや、多分なんだけど、これって、ちょっと専門的な話になるけど、1個のキャラクターに対して7色、色が使えるんだけど、これもそうだけど、7色を白から黒までのグラデに全振りして、あと赤1色ぐらいとかに、そういうデザインにしたんだと。発明だなーと思うけど。
―― それで「写真」って。
ほ:(他のゲームと)全然違ってたの。
―― そうかそういう衝撃があったんですね。なるほどー。『ゼビウス』のグラフィックの偉業っていうことですね。
ほ:ほんとにすごい。
―― ゲームのシステムとしてもけっこう画期的なものがあったんですか?
ほ:空中と地上を撃ち分ける。
―― 今それって基本じゃないですか。そうなんだ!
ドガッと
ほ:で、『グラディウス』。1面をクリアして、次のマップが全然違う世界になってて、例えば最初、火山があったと思ったら、遺跡を通って、モアイがドガッと出てて、とか。全部の面が違うもので、「何!? 次はどうなるの!?」みたいな驚きがあって。
ほ:で、もう、『スペースハリアー』は説明するまでもないけど、目の前から物がせまってくるの。ほんっとにすごかった。
―― すごいですよね。3Dじゃないのに。
ほ:今でいうポリゴンではないけど、ほんとに驚いた。
―― いちいち(全部の絵を)描いてるんですよね。
ほ:スピード感があった。
―― 鈴木裕さんでしたっけ。
ほ:鈴木裕さん。
―― おしゃれですよね、何か。……なるほどー。……あたしツッコミが薄っぺらくて、多分山村(智美)さん(当コラム第2回に登場していただいた、『お子様ラクセル』でもあるゲームライターさん。エムツーさんのインタビューを多く手がけている)みたいな人がこの記事読んだら「ココもっとこういう質問して(深く)掘れよ!」って思うんだろうなぁー。
ほ:でもなんか、あんまりゲームを知らない人なりの聞き方っていうのが、多分あると思う(笑)。
―― それ担当ってことで……
ほ:だから、あんこさんだったら、100円持ってたら、別に使いたいこととかあったんじゃないかって。
―― ゲームじゃなくてですか? うーん、なるほど。ハマるとガーッとやるけど……。ほんとに、ほりいさんとか、ゲーム好きじゃないですか。今でもお正月休みとかもずーっと十三機兵やるくらい。
ほ:そうそう、ずっとやってるしね。
―― 普通なんか(ゲーム以外にも)するじゃないですか。どっか行ったりとか(笑)。
ほ:まあ、旅行とかも楽しいとは思うんだけどね、腰を据えてゲームするのは楽しいっすね。
―― トロフィー獲ろうとか目標があって、それを特に制限されない……何かやらなきゃいけない仕事とか、言われなければ、集中しちゃいますよね。
ほ:もうずーっとそれしかやってない(笑)。
百裂してる
―― マークIIIでは何を(プレイ)されてたんですか?
ほ:『ファンタジーゾーン』と、『北斗の拳』(1986年/セガ)。
―― そんなのあったんですか! 『北斗の拳』はアクションゲームですか?
ほ:うん、すごくよくできてた。(スマホでゲーム画面を見せてもらって)……こんな感じで、セガ・マークIIIで北斗の拳が動いてるんだけど、わりとそれっぽいじゃないですか。
―― ほんとだー。おー、すごいすごい。
ほ:マークIII版は北斗の拳らしく、やられた敵が吹き飛んで。
―― なるほど!
ほ:インタビューされてるのに余計なことをしたがる……。
―― 何スか?
ほ:ほんとに凄かったんだよ! っていうのを熱く語りたいみたいな……ボス戦を見せたいんだけど、いまこの大きさのケンシロウが出てきて、ボス戦になるとちょっとデカくなるんですよ。ゲームの容量が上がってた頃で、漫画でも最初に出てくる、シンっていう敵を倒しにいって、必殺技が出るんだけど。
―― あたたたたたたですね
ほ:百裂拳が出るんだけど、64回ぐらい出て、百裂してて、すごいな!って思ったの。……っていうのもあって、マークIII派でした。
―― なるほどー。あれ、ファミコンも買ったんですよね、後には。
ほ:記憶が曖昧なんだけど……なんでか、(家に)あった気はする。最終的には。
―― じゃあそんなにやってないんですか?
ほ:ファミコンってものすごい勢いで売れてたから、どういう入手経路かなぁ……新品じゃないんだけど、手に入れてて。だから先にマークIIIを買ったけど、ほどなくファミコンも手に入れてた。
―― なんかプレイしてたってのは(いろんなインタビューなどで見かけるので)。
ほ:相当遊んでたから、やっぱり。
―― でもやっぱり心は。なんかセガ派感はあるじゃないですか(笑)。
ほ:そうなんだけど、やっぱり……。
―― カドが立つところは書かないですよ(笑)。
ほ:セガハードでやってくんだけど、出てくるゲームの数はファミコンのほうが全然多いから、遊んでる数で言ったら、まぁ、1:1ぐらいだと思う。
『ガントレット』との出会い
ほ:これ、どこまで言えばいい? だいたい仕事につながるあたりまで言えばいい?
