展示イベント「荒木聡追悼展・ゲームとアニメの間に -JOSCA THE CREATOR-」スタッフインタビュー(後編)
地元の北海道でゲームなどの同人活動をしていた人物にフォーカスした展示イベント「荒木聡追悼展・ゲームとアニメの間に -JOSCA THE CREATOR-」が、10月1日に無事、閉幕しました。
前回に引き続き、この後編でも、本展の企画者である藤井昌樹、本野善次郎両氏に、故人が残した功績や、展示を通じて来場者に伝えたかったメッセージなどを語っていただきました。ぜひ最後までお読みください!
前編は、こちら。
同人活動を通じ、荒木氏が地元に残した数々の功績
――本野さんは、後に荒木さんと共に同人誌を執筆するようになりましたが、そのきっかけを教えてください。
本野 小説などのイラスト、挿絵を描いたのが最初のきっかけです。最初に描いたのは、確か「アディンセル・キャンペーン」(*01)ですね。
――長らくゲームの同人活動を休止していた荒木さんが、昨年「おーるらうんど特別号」を制作したのはなぜでしょうか?
藤井 小樽で毎年開催されている、マンガ・アニメなどのイベント「小樽アニメパーティー」とコラボした「小樽・札幌ゲーセン物語展ミニ」の実施に合わせて、荒木さんのほうから「ぜひ書かせてほしい」とのご要望があったからです。偶然にも、これが荒木さんの最後の作品となりました。
――本野さんがプレイシティキャロット小樽店に通っていた当時から、荒木さんをはじめとする「札幌南無児村青年団」あるいは「HAM」のメンバーは、小樽周辺のプレイヤー間でも有名だったのでしょうか?
本野 私自身は、キャロットには何となく通っていただけなので、くわしいことはわからないのですが、小樽で活動していたスコアラーチームの間では話題になっていたと思います。
藤井 札幌でハイスコア活動をしていた別の方によると、荒木さんは『ポールポジション』で特に有名だったそうです。それから、会場にも同人誌を展示していますが『グロブダー』もとても上手だったようですね。誌面には、24面をシールド無しでクリアしたお話などが書いてありますので。
――『ポールポジション』と言えば、作中に登場するエミちゃんだけをフォーカスした「いまさらポールポジション」や、ゲームミュージックを特集した「NOW PRINTING」などの同人誌は、私も拝読させていただきましたが、どちらも荒木さんの個性が存分に発揮されていますよね。
藤井 そうですね。荒木さんは、今まさに流行している、世間で話題になっていることとは関係なく、その時々で純粋に興味や関心を持ったものに取り組まれた方だったように思います。
あの時代にあってブームにあえて乗らず、攻略じゃなくてキャラクターや世界観に注目した荒木さんの同人誌には「それでいいんだよ。自分がおもしろいと思ったことを自由に書けばいいんだよ」というメッセージが込められているように思えますね。
本野 今の人たちに、まだインターネットやスマホがなく、アナログのパソ通しかなかった時代の同人活動はどのようなものだったのか、どれだけの熱量を持って活動をしていたのかを、ぜひ知っていただきたいですね。
荒木さんは、多方面でものすごく情熱を持って活動していて、すごく一途で好きなものに向かって一直線に突き進んでいた方でした。80年代の終わり頃にあったオタクバッシングの時期は、私は正直怯えていたのですが、荒木さんは動じる様子が全然なかったですね。
藤井 荒木さんが代表を務めていた「札幌南無児村青年団」や「HAM」では、ゲーセンは「不良の溜まり場」のイメージからの脱却も意識していたようですね。実際に「おーるらうんど」の中でも、そのネガティブさを払拭しようとの思いが語られています。
先日開催された「小樽アニメパーティー」では、市内をコスプレイヤーが闊歩したり、小樽文学館の野外ステージでもイベントを実施したりしていたのですが、当時の荒木さんが考えていたことが、今になってようやく実現して時代が追い付いたのではないかと思いますね。
本野 コスプレイベント自体は、今では全国各地で開催されていると思いますが、小樽ではイベントがまるで町の中に溶け込んでいるような、景色として自然に存在して受け入れられている印象があります。荒木さんは、まさにサブカルという言葉どおりの時代を過した方ですが、今ではコスプレイベントに参加する皆さんの間でも、サブカルの単語をごく自然に、当たり前に使いますよね。
藤井 それから「小樽アニメパーティー」の開催に合わせて、9月3日に小樽市内を舞台にした『Ingress(イングレス)』のイベント「Ingress Mission Day小樽」が開催されたのですが、その拠点になったのがまさにここ、小樽文学館でした。
小樽文学館が拠点に選ばれたのは、過去に「ゲーセン物語展」などを開催した実績があるから、きっとゲームに理解があるだろうということで、我々ではなく『Ingress』のスタッフのほうから企画を持ち込んだうえで実現したものです。
荒木さんの追悼展の開催期間を「小樽アニメパーティー」に合わせたのは、実は荒木さんの活動が、かつてのオタクバッシングのカウンターであることも理由のひとつでした。『Ingress』のイベントも含めて、それがようやく機能しはじめたように思います。「小樽アニメパーティー」に参加した人が、こちらの追悼展にも流れて来ることもありましたね。
本野 追悼展の開催期間は、当初は9月24日までの開催予定でしたが、10月1日までに変更しました。実は、10月1日は荒木さんが創作活動をはじめた日で、ご本人も「墓場の中まで持って行きたい」ほどの大事な日だと仰っていたんです。そこで、ちょうど今年の10月1日は日曜日でしたので、小樽文学館さんにお願いして期間を1週間延ばしていただきました。
――天国の荒木さんに捧げる、とてもいいお話ですね! 荒木さんは、ゲーム以外にもさまざまなジャンルで創作活動をされていたことが展示を通じてよく伝わってきましたが、改めて荒木さんはどんなお人柄だったと思いますか?
