見城こうじが訊く ハイスコアラー、お気に入りの一作を大いに語る 第三回「グロブダー」前編
目次
りゅう氏 REI氏 ダブルインタビュー
一本のゲームに絞って、当時遊び込んだ、もしくは今なおプレイし続けているプレイヤーの話をお聞きすることで、そのゲームを深く掘り下げるとともに、昔のゲームセンター事情も振り返っていく企画、第三回目となる今回は『グロブダー』(1984年/ナムコ)です。
『グロブダー』は、その独特の戦略性が一部で高く評価されながらも、難易度が非常に高く、発売当初、継続プレイなし――つまり1クレジットで全99ステージ(Battling1-99)をクリアすることはきわめて困難だと言われてきました。
今回お招きしたりゅう氏とREI氏は、難易度等の設定を変更した台でという条件付きではありますが、それを数年越しで達成された数少ない猛者のうちのお二人です。彼らと親交が深く、同じく全面クリアを達成したスコアラーの故「めぞん一刻」氏との思い出話も交えながら、全面クリアまでのドラマと、このゲームの魅力について、たっぷり語っていただきました。
【聞き手】
見城こうじ
りゅう氏、REI氏が過ごした「東久留米キャロットハウス」、そしてハイスコアラー「めぞん一刻」氏との出会い
―― まずお二方がどんなゲーマー人生を歩まれてきたか、聞かせていただけますでしょうか。
りゅう 中学生のときにたまたま入った吉祥寺の地下のゲームセンターで『バルトリック』(1986年/ジャレコ)に出会って、それにハマったのがアーケードゲームにのめり込んだきっかけです。それまではあまりアーケードゲームをやるタイプではなかったのですが、このゲームで目覚めました。
それで、家が保谷だったんですけど、近所に『バルトリック』を置いてあるゲームセンターがなくて、自転車に乗ってあちこち探しているうちに、2駅離れたところに「東久留米キャロットハウス」を見つけたんです。
当時のゲームセンターってちょっと怖いところが多かったんですけど、東久留米キャロットハウスは全然雰囲気が違っていて、子どもがいっぱいいるんですよ。明るいお店だなあって思って入ってみたら『バルトリック』があって、それでこのお店に通い始めました。
それまでもゲームは少し遊んでいたんですけど、もっと簡単なものだったり、やり込むところまでは行ってなかったんです。それが『バルトリック』はすごく難しくて、悔しくてずっとやっていた覚えがあります。
※参考リンク:『バルトリック』についての記事は、こちら。
―― 『バルトリック』は、1周目はともかく、2周目はもうクリアできないようなレベルの難易度でしたね。東久留米キャロットハウスに通い始めて、腕を上げることはできましたか?
りゅう はい。まだ1周目で苦しんでいた時期に、たまたまお店に置いてある落書きノートを読んでいたら、3面ボスの攻略法が書かれていたんです。スクロール位置を微調整して、画面の下に向かって撃つと、上にいるボスを倒せるぞって。
―― 完全にバグ技ですね(笑)。どなたか親切な常連さんが書いてくれたんですね。
りゅう それを教えてもらったことがきっかけで、常連さんと話をするようになりました。そのときそこで店員をやっていたのが「めぞん一刻」氏なんです。ぼくは「めぞん」と呼んでいましたが。
―― 後にりゅうさんとともに『グロブダー』の研究を押し進め、全面クリアを達成することになるハイスコアラーの「めぞん一刻」さんですね。私も彼とは知り合いでした。そのスコアネームのとおり、漫画家の高橋留美子先生の大ファンだったと聞いています。
REI 私が東久留米キャロットハウスに遊びに行ったときに、りゅうくんを紹介してくれたのも、めぞんでした。ときどき遊びに行っては会話していました。
―― 東久留米キャロットハウスといえば、ゲームサークル「VERTEX(ベルテックス)」の拠点としても知られていました。
りゅう ぼくが通い出したころは、VERTEXの皆さんも毎日通い詰める感じではなく、ときどき顔を出されるぐらいになっていましたね。ちなみにそのときの店長さんが佐々木宏さんというかたでした。