―― そこまで行けちゃいます? 何回かに分けてやらせてもらおうかなーって、ちょっと思ってますけど。
ほ:(全部は)全然無理だよね。でもパソコン買って家庭用ゲームに行きました、っていう話をしちゃって、一番大事なその、中学校の時の『ガントレット』(1985年/アタリ)に会った話をしてないから(笑)。超大事だよね。あれがなかったらメガドライブの『ガントレット』作ってないですよ。中学校のときの話で、パソコンは買うわ、ファミコンは人から借りて遊ぶわ、をしてたんだけど。中学になるとようやく、電車に乗って移動することが日常になってきて、で、雑誌もさっきあんこさんが言ったように、自分の好きなものを買うから、情報が入ってくる。
―― うん。
ほ:東京に行くともっとすごいゲームセンターがある、と。で、高田馬場に行って。
―― (千葉県から)そんなところまで!
ほ:行ってた、行ってた。アメリカとかそっち(海外)で動いてるゲーム機が先に入ってきて、日本で売るか試す、みたいなゲームセンターがあったと思うんだけど。
―― へぇ~!
ほ:そこで「何だコレは!!」っていう衝撃を受けたりしてて、その中でも、凄い衝撃を受けたのが、アタリの『STAR WARS』(1983年/アタリ)と、『マーブルマッドネス』(1984年/アタリ)っていう、トラックボールを転がして画面のボールを移動させるゲームと、あと、『ガントレット』っていう、迷宮探検もの。
―― なるほど~!
ほ:中学生になると、行動範囲が広がる分、いろんなものを見れるようになるわけなんですよね。そのときもまだ工事現場で瓶を集めるのをやってた気がする(笑)。
―― へぇ~!
ほ:『ガントレット』はあまりにも、周りの人間も含めて好きすぎて、パソコンで作って、持ち込んで。で、それをメガドライブに移植して、世の中に出るところまでやるんだけど。
―― (笑)すごいですね! (最初に作った)『ガントレット』って『ダライアス』のお医者様のかたが作られたみたいに、目コピってことですか?
ほ:そう、目コピ。
―― (最初は)元のデータとかないじゃないですか。全部イチから?
ほ:作ってる最中は全然データはなくて、そもそも作る理由が、『ガントレット』が、家庭用がファミコン版しかなくて、ファミコン版はあまりにもアーケード版と違ったんですよね。なので、お手軽に遊べる自分たち用ガントレットが作りたいから、って作り出したので……。どうやってたかな……確かだいたいみんな、頭の中の記憶だけで、マップとかを描けちゃうので、それでマップ作って自分で覚えてる敵を配置して、遊ぶ、みたいなことをやって。適当に遊べるようになったら持ち込んで、で、「何かコイツらおもしろそうだから泳がしとこうぜ」って見てくれた人がいて、で、そこでようやく基板を買えて、基板と比べながら遊んで。
―― じゃあグラフィックはドット単位ではちょっと違ったりとかしたんですか。
ほ:そうっすね、最初の(開発をした)パソコンはアーケード機より非力だったので、グラフィックのサイズをちっちゃくして作ってたので、そもそも違う。
―― なるほどー、でもシステムとか……。
ほ:中身は同じ。
―― 同じ(笑)。さぞかし作ったんでしょうねー。なるほどー。……というわけで、また別の機会に続きをお願いします! 例えがアレですけど、月曜ドラマランドの『意地悪ばあさん』とか……わかります? シリーズで年に何回か……。
は:はい、ポンポン入るんだよね。全然オッケーです(笑)。
―― そんな感じでまたちょっと間を置いてやらせていただければ……ありがとうございます!
前編のコラボレーションに引き続き、『なおきくん』作者のKABU先生に寄稿していただきました(餅月も同じテーマで描いてみました)。
ほりいさんより、KABU先生作『堀井社長と私』に寄せてのコメント
「KABUさんにどうお話したかはすっかり忘れてしまった(コラ!)のですが、 『魔法大作戦』の選考のときには、どうしても一つに絞りきれず悩んでいたんです。
KABUさんの作品は、当時の雑誌に掲載されてそうな空気に満ちていて自分に刺さったんです。で、延々悩んでどうにもならなかったので、「2つに絞れたんだけど、絞りきれないどうしよう」 と駒林に相談したんですが、「じゃあ2つで行きましょう、なおき賞は2作!!」 とあっさり……延々悩んでたのに……肩すかしを食らいました」
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KABUさんからのコメントもご紹介
「私が天王台を訪問したのは2019年の5月で、ちょうどメガドラミニの開発終盤でした。堀井社長はすごくグッタリされていたので、『書かれたことを覚えてない』っていうのは、無理もないと思います(笑)」
とのことで、インタビューも漫画でもおもしろおかしい部分がフィーチャーされてしまいましたが、実はそんなに酷い話ではないという裏話でした。
お2人とも、どうもありがとうございました!
写真提供:ゲーム探偵団さま
ゲーム本体、画面写真提供(※画面写真はすべて実機より撮影していただいたものです)として、今回も「ゲーム探偵団」さまにご協力いただきました。どうもありがとうございます!
公式Wbサイト:http://game-tanteidan.com/main/
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☆ Special thanks ☆
KABUさん(前編・後編ともに漫画制作)
Webサイト:KABUのプレハブ
寺田克也さん(動画撮影&提供)
Webサイト:terra’s book
エムツー
さとうけいいちさん(プロフィールと漫画監修)