イチハラ指揮者の“カレー”なる日々 第1回

  • 記事タイトル
    イチハラ指揮者の“カレー”なる日々 第1回
  • 公開日
    2020年01月31日
  • 記事番号
    2616
  • ライター
    イチハラ指揮者

突如はじまった新連載。書き手は古代祐三氏の楽曲のみで構成されたコンサート「古代祭り」で大きな注目を集め、年末の「ウィザードリィコンサート」で多くの聴衆を感動に震わせたあの市原雄亮氏。その市原氏は、いかにしてゲーム音楽と関わり、ゲーム音楽専門の新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団を設立することになったのか? 楽団に所属する奏者の方々の素顔は、いったい……。そもそも、市原氏は普段何をしてるのか?
インタビューからではわからない、ありのままの市原氏を見ていただくため、筆の赴くまま書き綴っていただいた。
ファン必読です!

ごあいさつ

元気ですか! 元気があれば何でも出来る! 元気があればIGCCで連載も出来る!

というわけで令和二年、皆様いかがお過ごしでしょうか(この記事、元旦に書いております)。
突如開始されました本連載、誰なんだお前はという声がたくさん聞こえてまいります。第一回となります今回は、軽く自己紹介をさせていただきたく存じあげる次第にございます。

まずは個人的な話から

わたくし、市原雄亮(いちはら・ゆうすけ)と申す者でして、世にも珍しい「指揮者」と呼ばれるお仕事を、音楽界の端の方で細々と営んでおります。

音楽を仕事や趣味にしていない方からは、一生に一人知り合えるかどうかだと言われ、珍獣を見るような目で見られるくらい、なかなかレアなジョブらしいです。
が、その世界におりますと、掃いて捨てるほどいる、珍しくもなんともないどころか多すぎて困るくらいの肩書であります。

指揮活動では本名なのですが、それ以外の文筆業、バンド、YouTube等々での活動では「イチハラ指揮者」を名乗っております。
所謂芸名というやつですね。

芸名の由来ですが、まことに残念ながら、市原(イチハラ)という名前は世に全く浸透していないようで、何度名乗っても、名刺を渡しても、署名を入れたメールの返信でも、リアル、ネットを問わず市川(イチカワ)と呼ばれる経験を年間50~60回はしているため、絶対に間違われないようにという願いを込めてカタカナでイチハラといたしました。

ただ、ここまでしてもイチカワと言われることがありますので、これはもう世の中が一丸となって市原を排除しようと結束しているものと想像しております。
これに対して、日本三大市原(他の二人は知りません)として断固として戦っていく所存です。
私は市原、イチハラでありますので、読者諸兄におかれましては、何卒よろしくお願いいたします。

指揮者というものは常々「先生」をつけて呼ばれることが多いのですが、私は先生と呼ぶことを強制や推奨をしておらず(別に拒否はしていません)、また「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」をスローガンの一つとしておりますため、先生と呼ばせたり、呼ばれていい気になるようでは終わりであると思っております。
その昔、そういった旨をあるオーケストラに伝えましたところ、どう呼ぼうか困った挙げ句、「市原指揮者」と呼ばれたのが妙に気に入りまして、それを採用いたしました。

そんなわけで、本連載でも「イチハラ指揮者」を名乗らせていただきます。
適当につけたのではなく、ちゃんと意味があるわけです。
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

私は新潟県は上越市で生まれ、幼少期を自然に囲まれて過ごしました。
かつて日本一の豪雪地帯と呼ばれていた地域の近辺でして、そのお陰で寒さに強い体質となったのか、気温が10度前後にならないと長袖を着ない習性があり、季節感のない人間と周囲からは思われております。
現在は横浜市在住でありまして、実のところ上越で暮らした期間よりも長くなっております。

そして横浜へ

ですが、私の生まれ故郷はあくまで上越市。
見渡す限り一面の田園が広がるあの地なのです(今は土地の再開発によって、そういう景色もなかなか見られなくなってしまいました)。
そんなわけで横浜は第二の故郷となりますが、横浜に移住してきたときから一貫して、大洋ホエールズ、そして横浜ベイスターズを応援しております。