―― はい、私も佐々木宏さんは友人でした。その後、若くして亡くなられてしまったのですが、ゲーム好きが高じてナムコに入社されて、都内の店舗でお仕事をされていました。『ゼビウス』(1983年/ナムコ)一千万点プレイヤーで、とくに『TX-1』(1983年/辰巳電子工業)や『WECル・マン24』(1986年/コナミ)などのドライブゲームが大好きなかたでしたね。
りゅう 佐々木さんの極まった『TX-1』のプレイがすごかったですね。一度でもタイヤの音が鳴ると、もうそこで「捨てゲー」しちゃって。
REI 「キュッ」って音が鳴ると、それでタイムが落ちたことがわかっちゃうから(笑)。『WECル・マン24』もそうやってプレイしていました。
りゅう 東久留米キャロットハウスはけっこういろんな人が来ていて、あちこち交流の多い人もたくさんいらっしゃってましたね。
REI それはやっぱりめぞんや、佐々木さん、それから後に店長になる金子さんの果たした役割が大きかったんじゃないかな。
東久留米って地理的には都心からちょっと外れてるじゃないですか。でも、会いに行きたくなる店員さんや常連さんの多いお店だったと思うんです。人柄だったり、プレイヤーとしてのおもしろさだったり。
りゅう 話をもどしますが、『バルトリック』をプレイしていると、めぞんが煽ってくるんですよ。「このゲームを2周クリアしたやつはいないから!」とか「トップに立てるかも!?」とか「(G.M.C.)N.Kを倒せ!」とか勝手なことを言ってきて。
一同 (笑)。
―― N.Kさんというのは、めぞん一刻氏の故郷の福岡にいた凄腕ゲーマーのかたですね。
REI 仮想敵を設定されちゃって(笑)。
りゅう 何を勝手にそんなことを、いやあなたがやりなさいよ! って(笑)。
REI めぞん自身はそんなに『バルトリック』はやってなかったよね。
りゅう でも、「プレイシティキャロット巣鴨店」で流行っていたらしくて、その影響で『バルトリック』はみんな嗜む感じになっていましたね。
REI 巣鴨では有名プレイヤーの小川さん(ACU-EPS)がプレイしていましたね。
―― りゅうさんは最終的に『バルトリック』をどこまでやり込まれたのですか?
りゅう 結局2-4(2周目4面)のボスまででしたね。そこで精一杯でした。
―― あそこを超えた人っていたんでしたっけ?
REI 3-1までは行った人がいるらしいです。
りゅう そのかたがプレイしている映像も見たんですけど、もう自分とは攻略が全然違っていて驚きました。
ただ、それを見たのはずっと後の話で、当時は2周がクリアできず苦労しているうちにお店から撤去されてしまったんです。そうして目標を失ってしまったときに、当時の店長だった金子さんが、既に古いゲームだった『グロブダー』のことが好きで再入荷してくれて。それが1988年だったと思います。
―― それ以前に『グロブダー』をプレイされたことはなかったのですか?
りゅう 発売当初、ぼくは中学三年生で、お金もあまり持っていませんでした。ただそのころ、『グロブダー』が入った筐体をのぞき込むと、よくクレジットが余っているんですよ。それで“ハイエナプレイ”(笑)はときどきやってましたけど、難しくて13面ぐらいで終わっちゃってましたね。その程度でした。
―― 1コインで3クレジット(3ゲーム)分遊べるということを知らない人が残していっちゃうんですね。当時よくありました。
りゅう 再入荷された『グロブダー』を見て、めぞんが「このゲーム、じつは(発売当初にハイスコアを)狙ってたんだ」「全面クリアできてなかったけど、またやれる」って言ってたのをよく覚えています。
そのとき、VERTEXの人たちも面セレクトなどで遊び始めて、「ゲーメスト」ライターのありやん氏も遊んでいましたね。
REI 当時のゲーマー、スコアラーとしては、「ナムコのゲームはクリアするのが当たり前」という不文律があった気がするんです。
りゅう あったあった。
REI その中で最後まで『グロブダー』だけが、“すごい太い魚の骨”がのどに引っかかるように残っていたんですよ。これだけはどうしようもないよねって。
―― REIさんの経歴についてもお話しいただけますでしょうか?
