市原雄亮×古代祐三 ダブルインタビュー 中編

  • 記事タイトル
    市原雄亮×古代祐三 ダブルインタビュー 中編
  • 公開日
    2019年11月22日
  • 記事番号
    2273
  • ライター
    IGCCメディア編集部

『アクトレイザー』楽譜化決定記念 特別インタビュー

スーパーファミコンの名作ソフト『アクトレイザー』の原曲を忠実に楽譜として後世に残したい……。

そんな市原雄亮氏の「夢」からはじまった「アクトレイザー楽譜化プロジェクト」は、当初は苦戦を予想されたものの、わずか46日という短期間に350万円を超える支援を集めることになり、関係者さえも驚かせた。

この大成功を記念してIGCCメディア編集部は、株式会社エインシャントを訪れ、市原雄亮、古代祐三の両氏にダブルインタビューを敢行した。

「中編」の今回は、『アクトレイザー』完成までのご苦労、そして古代氏を襲ったスランプなど盛りだくさんの内容でお届けする。

前編】は、こちら

『ダライアス』をやりながら

―― 引き続き、スーパーファミコンでの音楽制作についてのお話をお伺いします。音色についても圧縮が大変だったと聞いたことがありますが……。

古代 そうですね。確か……16の倍数だったかな。ちょっとくわしいことは覚えていないんですけど、それをしっかり守らないとループのときに音がブチっていっちゃうんですよ。

市原 おお、なるほど。

古代 だから、綺麗にその中にループを収めなくちゃならなくて。そこでループ・ポイントを取るのが最初はとにかく大変でしたね。でも、そこをクリアしないといい音で鳴らないので、絶対に手を抜けないところなんです。

市原 見えない部分の苦労がすごいですね。

古代 波形の切れ際が毎回毎回、そんな綺麗になるわけがないので、そこをどうやってうまくクロスフェードさせるかが課題でしたね。

―― それはある種、誤魔化しのテクニックのような?

古代 そうですね。そのあと、マッキントッシュなどが出て、音楽ツールがこなれてくると、クロスフェードがうまくかけられるようになったんですけど、それが出るまで、他の人はどうやってたのか、私自身知りたいですよ(笑)。

―― 古代さんから見て、どのメーカーのタイトルが美しい波形でしたか?

古代 やっぱりスクウェア(現在のスクウェア・エニックス)さんの『FF(ファイナルファンタジー)』とか、すごいですよね。あれ、当時どうやってたのか関係者のかたに聞いてみたいですね。

市原 そういえば、『アクトレイザー』がオーケストラ・サウンドを選択したとき、他のスタッフからはどんな反応があったんですか?

古代 いえ、何も……。

市原 え、何もなかったんですか?(笑)

古代 うーん、何もなかったですね(苦笑)。とにかく好きにやらせてもらってたんです。作りたいものを作る。それで出来上がったものがよければ、何も問題なし。……そんな感じでやってましたね。

市原 じゃあ、今回はオーケストラで行きます、ってことも……。

古代 言わないです言わないです。もう完全に出たとこ勝負ですから(笑)。

―― では、曲がある程度できるまでは、音楽の話を他のスタッフのかたには、まったくお話をすることもない?

古代 ないですね。もちろん、将来こんなことをしてみたいとか、夢を語るようなことはありましたよ、ゲーセンで(笑)。

―― ゲーセンで、ですか(笑)。

古代 ええ、『ダライアス』(1986年/タイトー)やりながらとか(笑)。

―― では、それなりに出来上がってからスタッフの方々に楽曲を披露したときは……。

古代 うーーーーーーーーーーーーーーーーん。内部では、あんまり評価というか、驚かれたようなことはありませんでしたね。「まあ、古代ならそうだよな」、という感じで。

市原 それ、どういうことですか?