横浜ベイスターズ発足時に、ファンを集めて横浜スタジアムで開催された公式のお披露目会では、ベイスターズの真新しい巨大な球団旗を持って入場する一人に選出されるという、大役を果たしたこともありました。
懐かしいなぁ。

そんな私ですが、今だ新潟県出身、上越市出身の著名人としてWikipediaに掲載されておらず、上越市の方々も私の存在を一切認識されていないようで、深い悲しみの年を常日頃から感じております。
上越市の皆さん、いかがですかーっ!

さらに、ベイスターズをはやウン十年応援し続けているというのにベイスターズファンの著名人にも数えられていないばかりか、ここ数年はチケットがほとんど取れないという有様で、深い絶望感を味わっております。
ベイスターズファンの皆さん、いかがですかーっ!
そもそも著名人ではないというツッコミは不要です。

指揮者としてのおはなし

……閑話休題。
昨年で指揮生活が14年目に突入したのですが、学府における音楽教育を一切受けていないという世にも珍しい指揮者です。
所謂四大の法学部出身で、音楽に関する学歴は一切ございません。

指揮者というのは通常、音楽大学に入学し、指揮科と呼ばれる学部を卒業したり、海外の大学へ入学、留学するものなのです。
稀に、音楽大学出身ではないと名乗っている方も見かけますが、四大から音大へ再入学したり、某大学の指揮研究所(今は存在しておりません)というところへ編入していたり、世に名の通った有名指揮者に師事したりしておりまして、実質音楽教育をきちんと受けているんですね。

ですから、私ほど何の経歴も持たず、現場叩き上げで指揮活動を続けている指揮者の存在は極めて異例であるということについては確信を持っております。
まさしくネッシーやツチノコ並の珍獣です。
恐らく他に例がないのではとすら思いますが、調査したわけではありませんので、ご存じの方がいらっしゃいましたら情報をお寄せください。
指揮者には資格が不要なので、私のようなどこの馬の骨か分からないような突然変異のアウトローが存在できるという仕組みになっております。

前置きがだいぶん長くなりました。
で、お前はIGCCとどういう関係があるんだよというツッコミが聞こえてきそうですので、本題に入りたいと思います。

ゲーム音楽との関わり

前述のように私は指揮者でありまして、その中でもクラシック音楽が生業であると位置づけております。
ベートーヴェンやモーツァルトといった歴史上の天才、奇才、偉人達が残した音楽を、楽譜を基に演奏しております。

それと同時に、生まれた頃からゲームが身近に存在する世代で、ほぼファミコン世代ど真ん中を生き抜いてまいりました。
その中でも、任天堂と共に育ってきたといって過言ではありません。

ファミコン、スーパーファミコン、ゲームボーイ、ゲームボーイカラー、バーチャルボーイ、ニンテンドウ64、64DD、ゲームボーイアドバンス、ゲームキューブ、DS、3DS、Wiiまで、恐らく全機種を順調に制覇してまいりました(記載漏れがあったらすみません。昨年11月頃にようやくSwitchを買いました)。

もちろん、ただ所持するだけでなく、狂ったようにゲームで遊んでいたわけで、今にしてみますと、よくこんな人間が社会に出ることができたものだと不思議なくらいです。
いや、出られなかったから指揮者という道だったのかもしれません。
また、ゲームの他に映画も大量に観ていましたので、大人になるまではゲームと映画に途方もない時間を費やしていたような人間でした。

そういった理由で、物心ついたときには既にPSG音源の音が子守唄(過言かもしれませんが)であったわけです。
クラシック、ポップス、ロック、ジャズ、フュージョン。そういった音楽ジャンルの中に、最初からゲーム音楽が存在していました。
ここが決定的な部分であろうと自己分析しております。

オーケストラの指揮者でありゲームマニア。
となれば懸命な読者諸氏はお気づきでしょう。
行き着くところがゲーム音楽のオーケストラであることはまったく不自然ではないと。