REI 子供のころは古川に住んでいました。新幹線の駅だと仙台の一つ上ですね。そこでアーケードゲームは小さいころから遊んでいましたし、その前にエレメカも遊んでいました。10円玉を入れて遊ぶ、山登りゲームのようなものもやっていましたね。
テレビゲームについては、入力したものに対して画面の中のキャラクターが反応するというのがおもしろくて、街のゲームセンターにニューゲームが入ったらとにかくやってみてはクリアするという感じで、そのうち街の中ではけっこううまい方になっていました。やがて「プレイシティキャロット仙台店」にも遊びに行くようになりました。
―― 仙台駅からすぐのところにあった、とても大きな店舗ですね。
REI そこで新作として入荷された『グロブダー』をしばらくプレイしていたんですけど、これはやりがいありすぎて手に負えないなあと当時は思いました。だから、そのときは全面クリアまでやろうとは思ってなくて、それでも最終的に68面までは行きました。3機設定1エクステンドでしたから、使った自機の総数は全4機ですね。でも、同時期に『ベーマガ(マイコンBASICマガジン)』の「チャレハイ(チャレンジ! ハイスコアコーナー)」では、もっと先まで進んでいた人がいて、すごいなあと。
―― それは1984年に発売されてから数か月ぐらいの時期の話ですね?
REI そうですね。で、そのころゲームサークルのかたに「入らない?」って誘いを受けて、それが後の「SPREAM」の前身の「FAC」というサークルでした。
―― 「SPREAM」といえば東北のゲームサークルとして有名でしたが、最初は名前が違っていたんですね。
REI それからしばらくは仙台で遊んでいたのですが、数年後に東京に引っ越して、そこからかなり間が空くのですが『グロブダー』も再開しました。
『グロブダー』の基本システム――肝はエネルギーゲージの管理
―― 『グロブダー』がどんなゲームだったのか、基本から確認させてください。
タイトルの『グロブダー』は、プレイヤー機である戦車の名前です。同じく遠藤雅伸氏がディレクションした『ゼビウス』に出てくる敵キャラクターをスピンオフ的に登場させたものです。
難易度等の工場出荷時の設定(標準設定)は、1コイン3クレジット、3機設定、難易度はランクノーマル。エクステンドについては、1万点到達時の1回のみです。この1コイン3クレジットが標準設定というのが当時本当に珍しかった。
りゅう 1コイン3クレジットに関しては、面セレクトがあるので、それで遊んでほしいということだったのだと思います。
―― 内容は固定画面のシューティングもので、操作は8方向レバー2ボタン。ボタンはビームとシールドに割り当てられています。これらをうまく使って敵メカを全滅させる遊びです。
一見するとグロブダーの移動速度が遅く地味な印象なのですが、互いのビームの速度はやたら速くて、それをシールドや障害物を使ってかわしていくというのが大きな特徴になっています。
そして重要な点として、グロブダーにはエネルギーゲージがあります。
REI グロブダーを操作すると、その行動内容に応じてエネルギーゲージを消費します。ビームを発射したり、シールドを張ったり、シールドで敵の弾を受けると消費するということですね。ゲージは時間で自動回復しますが、たとえば移動しながらだと回復速度が落ちてしまいます。何も操作していないときが一番早く回復しますね。
りゅう 当時、自分の任意でシールドを張るゲームはあまりなかったので、とても新しく感じました。
―― エネルギーゲージの色は、残量によって青・黄・赤の3つの段階があって、青のときはシールドで敵のビームも爆風も防ぐことができるけれど、黄色になるとビームは防げるが爆風は防げない。そして、赤になるとアラート音が鳴り、シールドを発生させることができなくなる……ということですね。
REI いえ、正確にはもう一つあって、ゲージが完全になくなると、そのときは本当に何にもできなくなります。
―― 状態としては、青・黄・赤・ゼロの4つの段階があるということですね。
REI よくあるわかりやすい例としては、フォートレスのハイパーザッパーデストロイヤー――通称「赤玉(あかだま)」を一発「パーンッ!」と食らうといっぺんにゲージがなくなるんです。このときは、ビームも撃てず、シールドも張れず、移動さえもできなくなります。その瞬間、呼吸が止まる感じです(笑)。でも、1ゲージでも回復すれば、シールドも張れるし、移動できるようにもなります。
りゅう だから、何もできない時間はほんの一瞬ですね。
―― 格闘ゲームでいう「ダメージ硬直」とか「気絶」みたいな概念が『グロブダー』にもあるわけですね。
REI もう一つ重要な仕様で、一つの面に時間をかけていると、ゲージの回復速度が遅くなるというのもあります。
16方向ビームの制御法をマスターせよ!