古代 これ、ちょっと手前味噌になって恐縮なんですけど、あの頃は何をやっても周りがすごく評価してくれてたんですね。それがずっと続いて、デフォルトになってたような感じがあったんです。「古代がやればこんな感じだよね」、って身内の人ほどよくわかってたから、私が何をしようとも普通に受け入れられるだけで、特にビックリされたりとかは……。ですから、オーケストラをやっても、「ああ、そろそろそういうことやると思ってたよ」、みたいに思われていたのかもしれませんね。

市原 不思議な立ち位置だったんですね。

古代 そうですね。「古代は好きにやらせとけば、それなりのもの上げてくるから」って……割と放置されていた感じがします(笑)。

―― では、NGを出された記憶は……?

古代 ほとんどないですね。その時代は、まったくに近いほどありませんでした。

市原 それは『アクトレイザー』のときだけではなく……?

古代 そうですね、ファルコム時代も、そうでした。自分で好きに曲を作って持っていって、そうすると、この曲はここには合わないけど、こっちで使えるかな、とか。パズルのように当てはめて採用してくださってたので。

―― では、あまりゲーム内容は考えずに曲を作っていた?

古代 そうです。あ、もちろん『アクトレイザー』のときはステージ構成とかを考えながら曲を書きましたけど、ファルコム時代は自分の作りたいものばかり作ってた傾向が強いですね。

市原 『アクトレイザー』の曲を書くときに参考したものはありますか?

古代 市原さんインタビュアーになってますよ(笑)。

市原 いや、何だか聞きたいことが次々思い浮かんで(笑)。

―― 助かります、どんどんお願いします(笑)。

古代 がっつり参考にした、というのはないんですけど、それでも当時、影響を受けていたものが頭の中にこびりついていたんでしょうね。たとえば映画『スターウォーズ』とか。あとは……グスターヴ・ホルストとかも、そうかな。それから意外とアニメ『宇宙戦艦ヤマト』のBGMが好きで、よく聴いてましたよね。なので、聴く人が聴けば、そのあたりバリバリに影響を受けてることがわかると思います。

―― 古代さんは、これまでクラシックというか、オーケストラ調の曲が作ってこられなかったですよね?

古代 そうですね。作ってないと思います。当時のマイコンだと、やっぱりオーケストラを表現することはかなりきついですしね。

―― スーパーファミコンとの出会いで、一気にオーケストラに気持ちが傾いたそうですが、いきなりそういった曲が書けるものなのでしょうか?

古代 できるとさえ思いませんでしたよ(笑)。

市原 ええっ、じゃあどうして……(笑)。

古代 とりあえずストリングスと金管と木管と入れておけば、それっぽく聴こえるかなぁと(笑)。できるできないじゃなくて、やってみたかった。だから、やってみたという……それだけなんですね。クラシックのスコアなんて、当時はホルストのものを少し見たことがある程度でしたし。

クラシックが書けるようになった秘密?

―― では、クラシック調の曲を書くノウハウはまったくなかった?

古代 そうですね、なかった……んですけど、それよりも少し前だったかな。X68000(1987年にシャープから発売されたパーソナルコンピュータ)で『スターウォーズ(*01)』の曲を書いたんですよ、FM音源で。そのとき、プロデューサをやってた市川くん(*02)が運よく『スターウォーズ』のスコアをゲットしてくれて。

―― 1990年以前に!

古代 たぶん、普通のルートでは手に入らなかったんじゃないかな。ルーカスと交渉して分捕ってきたんだと思いますけど(笑)。

市原 それを打ち込んで覚えたと?

古代 ええ、そのことでかなりいろいろわかりましたね。ああ、こうやってるんだってテクニック的なことをいくつも覚えたと思います。

―― 素人の疑問なのですが、音楽を聴くだけではわからないこと。楽譜を見ることでわかること。そういうのは、やっぱりあるものなんでしょうか?

古代 それはありますね。CDとかでも聴いていても、陰に隠れている音ってあるんですよ。

市原 あるはずなのに聴こえない音。聴こえないのに確かにそこにある音。そういうのってありますよね。

古代 最初はスコアを見ないとわからないですね。もちろん、今では音を聴けば、これとこれが重なってるんだなってわかりますけど、最初はやっぱり無理ですね。

市原 最初はメロディとベースとリズムぐらいですよね、わかるのは。その理解を早めるのは聴くだけじゃなく、「写す」という作業だと思いますね。写経みたいですけど(笑)。

古代 わかりますわかります!