きっかけは、2000年代に開催された、とあるゲーム音楽コンサートでした。
当時、駆け出しの指揮者であったイチハラ指揮者は、海外からゲーム音楽コンサートが来るらしいと聞き、当時の友人らと切符を買い、勇んで観に行きました。
2,000人以上入る大ホール(東京国際フォーラムホールAだったような記憶もあります。その場合は5,000人になります)が満席となり、会場は熱狂に包まれていたのですが、イチハラ指揮者は一人浮かぬ顔をし、悔しさを噛み締めていたのでした。

「何も伝わってこないじゃないか……」

これは後年知ったことなのですが、海外のゲーム音楽プロオーケストラが来日したのではなく、企画だけが海外のもので、現地、すなわち日本のオーケストラを雇って演奏するコンサートだったのです。
今でこそ、老舗プロオーケストラがゲーム音楽を演奏することは当然のように行われていますが、当時はまだゲーム音楽のコンサートというものが愛好家以外には知られていない時代でした。
雇われたオーケストラは、目の前にある、まったく興味のないゲーム音楽の楽譜を淡々と演奏することだけをこなしていたのでしょうと想像しています。
大変恐縮ですが、演奏からは何も熱が伝わってこなかったのです。

その経験から、イチハラ指揮者は心に本当に小さな種火を灯したのでした。

「いつか自分がゲーム音楽のプロオーケストラを作ってやる。そして最高のコンサートをやってやる!」

その出来事から6~7年後、その妄想は現実のものとなり、日本初となるゲーム音楽のプロオーケストラ「一般社団法人 日本BGMフィルハーモニー管弦楽団(JBP)」をまったくのゼロから立ち上げることになるのですが、その前後のお話は相当長くなりますので割愛いたします。
いずれ余裕があれば、また。

そんなわけで、現在はJBPの後継団体である「新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団(NJBP)」の代表、運営、指揮、司会等を務めております。

最近では、作曲家の古代祐三さんの楽曲のみを特集した「古代祭り」、ナムコのオールドタイトルのみを特集したコンサート、ファミコン版「ウィザードリィI,II」全曲演奏コンサート等を開催し、個人では、「アクトレイザー全曲楽譜化クラウドファンディング」を実施したりしておりますので、もしかしたらこれをお読みになっている方の中に、1~2名くらいは私のことをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
また、IGCCさんからは何度かインタビュー取材をいただいておりまして、紙面(?)にも登場させていただいております。

そんなご縁があり、今回ありがたいことに「連載してみませんか」とお声がけいただいた、というのが連載開始までの流れということになります。

連載タイトルですが、編集部からは基本的に何を書いてもいいと言われております(ありがたや!)ので、テーマを限定しないタイトルにしようということになり、私が大好きなカレーをもじっただけで、特に意味はありません。
が、「カレー回があってもいいですね!」というノリの良い反応をいただけましたので、突然カレーのことを書き始める謎連載になる可能性も捨てきれません。
とはいえ、主にゲーム、音楽、そしてNJBPの話題を扱っていくつもりでおります。
また、不定期連載となる予定ですので、更新されたら読んでやるかくらいの心構えでお付き合いいただければ幸いです。

ご意見、ご感想、ご質問、人生相談、なんでもお気軽にお寄せください。知らないこと以外はだいたい知ってる(*01) ので、連載の中で回答することがあるかもしれません。

それでは皆様、どうぞよろしくお願いいたします!

市原雄亮×古代祐三 ダブルインタビューは、こちらからお読みになれます。
【前編】は、こちら。
【中編】は、こちら。
【後編】は、こちら。

脚注

脚注
01 忍者増田

こんな記事がよく読まれています

2018年04月10日

ゲームセンター聖地巡礼「1980~1990年代 新宿」前編

今回から、新企画「ゲームセンター聖地巡礼」の連載がスタートします。当研究所・所長の大堀康祐氏と、ゲームディレクターであり当研究所のライターとしても協力いただいている見城こうじ氏のお2人が、1980~1[…]