―― このゲームのコントロールレバーを制御するマイクロスイッチは4つ(8方向分)しかないにもかかわらず、ビームは16方向に発射することができます。この操作が難しかったと思うのですが、どのように扱えばいいのでしょうか?
REI 当然ながら、普通に8方向に入れても、8方向にしか発射できません。プレイヤーとしては、縦か横の十字方向を意識して動かしています。レバーを何度も「カンカン、カンカン……」と入れると、チャンネル式に砲塔が細かくちょっとずつ動いていく、ということを理解しないと撃ちわけていくのは難しいです。
りゅう ほかのゲームのようにループレバーやチャンネルスイッチでやるのなら話はわかりやすいのですが、レバー1本でやったというのが斬新ですごいなあと思いますね。
―― ただ、最初は難しいんですよね。なかなか照準がうまく合わせられなくて。
りゅう 初めてやると、どうしてもブルブルと振り回すだけになっちゃうんですよね。
REI 『戦場の狼』(1985年/カプコン)や『バルトリック』のようなプレイになりますね。
りゅう そうそう(笑)。最初は突っ込んでいくだけでも倒せるんですけど、ちょっと強い敵が出てくるともうどうにもならない。動かずに狙い撃つという方法に気づくことが最初のポイントですね。
―― 動くとエネルギーを消費するというところからも、動くことが前提の攻略になってないんですね。そこはすごく斬新でした。
REI そこで意識改革が必要で、当時は「動いてなんぼ」のゲームが多かったと思うんです。「止まっている」という部分のゲーム性ってなかなかなくて、あるとすれば、たとえばシューティングゲームで敵の出る位置にこちらの弾を置くために止まり続けるということはあるかもしれないけど、基本的には能動的にガンガン動いて、次の敵を撃てる場所に行くという感じですよね。
でも、『グロブダー』の場合は、自分の経験則から逆算してマップ中のここに陣取るというのを決めて、そこに止まり続けるゲームなわけです。
りゅう 狙い撃てるようになって、物陰に隠れて隙間からビームを通せるようになるとおもしろくなるんですよね。
REI 私は戦記物とか戦史物を読むのが好きなんですけど、第二次大戦時のドイツ軍の戦車エースである「オットー・カリウス」や「ミヒャエル・ヴィットマン」等、彼らの伝記を読んでいると、敵が来る場所や配置などのマップ状況を把握した上で、自分が攻撃を受けずに、こちらの攻撃を一方的に与えられる場所に居続けるのが戦車の正しい戦い方の一つ的なことが書かれているんですね。『グロブダー』を再びやりだしてあらためて見たときに「それやってるじゃん!」って。
だから、未来の戦車ではあるけれど、すごくちゃんとした戦車ゲームなんですよ。ただ、普通の戦車だと攻撃を食らい続けたら装甲が破られちゃいますけど、『グロブダー』だとエネルギーを回復させている限りはシールドが破られないわけで、そこは未来の戦車なんですけどね。
―― 『グロブダー』のほかにも戦車ゲームはありますが、それらと比べて何か違いを感じるところはありますか?
REI 『グロブダー』以降に出た戦車ゲームの多くは、戦車というより「突撃砲」ゲームなんです。「III号突撃砲」とか「駆逐戦車」のような感じで、砲塔の向きと自分の移動向きが一緒のゲームが多い。それに対して、砲塔の向きと自機の移動を別方向にできるというと、ループレバーのゲームか『グロブダー』になります。『アサルト』(1988年/ナムコ)は突撃砲ゲームですね。
―― ただ、基本的には『グロブダー』も移動しながら別方向に撃つことはできませんよね?