―― ベーマガに載っているプログラムを打ち込んでいると、いつの間にかプログラムができるようになっている的な?

古代 そうです(笑)。まさしく、それですね。

―― こうして『アクトレイザー』の曲作りも順調に進んでいくことになるわけですが……。どの辺りで、ご自身の作っている曲に対して「お、これは結構いけてるんじゃないかな?」と思いはじめましたか?

古代 いや、当時、自分は「何ちゃってのもの」しか作ってなかったという認識なんですよね。基本的な三種類の楽器を突っ込んでおけば、それっぽくは聴こえるな、ぐらいのイメージで……「いける」なんてまったく思わなかったんですよ。

市原 それは楽曲が完成したあとでも?

古代 そうですね。頑張っていいものは作ったとの実感はありましたけど、オーケストラをこれで達成したという感覚はまったくなかったというのが正直なところです。

―― やはりもっとたくさんのメモリや音数がほしいという欲求は……。

古代 それは常に感じていますね。

―― もっと実際のオーケストラに近いものを作りたいと?

古代 それはありましたが、オーケストラだけに固執していたわけでもないのが正直なところです。もう少しあとになって、ローランドがSC-55という音源を出したので、そこでようやく『スターウォーズ』の音楽の完コピをやったんですね。それで、ああ、今現在の音源を使えばここまでオーケストラに近いものが再現できるんだって感動したこともありましたね。

市原 その打ち込んだ『スターウォーズ』の曲は、どこかで公開しないんですか?

古代 あれ、たぶんフロッピーか何かにセーブしておいたと思うんですけど……残ってないだろうなぁ。

市原 もったいない(笑)。

古代氏にとっての「制限」とスランプ

―― さて、ハードウェアの進歩・進化に伴って楽曲作りの「制限」というものが、どんどんなくなってきたと思うのですが、それは古代さんにとっては歓迎すべきことですか? それとも制限があるからこそ、工夫の余地があるとお考えですか?

古代 制限がない云々というよりも、アーケードゲームみたいな音でやりたい、といった欲求がある、というべきかなと思います。

市原 音の数はそれほど重要ではない?

古代 まったく気にしないといったら嘘になると思います。ただ、単に楽器をたくさんつなげて音楽を作りたいという気持ちは微塵もなくて、とにかくゲームミュージックが作りたい。本当に純粋にそれだけの気持ちで、昔も今もやっている感じなんですよ。

―― 昔からアーケードゲーム業界で仕事する願望が強かったと。

古代 そうです。アーケードみたいにすごい音が鳴ってるのを聴いて、あれを自分でもやってみたいなぁと。……めちゃくちゃ単純ですよね(笑)。

市原 つまり、音がたくさんというよりもアーケードゲームの世界というものへの憧れ?

古代 そうです、もうホントにそれだけ(笑)。

―― ただ、アーケードでも家庭用でも「ゲーム」というフィールドで音楽を書く場合、どうしても他者からの要望というものが存在しますよね。それはご自身の音楽を追い求めるのとは、ときとして相反する方向に進まざるを得ない場合もあると思うんです。

古代 うーーーん、それは話すと長くなりますね(笑)。

市原 聞きたいですね。

古代 その壁にぶち当たったのが、1990年代半ばぐらいですね。さっきもお話しましたが、結局、自分は自分の書きたい曲だけを書いて、それを使ってもらってきた。

市原 リテイクなど、ほとんどないっておっしゃってましたね。

古代 ええ、そうです。そういったことをずっと続いてきたせいで、それが当たり前と思ってしまった部分が私にあったんだと思います。音楽を作っていくというのは、そういった自己表現であって、それが認められてきたのだから、今後もそれを貫き通していけばいい。……そういうふうに考えるようになっていった。