藤井 我を貫くと言いますか、周囲の影響を受けることなく、自分なりの強いこだわりを持っている方でした。「おーるらうんど」をはじめとする同人誌のコンセプトは、発行から40年近く経った今でもしっかり伝わってきますよね。
本野 いろいろなことを受け入れてくれる方でしたね。私が荒木さんに頼まれて描いたイラストのタッチが、荒木さんが描いたものとは全然違っていても、特に怒られたり否定されたりすることもなかったように思います。
私が荒木さんとの交流を深めるきっかけになったのは、荒木さんも大好きだったパロディテープでした。当時、私は学校で友達と古いアニメや特撮の主題歌を教室で流すことをしていて、それから「月刊OUT」や「ファンロード」を読んでいたのでパロディのこともわかっていました。加えて「おーるらうんど」の別冊「NOW PRINTING」に載っていた、MADテープやパロディテープのコラムを読んでいたら、そのうち仲間同士で「これとこれをつないだらおもしろいのでは?」などと考えるようになりました。
自宅には、たまたまパロディテープを作るのに最適なダブルデッキのラジカセやレコードがありましたので、試しに私が作ったテープを荒木さんが聴いたら、腹を抱えて大笑いして「すごくおもしろいヤツがいる」と認めてくださり、そこからお付き合いがはじまりました。
――間もなく追悼展の開催は終了となりますが(※本インタビューは9月9日に実施)、今後も荒木さんの作品や、ゲームなどの同人誌に関する展示イベントを実施する予定はありますか?
藤井 荒木さんが亡くなる直前に、私がインタビューをさせていただいた内容を今回の展示にも反映させているのですが、ほかにもいろいろな方へのインタビューを続けていくうちに、何らかの形でまとめて皆さんにお見せしたいなと思った場合は、展示や書籍化を検討したいと考えています。
※筆者追記:荒木氏のインタビューは当IGCCに掲載されています。必読です!
第一回・荒木 聡さん(元ゲーム同人誌作家)Vol.1 Vol.2 Vol.3 Vol.4
――それでは最後に、追悼展の開催期間は残りわずかとなりましたが、来場を予定されている皆さんとIGCCの読者にメッセージをお願いします。
藤井 まずはたくさんの展示品をご覧になられて、荒木さんの多芸なところを見ていただきたいですね。荒木さんの追悼展ではありますが、いろいろなジャンルを通じて、ほかの多くの人とのつながりやコミュニティが、インターネットのない時代にどのようにできていたのかがわかる展示になっていると思います。
80~90年代を知る人はもちろん、当時を知らない人にも新鮮な体験ができると思いますよ。ゲームや女の子のイラストなど、扱っているもの自体は今でも同じですからね。
本野 どの同人誌でも小説でも文章量に圧倒されると思いますので、じっくりと荒木さんの文章を味わってください。まだインターネットがなかったアナログの時代に、地元の小樽や札幌にサブカルの種をまいて育てる役割を果たした荒木さんの情熱を、ぜひ感じ取っていただけたら嬉しいです。
後書き:取材を終えて
地元の北海道で、ゲームをはじめとする同人活動で活躍された人物の足跡をたどった「荒木聡追悼展・ゲームとアニメの間に -JOSCA THE CREATOR-」。以前に同じ小樽文学館で開催された、ゲームセンターのナラティブ体験をテーマにした「小樽・札幌ゲーセン物語展」とはまた違った形で、同人誌を通じて地方で活動したプレイヤー文化とはどんなものだったのか、その独特のおもしろさを十分に堪能することができました。
まだインターネットがなかった時代は、現在以上に東京のような大都市圏に流行のトレンドや情報が集中してしまうところがありました。ですが、実は地方にも古くから精力的に同人活動を行っていた人物やサークルが存在した事実は特筆すべきことでしょう。本展は、そんな意外な歴史を多くの人に知ってもらう機会を提供したという意味でも、とても有意義なイベントになったのではないかと思われます。
末筆となりますが、筆者の古巣でもある新声社「ゲーメスト」編集部が、後にゲームに登場する女性キャラを網羅したムック本「ギャルズアイランド」シリーズを発行するきっかけとなった、同人誌「VGGG(Video Game Gals Graffiti)」の執筆も手掛けた荒木聡氏の功績には、改めて敬意を表したいと思います。
脚注
↑01 | 「アディンセル・キャンペーン」:1992年に発行された、TRPGの世界観をベースに書いた未完のオリジナル小説。「アディンセル」とは都の名称で、余市町をモデルにしたとのこと。後にシリーズ化され「アディンセル・ストーリー」と改題された。 |
---|