REI うまく操作すれば、固定方向にだけはできます。ただ、それを攻略に活かせるかというと、ほぼできないんですが。フロッサーを壁際に追い込むときぐらいでしょうか。
りゅう 敵と正面から撃ち合うときにも使えますね。グロブダーの位置を正面から少しずらすように微調整することで、自分のビームだけ当てるようなことができます。
―― ディレクターの遠藤雅伸さんは、このゲームを『ロボトロン2048』(1982年/ウィリアムズ)にインスパイアされて作ったとおっしゃっています。全方向にビームを乱射するところとか、すぐ死ぬところとか。完成形はそれほど似ているわけではないのですが。
りゅう ああ、そういうゲームだとほかにも『ブラステロイド』(1988年/アタリ)とかありましたね。
REI 『ロボトロン2048』の続編の『スマッシュTV』(1990年/ウィリアムズ)とかね。
りゅう ぼくはパワーアップがないのも『グロブダー』の大きな特徴かなと思っています。
―― 1984年だとパワーアップ要素のあるゲームが出始めの端境期だったかもしれませんね。
REI ナムコはまだパワーアップのないゲームも作っていたとは思います。『ディグダグII』(1985年)も『メトロクロス』(1985年)もないですよね。
―― 『パックランド』(1984年)も、透明になったり、帰り道でジャンプシューズは手に入れますが、パワーアップとはちょっと違うかもしれませんね。
りゅう 『グロブダー』は「お助け要素がない」という表現のほうが適切ですかね? 強い武器をくれるとか、しばらく無敵になるとか、障害物のブロックを壊せるとか、いろいろくっつけようと思えばできたのに、あえて全部つけなかったんじゃないかと思うんです。
―― それで全99面を「もたせている」というのがすごいんですよね。
りゅう そうそうそう(笑)。
なぜ全面クリアを目指すことになったのか?
―― 1クレジット全面クリアを目指すことになったきっかけは何だったのでしょうか?
りゅう 1988年の春、ぼくが高校一年から二年になるぐらいのときのことです。東久留米キャロットハウスで、めぞんがテンションを上げてぼくのところにやってきて、目をキラキラさせながら「クリアしたらベーマガのハイスコアコーナーに載せてくれるって聞いたから! やろうやろう!」って言うんです。もう突然ですよ。
―― めぞん氏にその話をしたのは、当時ベーマガのチャレハイの担当だった私(見城)です。
りゅう そう聞いています。
―― 経緯をお話ししますと、当時『グロブダー』が発売されてから既に3年以上経っていたにもかかわらず、難しすぎて誰も1クレジットクリアを達成してなくて、残念だなあと思っていたんです。本当にいいゲームなのにって。
それでどういう流れだったか忘れたのですが、当時知り合いだっためぞん氏と『グロブダー』の話になったときに、私が「難易度のランクを下げたり、エクステンド設定を甘くしても何でもいいから、とにかく1クレジットで全面クリアできるか挑戦してみてよ。達成したら特別枠でチャレハイに載せるから」って伝えたんです。それぐらい何でもありにしないと、このゲームの難易度だと、挑戦すらする気にならないんじゃないかと思って。
今にしてみれば、ハイスコアの集計担当者がいきなり個人にだけ「こういうレギュレーションでいいから達成したら掲載するよ」って言うなんてルール違反だと思うのですが、発売から3年以上経っていて、多くの人がプレイしている気配もなかったし、あくまで標準設定とは別の特別枠という考えではありました。
REI そのころ、めぞんはアルバイトとして東久留米キャロットハウスと同時にプレイシティキャロット巣鴨店のシフトにも入っていたので、それで巣鴨で見城さんから話をされて、東久留米に持ち帰ってきたんだと思います。ちょうど『グロブダー』も再入荷されたし、やるしかないって。
りゅう 本当に見城さんが言い出したことだったんですね!?