―― なるほど。

古代 ところが、プレイステーションの時代ぐらいになると、プロデューサーの権限というものが強くなってきた。現場にいる自分と、現場の外からプロジェクトを管理しているプロデューサー。自分が作りたいと思っているものと、相手が求めるもの。そのギャップがどんどん広がっていったんです。そこで疑問が浮かんだんですね。え、それならどうしてこの人は、私のことを指名したんだろう、と。私がやってきたことを評価してくれたからこそ、私を指名してくれたんじゃないのかな。そんなふうに考えはじめて、うまくいかない日々が続いたんですね。それで、これまで高めてきた熱が一気に冷めてしまったという……。

市原 そんなことがあったんですか……。

古代 それから五年ぐらいかな……事あるごとに言ってるんですけど、いわゆる暗黒期が到来したんですね。それでも救いだったのは、うち(株式会社エインシャント)がゲーム開発もやってたことでした。音楽からは少し離れて、ゲーム制作に没頭したことで、別にこのままゲームを作っていけばいいかな、とも考えたりしましたね。自分の場合、音楽よりもゲーム制作のほうが好きですし(笑)。

市原 ええっ、そんな……。

―― そこから持ち直せたのは、どうしてなんでしょうか?

古代 音楽はもういいかな、と思いはじめたときに、偶然、ナムコ(現バンダイナムコ)の小林くん(小林 景氏)というディレクターが声をかけてくれたんです。彼は高校生のときの同級生で……。

―― 『湾岸ミッドナイト』シリーズのディレクターさんでしたね。

古代 そうです。ただ、私のモチベーションがだだ下がりの状態ですから(笑)。あんまり気が乗らないってことも伝えたんです。彼とはずっと友だちだからこそ、そういうことも言えたんだと思います。それでも、小林は「俺は古代に曲を書いてほしくて、ここまで来たんだ」と。その熱意に打たれて、じゃあ、小林の頼みなら頑張ってみるよ、と。

市原 おおっ、ついに復活(笑)。

古代 で、最初に作ったのが『湾岸ミッドナイトR』(2002年/ナムコ)だったんですけど、それは自分ではお世辞にもあんまりいい出来だとは思ってなかったんです。それでも向こうの注文どおりのものは出来たと思いますし、何より小林がすごく喜んでくれて。その姿を見て、親友のためだからと、歯を食いしばって曲を書いてよかった、と心から思えたんですね。

市原 いい話だ……。

古代 そのあとが『世界樹の迷宮』(2007年/アトラス)ですか。そのときも『湾岸』の経験が生きたんでしょうね。ディレクターの言うことをちゃんと聞いて、その要望に応えるようにいろいろ工夫して頑張ってみるのも悪くないな、って思えるようになったんですね。ちょこっと成長したんでしょうね、40歳を前にして(笑)。

―― ディレクターの新納さん(当時アトラスに所属していた 新納一哉氏)は厳しいかただとも聞きますが。

古代 厳しいかたでしたね。でも、自分の言葉に責任を持つタイプのかたで、「自分のことを信じて付いてきてほしい」という感じですかね。それで力を合わせて追求していった結果が、PC-8801mkⅡSRのサウンド(FM音源)を使うという方向性だったわけです。このプロジェクトも成功して、ちょうどその頃、才能があって信用できるお二人のディレクターさんたちと仕事ができたことが自分にとってものすごく大きな出来事だったと思いますね。今、思い返してみても、本当に運がよかったとしか思えませんし。

―― それで持ち直すことができたわけですね。

古代 自分で納得できただけでなく、発売されたものも多くのかたに評価していただいた。それで、ああ、まだ自分はやれるのかな、と。

市原 そこまで追い詰められてたとは……。

古代 追い詰められてましたねぇ……。

市原 その二つのタイトルが、今では代表作になってるのも不思議な感じがしますね。

古代 ホントに運命っていうのはわからないものですね。あのときに、ああ、自分にもこういうやり方ができるんだ、と思えたことが今につながっているんだと思います。逆に今は、好きにやってくださいって言われるとちょっと困っちゃう(笑)。ええー、どうしようって(笑)。

(一同爆笑)

