我が青春のテレビゲーム

  • 記事タイトル
    我が青春のテレビゲーム
  • 公開日
    2020年02月14日
  • 記事番号
    2666
  • ライター
    さあにん@山本直人

第一回:雨のショッピングモールの『ハッスル(HUSTLE)』(1977年/タイトー グレムリン・インダストリー)

1985年『ファミリーコンピュータMagazine』の創刊とともに、ゲーム業界にどっぷり漬かることになった私・さあにん@山本直人ですが、テレビゲームの想い出はそれ以前のこと。1970年代に始まるちょっと枯れた風景を、このコラムでお伝えしたいと思います。ゆっくりと時間展開していきますが、よろしくお読みください。
タイトル画像制作:山本直人氏

『ポン』に未来を見出した小学3年生

テレビゲームと出会ったのは、小学3年生(1973年)。デパートの屋上で『ポン』(1973年/アタリ)を見たのが最初でした。1ゲーム100円。当時の小学生のおこづかいで遊べる額でもなく、VS CPUプレイでもないのでプレイする相手もおらず、動く四角のボールを、ボーッと眺めては「ポン!」と跳ね返して、100円を消費する。それでも

「テレビとコンピューターで、こんなことができるんだ…」

と、すごい奇跡が目の前で起きてるんだ……という、ショックを受けておりました。

『PONG』のチラシ(石黒憲一氏提供)

小中高校と、住んでいたのは高知県。小中学生の時は、その中でも「安芸市」という、それほど大きな町でないところ。テレビゲームはおろか、エレメカなどを並べているような場所もなく、ピンボールを1台置いてある駄菓子屋があったくらい。ゲームを遊ぶには、バスで1時間かけて、高知市内のデパートに行く必要がありました。

ようやくテレビゲームが近づいた中学2年生

中学生になるころ(1976年)、市内にショッピングモールができ、階上によくある「ゲームコーナー」ができました。
駄菓子屋にも1台、テレビゲーム筐体がやってきて、ブームになる『ブロック崩し』(『ブレイクアウト』1976年/アタリ)が置かれます。

実は、高知には当時「タイトー」しかゲームリース業者が存在しませんでした。
ですので、アーケードテレビゲームは、基本、タイトー製品。逆に田舎の割には、タイトー製品のラインナップは古くから充実していたかと思います。
『スピードレース』(1974年/タイトー)や『ボールパーク』(1974年/タイトー ミッドウェイ)、『ウエスタンガン』(1975年/タイトー)など、まだテレビゲームに熱中する人たちもほとんどおらず、おこづかいの続く限り遊んでおりました(なぜかショッピングモールには『ブロック崩し』はなかった。需要があるものは逆に回ってきてなかった気がする)。

『ウエスタンガン』と『スピードレース』のチラシ(石黒憲一氏提供)

テーブル筐体(TTシリーズ)が出始め、ショッピングモールにも何台か導入が始まります(屋根はあるんですが、ある程度オープンスペースなゲームコーナーなので、雨天休業。土日に雨が降ると、残念な思いをしてた)。
テーブル筐体のラインナップも独特で、やっぱり『ブロック崩し』は入らず。でもなぜか『Sprint 4』(1977年/アタリ)はある。その中で好きだったのは『バリケードII (Barricade)』(1977年/タイトー 海外名は『ブロッケード』1976年/グレムリン・インダストリー)でした。

やっぱり「ひとり遊び」が好きだった

『バリケードII (Barricade)』は、最大で4人プレイが可能な、いわゆる陣取りゲーム。上下左右の4つボタンで操作し、壁を作って、他のプレイヤーを追い込んでいく。
点数制も何もない、短時間で勝負がつく対戦型のゲーム。4方向ボタン、キャラクター単位の表示のシンプルな画面構成、ルールが簡単ということもあり、その後のマイコンブームでは、BASICで作るゲームプログラムのお手本のようになるゲームでもあります(しかも短い行数で作れる)。
さすがにこの頃は、テレビゲームを一緒に遊ぶ友人もいましたので、きちんと対戦をしておりました。それでも1ゲーム100円はなかなかですが……。

ただ、私的には「対戦」というものが苦手で、当時のテレビゲームをわいわい遊ぶには、まだ抵抗がありました(『ボールパーク』も対戦は苦手)。なので1人プレイでスコアを稼ぐタイプを好んで遊んでいたのですが、ある日『バリケードII』に替わって導入されたのが『ハッスル(HUSTLE)』だったのです。

Hustle 』のチラシ(石黒憲一氏提供)

操作するキャラクターは『バリケードII』と同じく、ヘビのような何か。自分や周囲のカベにぶつかるとペナルティとなります。画面上に現れるターゲットに突っ込めば、表示されているスコアを獲得。連続して取るにつれ、自キャラのスピードが上がり、操作しづらくなる。という、時間制のゲームでした。

Hustle 』のルール(画像作成:山本直人氏)

『バリケードII』の操作感覚が好きだったというのと、1人プレイで遊べるというので、熱中し、1日に何回も遊んでおりました。……が、飽きるのも早かった。

ターゲットの出現場所はランダムなので、運の要素が強いのと、当時の画面ですからプレイフィールドも狭く、どこにターゲットが出現したとしても、自分の行動はワンパターン化してしまいます。ランダム故、戦略的な要素やテクニックもないので、ひたすら時間を消化するプレイになってしまいます。

画面も当時のテレビゲームにしては地味で、私のほかにプレイする人もおらず……。翌月には消えてなくなっておりました。

1978年、中3になり、高校入試を控え、あくまで子供向けスペースであったショッピングモールのゲームコーナーには、足が向かなくなります。
やがて編集者への道へと進ませる雑誌との出会いや、部活、初めて彼女ができるなど、テレビゲーム以外にも、いろいろと人生の節目の年が、中2の1977年。当時のことをふっと思い出すと、メジャーだった『ブロック崩し』『風船割り(アクロバット)』(1978年/タイトー エキシディ)等々でなく、地味で短命だった『ハッスル』のことを思い出してしまうのであります。

Gremlin社の初期のCPU8080ハードウェア。ソフトウェアの変更が可能で、対応ゲームはBlockade、Comotion(4人用Blockade)、Hustle、Blastoなど。写真の基板はHustle (石黒憲一氏提供)

ということで類似作をPCでプレイでプレイしてみました。

「うーん! いい感じにつまらない!」

キーボードだと片手で操作できちゃうので、プレイしやすすぎるのが難点なのかも知れません。当時の4つボタンコントロールを思い出し「あの操作感あっての、このゲームだよなぁ」としみじみ思うのであります。まだ『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)が世に出る前の、雨で休業、ビニールシートでおおわれたゲーム筐体の光景を思い出しながら。

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