―― はい。めぞん氏から持ちかけられた話ではないです。本当にクリアできるかなんて私にはわからないから、ただただ無責任に焚きつけたんです。『グロブダー』というゲームを私も好きだったからという理由も大きいです。
ただ、その時点でベーマガにもその話を書けばよりフェアだったなというのがあって、そこはいろんなプレイヤーの皆さんに申し訳なかったなと。
REI 東京に来てからしばらく、めぞんは『グロブダー』をそこまでやり込んでなかったと思うんです。本当に嗜む程度で。見城さんに焚きつけられたから本格的に始めたというのはあると思います。
りゅう ただ、九州にいたころや、東京に来てからも、ある程度は攻略していたと思いますよ。
―― 東久留米で攻略を始める時点で、めぞん氏はどれぐらいの実力だったんですか?
りゅう 既に90面台までは行っていたと思います。
―― ですよね。彼がある程度やり込んでいることを知っていたから、私も挑戦してよって言ったと思うんです。
りゅう それでぼくが巻き込まれました(笑)。そこからめぞんと2人で各面を攻略していった感じですね。
―― 東久留米キャロットハウスで特訓を始めたときの台の設定は、ランクイージー、5機設定、5万点ごとのエブリーエクステンド(マルチエクステンド)でしょうか?
りゅう だったと思います。ぼくはそこにあるゲームを遊ぶだけで、最初はあまり意識はしてなかったのですが。
―― その設定で最初に1クレジットでクリアしたのはいつごろでしょうか?
りゅう 1988年の夏……8月だったと思います。
―― 始められたのが春ですから、半年かからずに全面クリアを達成されたわけですね。4~5か月といったところでしょうか。
りゅう ただ、それはもともとめぞんが蓄積していたノウハウを丸々いただいたわけなので、そのおかげも大きいです。
りゅう氏が全面クリア達成、帰省中のめぞん氏が電話口で絶叫
―― 東久留米で最初にクリアされたのは、めぞん氏ではなく、りゅうさんでした。ベーマガのチャハイにも掲載されました。クリアのときの様子を覚えていますか?
りゅう めぞんが夏休みで実家の福岡に帰省中だったんです。そのときにぼくがクリアしちゃって……。抜け駆けです(笑)。
クリアの瞬間は後ろで金子店長が見ていたんですけど、完全に気配を消していて気づきませんでした。普段ならしゃべったりするんですけど。
―― 空気を読んで固唾を呑んでいたんですね。
りゅう クリアしたら後ろから拍手が聞こえてきて、「ああ、金子さん」って気づいて。この記録もそもそも金子さんが『グロブダー』を好きじゃなかったら始まってなかった物語と考えると、本当に感謝しかなくて。
REI それで金子さんが、すぐめぞんに「りゅう君がクリアしたよ」って電話してくれたんですよ。そうしたら……。
りゅう 叫んでましたね。電話口の向こうから聞こえてくるんですよ、「うえぇぇぇっ!?」って。
一同 (大笑)。
REI それで福岡から帰ってきて、“鬼やり込み”してクリアして、りゅう君の次の月にチャレハイに載ったんですよね。
りゅう 日数的には数週間も開いてないです。チャレハイの集計締め切り日をまたいでいたので分かれちゃったんですけど、もう少し早かったら2人で一緒に載っていたはずなんです。攻略を教えてもらっておいて、最後は“まくって”いったという(苦笑)。
―― ベーマガのチャレハイで『グロブダー』全面クリアが掲載されたのは、お二人が最初ですよね。
りゅう はい、扉ページの解説コーナーで見城さんに大変誉めていただきまして。
―― 「本当にやったんかい!」ってすごくビックリして。自分が言い出したことだから、これは注目されるように書かないとすまないなと。
一同 (笑)。
りゅう 当時、(達成について他店のハイスコアラーから)よく信じてもらえたなっていうのがすごくあって。ビデオとか撮れない時代でしたから。
―― どうなんでしょうね。当時、東久留米キャロットハウスがどんなお店かとか、そこにいるプレイヤーのこととか、ある程度全国的なコミュニティの中で知られていたので、信じてもらえたのかなって気はするのですが。
REI めぞんという有名なプレイヤーを介してチャレンジしていたことはすぐに知られましたからね。誰も知らないプレイヤーとお店だと、ウソスコア扱いされていたかもしれません。
りゅう あと、ぼくは1クレジットでクリアしたら何か(ゲーム内で)特別なご褒美があると思っていました。でも何もなくて怒りました(笑)。
REI エンディングもコンティニュープレイのときと同じじゃないかって(笑)。
りゅう 100面目が始まるかと思ってました、いわゆるエキストラステージが。
―― ああ、たとえば『ワンダーボーイ』(1986年/エスケープ・セガ)のステージ8みたいなものですね。『グロブダー』より後の時代ですし、条件は違いますけど。当時そういう隠し要素はあまりなかったですからね。
りゅう そこは残念でした。
―― REIさんが1クレジット全面クリアされたのはいつごろですか?