市原 贅沢な悩みじゃないですか(笑)。それにしても驚きですよ。それまでは自分で書き溜めた曲だけで数々のオファーに完全に応えてたなんて……。

古代 小林くんも新納さんも、自分の中に確固たるビジョンがあるのが強いんだと思いましたね。自分はこういうものを作りたいから、私(古代氏)にオーダーしているんだ、というのがちゃんと伝わってくるんですね。

―― そういうかたが上にいてくださると心強いですね。

古代 『湾岸』も最初は没をいっぱい出しましたね。曲はトランスで行こうって決めたときに、クラブミュージックってこういうものだよね、というのが自分の中にあるんですけど、向こうからは「それはわかるけど、ゲームミュージックだからキャッチーでなければ困る」って返ってくるんですよ。「クラブミュージックだからループものだっていうのはわかるけど、それだとプレイヤーが飽きてしまうから曲の展開もつけてほしい」とか。

市原 なかなか難しい注文ですね。

古代 そうなんですよ。でも、相手との信頼関係がちゃんと構築できているから、素直にその言葉を聞くことができたっていうのはあると思います。

『アクトレイザー』と新日本BGMフィル

―― さて、かなり遠回りしたような気がしますが、『アクトレイザー』に話し戻します。ついに発売された本作ですが、市原さんは……。

市原 お、ようやくインタビューされる側に戻れた(笑)。

―― すみません、いろいろとご質問いただきまして。

市原 いえ、こちらこそ完全にファン目線で(笑)。

―― あの……当時、市原さんはスーパーファミコン用ソフトとして発売された『アクトレイザー』は……。

市原 もちろん、遊びましたよ! 当時の注目ゲームでしたし!

古代 ありがとうございます(笑)。

市原 スーファミといえば、画面の拡大と縮小じゃないですか。それが地上に降りるときにものすごく効果的に使われていて、しかも音楽もばっちり合ってる。で、「フィルモア」(同作の中で使われていた曲名のひとつ)がはじまって、度肝を抜かれるという……。ぼくだけじゃなく、『アクトレイザー』をプレイした人は全員が通った道なんじゃないですかね。

―― その頃、市原さんは古代さんのことは……。

市原 いえ、全然存じ上げていませんでした。たぶん、PCのほうでいろいろゲームをやっていたとしたら、古代さんの名前は絶対にどこかで聞いていたと思うんですよね。でも、ぼくは生憎、コンシューマゲームばかりだったので。

―― え、それではベーマガをお読みではなかった!?

市原 す、すみません……。

古代 (爆笑)

―― 当時、スーパーファミコンでオーケストラが鳴っていることに対して、どんなふうにお感じになりましたか?

市原 うーん。当時は、まだジャンルというか、オーケストラとかバンドとか、そういうものに対してまったくの無頓着だったんですね。だから、『アクトレイザー』の音楽は出会った瞬間に好きになりましたけど、それはオーケストラだからとか、そういう理由ではなかった。単純に心に響いたから好きになっただけ……なんでしょうね。

―― そういった市原さんも、所属なさっていた日本BGMフィルハーモニー管弦楽団が無念にも解散。その後、心機一転、新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の設立に動くわけですが……。

市原 1990年代から2000年初頭ぐらいにかけてだと思うんですけど、ゲーム音楽を生で演奏するような動きが出てきたんですね。そんなときに、外国のオーケストラが来日してゲーム音楽を演奏する企画があるらしいと聞きつけて、おお、それはおもしろそうだ、と。ものすごく期待して友人たちと聴きに行ったんです。ただ実際に演奏されているものを聴いても、心がときめかなかった。奏者の方々があまり楽しそうに演奏していなかったんです。そもそも演奏しているのが海外のオーケストラではなく、日本で雇われた方たちだったことも影響しているのかもしれませんが……。

―― ビジネス感が満載だったと?

市原 ええ、そんな感じでしたね。ぼくは、それを悲しいとか悔しいと受け取った。それはオーケストラもゲーム音楽も、両方大好きだったからだと思うんです。

―― なるほど。

市原 そのとき、ふと……いつか俺がやってやる!と思ったんですね。もちろん、そこまで行くにはまだまだ時間がかかるんですけど。

―― その頃は、すでに指揮者としてのお仕事を……。

市原 はじめた頃……ですかね。

―― なぜゲーム音楽をオーケストラで、とお考えになったのでしょうか。ゲーム音楽を演奏するというだけなら、オーケストラ以外にもたくさんの選択肢があると思います。でも、そこで敢えてオーケストラを選んだのには、何か理由があるのでしょうか。

市原 これはもう、指揮者だったからですね。

―― おおっ。

市原 それ以外に一切理由はないですね。先ほど申し上げましたとおり、オーケストラとゲーム音楽。両方、大好きですから、どちらか片方ということは考えませんでした。

―― オーケストラでやることに不安はありませんでしたか?

市原 不安……ですか。

―― たとえば、ぼくのような音楽に疎い人間の場合、オーケストラと聞くとちょっと身構えてしまう部分があります。すごく難しい部類の音楽なんじゃないかとか、静かに身動きひとつしないで聴かなくちゃいけないんじゃないかとか、眠くなるんじゃないかとか(笑)。

市原 ああ、それはよくわかります(笑)。なので、「オーケストラコンサートの楽しみ方」という動画を作って私たち新日本BGMフィルの公式チャネルで公開してるんですよ。

古代 ああ、こういうのはすごくいいですね。

市原 もちろん、最初から詰め込みすぎても逆にオーケストラって難しいと思われてしまいますから、最低限の約束事やマナーなどにとどめています。たとえば、あまりオーケストラを聴きなれていないかただと、拍手のタイミングがよくわからないとおっしゃるんですけど、そういうことにも触れています。ぜひ、ご覧ください。

―― あとでじっくり拝見します!

市原 あと、ゲーム音楽ではなく、普通のクラシックを演奏しているオーケストラも、そんなに難しいものじゃないんですよ。ラフな格好でお越しいただいてもまったく問題ありませんし。ジーパンにTシャツでも大丈夫です。オーケストラも何度も聴いているといろいろわかってきますし、ゲーム音楽を入り口にして、そんなクラシックの奥深さに触れてもらえるとうれしいですね。

オーケストラを好きになるには

―― これまた素人丸出しの質問で申し訳ないのですが、オーケストラとかクラシックのよさというものは、言語化が可能なものなんでしょうか。たとえば、このインタビューを呼んでくださっている方々が、「あ、オーケストラっていいじゃん!」と思ってもらえるようなキラーワードのようなものはあったりしますか?

市原 私なりのキラーワードで表現するなら……オーケストラというのは、音楽を生で演奏する中で、おそらく世界一贅沢な、そして一般的に見れば無駄な形態なのではないか、と(笑)。

古代 ああ、なるほど……。

―― 音楽家も反応する、まさしくキラーワードですね(笑)。

市原 もちろん無駄ではないですし、あんな、60人も70人もいないと表現できない音楽ってなかなか他にないですからね。

古代 なるほど……なるほど。

―― 噛み締めてますね(笑)。

古代 確かにあんな大勢で演奏するなんて、ある意味では非効率かもしれませんね。音を合わせるだけでも大変だし。

市原 だからこそ、本当にいい演奏が出てきたときの感動は、他に例えられるものはないと思ってます。……どうでしょう?(笑)

―― いや、かなりグッと来ました(笑)。古代さんは、いかがですか? ぼくのような音楽素人にオーケストラのよさを説くときに……。

古代 うーん、難しいですよね。音楽教育が、クラシックの偏った部分を増長しているので、それでトラウマになっている人もいると思うんです。

―― それによって、オーケストラは難しい、ややこしい、眠くなる、みたいな言われ方をするようになった、と……?

古代 まずベートーベンだとかモーツァルトだとか、教室に写真を並べてるところからしておかしいじゃないですか(笑)。一般の人からしたら、譜面を書くとかそんなことはどうでもよくて、音楽を楽しんで聴くという部分から入ることが一番大切だと思うんですよね。

―― 小難しい理屈はとりあえず必要ない、と?