REI 少し時代がずれてしまうのですが、2008年か2009年ごろですね。めぞんが亡くなって、彼と親しかったメンバーが集まって「めぞんを偲ぶ会」というのを開くようになったんです。
そのときりゅう君と再会して話をしたら、「めぞんから譲り受けた『グロブダー』の基板と筐体を持っていて、たまに“素振り”をしているんだ」って言うんで、俺にも素振りさせてよってお願いして、何度か彼の家にお邪魔させていただいたんです。そこでハイパータンク安地や、ブラウンフロッサーの瞬殺のやりかた、それから90面台の基本的なパターンなどを教えてもらいました。
その後、江古田の「えびせん」にお願いして『グロブダー』の基板を持ち込んで、やり込むか! ってことになったんです。そうしたら、りゅう君も『グロブダー』をやるためにえびせんに来るようになって。
―― 「えびせん」というのは、ゲームファンが集まることで有名なゲームセンター「Game in えびせん」ですね。IGCCでも以前に外山雄一さんが取材をされています。
※参考リンク:『Game in えびせん、ハイスコアの「Field of Dreams」!』の記事は、こちら。
REI それで通い始めて3カ月ぐらいだったと思うんですけど、自分もクリアすることができて、周りのスコアラーからおめでとうって言ってもらえました。
―― そのときも設定はランクイージー、5機、マルチエクステンドだったのですね。
REI そうです。りゅう君やめぞんがクリアしたのと同じ難易度で目指そうって始めたものなので。
同時期、長岡にも猛者がいた!
りゅう 1988年の話にもどりますが、当時、新潟の長岡でも『グロブダー』をやり込んでいるかたがたがいて、その人たちはランクノーマルでやっていたらしいんです。それでぼくらがイージーでクリアしたあとに、そのかたがたもイージーに変えて「クリアできました」って報告がありました。
REI それも2人連続で。
―― りゅうさんとめぞん氏もそうですが、タッグを組んで攻略するととても効果的だということがわかるエピソードですね。
当時、長岡の皆さんとは電話などで情報交換されていたのですか?
りゅう めぞんは長岡まで行って話をしていたと思います。長岡に「FGK」というサークルがあったんですけど、そこのかたと一緒に旅行に行くような間柄で、長岡のキャロットでもコミュニケーションを取っていたそうです。
―― 「FGK」はいつもチャレハイコーナーで見る常連さんでしたね。
りゅう めぞんの遠征が、長岡に『北斗の拳』のラオウ伝説のように残るわけですよ。「あのめぞんがこの地に来た」みたいな感じで。
―― (笑)。
りゅう 長岡では今でもファンのかたがたが『グロブダー』を盛り上げていらっしゃっていて。「テクノポリス」というゲームセンターなんですけど。
REI テーブル筐体に『グロブダー』を入れて、「長岡バトリング協会(nba)」という名前で活動されています。
―― 「nba」は同ゲームの設定上の競技団体「National Battling Association」と掛けているわけですね。『グロブダー』愛ですね。
私が東久留米のめぞん氏にだけ先にランクイージーでも載せるよって言ってしまったこともあって、りゅうさんが先にクリアされましたが、長岡の皆さんも同じ条件で始めていれば、順番は入れ替わっていたかもしれませんね。
※参考リンク:ゲームセンター「テクノポリス」の記事は、こちら。
こだわりのプレイでゲームをしゃぶり尽くす男・めぞん一刻
―― めぞん氏って人間的にはどんな男でしたか? 私の記憶では人懐っこい好青年という印象でした。
りゅう そうですね。いいお兄ちゃんって感じでした。
―― 『グロブダー』のプレイスタイルはどのような感じだったのでしょうか?