古代 理屈なんて、学びたいと思ってから勉強すればいいんですよ。音楽は勉強するもの、みたいな位置づけにしてしまったからいけないと思いますね。私も子どもが音楽の宿題をやってるのを見ることがありますけど、何でこんな写譜をやらなくちゃならないの?って疑問に感じることがいっぱいあるんで。しかも、こんなの今、現場で誰も使ってないよ、なんてことまで先生たちは生徒に詰め込もうとしていたりして……。そういうのっていっぱいあるんですよね、いわゆる無駄が。で、そういう勉強方法のダシに使われているのがクラシックだという現状があったりします。

―― つまり、現代の音楽教育によってクラシックはあまりいいとは言えない立ち位置に……。

古代 ええ、追いやられているような感じだと思います。で、そういった前提がある状態で、オーケストラやクラシックのよさを、バーン!と伝えるのは非常に難しい(笑)。

―― あら、ギブアップですか!

古代 きびしいなぁ(笑)。うーん、そうですね……いきなり結論みたいになってしまいますけど、何でもかんでも聴くよりは、自分がいいなと思ったオーケストラの曲から入るのが一番かなと思うんですね。それはゲーム音楽でも映画音楽でも何でもいいんです。

―― でも、自分がいいなぁと思える楽曲に出会うのも難しかったりしますよね。聴いていると、いつの間にか寝ちゃったり……。

古代 寝る音楽は聴いたらダメですよ。あれはクラシックの中でも、かなりの上級者が聴いて楽しむものですから(笑)。

市原 そうですね。あの「間」というものを楽しめるようになってこそですね(笑)。

―― 寝ないヤツ(笑)というのは、どんなものが?

古代 19世紀ぐらいの音楽でカッコいい曲とかいっぱいあるんで。

―― それはクラシック……なんですよね?

古代 そうです。私がクラシックで、最初に体に電撃が走ったのはコンサートでマーラー(グスタフ・マーラー)の交響曲を聴いたときですね。

市原 何番ですか?

古代 一番です。

市原 やっぱり(笑)。

―― お二人で謎の会話をなさらず、音楽素人にもわかるようにお願いします(笑)。

古代 いや、文字どおりのことで。まったく予備知識なしでマーラーの交響曲を聴いて衝撃を受けたんですよ。何て凄いんだ、と。

―― というか、古代さんにそこまで言わせしめたマーラーこそが、オーケストラを一般に広めるためのまさに「キラーワード」じゃないですか!

市原 四楽章の頭とか、とんでもないですよね。

古代 ホントに、そう! あれを聴いて、いきなり目が覚めましたよ(笑)。三楽章のラストでちょっとうっとり油断させておいて(笑)。あれは演出も最高なんですよね。

―― きっと、これを読んでいる読者のかた、今、AmazonでマーラーのCDを検索していると思いますよ。

古代 ですから、こういうのを聴いて、目から鱗、耳から鱗がぼろぼろ落ちる体験をすると、クラシックが難しいとか感じなくなると思うんですよね、あ、もちろん、中には難解な曲とかもありますけど。

市原 ぼくの場合、ブラームスの一番で最初にそういう体験をしました。

古代 ああ、なるほど。ブラームスは片足が古典に入っていますけど、古臭くないですしね。

市原 衝撃度ではマーラーのほうが上ですけど、こういうのを聴くと血がたぎってきますよね。

古代 たぎりますね(笑)。確実に。

市原 そもそも、こういう感動というのはクラシックだから、じゃないんですよね。

古代 そうですそうです、そのとおりです。

市原 ああ、今、ふと思ったんですけど。たとえば、100年後ぐらいに古代さんが歴史上の偉人になっていて、学校の音楽の授業で、「古代祐三」という音楽家がいた。代表曲はこれだ。聴け。となったときに、果たして子どもたちが、そのやり方で「おおっ、いい曲だ!」と感動してくれるかというと、ちょっと難しいかもしれないな、とも思うんですよね。ぼくたちはゲームも好きで、ゲームと曲のセットで親しんできたという下地がある。でも、いきなり楽曲だけポーンと出されて、無理やり聴かされるとなるち、今のぼくたちと同じぐらい感動してくれるかというと、やっぱりそこまでの感動に行き着けない人は多いんじゃないかな、とも思ってしまいますね。

―― やっぱり、詰め込み型の教育はよろしくない、と?

古代 よろしくないですよね。

―― でも、100年後の学校の授業で古代さんが取り上げられたりするとおもしろそうですよね。音楽室の壁に古代さんの肖像画がかけられていたりして。

古代 (爆笑)

―― 髪の毛がクルクルのカツラを被っていて……。

古代 おもしろいかも(笑)。

―― さっきのお話の続きでちょっとお伺いしたいのですが、クラシックぽくないクラシックと言いますか……ゲーム音楽ファンに安心して薦められるクラシック曲って、何か他にありませんか?

市原 腐るほどありますよ。

―― ホントですか!

市原 例えばショスタコーヴィチの五番の四楽章とか、ベートーヴェンの五番の四楽章とか、ホルストの「惑星」の火星とか、ゲームで使われていても全然おかしくないですし、実際ゲームに転用された曲も多いですよね。

古代 そういう学びかたをするようになれば、音楽を好きになる子どもがどんどん増えると思うんですけどね……。

―― 今日お勧めしていただいたCD、さっそく聴いてみることにします!

【後編】へ続く。

お知らせ

今回インタビューをお願いした市原雄亮氏が代表兼指揮者を務める「新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団」が、結成5周年を迎えました。
その記念すべき通算50回目のコンサートに選んだのが、何とファミコン版『ウィザードリィ』。
くわしくは、こちらをご覧ください!

市原 雄亮

新潟県上越市出身 神奈川県横浜市在住
成蹊大学法学部法律学科卒業

4歳よりピアノを始める。中学校でテューバに出会い、後にトロンボーンに転向。大学は法学部へ進み、在学中に指揮を本格的に学び始める。

法学と指揮を学びながら大学を卒業。2006年より指揮者として活動を開始。2011年に神奈川フィルハーモニー管弦楽団で開催された副指揮者オーディションへ応募。第二次審査まで進み、同楽団を指揮する。

2012年、日本初のゲーム音楽プロオーケストラ「日本BGMフィルハーモニー管弦楽団」を立ち上げ、首席指揮者に就任。現在は後継団体である新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の代表、指揮者を務める。

音楽誌での連載、ソニーレコードのクラシックCDライナーノーツ執筆等の文筆業や、讀賣新聞朝刊全国版第2面で個人の特集記事の掲載、地上波TV番組への出演、『ファイナルファンタジー』シリーズのBGM収録での指揮など、精力的な活動を繰り広げている。2019年にはNHK総合「SONGS OF TOKYO」でX JAPANのYOSHIKI氏のバックで指揮者を務めた。

トロンボーンを高階恵、三輪純生の両氏に、指揮を金丸克己氏に師事。

古代 祐三

主にコンピューターゲームの音楽を手がける作曲家、ゲームプロデューサー。

ゲーム制作会社株式会社エインシャント代表取締役社長。

代表作に『イース』、『イースII』、『ソーサリアン』、『アクトレイザー』、『シェンムー』、『湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE』、『世界樹の迷宮』他。

脚注   [ + ]

01. 『スターウォーズ アタック・オン・ザ・デス・スター』
1991年に発売された3Dシューティングゲーム。対応機種はX68000、PC-9801VX以降。開発はM.N.M Software、発売はビクター音楽産業。
02. 市川幹人氏。
1971年東京都生まれ。有限会社マインドウェア代表取締役。1987年、マインドウェアの前身となるMNM Softwareを高校生のときに設立。1991年にX68000用『スターウォーズ アタック・オン・ザ・デス・スター』、1993年にメガドライブ用『スラップファイトMD』を発表した。現在は新機軸のアイデアの商品化、往年のマイコンゲームを復刻した「VIDEO GAME CLASSICS」シリーズ、ピンボール事業等を展開中。

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