りゅう 誘爆を狙うことにすごくこだわっていました。だから危ないんですよ(笑)。『グロブダー』って面セレクトを使ってクリアするとボーナスがすごくたくさんもらえて、最終面だと50万点以上入るんですけど、めぞんは「面セレクトで出るスコアを越えて全面クリアしたいんだ」って言ってました。
―― 彼はそういう美しいプレイにこだわるタイプだったのですね。
りゅう そうですね。スコアとか点効率にはこだわっていましたね。ひどいときは、倍率が上がると思ったら自分から爆風の中に突っ込んでいましたからね。誘爆で3万点4万点取れれば儲けものだみたいなことを言ってて。
REI それはマルチエクステンド設定で、次のエクステンドがあるからできたことですよね。
りゅう でも、全面クリアを目指していたときなのに、誘爆を狙っている場合なんですかっていうのは感じていました(笑)。
―― 彼の『グロブダー』以外のエピソードも教えていただけますか?
REI これと決めたゲームをしゃぶり尽くすタイプでしたね。
りゅう ぼくは「記録を取っている人」っていうイメージですね。『グラディウス』(1985年/コナミ)に関しても「何月何日に一千万点達成、何周目何面」みたいなメモを取っていて。
それから、自宅に筐体を持ってて、『グロブダー』『究極タイガー』(1987年/東亜プラン・タイトー)『ゼビウスアレンジメント』(1995年/ナムコ)をよくプレイしていました。
REI 『究極タイガー』は有志を募って数人がかりで一億点までやってましたね。
―― い、一億ですか……。
りゅう どんどん敵の弾が速くなり続けるので、それが見たいって言って。ぼくも誘われたんですけど、嫌だって言って逃げたんです(笑)。丸一日ぐらいかかったらしいです。
『グラディウス』の一億点プレイには参加したんですけど、そっちは三日三晩プレイし続けるんですよ。
REI 彼が『究極タイガー』をやり続けたおかげで1ループが16周だとわかったし。
りゅう そのときは意識朦朧としていただろうし、本当なのかわからないよ(笑)。
REI いや、そこで明らかに敵の弾が遅くなったらしいよ。
―― 先ほど、めぞん氏を偲ぶ会が定期的に開かれているとお聞きしました。
REI はい、お墓参りもしますし、彼の実家がある九州に行って、地元の彼の友人と交流することもあります。
りゅう 晩年はしばらく連絡を取っていない時期があったので、お墓に行って初めて彼が亡くなったことを実感しました。でも、ぼくたちがこうやって忘れずに語っているうちは生きているのかなって思うんです。
次回予告
次回はいよいよ攻略編。99面をはじめとする各ステージの基本攻略パターンや、敵のアルゴリズムについてお聞きします。フロッサーの瞬殺方法、そして敵タンクの攻撃を避けるために「川を渡る」とは何なのか? 乞ご期待!
りゅう氏プロフィール
スコアネーム「JMB-りゅう」。高校生のころに通った東久留米キャロットハウスでアーケードゲームとゲームセンターのコミュニティの楽しさに目覚め、今に至る。ジャンルを問わず興味を持ったタイトルは何でもやり込むタイプ。ライフワークは『グロブダー』『ゼビウスアレンジメント』『マジックソード』。最近のお気に入りは『グレート魔法大作戦』。
REI氏プロフィール
スコアネーム「SPREAM-REI」。宮城県古川市(現在は大崎市)にて高校卒業までハイスコアプレイ活動。86年上京、ナムコ系列ゲームセンターで店員業務を経験。92年セガCS5研にてアルバイトとして企画業務に従事。ゲーム開発者としての主な経歴:ゲームギア『ロイアルストーン』企画アシスタント、アーケード『バーチャファイター3』ステージデザイナー、PS2『電脳戦機バーチャロンマーズ』企画アシスタント、PS2『レーシングバトル』企画、アーケード『ダライアスバーストAC』ボス攻撃企画など。プレイスタンス:スコアリングシステムが一工夫あるゲームをとことんまでやる。以前の事故の後遺症のため、休職療養中。
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